ところが春馬は平然として却下した。
「馬は後ろ足に駆動があるゆえ、後ろのほうが揺れる。俺が凜を抱える体勢でなければ振り落とされるぞ。さあ、前に乗れ」
 前に乗るしかなさそうだ……。
 きちんとお座りをしたシャガラは嬉しそうに尻尾を振って、私が腰を下ろすのを待っている。
 スカートでなくてよかったと思おう。
「それじゃあ……乗せてもらうわね。シャガラ」
「ブルルッ」
 白馬の背中を跨ぎ、腰を下ろして手綱を持った。すると後ろに跨がった春馬は、私の体を覆うように腕を回す。
 ぴたりとふたりの体が密着した。
 手綱を持っている私の手を、春馬の大きなてのひらが握り込む。
 シャガラが立ち上がり、降りられなくなってしまった。春馬に抱きしめられている状態なのに、どこにも逃げ場がない。
「わ……すごく、高いのね」
 通常の馬よりもさらに体高があるシャガラに騎乗すると、遠くまで景色が見渡せた。
 高さのせいだけではなく、どきどきと鼓動が鳴りやまない。
 両手は大きなてのひらに握られ、背中には頑健な胸板が押しつけられている。
「俺がしっかり抱きしめているから案ずるな。景色を楽しめ」
 春馬は馬腹を蹴った。
 合図を受けたシャガラは蹄を鳴らし、城に背を向けて駆けていく。
 街を抜けて郊外へ。
 次々に移り変わる風景に驚きつつ、爽やかな風を感じた。
 疾駆するシャガラの背が規則的に跳ねる。手綱を一緒に握っている春馬とともに体が揺れて、一体感を得られた。
 林を駆け抜けながら、春馬の声が風を縫って耳元に吹き込まれる。
「つらくはないか?」
「ううん、とても、楽しい……!」
 その答えに、ふっと春馬が安堵の息を漏らすのを耳朶に感じる。それほどふたりの距離は近かった。
 やがて森の中で、シャガラは歩を緩める。
 木漏れ日が優しい森は静かで、鳥のさえずりが聞こえた。
 ややあって、木々の狭間に開けた場所を見つけた。くぼみのある荒れ地の中央には、わずかな水が残っている。
「ブルルル……」
 荒れ地を見たシャガラが寂しげな声をあげた。飛んできた小鳥が中央の水溜まりのそばに降り立ったが、すぐに飛び去ってしまう。
「少し休むか」
 ひらりと身を翻した春馬は下馬する。私に手を差し伸べたので、彼の手を借りてシャガラの背から降りた。
「シャガラは水を飲みたそうね。ここは、もとは泉だったのかしら」
「ああ。以前は潤沢な水場で、多くの動物が集まっていたのだがな。雨が少ないためか、干上がってしまったのだ」
 先ほど小鳥が降り立った水溜まりに向かう。歩いてみると、かつては泉だったくぼみの土は固まり、ひび割れていた。
 中央に辿り着き、泉の名残を覗く。残った水は汚れていて、飲める状態ではなかった。これでは水が飲めることを期待して訪れた動物たちは、がっかりして引き返すしかない。
 私の力で、泉を回復させられないかしら……。
 命を再生する能力は、無から有を生み出すことはできない。けれどこの泉が以前は潤沢な水を湛えていたのなら、元通りにはできなくても、せめて汚水を綺麗にすることは可能かもしれない。
 手を伸ばしかけた私は、はっとしてその手を引く。
 能力を使ったときに周囲の人が見せる、嫌悪の顔が脳裏に浮かんだ。あやかしたちにも、これではないと罵倒された記憶がよみがえる。
 また失敗するかもしれない。毒の泉を湧かせてしまったら、どうしよう。
 そっと目の端で春馬をうかがうと、彼は木陰でシャガラの手綱を結び直していた。
 忌避されるのは怖い。
 でも、泉を取り戻せたなら、誰かの喉を潤してあげられる。
 迷いを振り切り、私は汚れた水溜まりに手を伸ばした。
 意識をてのひらに集中させる。ぽう……と淡い光が発せられた。
 その光に呼応するように、水の底から光の核が出現する。これが、生命の源だ。
 懸命に力を注ぎ込むけれど、光は広がるどころか、点滅してしまう。
 消えてしまう……?
 泉を復活させるなんて、無理なのだろうか。でも、諦めたくない。
 私は両手をかざし、体の奥底を振り絞るように光を送り込む。
 すると、ごぽっと音がして、わずかな水が湧き上がった。