「そんなことがあったのね……。お母さんは、私が政略結婚で不幸せになるかもと心配していたんじゃないかしら」
「俺の平淡な態度が誤解を招いたのだろう。だが俺は、約束は守る。凜を笑顔にすると決めている」
 私は真顔で隣の春馬を見た。
 そう決意されても、無理には笑えないのだけれど。
 以前、笑ったのはいつなのか思い出せないくらいだ。近頃は春馬との距離の取り方で悩んでいるので、まったく口角は動かなかった。表情に乏しい花嫁では春馬が魅力を感じないのも当然だと思うと、さらに気分が沈んでしまう。
 春馬は真剣な表情をこちらに向けて、言葉を継ぐ。
「ところが、その方法が不明なのだ。おまえはどんな着物や宝石を贈っても笑顔を見せない。どうすればよいのか、俺はとても困っている」
「……もしかして、最近不機嫌なのは、それが原因だったの?」
「不機嫌であるつもりはないが。どのようにおまえに接したらよいのか惑っていた」
「私、てっきり、初夜にうまくできなかったから……嫌われたのかと思った」
「嫌ったりはしない。俺が無理をさせたくないだけだ。……だが、俺も男だからな。おまえを前にして肉欲を封じ込めるのは耐えがたい苦行だ。棺桶に入っていると思って煩悩を払い、やり過ごしたが、ひとまず俺の事情は気にせずともよい」
 ふっと強張っていた心がほどける。
 春馬も、同じ気持ちだった……。
 彼も互いの距離を縮めるために苦悩していたのだ。どうして私ばかりが悩んでいると思ったのだろう。春馬はこんなにも私を気遣ってくれるというのに。
「凜は、なにを望むのだ。どうしたらおまえは笑ってくれる」
 碧色の双眸を向けられ、真摯に問いかけられる。
 物なんていらない。私は、春馬とともに笑いたかった。共感することが、心の絆を結ぶ初めの一歩だと思うから。
「私の望みは、あなたと一緒に笑うことよ。春馬が楽しいと思うのは、どんなことがあるのか教えて」
「俺の楽しいこと……大変な難題だ。昔の話だが、生意気な羅刹と勝負して打ち倒したときは爽快な気分だったな。凜はどうだ?」
 春馬の楽しみは趣味などの域を超えている。私から提案したほうがよさそうだ。
「私は……デートしてみたら楽しい……かな」
「ほう。逢引きだな」
「逢引きというと、なんだか秘密の関係みたいなんだけど。デートっていうのは恋人同士でお茶したり、映画を見たりして一緒に過ごすことよ」
「ふむ。ともに同じ時間を過ごすために、お茶や映画を添えるわけか。交流としては有意義だな」
「……そういうことね」
 丁寧にデートの意義を解説する春馬は、デートというものを経験したことがなさそうだ。もちろん私も初めてなので、提案したものの、うまくできるだろうかという不安が生じる。
「よし! 明日はデートだ。ともにお茶して映画を見るぞ」
 力強く宣言した春馬は私の手を握り込む。
 途方もないことになりそうな気がするが、初めてのデートに胸が弾むのを抑えきれない。
 その夜、眠るときも春馬は私の手をしっかりと握っていた。明日のデートへの意気込みが感じられ、頬を緩ませた私は安らかな眠りに就いた。

 やがて夜が明け、星が息をひそめる。
 快晴の空を見上げた私はデート日和に安堵し、春馬とともに朝食を取る。なんだか緊張してしまい、ふたりともなぜか無言で箸を動かしていた。
 どきどきと胸を弾ませながら、宛がわれている自室で小花柄のワンピースに着替える。
「もっとお洒落な服を新調すればよかった。でもまさか、こんなに急にデートすることになるなんて思いもよらなかったし……」
 声を躍らせつつ、ブラシで長い髪を梳かす。鏡台で薄化粧を施し、最後に鏡に映した全身を確認した。
 ほつれた糸はついていない。どこにも汚れなどはない。全体が地味なのはどうしようもないとして、ひとまず支度は調った。
 流麗な美貌の春馬の隣に立っていても、おかしくないだろうか。並んで歩いたら、彼に見合っているだろうか。
 不安が胸に広がるけれど、あまり彼を待たせてはいけない。
 私は小ぶりのバッグを手にすると、部屋を出て廊下を小走りに駆けた。
 息を整え、春馬の待っている応接室に顔を出す。
「お待たせ」
「凜。支度ができたか」
 ところがソファから立ち上がった春馬の格好を見て、目を丸くする。