真面目なのか気むずかしいのか、奇妙な男だ。
肩を竦めた私は春馬とともに、紫陽花の咲く公園を抜けた。
生まれたときから住んでいる自宅マンションは、河原沿いに建っている。河原にはカマイタチなどのあやかしたちが多数暮らしているので、小さい頃はよく遊んでいた。
許嫁の鬼神を連れてきたと言って春馬を家族に紹介したら、大騒ぎになるだろうか。
振り返ると、平然とした春馬は私の後ろにぴたりと付き従っている。
両親は共働きの会社員なので、今の時間は自宅にいない。兄の悠としもべのコマは同居しているのだが、どこかへ泊まり込んでいるらしく、最近は家にいなかった。
けれど家族はもうひとりいる。
玄関扉を開けた私は、室内の気配をうかがった。
すると散歩には行っていなかったのか、陽気な声が飛んでくる。
「凜、おかえりにゃ~ん」
「あっ……ただいま、ヤシャネコ」
夜叉のしもべであるヤシャネコは、私が生まれたときからまったく姿が変わらない。現世の猫とは寿命が異なるのだ。
いつものように挨拶を交わした直後、ヤシャネコは金色の目をいっぱいに見開いた。
「ニャニャ! 鳩槃荼さま⁉」
私の後ろから入ってきた人物に驚いて尻尾を逆立て、ぴょんと飛び上がる。
春馬は傲慢にヤシャネコへ問いかけた。
「しもべよ。夜叉は在宅か」
「フニャニャ……夜叉さまは会社にゃん。夜に帰ってきますにゃん」
「では、待たせてもらおう」
家に上がり込んだ春馬が、一応は靴を脱いでいるのを確認する。
「もしかして『娘さんをいただきます』だとか、お父さんに言うつもり?」
「無論だ」
言い切る春馬には、いっさいの迷いがない。
父は母には甘いけれど、私と兄には苛烈に怒鳴りつけることもある。そんなときは鬼神の夜叉らしい面を感じて、恐怖すら覚える。ふたりが対面したら、どうなるのか予想がつかない。ここで鬼神の争いが勃発しても困る。
そんなふうに悩んでいると、またもや困惑するものを発見した。
リビングに入った春馬は、部屋の角に仁王立ちしているのである。ダイニングテーブルやリビングのソファはすぐそこなのだけれど。
「あの……どうしてそこに立っているの?」
「夜叉は俺の花嫁の父君にあたる。つまり、俺よりも位が上ということになる。目上の者を迎えるのに悠々と座して待っているなど不遜だ」
「丁寧な説明、ありがとう……」
まるで武人のごとく格式を重んじている。ヤシャネコはといえば、春馬から少し離れたところでびくびくしながら床に伏せていた。普段はお腹を見せて昼寝しているのに。
鬼神の世界では位階が重視されるらしい。
「それじゃあ、私も一緒に立っていようかしら」
ひとりだけ座っているのも申し訳ないと思い、春馬に合わせる。
すると彼は素早く部屋の角から移動し、私のそばにやってきた。
「それはいけない。花嫁たるもの、侍従のごとく立っていてはならぬ。大事な体なのだからな」
「……そうなの?」
春馬は正面に立つと、まっすぐに私を見つめる。なぜか距離が近い。話すなら、もう少し離れたほうが相手の顔が見やすいと思うのだけれど。
なんとなく気まずくてうつむくと、春馬は私の手をすくい上げた。
「さあ、椅子に座るのだ」
「私の家だけどね」
ソファに導かれ、腰に手を添えられて座る。まるでお姫様のような扱いだ。
私を座らせると春馬は部屋の角に戻り、直立不動の体勢になる。
奇妙な時間が流れた。
春馬は神の像のごとく、ぴくりとも動かない。
変な人……。でも、私に気を使っているのかな……。
床に伏せているヤシャネコのヒゲが震え、「ムニャ、ニャゴ……」と喉を鳴らす声が静かな室内に響く。
やがて窓を叩いていた雨粒がやみ、日が暮れた。ヤシャネコがすっかり眠ってしまった頃、玄関から物音がする。
「ただいま。凜、帰ってるの?」
母が帰宅した。ほかの靴音も混じっているので、父もいるはずだ。
春馬はまったく動じない。なにも知らず笑顔でリビングに入ってくる母と、それを待ち構えている義賊のごとき春馬に、私は忙しなく視線を往復させた。
「お、おかえりなさい。あの、お母さん、来客がいるんだけど」
「えっ?」
肩を竦めた私は春馬とともに、紫陽花の咲く公園を抜けた。
生まれたときから住んでいる自宅マンションは、河原沿いに建っている。河原にはカマイタチなどのあやかしたちが多数暮らしているので、小さい頃はよく遊んでいた。
許嫁の鬼神を連れてきたと言って春馬を家族に紹介したら、大騒ぎになるだろうか。
振り返ると、平然とした春馬は私の後ろにぴたりと付き従っている。
両親は共働きの会社員なので、今の時間は自宅にいない。兄の悠としもべのコマは同居しているのだが、どこかへ泊まり込んでいるらしく、最近は家にいなかった。
けれど家族はもうひとりいる。
玄関扉を開けた私は、室内の気配をうかがった。
すると散歩には行っていなかったのか、陽気な声が飛んでくる。
「凜、おかえりにゃ~ん」
「あっ……ただいま、ヤシャネコ」
夜叉のしもべであるヤシャネコは、私が生まれたときからまったく姿が変わらない。現世の猫とは寿命が異なるのだ。
いつものように挨拶を交わした直後、ヤシャネコは金色の目をいっぱいに見開いた。
「ニャニャ! 鳩槃荼さま⁉」
私の後ろから入ってきた人物に驚いて尻尾を逆立て、ぴょんと飛び上がる。
春馬は傲慢にヤシャネコへ問いかけた。
「しもべよ。夜叉は在宅か」
「フニャニャ……夜叉さまは会社にゃん。夜に帰ってきますにゃん」
「では、待たせてもらおう」
家に上がり込んだ春馬が、一応は靴を脱いでいるのを確認する。
「もしかして『娘さんをいただきます』だとか、お父さんに言うつもり?」
「無論だ」
言い切る春馬には、いっさいの迷いがない。
父は母には甘いけれど、私と兄には苛烈に怒鳴りつけることもある。そんなときは鬼神の夜叉らしい面を感じて、恐怖すら覚える。ふたりが対面したら、どうなるのか予想がつかない。ここで鬼神の争いが勃発しても困る。
そんなふうに悩んでいると、またもや困惑するものを発見した。
リビングに入った春馬は、部屋の角に仁王立ちしているのである。ダイニングテーブルやリビングのソファはすぐそこなのだけれど。
「あの……どうしてそこに立っているの?」
「夜叉は俺の花嫁の父君にあたる。つまり、俺よりも位が上ということになる。目上の者を迎えるのに悠々と座して待っているなど不遜だ」
「丁寧な説明、ありがとう……」
まるで武人のごとく格式を重んじている。ヤシャネコはといえば、春馬から少し離れたところでびくびくしながら床に伏せていた。普段はお腹を見せて昼寝しているのに。
鬼神の世界では位階が重視されるらしい。
「それじゃあ、私も一緒に立っていようかしら」
ひとりだけ座っているのも申し訳ないと思い、春馬に合わせる。
すると彼は素早く部屋の角から移動し、私のそばにやってきた。
「それはいけない。花嫁たるもの、侍従のごとく立っていてはならぬ。大事な体なのだからな」
「……そうなの?」
春馬は正面に立つと、まっすぐに私を見つめる。なぜか距離が近い。話すなら、もう少し離れたほうが相手の顔が見やすいと思うのだけれど。
なんとなく気まずくてうつむくと、春馬は私の手をすくい上げた。
「さあ、椅子に座るのだ」
「私の家だけどね」
ソファに導かれ、腰に手を添えられて座る。まるでお姫様のような扱いだ。
私を座らせると春馬は部屋の角に戻り、直立不動の体勢になる。
奇妙な時間が流れた。
春馬は神の像のごとく、ぴくりとも動かない。
変な人……。でも、私に気を使っているのかな……。
床に伏せているヤシャネコのヒゲが震え、「ムニャ、ニャゴ……」と喉を鳴らす声が静かな室内に響く。
やがて窓を叩いていた雨粒がやみ、日が暮れた。ヤシャネコがすっかり眠ってしまった頃、玄関から物音がする。
「ただいま。凜、帰ってるの?」
母が帰宅した。ほかの靴音も混じっているので、父もいるはずだ。
春馬はまったく動じない。なにも知らず笑顔でリビングに入ってくる母と、それを待ち構えている義賊のごとき春馬に、私は忙しなく視線を往復させた。
「お、おかえりなさい。あの、お母さん、来客がいるんだけど」
「えっ?」