「柊夜さんったら、まだ早いですよ」
楽しげに未来のことを語る柊夜さんに笑いかける。
政略結婚が気がかりではあるが、まだ先の話だ。それに二十年ほどの時が経てば、状況は変化するかもしれないのである。
凜が大きくなったら、少しずつ話していこう。夜叉の血族であること、そして許嫁がいることを。
柊夜さんは生まれた赤子を笑顔であやしている。
愛する家族を目を細めて見つめた私は、幸福な未来を思い描いた。
出産してから数日が経過し、退院の日が近づく。
赤ちゃんの名前は当初の予定通り『凜』として、柊夜さんが役所に出生届を提出した。
子宮収縮の痛みはかなり収まってきたし、出血も止まった。産後は順調に回復している。
凜はよくおっぱいを飲んでは眠ってくれるので、健やかに育ってくれそうで安心した。
夜中も数時間おきに授乳するので寝不足に陥ってしまうけれど、わずか一年ほどの労苦と思い、どうにか耐え抜こう。
「柊夜さんも手伝ってくれるしね……。赤ちゃんにおっぱいをあげられる幸せを噛みしめよう」
ベッドに横になりながら、我が子の顔を眺めて小さくつぶやく。
ふわりとした黒髪に、ぴたりと閉じた薄い瞼。ぷっくりしている唇は形が整っていて、柊夜さんにそっくり。いつまで見ていても飽きないから不思議だ。
そのとき、とても小さなノックが鳴り、細い声が耳に届く。
「失礼します、高梨です」
身を起こすと、部屋に入ってきたのは同僚の高梨さんだった。
「高梨さん! わざわざお見舞いに来てくれたんですか?」
「突然、すみません。予定日をうかがっていましたから、そろそろかなと思って、鬼山課長に教えていただきました。ご出産、おめでとうございます」
柔らかな微笑を浮かべた高梨さんは、生まれた凜を目を細めて見やる。
その表情には一種の安堵が含まれていた。
椅子に腰を下ろした彼女は、赤ちゃんを起こさないためか、小声で話す。
「実は、星野さんが仕事に復帰する前に、お伝えしておこうと思いまして」
「はい……どうしたんですか?」
一拍置いた高梨さんの顔に緊張が生じる。
けれどすぐに彼女は喜びを浮かべた。
「わたしも、妊娠したんです。まだ二か月なので、安定期に入ってないですけど」
「そうなんですか⁉ おめでとうございます!」
妊娠について悩んでいた彼女が懐妊したのは喜ぶべき吉事だ。
高梨さんは嬉しそうに頬を綻ばせた。
「妊娠がわかったとき、星野さんにお腹をさわらせてもらったことを思い出しました。きっと、この子に力をもらえたおかげです」
高梨さんがお腹に触れたとき、凜の初胎動があったのだ。
「そんなことありませんよ。赤ちゃんが、高梨さんを選んで……」
言いかけた私は、とあることに気がつく。
凜の胎動には、偶然とは思えない状況が度々あった。
高梨さんのほかに、政略結婚の話に及んだとき。そして夜叉の居城では、成長した姿を現した。お腹にいる胎児だけれど、いずれも外の世界へ語りかけるようなタイミングだった。
そのとき、眠っているはずの凜が左手を上げた。なにかを求めるかのように、握った拳をさまよわせる。
「あら。おばさんと握手してくれるの? 子どもが生まれたら、お友達になってね。お母さんと約束したのよ」
朗らかな笑みを浮かべた高梨さんは、小さな凜の拳にそっと触れる。
すると、孕んでいる彼女のお腹が、ぽう……と淡い光を発した。
まるで光の核が胎内に宿っているみたいだ。
幻影の凜が、破壊された雷地のかけらを取り出したときの光と同じものに見える。
高梨さんはお腹が光っていることに、まるで気づいていないらしい。
私は、ごくりと息を呑んだ。
妊娠二か月というと、夜叉の居城が襲撃された頃に高梨さんが妊娠したことになる。あのとき、凜が天に放った光の核が、高梨さんの胎内に入ったのだとしたら……。
高梨さんが妊娠した子はもしかして、雷地ではないだろうか。
そう言いかけた私は口を噤んだ。
せっかく妊娠して喜んでいる高梨さんに、その子はあやかしかもしれないなんて言えない。それに、すべては偶然かもしれないのだから。
凜の手が、そっとシーツに下ろされた。すると高梨さんのお腹が発していた淡い光も、すうっと消える。
それを見た私は重い口を開いた。
楽しげに未来のことを語る柊夜さんに笑いかける。
政略結婚が気がかりではあるが、まだ先の話だ。それに二十年ほどの時が経てば、状況は変化するかもしれないのである。
凜が大きくなったら、少しずつ話していこう。夜叉の血族であること、そして許嫁がいることを。
柊夜さんは生まれた赤子を笑顔であやしている。
愛する家族を目を細めて見つめた私は、幸福な未来を思い描いた。
出産してから数日が経過し、退院の日が近づく。
赤ちゃんの名前は当初の予定通り『凜』として、柊夜さんが役所に出生届を提出した。
子宮収縮の痛みはかなり収まってきたし、出血も止まった。産後は順調に回復している。
凜はよくおっぱいを飲んでは眠ってくれるので、健やかに育ってくれそうで安心した。
夜中も数時間おきに授乳するので寝不足に陥ってしまうけれど、わずか一年ほどの労苦と思い、どうにか耐え抜こう。
「柊夜さんも手伝ってくれるしね……。赤ちゃんにおっぱいをあげられる幸せを噛みしめよう」
ベッドに横になりながら、我が子の顔を眺めて小さくつぶやく。
ふわりとした黒髪に、ぴたりと閉じた薄い瞼。ぷっくりしている唇は形が整っていて、柊夜さんにそっくり。いつまで見ていても飽きないから不思議だ。
そのとき、とても小さなノックが鳴り、細い声が耳に届く。
「失礼します、高梨です」
身を起こすと、部屋に入ってきたのは同僚の高梨さんだった。
「高梨さん! わざわざお見舞いに来てくれたんですか?」
「突然、すみません。予定日をうかがっていましたから、そろそろかなと思って、鬼山課長に教えていただきました。ご出産、おめでとうございます」
柔らかな微笑を浮かべた高梨さんは、生まれた凜を目を細めて見やる。
その表情には一種の安堵が含まれていた。
椅子に腰を下ろした彼女は、赤ちゃんを起こさないためか、小声で話す。
「実は、星野さんが仕事に復帰する前に、お伝えしておこうと思いまして」
「はい……どうしたんですか?」
一拍置いた高梨さんの顔に緊張が生じる。
けれどすぐに彼女は喜びを浮かべた。
「わたしも、妊娠したんです。まだ二か月なので、安定期に入ってないですけど」
「そうなんですか⁉ おめでとうございます!」
妊娠について悩んでいた彼女が懐妊したのは喜ぶべき吉事だ。
高梨さんは嬉しそうに頬を綻ばせた。
「妊娠がわかったとき、星野さんにお腹をさわらせてもらったことを思い出しました。きっと、この子に力をもらえたおかげです」
高梨さんがお腹に触れたとき、凜の初胎動があったのだ。
「そんなことありませんよ。赤ちゃんが、高梨さんを選んで……」
言いかけた私は、とあることに気がつく。
凜の胎動には、偶然とは思えない状況が度々あった。
高梨さんのほかに、政略結婚の話に及んだとき。そして夜叉の居城では、成長した姿を現した。お腹にいる胎児だけれど、いずれも外の世界へ語りかけるようなタイミングだった。
そのとき、眠っているはずの凜が左手を上げた。なにかを求めるかのように、握った拳をさまよわせる。
「あら。おばさんと握手してくれるの? 子どもが生まれたら、お友達になってね。お母さんと約束したのよ」
朗らかな笑みを浮かべた高梨さんは、小さな凜の拳にそっと触れる。
すると、孕んでいる彼女のお腹が、ぽう……と淡い光を発した。
まるで光の核が胎内に宿っているみたいだ。
幻影の凜が、破壊された雷地のかけらを取り出したときの光と同じものに見える。
高梨さんはお腹が光っていることに、まるで気づいていないらしい。
私は、ごくりと息を呑んだ。
妊娠二か月というと、夜叉の居城が襲撃された頃に高梨さんが妊娠したことになる。あのとき、凜が天に放った光の核が、高梨さんの胎内に入ったのだとしたら……。
高梨さんが妊娠した子はもしかして、雷地ではないだろうか。
そう言いかけた私は口を噤んだ。
せっかく妊娠して喜んでいる高梨さんに、その子はあやかしかもしれないなんて言えない。それに、すべては偶然かもしれないのだから。
凜の手が、そっとシーツに下ろされた。すると高梨さんのお腹が発していた淡い光も、すうっと消える。
それを見た私は重い口を開いた。