まるでそこに猫がいて、帰宅を促すかのような言動である。その通りだけどね。
 素知らぬふりをしてロッカーから着替えの入った袋を取り出していると、先生が微苦笑を交えつつ話しかけてきた。
「お母さん。もしかして、おうちで猫を飼っていますか?」
「は、はいっ。飼っております……」
「悠くんは、その猫がいつもそばにいるみたいに話しかけています。おうちの猫ちゃんとは、仲良しなんですか?」
「そ、そうですね。生まれたときから一緒にいるのでとても仲良しです」
 冷や汗をかきながら棒読みで答える。
 先生は保育のプロなので見透かされている。さすがにあやかしの猫とまではバレていないが、この状態が続いたら困った事態になりそうだ。
 先生に挨拶して悠を抱きかかえ、素早く園を出る。
 軽自動車のチャイルドシートに悠を乗せていると、ぴょんとヤシャネコは後部座席にジャンプした。
「フウ~。もう先生にバレてるにゃんね。おいらが離れると悠は必死になって探し回るから、そばにいたほうが落ち着いていられるにゃんよ。先生はおいらが見えてないはずなのに、疑惑の目がすごいにゃん」
「架空の猫に話しかけているんじゃなく、本物のあやかしの猫がいるって、いずれ先生に気づかれそうね……」
「もはや時間の問題にゃん。でも悠に『おいらはみんなからは見えてないから、話しかけちゃいけにゃい』って言ってもわかってくれないにゃん。どうしたらいいにゃ~ん!」
 嘆きの声をあげるヤシャネコを、悠は天使の微笑みを浮かべて撫でさすっている。
 まだ一歳半の悠には、なぜ自分だけあやかしが見えて、それを隠さなければならないのかといった事情を理解するのは難しい。
 おそらく彼としては、家で飼っている猫は特別な友達なので、保育園についてきてもよいのだという認識だろう。間違ってはいないんだけどね……。
 ハンドルを握り、車を発進させた私は頭を悩ませた。
 かつてはおひとりさまだった私だが、会社の上司である柊夜(しゅうや)さんと、ふとしたきっかけで一夜をともにした。そうして身籠ったのが、悠である。
 ところが妊娠が発覚してから、正体は夜叉の鬼神という秘密を柊夜さんに打ち明けられた。そして夜叉の後継者である子を守るため、柊夜さんとかりそめ夫婦として同居することになる。お腹の子の神気であやかしが見えるようになった私は数々の試練を柊夜さんとともに乗り越え、ついに悠を出産した。
 私たちの間には絆が芽生え、結婚して本物の夫婦となった。
 今は夜叉のしもべのヤシャネコと、コマドリのあやかしであるコマも加わり、家族に囲まれて平穏に暮らしている。
 さらに、ふたりめの子も妊娠しており、幸せでいっぱいの毎日だ。
 だがその一方で、困った問題も噴出していた。
 鬼神の子である悠はふつうの人間とは異なり、特殊能力を持っている。生まれつきあやかしが見えていて、さらに触れたものを回復させられる“治癒の手”の力もあった。
 柊夜さんの母親が人間なので正確にはクオーターだけれど、それゆえに従来の鬼神とは異なった方向の能力が顕現したらしい。
 この能力が悪しきことに使われないよう、成長する過程で、きちんと正しい使い道を教えていかなければならない。
 と、理想を掲げたものの、子育てはすんなりとはいかない。
 まずはヤシャネコがふつうの人間には見えないことを説明する段階で行き詰まっている状態なのである。
 マンションに帰宅すると、留守番のコマが小さな羽をはばたかせて出迎えてくれた。瀕死だった雛を、悠が治癒して救ってから家族として一緒に住んでいる。
 とても悠に懐いているコマは「ピピッ」と鳴いて、嬉しそうに飛び回った。
「ただいま、コマ。なにか変わったことはなかった?」
「ピピ、ピュルルルイ」
 流麗な音色で鳴くコマは頭部が鮮やかな橙色になり、すっかり成鳥らしくなった。人語をしゃべらないけれど、心は通じ合っているので、なんとなく意思疎通ができている。
「特に変わったことはないのね」
「ビュビュ! ピュイピピ、ビュルルピィピ!」
 前言を撤回しよう。なにを言いたいのかまったくわからない。
 コマは怒ったように羽を広げて、なにかを懸命に訴えようとしている。
「……凶悪なあやかしが現れたとか?」
「ビュビュ」
 違うと言いたいことだけは伝わった。困った私はヤシャネコに助けを求める。
「あのう、ヤシャネコ……通訳をお願い」
「おいらにもコマの言葉は全然わからにゃいよ。動きで伝えてもらうといいんじゃないかにゃ? にゃ、コマ?」
「ピ」