ふえぁ……。
 可愛らしい声がする。ふと瞼を開けた私は、ベッドの横に目を向けた。
 そこには、生まれたばかりの女の子が新生児用のベッドでばんざいをしていた。
 まだとても小さな娘の顔を見て、命が誕生した喜びを噛みしめる。
 生まれてきてくれた――。
 長い妊娠生活と、そして出産を終えた到達感に包まれた。脱力しかけるけれど、泣いている赤ちゃんはおっぱいを欲しがっている。子どもが生まれると感慨に浸っている暇もないもので、体を起こした私はおくるみごと娘を抱きかかえた。
 ベッドに腰を下ろし、ぱんと張った胸の突起を赤ちゃんの唇に寄せる。
 目をつむっているのに、赤ちゃんは俊敏に乳首を口に含んだ。
 すると、すうっと魂を吸い取られるような、懐かしい感覚がよみがえる。これが母乳が出ている証なのだろう。
「ふう……。生まれてきてくれて、ありがとう。ママは幸せだよ」
 凜はおっぱいを飲むのに夢中だけれど、ひとまず我が子への感謝を伝える。
 一時は大量に出血して危険な状態に陥ったが、赤ちゃんは無事だった。
 柊夜さんに抱きかかえられて病院に到着した私はすぐに産室へ運ばれ、医師や助産師に囲まれて分娩に入った。
 出血したのは胎盤が剥がれてしまう常位胎盤早期剥離の症状が原因で、経過が順調であっても稀に起きるらしい。
 もし様子を見ようとして時間が経過しすぎていたら、胎児は酸素不足に陥っていた。命も危うかったかもしれない。
 すぐに病院へ行く決断をした柊夜さんの判断がよかった。
 出血が多かったものの子宮口が開いていたため経膣分娩となり、産道を通った凜は大きな産声をあげてくれた。
 定石通りの出産とはいかなかったけれど、もっとも大事なのは、赤ちゃんが生きていてくれることだ。妊娠したら当たり前に産めるわけではないという過酷さを、私は輸血をしながら思い知ったのだった。
 たっぷりおっぱいを飲んだ凜は、ふうっと眠るように乳首を離す。固く張っていた乳房は母乳を出したため、柔らかくなっていた。
 ひと息つくと、病室の扉がノックされる。
「まま!」
 柊夜さんと悠が入室してきた。私の顔を見た悠は、声を輝かせる。突然のママの異変を見て、きっと不安に思っていたことだろう。
 ふたりとも病院へ付き添ったあと、出産する深夜まで待っていてくれたのだ。
 赤子を抱いている私を目にした柊夜さんは、安堵の表情を浮かべた。
「無事でよかった」
 その言葉に感極まり、涙ぐんでしまう。
 ふたりめの子なので、それだけ感動する余裕ができたということだろうか。もしくは、これまでに私たちが手を取り合い、ともに乗り越えてきたものが大きかったのかもしれない。
「柊夜さん……生まれました」
 出産に立ち会った柊夜さんは医師からすべての経過を聞いて状況を把握しているのだけれど、私の口からは、ありきたりの言葉しか出てこなかった。
 赤ちゃんの顔を覗き込んだ柊夜さんは、指先で私の髪を優しくかき上げる。
「俺の子を産んでくれて、ありがとう」
 頬にくちづけされ、かぁっと顔が朱に染まる。
 柊夜さんとの触れ合いは、いつでも私の胸にぬくもりをもたらした。
 夜叉の子を、産んでよかった。心からそう思えた。
「抱っこしてもいいかな。悠にも妹の顔を見てもらおう」
「もちろんです。お腹いっぱいだから起きないと思いますけど、そっと抱いてくださいね」
「げっぷはしたのか? まだ首が据わっていないから縦抱きはできないな」
 柊夜さんはそっと私からおくるみに包まれた娘を受け取り、抱きかかえて椅子に腰かける。そして赤ちゃんの頭を腕にのせるようにし、背中に回した手でやんわりとさする。
 悠を抱っこしてミルクをあげたり、寝かしつけていたから手慣れたものだ。
 背伸びをした悠は、柊夜さんの膝にしがみつく。
「悠、ごらん。おまえの妹だ。女の子だから、夜叉姫だな」
「やい?」
 悠は不思議そうに瞬き、初めて妹の顔を見る。
 うっすらと目を開けた赤ちゃんの瞳の奥には、真紅の焔が宿っていた。
 やはり、この子も悠と同じように、夜叉の血を色濃く受け継ぐ。
 そして成長したら、夜叉の居城で助けてくれた黒髪の夜叉姫となるのだろう。
 あのとき、夜叉姫と鳩槃荼は惹かれ合うかのように、互いに見つめ合っていたことが脳裏をよぎる。
「娘だから、年頃になったらパパは嫌われそうだな……。そのときが来たら、相当なショックを受けそうだ」