時計を見やると、もう寝る時間を超えていた。
「悠、そろそろ寝ようか」
「やん」
 むくれたように唇を尖らせ、積み木を手にしている。
 これには理由があって、残業でまだ帰ってこない柊夜さんを待っているのだった。
 遅いときは先に寝ているようにと柊夜さんは言うのだけれど、パパが大好きな悠は玄関で出迎えるまで一日が終われないらしい。
「じゃあ、先にお片付けをしよう。風天と雷地の積み木は残していいから……っ……」
 腰を上げようとした、そのとき。
 つきりとした痛みが下腹に走る。
 耐えきれず座り込んだ私はお腹に手を当て、うずくまった。
「あかりん、どうしたにゃん?」
「……う、ん……」
 痛みはさほどひどくはないけれど、胃痛などとは異なる射し込むようなものだ。
 もしかして、陣痛?
 けれど一瞬ずきんとしただけで、痛みは大きくなるわけではなく、収まった気がする。
 出産が近づくと子宮の収縮が起こり、陣痛が始まる。陣痛の前に、おしるしと呼ばれる少量の出血があったり、破水が起こったりもする。
 だがそうした予兆は必ず訪れるわけでもないので、予測がつきにくい。
 数日前にお腹の痛みを感じたので慌てて病院へ向かったところ、前駆陣痛と診断されて帰宅したのだった。まだ予兆がないことからも、この痛みも前駆陣痛かもしれない。
 前駆陣痛は陣痛に移行するケースもあるそうだが、私の場合は分娩につながらなかった。何度も陣痛が来たと思っては収まることを繰り返すと、そのたびにがっかりして、さらに周囲に迷惑をかけてしまう。
「まま……」
「大丈夫みたい。心配かけて、ごめんね」
 不安げな表情をした悠に微笑みかける。
 悠を出産したときは、神世の牢獄から脱出した直後に陣痛が起こったので、大変な状況だった。今度こそは余裕をもって、おしるしが出たことを喜び、陣痛の間隔が一定であることを確認して病院へ――と、筋書き通りに事が運べばよいのだけれど、今か今かと焦っているためか、予定通りにいかないものである。
 溜息をつきかけたとき、玄関から物音がした。柊夜さんが残業から帰宅したようだ。
「ただいま」
「ぱぱ!」
 立ち上がった悠が廊下を駆けて父親を出迎える。悠を抱っこした柊夜さんはリビングへ入ってきた。
「おかえりなさい、柊夜さん」
「ただいま、あかり。……なにか、あったのか? ひどく疲れているようだが」
「えっ」
 そんなに疲れているわけではないのだが、出産の心配が顔に出ているのだろうか。
 抱っこされている悠は、柊夜さんのスーツの襟を掴んだ。 
「まま、だあ!」
「ふむ……。ヤシャネコ、少し悠を頼む」
「わかったにゃん」
 私に異常があったことを、悠は伝えたいのだ。
 そっと、お腹に手を当てて状態を確認する。腹部には鈍い痛みがあるけれど、我慢できないほどではない。
 柊夜さんは悠を下ろすと、私を支えてソファに導いた。
 座ると楽になった気がして、ほっとする。彼は私の下腹に目線をやった。
「腹に手を当てているが、もしかして陣痛が来たのか?」
「それが……よくわからないんです。この間みたいに前駆陣痛だけかもしれません。おしるしや破水もないので……この子は本当に生まれてくるんでしょうか?」
 口にしてから、失言だと気づいた。私の体のせいなのに、赤ちゃんを疑ったりしてはいけない。それに、幸せな結末を懐疑的に思うこともよくないのだ。母親の心がふらついていては、赤ちゃんも私を信じられなくなってしまう。
 でも、どうしても不安でたまらなかった。胸がざわめいてしまうのを抑えられない。
「ごめんなさい、柊夜さん。あなたとの子なのに、疑ったりして……」
 目の前のヤシャネコと悠は、黙々と積み木を片付けている。悠は唇を引き結び、ヤシャネコに積み木を渡していた。それを尻尾で受け取ったヤシャネコが、無言でおもちゃ箱に入れている。
 カタン、カタン、と積み木が放られる音色が沈黙に占められた室内に響く。
 私の不安が子どもたちに伝わっていることを肌で感じる。そんな母親じゃダメだと思うと、さらに気分は落ち込んだ。
 すると柊夜さんは、ぎゅっと私の体を抱きしめた。
「……柊夜さん?」
「必ず、無事に生まれてくる。なぜなら、俺の子だからだ」