「やめろ、シャガラ。花嫁の母君に無礼を働くな」
その声に、シャガラと呼ばれた白馬はすぐさま正面を向く。単なる移動のための馬ではなく、鬼神の忠実なしもべなのだ。
笑みを刷いた帝釈天は、まるで息子の結婚が決まったかのような安堵をにじませている。
「鳩槃荼は機知に富み、礼節をわきまえておる。我のもっとも信頼のおける鬼神といっても過言ではない。花婿として申し分ないであろう」
柊夜さんは複雑な表情を浮かべて鳩槃荼を見やった。
「鳩槃荼か……。確かに、穏健派のひとりではあるな」
そう評された鳩槃荼は肯定を示すように、沈黙で返した。私は初めて会った鬼神だけれど、柊夜さんとは顔見知りらしい。
だが、おとなしそうな男性に見えても、彼は鬼神なのだ。これまで数々の鬼神たちの本性を目にしてきた私は、鳩槃荼もまた、苛烈な面を秘めているのではという不安がよぎる。
すかさずマダラが嬉々として囃し立てた。
「薜茘多さまでなくて、よかったですね! 同じ増長天の眷属でも、薜茘多さまはすぐに怒るからお付き合いするのも大変ですよ。わたしが伝令に行ったら“なぜ俺が選ばれないのだ”って怒り狂ってました。まったく心が狭いなぁ~」
軽々しく暴露するマダラを、ぎろりと帝釈天がにらみつける。
震え上がったマダラは慌てて口を閉じた。
薜茘多は以前、私を花嫁にしようとして牢獄に閉じ込めたり、柊夜さんと一戦を交えたことがある。彼の横暴さはよく知っているので、薜茘多に凜を嫁がせるなんて考えられない。
だからといって、鳩槃荼ならよいかというと、喜んで賛成できなかった。
この政略結婚に、凜の意思がないのだから。
「凜はまだ生まれてもいないんです。この子の意思を尊重してあげたい。だから結婚については、凜が成人したときに本人に決めさせてあげてください」
勇気を持って声をあげる。すると、帝釈天は途端に不機嫌さを露わにした。
「なにを悠長なことを言っておる。夜叉姫を手元に置いて、懐柔するつもりか? それでは人間の女のように、身勝手になってしまうではないか。夜叉姫は赤子のときから鳩槃荼の城で暮らせばよい。ともにいれば結婚に反対することもなかろう」
帝釈天は凜が生まれたら、私たちから取り上げるつもりなのだ。そんなことは許容できない。
「それはできません! 結婚のことはともかく、凜が生まれたら私たちの家族として一緒に暮らします」
「俺も、あかりの考えに賛同する。最後に確認したかった点はそこだ。神世で暮らせば意のままに操れる人形に育てられるという思惑かもしれないが、俺たちから娘を奪うことは許さない。凜は大人になるまで家族とともに育てる」
柊夜さんも私に同調してくれたので心強い。
凜は大切な娘なのに、生まれたら家族と引き離されて暮らすことになるなんて、考えられなかった。
「我の意に反するというのか」
強い意志を込める私たちへ、帝釈天が投げかけた言葉が剣呑な響きを帯びる。
そのとき鳩槃荼が、なだめるように柔らかな声をかけた。
「よいではありませんか、帝釈天さま。どこで育とうと、夜叉姫が俺の花嫁になることに変わりありません。むしろ両親に育てられたうえで、俺の花嫁になりたいと本人が希望すれば、すべて丸く収まるでしょう」
「……ふむ」
帝釈天は鳩槃荼に一目置いているのか、滾りかけた怒りを鎮めた。
確かに、凜が鳩槃荼を好きになって結婚したいと願うなら、私たちがその意思に反対することはできない。
鳩槃荼にはそうなるという自信があるのだろうか。それとも、この場を収めるためのひとつの仮定だろうか。
鳩槃荼は冷徹に光り輝く碧色の目を、柊夜さんに向けた。
「そうなれば夜叉も文句はあるまい」
「無論だ。凜の気持ち次第ではある。……だが鳩槃荼、なにを企んでいる?」
「なにも。俺は今後のために、最善と思える案を提示しているだけだ」
ひりついた気配が辺りに漂う。
ごくりと息を呑んだとき。
「……あっ」
お腹の子が、動いた。
とっさにお腹に手を当てると、一同が私に着目する。
「あかり。どうした?」
「……胎動がありました。この子も、今の話を聞いていたわけなので、もしかしたら思うところがあったのかもしれません」
心配げに訊ねる柊夜さんを安心させるよう、微笑みかける。
その声に、シャガラと呼ばれた白馬はすぐさま正面を向く。単なる移動のための馬ではなく、鬼神の忠実なしもべなのだ。
笑みを刷いた帝釈天は、まるで息子の結婚が決まったかのような安堵をにじませている。
「鳩槃荼は機知に富み、礼節をわきまえておる。我のもっとも信頼のおける鬼神といっても過言ではない。花婿として申し分ないであろう」
柊夜さんは複雑な表情を浮かべて鳩槃荼を見やった。
「鳩槃荼か……。確かに、穏健派のひとりではあるな」
そう評された鳩槃荼は肯定を示すように、沈黙で返した。私は初めて会った鬼神だけれど、柊夜さんとは顔見知りらしい。
だが、おとなしそうな男性に見えても、彼は鬼神なのだ。これまで数々の鬼神たちの本性を目にしてきた私は、鳩槃荼もまた、苛烈な面を秘めているのではという不安がよぎる。
すかさずマダラが嬉々として囃し立てた。
「薜茘多さまでなくて、よかったですね! 同じ増長天の眷属でも、薜茘多さまはすぐに怒るからお付き合いするのも大変ですよ。わたしが伝令に行ったら“なぜ俺が選ばれないのだ”って怒り狂ってました。まったく心が狭いなぁ~」
軽々しく暴露するマダラを、ぎろりと帝釈天がにらみつける。
震え上がったマダラは慌てて口を閉じた。
薜茘多は以前、私を花嫁にしようとして牢獄に閉じ込めたり、柊夜さんと一戦を交えたことがある。彼の横暴さはよく知っているので、薜茘多に凜を嫁がせるなんて考えられない。
だからといって、鳩槃荼ならよいかというと、喜んで賛成できなかった。
この政略結婚に、凜の意思がないのだから。
「凜はまだ生まれてもいないんです。この子の意思を尊重してあげたい。だから結婚については、凜が成人したときに本人に決めさせてあげてください」
勇気を持って声をあげる。すると、帝釈天は途端に不機嫌さを露わにした。
「なにを悠長なことを言っておる。夜叉姫を手元に置いて、懐柔するつもりか? それでは人間の女のように、身勝手になってしまうではないか。夜叉姫は赤子のときから鳩槃荼の城で暮らせばよい。ともにいれば結婚に反対することもなかろう」
帝釈天は凜が生まれたら、私たちから取り上げるつもりなのだ。そんなことは許容できない。
「それはできません! 結婚のことはともかく、凜が生まれたら私たちの家族として一緒に暮らします」
「俺も、あかりの考えに賛同する。最後に確認したかった点はそこだ。神世で暮らせば意のままに操れる人形に育てられるという思惑かもしれないが、俺たちから娘を奪うことは許さない。凜は大人になるまで家族とともに育てる」
柊夜さんも私に同調してくれたので心強い。
凜は大切な娘なのに、生まれたら家族と引き離されて暮らすことになるなんて、考えられなかった。
「我の意に反するというのか」
強い意志を込める私たちへ、帝釈天が投げかけた言葉が剣呑な響きを帯びる。
そのとき鳩槃荼が、なだめるように柔らかな声をかけた。
「よいではありませんか、帝釈天さま。どこで育とうと、夜叉姫が俺の花嫁になることに変わりありません。むしろ両親に育てられたうえで、俺の花嫁になりたいと本人が希望すれば、すべて丸く収まるでしょう」
「……ふむ」
帝釈天は鳩槃荼に一目置いているのか、滾りかけた怒りを鎮めた。
確かに、凜が鳩槃荼を好きになって結婚したいと願うなら、私たちがその意思に反対することはできない。
鳩槃荼にはそうなるという自信があるのだろうか。それとも、この場を収めるためのひとつの仮定だろうか。
鳩槃荼は冷徹に光り輝く碧色の目を、柊夜さんに向けた。
「そうなれば夜叉も文句はあるまい」
「無論だ。凜の気持ち次第ではある。……だが鳩槃荼、なにを企んでいる?」
「なにも。俺は今後のために、最善と思える案を提示しているだけだ」
ひりついた気配が辺りに漂う。
ごくりと息を呑んだとき。
「……あっ」
お腹の子が、動いた。
とっさにお腹に手を当てると、一同が私に着目する。
「あかり。どうした?」
「……胎動がありました。この子も、今の話を聞いていたわけなので、もしかしたら思うところがあったのかもしれません」
心配げに訊ねる柊夜さんを安心させるよう、微笑みかける。