鮮やかな紫陽花が咲き誇る小道は、瑠璃色に染め上げられている。
 でも空の色は、雨が降りそうな鈍色だ。
 天を見上げていた私――鬼山(おにやま)(りん)は、ふいにざわめきを耳にした。
 大学の構内は、突然現れた謎の美丈夫に騒然としている。
 金糸のような透き通る亜麻色の髪は襟足で軽やかに跳ね、稀少な翡翠を思わせる碧色の双眸が異国の王子様を彷彿とさせる。
 すらりとした体躯にまとう純白のシャツが、目に眩しい。
 彼が醸し出すのは神秘的な美しさなのに、どこか雄の勇猛さを匂わせていた。
 私は……この人に会ったことがある。
 遠い記憶を彼方から探り出していると、歩を進めた彼がゆっくりと近づいてきた。
 わずかも外されない碧色の眼差しは、まるで宝石のようにきらきらと輝いている。
 精緻に整った顔立ちは秀麗だけれど、切れ上がった眦と薄い唇が酷薄な印象を与えた。
 え……私のところへ来る……?
 王子様のような男性は周囲の女性には目もくれず、まっすぐにこちらへ向かってくる。
 鬼の子と呼ばれて忌避される私が、まさか王子様に選ばれるなんてこと、あるわけがない。
 人々の注目を浴びる中、彼は私の前までやってきた。息を呑む私に、彼は恭しい所作で、てのひらを差し出す。
「約束通り、二十年後に迎えに来た。俺の花嫁」
 深みのある声音で明瞭に告げられ、瞬きを繰り返す。
 腰まである私の漆黒の髪が、さらりと風にさらわれた。
「……花嫁?」
 疑問符が浮かぶけれど、思い当たることはあった。
 私の父親は、夜叉の鬼神なのである。
 これまでに会ったことのある鬼神たちがにじませる人外の猛々しさを、彼もまた備えていた。
 この人は異国の王子様などではない。彼の正体は――。
「あなたは……鬼神なのね」
「そうだ。俺は八部鬼衆のひとり、鬼神の鳩槃荼(くばんだ)。神世で交わされた協定により、夜叉姫を俺の花嫁としてもらいうける」
 瞠目して、鳩槃荼と名乗った鬼神の言葉を受け止める。
 彼は私の手を取ると、まるで騎士の誓いのように、手の甲に静かにくちづけた。
 熱い唇の感触に、どきりとする。
 立ち上がった鳩槃荼は、間近から私の目を見つめた。そして感嘆したように、彼はつぶやく。
「美しく成長したな。会いたかった。俺の、夜叉姫」
 政略結婚の相手がこの男であることを、二十歳を迎えた私は初めて知ったのだった。