世界が終わるとはどういうことなのか、時々考える。
別に深い意味はない。ただの暇潰し。こんなことで退屈な時間が少しでも彩るなんて微塵も思っていないけど、何も考えないでいるよりは幾分かましだった。
にしても何でそんなことを? 暇潰しならもっと明るいことを考えればいいのにって思われるかもしれない。僕だってそう思う。でもこんな環境にいれば、誰だって僕みたいなことを考えるようになると思う。
クラスでいじめられている子がいた。
佐倉藍。
地味で冴えない感じの子。全然喋らないから何を考えているのかわからなくて何だか気味が悪い、というのがクラスメイト達の評価だった。成績はいつもトップで僕達はよく担任に「佐倉を目標にするように」と言われ続けてきた。
これだけでも目を付けられそうな要素は揃ってしまっているのだけど、決定的となった要素というのは彼女が外部生ということだった。
僕達の学校は私立の中高一貫校で生徒のほとんどが内部生だ。そういう訳で高等部三年にもなればたいていが顔馴染みだった。だから高等部から入ってきた外部生というのは異物のように扱われてきた。そこにさっき挙げた要素に、受験生ということからのストレス。爆発するのは時間の問題だった。
受験といってもほとんどがそのまま附属の大学へ内部進学をするのだけど、試験がない訳ではない。ある程度の成績がなければ落ちることだってある。だから皆、出来ることなら面接と小論文だけで済む推薦枠に入り込みたかった。ただ推薦枠というのも数が決まっていて、その内の一枠には当然佐倉の名前もある。もちろん、現時点での話だけど。
要するに、皆、佐倉が邪魔なのだ。外部生のくせに自分達の貴重な枠を奪おうとしている佐倉のことが邪魔で仕方がない。言い換えると、嫉妬。そういう単純でくだらない理由。
こんなの割と何処でもある光景だと思う。少なくとも僕は幾度となくこの光景を見てきたし、大人になっても見続けることになるのだろうなって半ば諦めている。
だからといって躍起になって、僕も加担してやろうとはならない。どんな理由であれいじめていい理由にはならない。悪いのはいじめる側だけでいじめられる側に非は一切ない。というかあっていいはずがない。
でもそうは思っていても、助けようと動いたことは一度もない。僕はそこまで善人じゃない。所詮は僕も皆と同じ、長い物には巻かれろ主義の人間ということだ。本当、救えない。
ただいじめに反対であるというのもまた事実ではあるから、せめて流れに乗って悪口を口走ってしまわないように考え事をするようにしていた。その考え事というのは難しければ難しいほどいい。答えがないようなものなら、なおのこといい。だってその方が時間を潰せるし、いじめの現場を認識しないで済むから。それで最近の議題というのが「世界の終わりについて」だった。
核戦争だとか、ウィルスによるパンデミックだとか、マヤ文明の黙示録だとか、世の中には様々な世界の終わり方の想像で溢れている。けどそれらが指しているのって、世界の終わりというより人類滅亡のように感じる。人類が滅亡したってこの世界はたぶん何の問題もなく続いていく。ちょっとだけ動物が住みやすくなって、緑が増えて、水が綺麗になるくらい。
じゃあ、本当の意味で世界が終わったらどうなるんだろう。
答えは誰にもわからない。だって世界が終わった瞬間に立ち会える人なんて存在しないから。誰か一人でも存在していたら、それは世界の終わりとは言えない。
結局どれだけ考えたって、この世界の終わりがどうなるかなんてわかりやしない。
でも、もっと小さな、今僕達の目の前にある切実なリアルという意味での世界なら、どう終わるのかという想像は容易につく。
僕達はあと一年も経たないうちにこの教室とさよならをする。大半は内部進学だから大学でも一緒だけど、今みたいにずっと同じメンバーで同じ空間に居続ける訳ではない。人間関係は徐々に希薄になっていき、やがて本当に気心の知れた人としかつるまなくなる。
ほら、終わった。
こうやって、僕達の世界はいとも簡単に終わる。そうしてまた新しい世界が生まれては時間と共に終わっていく。
終わり方は他にも色々あるけど、その全てに共通して言えるのは「じゃあ一体何の意味があって、その世界は存在していたのだろう」ということだ。終わりは終わりで、その先は存在しない。なのに僕達はそこで何かを得ようとする。得ることが美徳だとされている。やがて終わることがわかっているのに、どうして手当たり次第に頑張らないといけないのだろう。だったら最初から自分の手に収まるものだけを、譲れないものだけを育てて、いかに終わらせないかを考える方がいいのではと思う。
こんなことを考えていると軽率に死にたくなる。本気で死にたい訳じゃなくて、雰囲気に酔っているだけの何千倍にも希釈された中身のない希死念慮だから質が悪い。
いじめられている人間の前でよく死にたいなんて思えるよな、と心の中の誰かが僕を責めてくるけど、責められて当然だと思う。だって普通に考えて一番死にたい思いをしているのは佐倉のはずだから。
今日も佐倉は朝学校に来たら机に落書きをされていて、授業中には教師の目を盗んで紙くずを投げつけられ、休み時間には罵詈雑言を浴びせられていた。これでもまだ今日は随分とましな方だった。いじめにこんな言葉を使うのもあれだが、今日は本当に無難に無難を重ねた小学生のやるような内容だけの日だった。そんな日は少しだけ心が軽くなるのだけど、今度はそんなふうに感じてしまったことに罪悪感が芽生えてくるから結局プラマイゼロだった。
「連絡は以上。気を付けて帰るように。さようなら」
長ったらしい終礼が終わって、担任はそそくさと教室をあとにする。わかっててやっているのか、単純に忙しいのか知らないけど、もう少し僕達に興味を持ってくれてもいいのではないかと思う。そのくせに試験のときや行事ごとでは「他のクラスに負けるな」「皆で協力して頑張ろう」と言ってくるのが腹立たしい。僕は去年も同じ担任だったのだけど、なかなかに嫌われていた。どうしてそんなにもヘイトを集めるのが得意なのだろう。そして現在、その集まったヘイトは佐倉にぶつけられている。
いつもの掃除当番の押し付け合いを横目で見ながら帰りの準備をする。断ればいいのにとは思わない。ここで断れば後々面倒なことが起きるということくらい誰でも知っている。
「二見」
頭上から僕を呼ぶ声が聞こえて顔を向けると、そこには松葉紘夢がいた。
「松葉」
「帰ろうぜ」
僕は即答で「いいよ」と答えた。
だって松葉と一緒に帰るのはいつものことだったから。
「じゃあ、俺ら帰るから。また明日な!」
松葉が元気よく挨拶すると、教室に残っていた人達が口々に松葉と同じようなテンションで挨拶を返してくる。その中にはついさっきまで怖い顔して佐倉の悪口を言っていた女子の姿もある。
お察しの通り、松葉はクラスで結構人気のある人物だった。
「行こうぜ」
「あ、うん」
一応皆に軽く頭を下げると「二見もまた明日なー」という声が飛んできた。そのことに僕は心の底から安心する。
大丈夫。
僕の、僕達の世界はまだ正常に廻っている。
僕達は電車で通っている。
車内に同じ制服の人がいないことを確認してようやく肩の荷が下りる。それは僕だけじゃなくて一緒にいる彼も同じだった。
「巧って普通に内部進学? それとも外部受けんの?」
「内部進学のつもりだよ。紘夢は?」
「俺も内部かな」
僕達は二人でいるときは名前で呼び合い、学内や誰か同じ学校の人がいるときは名字で呼び合っている。
それは教室での状況を見ていたらわかると思うのだけど、適切な距離を演出するためだった。
僕と紘夢は唯一の同小出身で、そのことはもう皆知っている。だからクラスでも目立たなくて大人しい僕が人気者の紘夢と一緒にいることに文句を言ってくる人はいない。だけど心の中ではどう思っているかわからない。それで用心深い僕達は、せめて呼び方だけでもどうにかしようと考えて今の感じになっている。
けど教室でこそ僕達は違うグループにいるけど、登下校は毎日一緒だから仲の良さが滲み出ているらしく「二見は松葉のお気に入り。だから絶対に手を出すな」というような風潮があった。つまり呼び方なんてもはや意味をなしていなかった。でもずっとこのルールでやってきたからか、今さら教室で名前を呼び合うのは何だか口馴染みが悪いということで、結局僕達はルールを守り続けるという選択をした。
佐倉は。
佐倉にはそういう友達とかいないのだろうか。考えてみれば、佐倉が誰かと一緒にいるところなんて見たことがなかった。学校にはいなくても、例えば中学まで一緒だった地元の人とかはどうなんだろう。僕ですら紘夢という友達がいるのだから、何処かしらに一人くらいは友達がいてもおかしくはないと思う。
「佐倉って本当に内部進学なのかな」
その話題が自分の口から出たものだと気付くのに数秒かかった。
「珍しい。巧が佐倉の話するなんて」
紘夢が驚くのも無理はない。だって言った本人が一番驚いているのだから。
「いや、なんかふと思って。ほらさっきも進路の話してたし」
「まあわからなくはないけど」
佐倉をいじめているやつらは全員、佐倉が内部進学するものだと思っている。そして当の本人は否定も肯定もしない。何も言わないってことはたぶんその通りなんだと思う。だって違うなら違うって一言言えばいい。このいじめの理由の一つは佐倉が内部進学するからで、外部受験をするとなれば理由は一つ消えるから多少なりとも緩和するはず。
「巧、変なこと考えてない?」
電車から降りて今度こそ同じ学校に通っているという人は誰一人としていない地元を並んで歩いていると、いきなりそう聞いてきた。
「変なことって?」
もしかしてさっきの佐倉の話だろうか。
「心配しなくても大丈夫だから」
確かに気にはなっているけど、そんなの僕を含めた静観組は皆そうだろ。ていうか完全に無関心なんて、それこそ難しいように感じる。
「巧は誰にでも優しいから」
「そんなことないと思うけど」
僕のこれは優しさなんかじゃない。
「でも、もし巧が本気なら俺が絶対守るから。だから……」
僕は紘夢に守られている。クラスでの矛先が僕に向けられないよう、紘夢が何とかしてくれている。それは紛れもない事実だ。
でも。
「僕の心配より紘夢は自分の心配をした方がいいよ。今日、一瞬だけ顔引きつってた」
「え、嘘。どうしよう」
「大丈夫だと思うよ。本当に一瞬だったし、注意深く見ていないとわからない程度だったから。ただ一応報告しとこうと思って」
紘夢もまた僕に守られている。紘夢がクラスの中心で居続けられるように、僕がこうやって裏でサポートしている。
「グループ抜けられたら一番いいんだけどな」
佐倉をいじめているグループは何個かあって、そのなかでも二番目に酷い男女グループに紘夢は属していた。けど紘夢自身が何かをしたことは一度もなくて、僕達外野と同じようにただ笑っているだけ。上手いこと誤魔化してなるべく加担しないようにしている。
「……難しいと思う」
「知ってる。あーあ、また笑う練習しとかないといけないのか」
「これまでの紘夢の傾向からして、無理に練習とかしたらかえって崩れるよ」
「だよなあ……」
紘夢の顔がわかりやすく曇る。僕は知っている。こっちが、本当の紘夢の姿だってことを。
「大丈夫だよ」
優しい声色で、雰囲気で、僕は言う。
「今までだって上手くやってきたんだから」
僕達はずっと一緒に戦ってきた。協力し合って、支え合ってここまで何とかやってきた。終わりはもう見えてきている。今さえ乗り切れば僕達はこの泥沼から抜け出すことが出来る。
「僕もいるから」
「……そうだよな。ありがとう。なんか大丈夫な気がしてきた」
紘夢の顔が緩むのを見て、僕もまた顔を緩める。
「それは良かった。あ、今日はどうする?」
「んー今日はいいや」
「わかった」
「じゃあまた明日」
「うん。また」
手を振り合って、紘夢と別れる。
何てことない、いつもの光景。
僕達が必死で繋ぎ止めてきたものだ。
どれだけ世界が終わろうとも。
この世界だけは守り抜かないといけない。