僕と後輩と元カノと。


 それから、卒業式が始まり、(とどこお)りなく進んでいた。

 ユウ君、もうちょっと声張って返事出来なかったのかな。

 卒業賞状授与のとき、ユウ君の声が結構小さかった。

 このあと、すぐに送辞がある。

 俺は、波葵(なみき)が送辞に立候補したため、彼女との時間を作りたいがために、立候補した。

 せっかくのチャンス、逃してたまるかと意気込みを持ちながら、練習を重ねて、とうとう本番がやってきた。

 練習中、適切なアドバイスを受けれるのが嬉しかった。

 そして、もっと好きになったのはいうまでもない。

 そして、送辞を言う瞬間となり、俺と波葵は演台にあがった。

『厳しい冬の寒さの中にも、春の訪れを感じることの出来る季節となりました。本日、晴れてこの季理町(きりちょう)中学校卒業式を迎えられた第百一期生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。在校生を代表し、心よりお祝い申し上げます』

 初めの言葉をスラスラと言い、色々と話してから俺は、波葵と代わる。

 彼女の長い黒髪がすれ違い様に揺れ、優しい香りが鼻をくすぐる。

 彼女は、マイクに向かって、優しい声で語るように言う。

 それは、聞いているだけで胸がときめきそうになり、優しい痛みが俺の恋心を焦がす。

 そして、最後に、

『先輩の皆様、私たちは先輩方の後輩としてこの学び舎でともに生活できたことを心から誇りに思います。これまで本当にありがとうございました。先輩方のご健康とご活躍を祈念して、在校生代表の送辞とさせていただきます』

 そう言って、送辞が終わった。

 ※※※

 ──憧れの先輩がいる。

 ユウ君は、いつでも眠そうで、ボーッとしている。

 気力がなくて、何事にも無関心な人だけど、仲良くなった人にはそれなりに関わりをもってくれる。

 嘘には敏感で、隠している不安さえも、彼にはお見通しだった。

 友達が俺しかいなくて、恋愛初心者で(こじ)らせ過去すがり野郎なユウ君は、俺の憧れの人。

 そして、恋敵(こいがたき)

 あの日、本当にユウ君が嫌いだった。

 本当に最低だと思った。

 大切で、誰からも好かれている波葵(なみき)を悲しませたユウ君が大嫌いだった。

 けど、今は最高に憧れている人。

 きっと、この先、これからも、俺はこの人の後ろを追っかけ回すのだろうか。

 ※※※

 卒業式が、終わり、俺たちは、花道を作るために、運動場に集まっていた。

桜川(さくらがわ)君」

 後ろを振り向かなくても、声で分かる。

 俺が、ずっとずっと好きな人だ。

「どうしたの? 波葵(なみき)

 彼女の方を振り返ると、少しだけ口角をあげて、こう言った。

「送辞、お疲れさま」

 彼女は、それだけだからと言い、帰ろうとするが、

「待って!」

 俺は、呼び止めた。

「なに」

「あの……さ。俺、春咲(はるさき)高校受けるんだ。ゆ……冬山(ふゆやま)先輩が合格したところなんだけど。一緒に、よかったら受験しない……?」

 卒業を考えると、彼女と離ればなれになるのが、怖くなった。

 この想いを伝えられないまま、別れるなんて嫌だ。

 だから、告白は出来ないけど、悪あがきとして遠回しに想いを伝えてみた。

「……考えておくわ。あの学校、奨学金がすごいらしいからそれ目当てに入学するのはありかもしれないわね」

 淡々とそう言って、波葵は人混みに紛れていく。

 好きだ。

 俺は、波葵が大好きだ。

 この想いは決して消えることのない片想い。

 大切に持っておこう。

 そうして、いつの間にか、卒業生が花道をくぐっていた。

 皆、晴れやかな顔をしていて、来年は俺たちもこんな顔をするのだろうか。

 そして、自由時間となり、俺はユウ君と写真を撮るために彼を探していた。

 案の定、一人でいたユウ君と写真を撮ってから、正門をくぐる。

 ユウ君、写真写り悪いなぁ……。顔はいいから高校では彼女出来るといいなぁ。

 ユウ君が、この学校に来ることはきっと、ない。

 帰り道、俺はユウ君と話ながら、歩いていた。

澄春(すばる)、卒業だね」

 ユウ君が口を開く。

 その眼には確かに未来への希望が(とも)っていた。

「卒業っすね……。お疲れさまでした!」

 ──俺には憧れの先輩がいる。

 いつでも眠そうで、ボーッとしていて、気力がなくて、何事にも無関心な人だけど、仲良くなった人にはそれなりに関わりをもってくれる。

 嘘には敏感で、隠している不安さえも、お見通しだった。

 友達が後輩しかいなくて、恋愛初心者で(こじ)らせ過去すがり野郎なその人は、俺の憧れの人。

 そして、最高の友人。


 ──憧れの先輩と片想い。


 あなたは、どちらかを選ばなければいけないとき、どちらを大切にしますか?
 ずっとずっと、大好きな人がいる。

 その人は、心配性で、優しくて、誰よりも笑顔が素敵な人。

 あの日、助けてくれたあなたを私は忘れたくない。

 だから、私は想いを伝えた。

 (またた)く間だった最高の時間は、もう過ぎ去って記憶の彼方へ消えている。

 最後、これが最後だから。

 あなたにこれまでの感謝と想いを伝えさせてください。
 ──大丈夫ですか? しっかりしてください!

 誰かの呼ぶ声がする。

 ずっと塾でも聞いていて、桜川(さくらがわ)君と談笑している低い優しい声。

 その声の主の顔が見たいのに、視界がぼやけていて、私は見れない。

 体が宙に浮いて、私は空を飛んでいる気分になった。

 ぼやけた視界が少しだけ鮮明(せんめい)になって、私のずっと好きな人──柚宇(ゆう)君の顔を目視した。

 彼は、不安そうな顔でこちらを覗き込んでいる。

 ──大丈夫、です。

 震える口でなんとかそう言うと、柚宇君は、更に(あわ)てた顔をして、私を抱きかかえた。

 ──大丈夫だから。

 私は、柚宇君のその言葉を聞いたが最後、意識が闇のなかに落ちていった。

 ※※※

「ん……」

 相変わらず、(こじ)らせすぎる。

 寝ぼけているのにも関わらず、そんな自分に苦笑してしまう。

 また、柚宇(ゆう)君と出会ったときの夢を見ていた。

 二年前のある日、私は体調不良で塾内で倒れてしまった。

 そのときに助けてくれたのが、柚宇君だった。

 意識がぼんやりとしていたから、あまり覚えていないけど、そのときの柚宇君の顔がかっこよくて私はすぐに好きになった。

 相変わらず、単純でチョロすぎるけど、当時小学校六年生だった私に初恋が芽生えた瞬間だったのだ。

 若気(わかげ)(いた)りとして許してほしい。

 まぁ、そんな過去はもう夢の中。

 今日は、卒業式。

 柚宇君が、卒業してしまう。

 私は最後にこの気持ちを全部伝えることを決めてある。

 好意も、敬意も、失意も。

 全部あなたにしか渡せない想いだから。

「──でさ! クラス変わる前にどっか遊びに行かない?」

「いいねー! 賛成」

波葵(なみき)ちゃんもどう?」

「──っ! あぁ、うん。行こうか」

 やってしまった。柚宇(ゆう)君のことを考えすぎてボーッとしてしまった。

 案の定、同じ塾のクラスメイトの桜川(さくらがわ)君や他のクラスメイトもこちらを怪訝(けげん)そうな目で見ている。

 慌てて返事をしたけど遅かった。

 担任の先生が来て、卒業式の注意を済ませてから、私たちは卒業生より先に、体育館に向かう。

 指定された長椅子に座り、たまたま席が近くなった桜川君と話をしていると、彼は、

「波葵、大丈夫? さっき、ボーッとしてたから」

 心配そうに尋ねてきた。

 彼は、優しい。

 柚宇君といつも居るからか、誰かに無条件に優しくすることを知っている、そんな目をしている。

「大丈夫だよ。きっと、寝不足だと思うから。心配してくれてありがとう」

 私は、そう言うと、桜川君は別の友達と会話をした。

 そして、数分後、卒業式の司会担当の先生が、

『卒業生が入場します。拍手でお迎えください』

 そう言い、私たちはお喋りをやめる。

 卒業生が、希望に満ちた表情で、入場してくる。

 来年は、私たちもあの列にいる立場だが、果たしてあんな顔を出来るのだろうかと、少し、疑問に思った。

 列の後ろの方にいる人物と目があった。

 柚宇君だ。

 彼は、気まずそうに目をそらそうとしていたが、私は、ニコリと微笑みかけた。

 想う気持ちは昔から変わらない。

 それから、卒業式は(とどこお)りなく進んだ。

 話の長い校長先生や、PTA関係の方の話を聞いてから、卒業賞状授与が始まる。

 担任の先生から、最後に名前を呼ばれる機会。

 担任である女の先生から、柚宇君は名前を呼ばれ、かっこいい低い声で返事をした。

 何度聞いても、胸がキュンとなる声に、私はやっぱり、この人のことが好きなんだと思う。

 そして、送辞の時間がやって来た。

 私は、この送辞に立候補していて、締めをくくる役を(にな)っている。

 柚宇君が卒業するから、最後にでも、アピールをしておきたかったのだ。

 ちなみに、桜川君も立候補していて、私は、彼に何度か練習で上手く大きい声を出す方法を教えた。

 正直、彼のような明るくて騒がしい男子はあまり好きじゃない。

 私は、柚宇君のような物静かな人が好き。

 演台に登って、桜川君が初めの挨拶を言う。

 彼の声は澄んでて綺麗だと思う。

 もし、私が柚宇君の立場なら、すぐに後輩にしたい。

 桜川君は、弟みたいな存在だ。

 彼が、送辞のほとんどを言い終えたあと、私たちは交代する。

 すれ違い様に、彼は私に優しく微笑んだ。

 私は、マイクの前で一度、ふぅと息を吸う。

 短く吐いてから、

『先輩の皆様、私たちは先輩方の後輩としてこの学び舎でともに生活できたことを心から誇りに思います。これまで本当にありがとうございました。先輩方のご健康とご活躍を祈念して、在校生代表の送辞とさせていただきます』

 そう言って、私は送辞を終えた。

 演台から降りて、席に向かう際、柚宇君と目があったような気がした。

 それから、柚宇君と女子生徒の答辞を聞いた。

 柚宇君は、少し緊張したような声色(こわいろ)で、答辞を言っていた。

 人前で柚宇君がなにかをするというのを見たことがないから、私は新鮮な気持ちで彼を見ていた。

 やっぱり、かっこいい。

 この答辞が永遠に続けばいいのに──緊張している柚宇君からしたら、すごく迷惑なことだけど、そうすれば、彼のことをずっと眺めていられるから。

 ※※※

 ずっとずっと、大好きな人がいる。

 その人の名前は冬山(ふゆやま)柚宇(ゆう)

 私よりひとつ上の穏やかな先輩。

 心配性で、優しくて、誰よりも笑顔が素敵な人。

 あの日、助けてくれたあなたを私は忘れたくない。

 だから、私は想いを伝えた。

 あなたが中学二年生の時、塾の帰り道で。

 あなたは、それを受け取ってくれた。

 そこから、私は、幸せの絶頂にいた。

 でも、(またた)く間だった最高の時間は、もう過ぎ去って記憶の彼方へ消えている。

 結局、あなたと過ごせた時間は、たったの一ヶ月。

 もちろん、その間は、手も握っていないし、デートもしていないし、……キスだってしていない。

 どうして、私たちは別れたのだろうか。

 私の愛が重すぎたから?

 恋人らしいことを出来てなかったから?

 その原因は分からないけど、私は、一度、あなたにわがままを言いたい。

 最後、これが最初で最後だから。

 あなたにこれまでの感謝と想いを伝えさせてください。

 ※※※

 卒業式が、終わってしまう。

 それは、柚宇(ゆう)君を見つめることを出来る時間が終わってしまうということ。

 私たちは、あれから、花道をつくるために運動場へでた。

 偶然近くにいた桜川(さくらがわ)君に私は送辞を一緒にやってくれたことにお礼を言う。

「桜川君」

 名前を呼ぶと、彼はすぐにこちらを向いた。

「どうしたの? 波葵(なみき)

 彼は、にへらと人当たりのよい笑顔でこちらを見ていた。

「送辞、お疲れさま。それだけだから」

 私は、そう言って、柚宇君を探そうと彼に背を向ける。

「待って!」

 運動場で話すにしてはかなり大きい声が桜川君からでた。

 私は、ビックリして思わず、彼を見る。

「なに」

 私は、恐る恐る(たず)ねてみる。

 さっきの言葉がもしかしたら、彼にとって辛辣(しんらつ)に聞こえてしまったのかもしれない。

 私のそんな予想とは裏腹に、

「あの……さ。俺、春咲(はるさき)高校受けるんだ。ゆ……冬山(ふゆやま)先輩が合格したところなんだけど。一緒に、よかったら受験しない……?」

 彼は、ありがたいことを教えてくれた。

 一度、口ごもったのは、彼が普段から呼んでいる「ユウ君」というあだ名を引っ込めたからだろう。

 柚宇君、春咲高校に合格したんだ。

 彼が志望校に合格したことに安心した。

 本当によかった。

 たぶん、桜川君は私が柚宇君のことが好きだということに気がついているのだろう。

 それで、気を使って教えてくれている。

「……考えておくわ。あの学校、奨学金がすごいらしいからそれ目当てに入学するのはありかもしれないわね」

 あまり、高校のことは分からないけど、少しだけ柚宇君が塾長と話していた一部を聞いたことがある。

 それが、奨学金の話だった。

 もちろん、本当に合格をしたい。

 そして、柚宇君との日常が欲しい。

 そばに居てくれる、ただそれだけで、私は十分だから。

「じゃあね」

 私は、そう言って、今度こそ、柚宇君を探した。

 彼は、すぐに見つかった。

 けれど、私は彼に話しかけることが出来なかった。

 柚宇君が女の人と写真を撮っている。

 見ているだけで、胸が痛いし、すごく、苦しい。

 快活な笑顔で笑うその人は、私なんかよりも明るい性格だとすぐに分かった。

「ありがとっ! 高校でも、よろしくね?」

「うん。こちらこそ」

 その言葉を聞いて、胃が痛くなった。

 彼女は、柚宇君と同じ高校に入学するのだ。

 もし、その間に柚宇君がとられたら……。

 そんなことを想像するだけで、更に胃がキリキリと痛む。

 柚宇君はもう、私のものじゃないのに。

 そもそも、誰のものでもなく、彼自身の人生なのに。

 私は、束縛(そくばく)してしまっている。

 柚宇君が例の女の人と会話が終わった頃には、胃の痛みは無くなっていた。

 しかし、胸の痛みは消えない。

 彼は、どうしてか、こちらに向かってきた。

 どうして……そう思っている間に、私たちは目が合う。

「あっ……」

 柚宇君から、そんな声が漏れる。

「卒業おめでとうございます。冬山先輩」

 なにも言わないのは不自然なので、こちらから話しかけた。

 冬山先輩。

 自分が言った言葉に違和感しか覚えなかった。

 本当は、柚宇君と付き合っていた頃のように呼びたいのに、もう呼べない。

 私は、もう、彼女じゃないから。

 もう、柚宇君のそばにいられないから。

「……ありがとう」

 柚宇君は、少しの間を開けて、そう言う。

 その間に、なにを言おうとしていたのか、私には分からない。

 これは、最初で最後のわがまま。

 もう、言おうと思った。

 これには、答えを求めていない。

「先輩と同じ、春咲高校、入学します。もちろん、奨学金のためにですが」

 奨学金のためだけに行く、そんな感じを(よそお)って、私は彼に告げる。

 本当は、あなたと共にまた過ごしたい……。ただそれだけ。

 もう、ここにはいられない。

「それでは、さようなら、先輩。また、会う日まで──」

 私はそう言って、逃げるように、彼の横を通りすぎた。

 すれ違い様に、

「──本当に大好きだった先輩」

 ずっと言いたかった言葉を残して。