(冷たい瞳が、私を見下ろしている……)






(これは……母上の瞳だ……)








広い広い城の中、中庭へ続く長い廊下の隅にそれはうずくまっていた。

年の頃は四つ五つといったところか。
長く伸びた前髪で表情は見えないが、ぽたぽたと止め処なく床に落ちる雫と小さな水溜りが、
その少年が長く泣いている事を物語っていた。

廊下を通る者は一様に、声を殺して泣く小さな少年を見ないようにして、足早に通り過ぎて行く。


一刻ほど経っただろうか、辺りがほの暗くなってきた頃、きちんとした身なりの、烏帽子を被った青年が少年の背後で足を止めた。

「葛原?」

葛原と呼ばれた少年には、探しに来てくれる人も迎えに来てくれる人もいないはずだったが、その声には心当たりがあった。

「と……父様……?」

おそるおそる振り返る少年を、青年が力強く抱き上げる。

「どうしたんだお前、こんなところで。どこか怪我でもしたのか?」

くるくると葛原の体をまわしてあちこちを確認すると、心配顔だった青年は、笑顔を見せて葛原の顔を覗き込んだ。

「何かあったのか?」

その瞳は、温かかった。

「母様が、邪魔だから、どこかに行きなさいと仰いました……」

少年がありのままを告げると、一瞬、青年の笑顔が凍る。
青年はそっと少年の頭を自身の肩に抱き寄せ、暗く澱んだ自身の表情を見せないようにした。
されるがままの少年の頭を、青年の手がゆっくり撫でる。

繰り返し撫でられて、やっと安心したのか、目を細めた少年の瞳から、涙の粒がまた零れた。

「そういう時はな、私のところに来ればいいんだよ。私が忙しい時も、加野姉様が遊んでくれる」

そう言って、葛原を覗き込む、優しい茶色を湛えたあたたかい瞳。

それは、母や、母の周囲の女官達から冷たい目でしか見られた事のなかった少年が、その生涯をかけて、手に入れたいと思った唯一のものだった。



(………………昔の夢……か)

寝台の上で、青年はゆっくりと体を起こした。辺りは薄暗く、静まり返っている。
小さな窓から、月の光が差し込んでいた。

(まだ夜中か。まいったな……)

葛原は、もう眠れそうにはなかった。
月明かりの差し込む窓辺に顔を寄せ、彼は懐から大切そうにガラス菅を取り出した。
両手で包み込めるほどの大きさのそれを、そっと月の光にかざす。

そこには、彼が唯一手に入れたかったものが入っていた。

液体の中を漂うそれは、もう優しく微笑みかけてはくれないけれど、
それでも、その温かい茶色は間違いなく、この瞬間、彼だけのものだった。