抜けるような晴天に恵まれた朝、オルベルの邸宅で珠のような男子が産声をあげた。
「おぎゃ~! おぎゃ~!」
 これが初めての出産であったメイリは、我が子の元気な産声を聞き、ベッドの上で疲労の滲む顔に安堵の表情を浮かべた。
 長時間に及んだ出産で、肩まであるウェーブがかかった茶色の髪は汗でぐっしょり濡れていた。
「メイリ、よく頑張った! 立派な男の子だぞ!」
 目頭にしずくをたたえ、出産を終えたばかりの妻へ労いの言葉をかける男はアスラ。メイリよりひとつ年上の二十四歳。
 スラリとした長身に短く整えられた黒髪の青年で、優しい人柄を表すような少し垂れた目はとても印象が良かった。
「あなた、よく見せてください」
「あぁ、ほら」
 アスラは真っ白なおくるみに包まれて元気に泣き声をあげる息子を、まだ起き上がれない彼女にそっと抱かせてやった。
 彼女は茶色の目を細め、慈しむように息子に頬を寄せた。
「ふふっ、なんて愛しい子。ねぇあなた、私、この子の名前を決めました。セイ、この子はセイです」
「セイか……良い名前だ。二人で立派に育てよう」
 アスラは決意と共に、妻と息子をグッと胸に抱き締めた。ここまでなんとかこらえていた涙があふれ、アスラの頬を伝った。

 翌日。聖魔法教会で祝福の儀を終え帰宅すると、セイをベッドに寝かせたアスラはうつむいたままのメイリをソファへ促し、隣に並んで座った。
 祝福の儀は、別名エトワールの儀とも呼ばれ、生後7日以内に受ける。
 エトワールの儀では、子が健やかに成長できるよう神父から祝福を授かるのだが、この時に何属性の魔力を持っているかが判明する。
『この子は"セイス"です』
 アスラの脳裏に神父から告げられた言葉が蘇り、意図せず表情が陰る。
 メイリも気持ちは同じだろう。その表情からは、いまだ真実を受け入れきれない困惑と動揺、そしてセイの今後に対する不安が見て取れた。
 静まり返った室内に、セイの小さな寝息だけが響いていた。
 アスラはやるせない思いで、健やかに眠るセイの小さな左手の甲を見つめた。そこにはセイスの印がクッキリと浮かんでいた。
 静寂を破ったのはメイリだった。
「この国はセイスが生きやすいようにはできていません」
 小さいが、毅然としてハリのある声だった。
 アスラがハッとしてメイリを見ると、真っ直ぐに前を向いた彼女の目から既に困惑の色は消えていた。
「その通りだ。とはいえ、隠したところですぐにばれてしまう。セイスはトレスの半分の力しか出せないんだ。受け入れるしかない……」
「いえ、私はセイスの事実を隠し立てする気はありません。そうではなく、セイスのセイでも生きていける道を探しましょう」
 決意を込めて告げるメイリに、アスラは首を横に振った。
「そんな道……あるはずがない」
 アスラだって本当はその道を探したい。だが、そんな道は存在しないのだ。
 少しの間をおいてメイリが続ける。
「……ひとつだけあるかもしれないわ」
 アスラは期待を込め、隣に座るメイリに続きを促した。
「それはいったい……」
「最近になって発見された古文書の存在は知っているわね。実は、その調査を最初に担当したのは私なの」
「君が!?」
 これは、アスラにとって初耳だった。
 メイリとアスラは共に聖魔法教会に所属する初級魔導士で、メイリは古い文献の研究や編纂を職務としていた。とはいえ、職務には守秘義務があり、通常は夫婦といえど安易に業務内で知り得た情報を共有することはない。
「ええ。もっとも、内容が明るみなってきた段階で続きの調査からは外されて、大魔導士に引き継がれてしまったけれど」
 教会の魔導士にはランクがある。初級魔導士、中級魔導士、上級魔導士と続き、最上位には大魔導士が存在する。
 上級魔導士と大魔導士は一属性持ちの"ウノ"が独占し、初級魔導士、中級魔導士は大多数が二属性持ちの"ドス"だ。そんな中にあって、共に三属性持ちの"トレス"でありながら初級魔導士まで登りつめたアスラとメイリの二人は、トレスの中では抜きんでて優秀と言えた。
「その中にこんな記述があったわ」
 メイリは瞼を瞑って僅かに俯き、古文書の一節を諳んじ始めた。

――数多の源を統べし者、新たなる源を得るであろう。
 例えるなら、数多の源泉より湧き出でた小さき主流同士が合流し、ひとつの大きな主流へと変わるがごとく。しかしそれは同時に、世界に混乱をもたらす火種にもなろう。初めは小さき火なれども、くすぶりながら燃え続け、終にはこの世を焼き尽くすほどの業火とならん。肝に銘じよ。そして考えよ。新たな源を欲するわけを。何かを得れば何かを失う。それがこの世の理なのだから――

 アスラは息をのみ、メイリから紡がれる一言一句に耳を傾けた。
「これは魔力同士を掛け合わせた新たな魔力の可能性を示唆していると思うの。そしてその力は、ウノに匹敵するかもしれないということも」
 静かに目を開けたメイリは、アスラの黒い瞳を見つめて言った。
「たしかにこの国は、生まれながらにしてスタート地点が違う。しかしそれを努力次第で同じにできるとしたら……」
「えぇ、セイスのこの子でも生きやすくなるかもしれないわ」
 ふたりはベッドで健やかな寝息を立てる息子を見つめた。二対の目には、我が子への溢れるほどの想いと決意がこもっていた。
 かくしてアスラとメイリは、セイスとして生まれた我が子・セイのため、"新たなる魔力"の可能性に一縷の望みをかけたのだった。

 セイの誕生から一年が経った。
 この間にアスラは両親を頼り、メイリとセイを連れて故郷の村に住居を移した。両親にセイの養育を手伝ってもらいながら、アスラはメイリとふたり、村端の山中で新たな魔力の実験を続けていた。
「メイリ、できたぞ! 見てくれ!」
 声を張るアスラの右掌から、黒い炎が立ち昇っていた。
 彼の持つ三つの魔力――火・風・闇――を掛け合わせた新しい魔力、《黒炎の風》の発動に初めて成功した瞬間だった。
「あなた、ついにやったのね!」
「あぁ、新たな魔力は存在したんだ!」
「こんな魔力を目にしたのは初めてよ」
「魔力を掛け合わせることで、既存の魔力を超える新たな魔力が生まれる。これは新魔創生と名付けよう! セイの未来は明るいぞ!」
 ふたりは息子の明るい未来を思い、喜び合った。
「ええ。セイのためにも、次は必ず六属性で新魔創生を成功させてみせましょう」
 メイリは水・土・光の三属性を有し、偶然にも彼らふたりで六属性が揃う組み合わせだ。ふたりはセイスである息子・セイのため、ここから六属性の新魔創生に挑んでいった。
 そうして数カ月後、事件は起こった。
 両手を前に伸ばして互いに向かい合い、六属性で新魔創生の実験を行っていたふたりは、魔力を暴走させてしまった。
「いつもと同じはずなのに、どうして今日は制御ができない! なぜだ!?」
「っ、あなた……!」
 ふたりが向かい合う空間に黒い亀裂が走った。
「ぃ、ぃやぁあああ――!」
「メイリ、セイ――!」
 必死の抵抗も空しく、アスラとメイリは瞬く間に広がった黒い裂け目に吸い込んまれて消えた。
 その瞬間、祖父母の元で無邪気に笑うセイは、愛しい両親の眼差しや優しい手の温もりを感じる機会を永遠に失った――。

***

 時同じくして、ヴィルファイド王国の王都オルベル。
 重苦しく淀んだ空気が充満する地下施設の一室に、暗褐色のローブを纏った男たちが集い、台座に設えられた黒水晶を興奮気味に覗き込んでいた。直径五十センチほどの黒水晶は球体に磨き上げられており、禍々しい光を放つ。
 広い室内には、この水晶の他に光源が無い。怪しげな黒光だけが支配する室内は、なんとも不気味な様相であった。
「教祖様。例の作戦に成功いたしました。奴らは自らが裂いた空間に吸い込まれ、消え去りましてございます」
「おぉ! 我らが神、デラ様が力を貸してくださったのだ! 我らウノ教徒にデラ様の加護あれ!!」

 揺り籠で無邪気に笑う赤ん坊のセイは、両親の死も、この時男たちが叫んだ言葉もまだ知らない。
 セイが両親の死の真相と男たちの悪しき野望を知り、男たちの欲望で歪められたこの世界を正すのはここから十八年後のことである。