ミーゲル町長の町を出た俺は、三日ほど徒歩で旅を続け、四日目に人口一万人規模の比較的大きな町に辿り着いていた。
 別段の意図があったわけではないが、たまたま取った宿の隣が孤児院で、絶えず聞こえてくる子供たちの声に引き寄せられるように足を運んでいた。
 孤児院の軒先で、小さな子供たち数人が輪になって遊んでいる中、ひときわ草臥れた服を着た水色髪の少女が輪を外れて一人、砂遊びをしているのに気づく。『砂遊び』と表現したが、少女は土属性の魔力を少量注ぎながら創作しているようで、遊びレベルではない精巧な作りの土像がいくつも並んでいた。
 ……ほう、これは面白い。
「お前はみんなと一緒に遊ばないのか?」
 興味を引かれた俺は、少女の元に歩み寄って問いかけた。
「わたしシンコなの。だからみんなとは遊ばない」
 少女は俺を見上げてぶっきらぼうに答えると、再び目線を地面に落とした。顔を伏せる直前、サファイアのような少女の瞳が悲しげに陰ったのを俺は見逃さなかった。
 ちなみに、シンコとは五属性の魔力を持つ者のこと。セイスほどではないにしろ魔力が弱く、セイスに次ぐ社会的弱者だった。
「そうか、弾かれ者か。俺と同じだな」
「え?」
 俺の告げた『同じ』という台詞に反応して、少女が顔を上げた。
「俺はセイスのセイ。小さい頃はお前のように一人で遊んでいた。だから、お前の気持ちはよくわかる」
 少女は『セイス』の件で、信じられないというように目を真ん丸にした。俺はあえて少女に見えるように、左手の甲を翳して見せた。
 少女は俺の左手の甲に浮かぶセイスの印を注視して、ゴクリと喉を鳴らした。
「名前はなんというんだ?」
「わたしはチナツ。シンコ以下の人に会ったのは初めてよ」
「そうだろう。俺だってシンコに会ったのは初めてだからな」
 シンコやセイスは発現する数が圧倒的に少ない。シンコで数年に一人、セイスに至っては数十年に一人といった発現頻度なのだ。
「ところで、これはチナツが作ったのか?」
「うん。ここに来てからずっと、一人で砂遊びをしてたから、こんなのならいくつでも作れるよ」
「そうか! 細かいところまでよく出来ていてビックリしたぞ。チナツはすごいな」
 チナツの頭を撫でながら、俺は彼女との出会いを神に感謝していた。
 出来上がった土像を見れば、チナツが繊細にコントロールしながら魔力を放出していることが瞭然だった。シンコゆえ保有する魔力こそ少ないが、彼女は実に優れた魔力制御の技術を持っている。
 ……いや。むしろ保有する魔力が少量だったからこそ、きめ細かく使いこなす術を身に着けられたのだろう。
「そんなこと言われたの初めて」
 チナツは頬を赤く染めて俯いてしまった。
「ははは、恥ずかしがることなんかない。すごいものはすごい。そうだ! たとえば、チナツはこういうのは作れるか?」
 荷物袋から丸めた紙を取り出すと、チナツに広げて見せる。
 それは、俺がずっと作りたいと思っていた武器の設計図だった。ライフルに近い形状だが、撃ちだすのは弾丸ではなく魔力だから、弾倉部分が魔力を装填する魔力倉に置き換わっている。
「これはなに?」
「昔好きだったロボットアニメに登場する兵器だ。見よう見真似で描いてみたんだが……。ここの引き金を引くと、ここに溜めてある魔力がこっちの先端から撃ちだされる仕組みだ」
「ロボ……アニ……? よくわからない」
 可愛らしくコテンと小首を傾げるチナツに、俺は苦笑いしてもう一度彼女の頭をポンッと撫でる。
「いや、すまん。そこはあまり重要じゃない。とにかく、溜めた魔力を撃ち出す仕組みだ。どうだろう、作れそうか?」
「うーんと……、やってみる! えいっ!」
 言うが早いか、チナツは両手を前に翳す。すると、あっという間に地面が大きく盛り上がる。
 ……なんだ!?
 そうかと思えば、盛り上がった砂が次の瞬間にはサラサラと散っていく。砂が散った後、中から現れたのは全長七十センチの小型ライフルだった。
「すごいじゃないか!」
 思わず叫び、目の前に現れたライフルを手に取って確認する。
 ……なんてことだ! このレベルなら、すぐにでも使えるぞ! 強度が気になるところだが、まずは一発撃ってみよう。
 さっそく試し撃ちしようと、ワクワクしながら魔力倉に魔力を装填していると、急に空が暗くなった。これは、次元獣が現れる前触れだった。
 チッ! 楽しい気分に水を差された俺は、内心で舌打ちした。眉間にも、クッキリと皺が寄った。
「な、なに!? セイさん、急にお空が真っ暗に!」
「シィッ。チナツ、大丈夫だから俺の言う通りにするんだ」
 兢々と叫ぶチナツの肩に手を置き、その目を真っ直ぐに見つめて言い含める。
「お前は体勢を低くして他の子供たちのところへゆっくり移動するんだ。それから、すまんが戦闘が終わるまでこれを預かっていてくれ」
「それはいいけど、セイさんは一緒に逃げないの?」
 チナツは俺が差し出したライフルを抱き締め、困惑気味に尋ねた。
「ああ、次元獣をやつけるのが俺の仕事だ」
「え、次元獣がくるの!? だったら、なおさら逃げなくちゃ! セイさんはセイスなんでしょう? 殺されちゃうよ!」
「あぁ、たしかに俺はセイスだ。でもセイスだからって弱いわけじゃない。今からそれを証明してやる」
 不安げに見つめるチナツを安心させるように、ゆっくりと伝える。
「さぁ、おしゃべりはここまでだ。お前は皆のところに行くんだ」
 パチパチと目を瞬いて俺を見上げるチナツの肩をトンッと押せば、彼女は意を決したようにコクンとひとつ頷いた。
「分かった!」
「いい子だ」
 チナツが足を踏み出すのと同時に、上空ではどす黒く染まった大気が渦を巻き始める。渦は見る間に威力を増し、竜巻のように地面へ向けて伸びてくる。
 竜巻は、孤児院前の広場に到達すると小さな爆発音と共に弾けた。霧状になって瘴気が拡散され、中から黒光りする次元獣が姿を現した。
 次元獣は二足歩行タイプで体長五メールくらいの中型。全身に青紫に怪しく輝る水晶のようなものを生やしていた。
 見た目こそ厳ついが、このタイプはそう強い部類ではない。
 安堵しかけた俺だったが、直後に、空を裂いて出現する二体目を認めて目を剥いた。
「なんだと!? 次元獣がもう一体……!」
 通常、次元獣が同じ地域に立て続けに現れることは稀で、二体が同時に出現するというのはさらに珍しいことだった。
 そして全容を露わにした二体目の次元獣は、一体目とよく似た見た目をしていたが、サイズがひと回り大きかった。
 ……大型次元獣か。一体ならどうということもないが、この場所で二体を相手にするのは少々骨が折れそうだ。
 次元獣と戦う上で、なによりやっかいなのが多くの子供たちがいるこの場所だった。戦闘中は、間違っても子供たちに害が及ばないよう、二体の動向に絶えず目を配っておかなければならない。しかし周囲に気を向けながらでは、どうしても防戦に偏りやすくなる。長期戦になれば、その分被害が拡大してしまう。
 それを避けるためにも、早急に一体目の中型を倒すことだ――!
 俺は脳内で素早く今後の展望を定めた。
「あいつ、パパとママを殺したやつ!」
 その時、皆の元に移動を始めていたはずのチナツが足を止め、上空の一点を見つめて叫んだ。彼女の目線は、二体目の次元獣に釘付けになっていた。
「なんだって!? どうしてわかる?」
「彫刻家だったパパが、わたしを逃がしてくれるときに投げたペンキ、あそこに付いてる!」
 チナツが指差す箇所を追えば、たしかに次元獣の左膝のあたりに金色のペンキが付いていた。
「そうか、あいつがお前の両親の仇なんだな。俺に任せておけ、パパとママの仇は俺がとる!」
 ……このタイプの弱点は首の後ろ。中型ならば、前回の戦闘時に次元操作で吸収し、そのまま別次元に溜めてある魔力で水晶ごと打ち砕けるはずだ。
 チナツに向かって叫びながら、俺は最初に現れた中型の次元獣に狙いを定めた。すかさず次元操作を発動して足裏から推進力として魔力を放出。次元獣の背後へ素早く回り込んで魔力を放つ。
 魔力は寸分の狂いもなく首の後ろに命中し、俺の予想通り表層を覆う黒い水晶を砕き、奴の首を貫通した。急所を一撃された次元獣は、断末魔の叫びを上げながら地面に倒れ、そのまま動かなくなった。
「わぁ! セイさん強い!」
 俺は即座に奴の瘴気を別次元に吸収し、二体目の大型獣に向き直る。
「チナツ、お前は早く避難を!」
「う、うん!」
 チナツが俺の声を受け、皆の元へと踏み出していくのを背中越しに気配で感じ取る。
 ……これで次元獣とは一対一だ。奴の動きに集中できるのはいいが、よほどの至近距離で魔力を打たなければ、こいつが生やす水晶は砕けないだろう。
 奴に接近するにしても、尖った大きな水晶が邪魔をして左右から回り込んで狙うことが難しい。かといって真後ろからの攻撃は長い尻尾で防がれてしまう。……よし、いつも通り足から攻めるか。
 足を負傷させて奴を地面に引き倒し、その上で首の後ろを狙う――!
 俺は奴の左足に狙いを定めた。
 ――グァアアア!! ところが、俺が魔力を撃ち出そうとした瞬間、次元獣が唸りをあげながら不規則な動きを見せる。
 何度か左足を狙って魔力を撃ち込むも、ことごとく躱されてしまう。
 クソッ! 思ったように足に当たらない!
 こいつ今までの奴よりも速い!
 先の読みに反し、俺はめずらしく苦戦を強いられていた。すばしっこい動きで、なかなか狙い通りの場所に魔力を撃ち込むことができない。
 しかも、吸収していた魔力の残量も少なくなってきていた。
 ……仕方ない。リスクはあるが、接近戦しかないな。
 意を決した俺は、地面を蹴るのとタイミングを合わせて足裏から魔力を放出し、ヤツの懐目がけて一気に飛び上がった。
 ――ガシャンッ。
 俺がヤツの懐に入り込む直前で、背後のチナツがいたあたりから物音があがる。
 なんだ!? 俺はここまでチナツや他の子供たちに被害が及ばぬよう、次元獣を意図的に誘導し、できるだけ子供たちがいた場所から引き離していた。しかしこの物音によって、次元獣は咆哮をあげながら一直線に音がした方向へと駆け出してしまう。
 ……まずい! 次元獣の向かった先には、呆然と立ち尽くすチナツがいた。
「チナツ、逃げろ!」
 声を張り上げるが、チナツは恐怖で身がすくんでしまっているのか、カタカタと小さな体を震わせるばかり。とてもではないが、逃げられそうになかった。
 次元獣はあっという間にチナツとの距離を詰め、彼女に向かって振り上げた前足を下ろす。
「い、いやぁ……!」
 俺は咄嗟にチナツと次元獣の間に次元障壁を展開する。
 そのまま次元障壁でヤツを囲って動きを封じ、すかさずチナツに指示を叫ぶ。
「チナツ! 俺が動きを封じているうちに、それでヤツを撃つんだ!」
「え……」
「俺は次元障壁を使っているから手が離せない。お前がやるんだ」
 再びの指示にも、チナツはカタカタ体を震わせて、なかなか動こうとしない。
 ……やはり、幼い彼女には難しいか。
 とはいえ、俺が攻撃に切り替えるには、一旦次元障壁を解かなければならない。次元障壁を解けば、次元獣は彼女に攻撃を仕掛けるかもしれない。
 ……さて、どうするか。
 脳内で今後の最善の道筋を探る。視界の端に、チナツがグッと瞼を瞑りライフルを抱き締めて震えているのが見えた。
 次の瞬間、チナツが閉じていた目をカッと見開いたかと思えば、小さな両手でライフルを構えた。立ち上がると次元獣目掛けてライフルを撃ち放った。
 ――ズガーーンッッ!!
 なっ!? 俺は、突然のチナツの行動に度肝を抜かれ、彼女と彼女に撃ち抜かれて倒れ込む次元獣を食い入るように見つめていた。
 さらに、この時俺を驚かせたのはチナツが取った行動ばかりではない。どんな偶然か、チナツの撃ち放った魔力の砲はヤツの首に命中していた。急所を一撃された次元獣は地面に倒れ、ビクンビクンと二、三度体を震わせた後、動かなくなった。
「チナツ!」
 俺が銃身の砕け散ったライフルを握りしめたまま肩を上下させるチナツに声を張れば、彼女はギシギシと軋む動きで首を巡らせる。
「お兄ちゃん!」
 チナツは俺を認めると、こちら向かって一直線に走ってきて俺にガバッと抱きついた。
「よくやった、チナツ! 次元獣を倒し、お前がこの孤児院のみんなを守ったんだ! お前は立派だ!」
 俺は胸にしっかりとチナツを受け止めて、ギュッと抱き締めて小さな勇者を労った。
「本当はあの時ね、怖くて動けなかった。でも、目を閉じたらパパとママの声が聞こえたの」
 興奮したチナツが、途切れ途切れに語りだす。俺は急かさず、彼女の言葉に耳を傾けた。
「パパは『チナ、お前は生きろ』って言ってた。家があの次元獣に襲われて、パパが一瞬の隙を作って私を逃がしながら、最後に叫んだ言葉と同じだった。ママは『チナ、あなたならできる』って、励ましてくれた。……ずっと聞きたかったふたりの声が、力をくれた」
「パパとママは、ずっとお前を見守ってくれていたんだな。きっとふたりは、今頃『よくやった』とお前の勇姿を喜んでいるさ」
「うん! パパとママはわたしの自慢よ! それで、ぜったい『よくやった』って、言ってくれてる!」
「ああ」
 俺は嬉しそうに微笑むチナツの頭をクシャクシャと撫で、彼女を片腕に抱いたまま骸と化したヤツに歩み寄る。
「……これは!」
「こんなところにもパパのペンキ!」
 俺とチナツが声をあげたのは同時だった。それは、水晶と水晶の間の窪みとなって見難い奥の奥。水晶が砕け落ちてなくなった今でなければ絶対に気づくことができない、ほんの小さなシミだった。しかし、たしかにチナツが撃ち抜いた首の後ろの体表にピンク色の飛沫が付着していた。
 なるほど。チナツが奇跡のような確率で急所を撃ち抜いたのは、両親の導きだったか。
 目にした瞬間、出来過ぎた一連の流れにも全て納得がいった。
「やっぱりパパが力を貸してくれたんだ」
 チナツが声を震わせる。
「ああ、そうだな」
 チナツは潤んだ目をギュッと手の甲で拭い、俺の言葉にクシャリと笑って頷いた。
「うん!」
 俺は深くチナツを抱き直すと、次元獣の表面を覆うように拘束していた次元障壁を解いて手を翳す。そうして、奴の体に残った瘴気を吸い上げていく。次元獣の瘴気は、そのまま次元操作のための魔力となる。
 ……よし、こんなものだろう。
 余さずに吸い上げると、青紫に光る体から手をスッと手を引いた。そのままヤツに背を向けようとして、ふいに思い至って足を止める。
「どうしたの?」
 瘴気を失ったことで、ヤツから禍々しさはなくなっていた。同様に、ヤツの体を覆うようにビッシリと生えた水晶も、今はただ美しいだけの宝石のようだ。
 俺はヤツの左膝から金色のペンキが付いた水晶をひとつ取り上げて、チナツに手渡す。
「これはお前が持っているといい」
「え?」
「これはお前が打ち勝った証だ。そして、これにはパパのお前への思いがいっぱいに詰まっている」
「……うん」
 チナツはコクンと頷いて、金色に染まった水晶を小さな手のひらにそっと握り込んだ。
「ねぇ、セイさん。わたしのことチナって呼んで?」
「ん? どうしたんだ、チナ」
 俺が『チナ』と呼ぶと、チナツはそれはそれは嬉しそうに笑った。
「それからね、わたしもセイさんのこと、お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん、構わないが。……そういえば、さっきもチナは俺のことを『お兄ちゃん』と呼んでいたな」
「パパとママが死んじゃって、わたしにはもう家族がいない。だけど、もしお兄ちゃんがいたら、きっとセイさんみたいなんだろうなって思ったの」
「チナの兄貴か、それは光栄だ。だがチナ、血縁である家族はなくともお前にはここに親代わりの先生と、兄弟のように暮らす多くの仲間たちがいるだろう?」
 俺のこの言葉に、チナは表情を陰らせた。
 そうして俺の腕からトンッと地面に下りると、俺を手招くような仕草をした。
「急にどうした?」
「シィッ。……付いてきて」
 チナは声をひそめて言うと、足音を忍ばせて孤児院の裏手へと回り込む。今は使われていない古井戸と思しき場所に辿り着くと、蓋を開けぬまましゃがみ込んで耳を寄せた。
 俺も彼女を習い、耳を澄ませた。
「子供たちは……?」
「全員奥に避難させております」
 どうやらここは古井戸を利用した避難豪のようで、中から子供たちの避難状況を報告し合う、大人たちの声が聞こえてきた。
「そうか。このままここに籠もっていれば、その内に次元獣もいなくなるだろう。子供たちが無事なのだ、家屋や畑への多少の被害はやむを得ん」
「それにしても、院長先生がチナツに向かってガラス瓶を投げつけた時は驚きました。しかし、実に素晴らしい判断でした」
 なんだと!? にわかには信じ難い台詞に、思わずビクンと肩が跳ねた。チラリと目線をチナに向けるが、彼女は特段驚いた様子も見せず、中から聞こえてくる会話に静かに耳を傾けていた。
「チナツには申し訳ないが、これも他の子らを守るための尊い犠牲だ。ここには小さな子も多い。全員を安全に屋内に退避させるため、時間を稼ぐ必要があったのだ」
 俺には避難豪の中で繰り広げられている会話が、とても信じられなかった。
 たしかに突然あがった物音を不思議に思っていたが、まさか院長が彼女に向かってガラス瓶を投げていたなど想像もしなかった。
 次元獣の視野は広い。そして次元獣は光る物に敏感に反応する。
 ガラス瓶がチナの脇に落ちるのを見て、ヤツの気はそちらに向いてしまったのだ。俺は内から湧き上がる怒りに、きつく拳を握り締めた。
「素晴らしいご判断です。当孤児院には、現在トレスばかりでなくドスの子を三名とウノの子を一名養育しております。その子らになにかあっては、町長はもちろん聖魔法教会にだって申し訳がたちません。チナツも能力に優れた他の子らの犠牲となれたのですから、本望でしょう」
 黙って聞いているのが限界に達し、物申そうと口を開きかける。ところが俺が声を発するより一瞬早く、ここまで静かに聞いていたチナが、突然直径一メートルほどの上蓋に手を掛けてずらしだす。俺は咄嗟に重そうな蓋に手を添え、チナが蓋を取り外すのを手伝った。
「先生。次元獣は退治できました」
 避難豪の中にいた院長と思しき初老の男性と、中年の女性教師がギョッとした様子でこちらを見上げる。そんなふたりに、チナは特に恨み言をこぼすでもなく、端的に外の状況を伝える。
「だからもう、外に出ても大丈夫ですよ」
「チナツ!? ……お、お前、生きていたのか!?」
「なんと! シンコでありながら次元獣に襲われて生き延びるとは、なんと気味の悪い!」
「お前たち、その言い草は――」
 さすがに聞き捨てならず、声を荒らげる俺の前に、チナがスッと手を差し伸ばして止める。
「いいのよ、お兄ちゃん。それより、今の言葉を聞いたでしょう? お兄ちゃんはわたしが『この孤児院を守った』って言ってくれたけど、ここのみんなは誰もそんなふうには思わない。たとえ次元獣を倒しても、みんなにとってわたしは気味が悪い子。だけど、わたしだって同じよ。わたしにとってここのみんなは、親代わりにも、兄弟のような存在にもなり得ない」
「チナ……」
 小刻みに震える小さな背中が切なかった。
「……でもね、もういいの。わたしには、お兄ちゃんがいるもの」
「そうだな、チナには俺がいる。……チナ、俺と一緒に来い」
 俺が肩を抱き締めて告げた瞬間、これまで気丈にこらえていたチナが、目から大粒の涙を迸らせて俺に縋りついた。
「わたし、お兄ちゃんといたい! お兄ちゃんに着いていく!」
 チナは俺の肩に顔を埋め、わんわんと泣き続けた。俺は彼女が落ち着くまでその肩を撫でて慰めてから、目を丸くしてこちらを見上げる院長に言い放った。
「お前たちにチナツは任せられん。こいつは俺がもらっていく。……最後にひとつだけ、この孤児院を次元獣から救ったのはチナツだ。お前たちにほんの少しでも良心があるのなら、この事実を肝に銘じて今後も残る子らの養育に励めよ」
 院長はこの言葉に、静かに頭を垂れることで応えた。
 俺はチナツを片腕に抱き、孤児院を後にした。


 孤児院を出た後、俺はチナを伴って衣装小物屋に立ち寄った。
 購入した着替えに靴、リボンや櫛、石鹸といった身の回りに必要な品々を店主が丁寧に包んでいくのを、チナは目をキラキラと輝かせて見つめていた。
 嬉しそうなチナを横目に、俺まで嬉しい気分になった。もしかすると、兄妹というのはこういうものなんだろうか。
 ところが、彼女が突然はたと気付いた様子で俺に声をひそめた。
「ねぇお兄ちゃん、わたし、こんなに買ってもらっちゃってよかったの? その、お金とか……」
「なに、子供が余計な気を回さなくていい。金の心配はない」
「だけど……、ほら? わたし、お金持ってないし。それに、これからの旅では、わたしの分ごはん代とか余計に掛か……ぅぷっ」
 俺の懐事情に気を回し、必死で言い募るチナは健気で可愛い。しかし『余計』のひと言は聞き捨てならず、俺はチナの唇にツンッと人差し指をあて、彼女の言葉を遮った。
「こーら。チナは『余計』なんかじゃないだろう。俺の大事な妹分だ」
 チナはハッとしたように目を見開いた。
「それに俺は、これまで冒険者をしながら結構な額を稼いでいる。チナひとり食わせるくらいは造作もない。さっき倒した次元獣だってギルドが素材として高値で買い取ってくれる。だから金のことは心配ない」
「……う、うん!」
 俺が続けて告げると、チナは照れたように頬を真っ赤に染め、大きく頷いて答えた。
「よし、いい子だ。だから、これからも足りない物や、必要な物があれば遠慮せず言ってくれ」
 俺にワシャワシャと頭を撫でられて、チナはくすぐったそうに笑った。