「きゃあっ!」
「チナツちゃん、掴まって!」
「な、なにが起こっているの!?」
 手を取り合って揺れを堪えるチナたち三人を横目に、俺は窓に向かって駆け出す。
 ――うわぁあああっ!! ――キャアアーッ!!
 俺が窓から眼下を覗くのと、人々の悲鳴が方々からあがるのは同時だった。
「まさか、何故次元獣がここにいる!?」
 階下の光景を認めた瞬間、カッと目を見開いて叫んでいた。
 ザッと見で、次元獣は四体。しかも四体全てが中型から大型の抜きんでた攻撃力を持つ強力な個体だ。
「なんですって!? 次元獣が!?」
 アルテミアはチナとセリシアと繋いでいた手を解いて、いまだ揺れの治まらない中を走って俺の横までやって来る。
 ウェール領主は王家とも所縁ある高位貴族で、加護を持つ他町村よりも手厚く守られているはずだ。そんな領に、何故複数体の次元獣が現れる!?
「……まずいな。この領は次元獣への備えも、応戦する人員もいない。このままでは、領が壊滅してしまう」
 加護を過信していたことが、今は裏目に出ていた。次元獣に瘴気をぶつけられたところから、家屋がなす術なく倒壊していく。それに巻き込まれた人々の痛ましい悲鳴も響き渡っていた。
「あぁ、嘘でしょう。街が……、街の人たちが……。私はいったいどうしたら……っ」
 横に立って窓下を見下ろしていたアルテミアが震える唇で声にして、ガクリと力なく頽れる。
 俺はアルテミアが床に倒れる前に腕をしっかりと掴み、彼女と目線を合わせる。
「ここは君を塔に閉じ込めている両親が治める領だぞ。さらに君は他所へ嫁いで行く身だ。それでもこの領を、領民を助けたいか?」
「当たり前よ! 両親のこととか嫁いで出ていくからとか、そんなのは関係ない、ここは私の生まれ育った大切な故郷よ! 助けたいに決まっているじゃないの!!」
 試すような俺の物言いにアルテミアは不快感を滲ませ、語気を強めて叫んだ。
「ならばアルテミア、ここから飛んで助けに行くぞ」
「え、セイさんはそんなことができるの!? ならばどうか、どうか領を助けてください!!」
 アルテミアは先ほどとは一転し、期待の篭もった目を俺に向け、懇願した。
「いいや。飛ぶのは君だ」
「っ、馬鹿言わないで!? どうして私が飛べると思うの!? ……もういいわ! あなたを頼ろうとしたのが間違いだっ――」
「聞くんだ!!」
 掴んだままの俺の手を振り払おうとしながら喚き散らすアルテミアに、俺は声を大きくし一喝した。
「アルテミア、君は今朝チナとセリシアのふたりから聞いたはずだ。眠りながら宙に浮き上がっていたと」
 アルテミアは思い出したようにハッとした表情をした。
「で、でも! あれは……」
「あれはなんだと言うんだ? 君は無意識のうちにシンコの五つの魔力を掛け合わせ、新しい魔力を生み出しているんだ。君が開花させた能力は、重力制御。君自身と、君が触れた物の重力をゼロにできる。その能力で、俺たちと一緒に浮いてくれ!」
「本当に、そんな能力が私に……?」
 アルテミアは信じられないといった様子で、忙しなく瞬きを繰り返す。
「なぁアルテミア、俺の言葉が信じられなくても、友となったふたりの言葉なら信じられるのではないか。ふたりは君に嘘を吐いて物笑いのネタにするような人物なのか?」
「いいえ! チナツちゃんとセリシアさんはそんなことしない!」
 アルテミアは断言し、チナとセリシアを振り返る。
「アルテミアお姉ちゃん! わたしが断言するわ。アルテミアお姉ちゃんは、大空だって自由に飛べる!」
「ええ! アルテミアさん、あなたはたしかに飛んでいました。私もこの目でしっかりと見ています。だからどうか、自信を持って!」
「チナツちゃん、セリシアさん……。だけど私、飛んでいる体感がないの。あるのは、気持ちよく飛んでいる夢の残像だけ。どうやって飛んだらいいかも分からないのよ……」
「大丈夫だアルテミア! 俺の言う通りにするんだ」
 今は一刻すらも惜しまれた。言うが早いか、俺はアルテミアを横抱きにした。
「きゃっ」
「夢で飛んでいる時と同じだ。目を瞑り、その時の気持ちを思い出すんだ」
 アルテミアは疑心暗鬼なふうではあったが、俺の指示通り瞼を閉じた。直後、体から重みが消え、俺の足がふわりと宙に浮き上がる。
「「「飛べているぞ(わ)!」」」
 俺とチナ、セリシアは声を揃えた。
「本当!?」
「っ!」
 ところが、アルテミアがパチッと目を開いた瞬間、体に重力がかかり足は床に逆戻りした。
「……あら?」
「よし、今はこれで上出来だ! 細かな訓練は次元獣を片付けてからだ! アルテミア、推進力は俺が担う。君はひとまず目を瞑って、空を飛ぶ想像だけしていろ!」
「え? ええ!」
 アルテミアが再びキュッと瞼を閉じるのを確認し、後ろのチナとセリシアに指示を出す。
「チナは俺の肩に乗るんだ! セリシアは俺の腰に掴まれ! このまま窓から行くぞ!!」
「うんっ!」
「は、はい!」
 ふたりがしっかりと俺に掴まるのと同時に、ふわりと体が浮き上がった。俺たちは大窓から飛び出した。
「うわぁ~、すごい!」
「風を切って飛ぶなんて、まるで鳥にでもなったようですね」
「……なんで!? せっかく空を飛んでるのに、その景色を私だけ見られないって、なんかおかしいわよー!」
 初めての空中浮遊にあがった三者三様の呟きに苦笑を浮かべながら、意識を目の前の次元獣に向ける。
 ……よし、まずはあの灰色の中型からだ! あいつの弱点は、目だ!
 俺はアルテミアの体勢を変え、左腕一本で片腕抱きにすると、次元操作で推進力となる魔力を噴出させ、一体目の次元獣に狙いを定め急接近する。
 そこだ――!!
 急降下して死角から一気に魔力を打ち放つ。
 ――バシューンッ!!
『グァアアアア……ッッ』
 まさか空中から攻撃を受けるとは思ってもいない次元獣は、急所の目を打ち抜かれ、断末魔の叫びをあげながら呆気なく倒れた。
「お兄ちゃん!! 右よっ!!」
 安堵したのも束の間、チナの鋭い声が響く。
 ――ズガーンッ!! ズガーンッ!! ズガーンッ!! ズガーンッ!!
 俺が右に向き直るのと同時に、頭上のチナが右腕を伸ばし魔力砲を撃ち放つ。なんとチナは、前方に聳え立つ大型次元獣に向かって、右手で握ったリボルバー式小型拳銃から連続で四発をお見舞いした。
「あれの弱点は首の後ろ、だったよね? ちょうど後ろを向いてたから、今だって思ったの!」
 ……なんということだ! たしかに、倒れ込んだ次元獣はチナが孤児院で倒した個体と同じ種類だ。とはいえ、まさかチナが撃ち倒すとは思ってもみなかった俺は、頭上のチナを見上げてしばし愕然とした。
 なにより、チナが錬金術で生みだした素材がここまでの耐久性を有していようとは――!
 俺の魔力の連続発砲を物ともせぬ新素材。……これは、これまでの既成概念を打ち砕く凄まじい成果だ。
「でかしたぞ、チナ! お前の魔力は無敵だ!」
「え? 無敵って……撃った魔力はお兄ちゃんのだよ?」
 一拍の間を置いて俺が労いを告げれば、チナは怪訝そうに首を捻った。
「いいや。チナの技があれば俺の魔力を溜め、俺以外の者でも自在に使うことができる。これまでの戦闘体形を根幹から覆す大手柄だ」
 同じ物をセリシアとアルテミアにも持たせれば、護身にも役立つだろう。万が一他者に奪われても、俺がひと手目かけてストッパーを付加しておけば、意に反した使われ方をすることもない。
「だからお前の創生した新魔力――錬金術が無敵で間違いない」
 俺の言葉に、チナがキュッと俺の頭を掴む力を強くした。
「よかった、よかったよぉ! セリシアお姉ちゃんの再生快癒が凄すぎて、正直言うと焦ってたの。だけど、ここまでの旅でお兄ちゃんと一緒にコツコツ練習してきてよかった! わたしの錬金術が役に立てて、本当によかった!」
 肩車しているチナの表情を見ることは叶わない。しかし彼女の心の吐露が、幼い胸がいっぱいの悩みや葛藤を抱えて苦悩していたことを、俺に痛いほど伝えてくる。
 そんな彼女に、『練習熱心で偉いな』としか言ってやれなかった、道中の己の不甲斐なさが悔やまれた。
「そうだったのか。気づいてやれなくてすまなかったな」
「ううん! こうしてわたしもお兄ちゃんの役に立てたから! ……それからお兄ちゃん、錬金術の練習は約束通りお兄ちゃんとしてたけど、的あての練習はひとりでやってたのよ。だから、どんどん撃って次元獣をやっつけちゃうんだから!」
 ……恐れ入ったな。俺の頭上で一転し、晴れやかに言い切るチナに尊敬の念が募る。
 たったの五歳とは思ぬ思考力と行動力に、俺はすっかり感服していた。だからといって幼いチナにばかり攻撃させているのは、俺の矜持が許さない。
 魔法世界エトワール最強の冒険者は、セイスのセイ。俺だ――!
「セリシア、監視塔に上るチナにかけたのと同じ活性化の魔力を俺にもかけてくれ」
「え?」
 突然呼び掛けれたセリシアは、俺の腰にしがみ付いたまま窺うように小さく身じろぎした。
「君の細胞活性化の魔力で身体能力を向上させ、一気に叩く!」
「分かりました!」
 直後、着衣越しにセリシアと触れ合った部分から、ぽかぽかとした温もりが染み込んでくるのを感じた。
 その温もりは触れ合う表層から体の芯へと広がっていき、血の流れにのるように再び全身の細部にまで巡っていく。
「いかがでしょう?」
 施術を終えたセリシアが、ホゥッとひと息ついて尋ねた。全身の体温が上がり、体中に新鮮なパワーが漲っていた。
「完璧だセリシア! ありがとう!」
『グァアアアアアア――ッッ!!』
 セリシアの魔力によって身体強化が叶ったまさにその時、残る大型と超大型の二体の次元獣が怒りの咆哮をあげる。そうかと思えば、対角にいた二体が俺たちを挟み討ちするように同時に瘴気を吐き出した。
 同時攻撃とは、上等だ! これまでならば、二体の同時攻撃を真正面から受けるのを避け、一体分の瘴気の波動を飛行位置をずらして躱していただろう。
 しかし今、俺はあえてその場にとどまって二体の次元獣が吐き出す瘴気の渦を受け止めた。
 次元操作を体得したとはいえ、体は生身の人間。これまで一度に大量の瘴気を受けるのは、多少なり体に負荷がかかっていた。
 それがどうだ!? セリシアの身体強化のおかげで、無理なくどんどん瘴気を吸い上げられた。
 ……さすがだな。俺は内心で、改めてセリシアの能力に唸った。
 そうして二体の瘴気を吸収しきると、そのまま次元空間に蓄積した。
 吸収した瘴気は、そのまま俺の攻撃魔力となる。これで魔力は潤沢に蓄えた。奴らを打ち倒すのに、一切の不足はない!
「お兄ちゃん、すごい! 次元獣の攻撃を全部吸い取っちゃった!」
 頭上でチナが感嘆の声をあげた。
「チナ、お前の『カチコチ』を借りるぞ」
「え? もちろん、いいけど。だけど、あんなのどうするの?」
「まぁ見ていろ」
 俺は不敵に笑むと、残る二体の次元獣のうち超大型の方に狙いを定め、奴の上空へと飛行する。そうして次元の狭間からチナが錬金術の練習過程で生み出した金属の大塊――通称・カチコチを引っぱり出して、眼下の超大型の次元獣に浴びせかけた。
 超大型はその体格に見合うパワーを有するが、反面、俊敏さには劣る。
 案の定、頭上から大量のカチコチを食らった次元獣は怯んで身動きが取れなくなっていた。
 ……そうなのだ。このカチコチは錬金術の練習中に出た失敗作と侮れない。自然界に存在するどんな鉱物よりも重く、硬い、新魔力の集合体だ。
「わー。次元獣がベコベコ……」
 チナが漏らした言葉通り、次元獣は甲冑のように黒光りする体表のそこかしこに窪みを作り、痛ましい有様になっていた。
 しかも、こいつの弱点は頭頂部。急所の脳天に大量のカチコチを食らった奴は動くことができず、巨体をビクビクと痙攣させていた。
「とどめだ」
 俺がデコボコになった奴の頭頂部に次元魔力を打ち放てば、超大型次元獣は呆気なく地面に沈んだ。
 巨体が倒れ、周囲に地響きと砂埃が上がる。さらに風に舞う砂埃に混じり、奴から真っ黒な瘴気が噴き出す。
 俺は体格に見合った大量の瘴気を余さずに吸収すると、そのまま最後に残った有翼型の大型次元獣に狙いをつけて打ち放つ。
「チッ! 躱されたか!」
 最後に残った大型次元獣は機敏な動きで飛び立って、すんでのところで俺の攻撃を躱した。
 さらに、三体の仲間をやられたことで、相当殺気だっていた。俺を威嚇するように長大な尾っぽを振り回し、街の中央に建つ公会堂の一角を崩壊させた。
 その時、ガラガラと崩れていく公会堂の奥の方に小さく蠢く人影を認める。
「……まずいな! 公会堂裏手の屋外休憩所に誰かがいるぞ!」
 さらに目を凝らせば、立ち昇る土煙の向こうに赤ん坊を抱いてしゃがみ込む母親らしき女性の姿がしっかりと確認できた。休憩しに屋外に出たところを次元獣の襲撃に遭い、逃げ遅れてしまったようだった。
「え!? ほんとだ! ……お兄ちゃん、あの次元獣の弱点はどこ!?」
 ワンテンポ遅れ、母子の姿を視界に捉えたチナが俺に問う。
「翼の付け根の、内側だ」
「……内側?」
 この手のタイプは無作為に攻撃しても、翼で覆われてしまうから、倒すにはかなりやっかいな部類だった。
「ああ。倒すには、二重攻撃の構えが必要になる。最初の攻撃で翼を広げさせて急所を晒させ、次の攻撃で急所を打つしかない」
「ふーん、分かった! 翼を広げさせればいいんだね!? わたしに任せて!」
 言うが早いか、チナは握り直した小型拳銃を大型次元獣に向かって構える。
 なっ!? 次の瞬間、チナツは片翼に狙いを定め、集中砲弾を浴びせかけた。その数、実に十発!
 通常のリボルバー銃とは異なり、弾倉部分には次元獣から回収した黒水晶をセットしてある。この黒水晶には、俺が次元操作で吸収し、蓄えた魔力を放出できる性質があった。要は、いちいち魔力を装填せずとも、多くの発砲が可能となったのだ。それにしても、彼女のこの応戦力は予想外だった。
 さらにチナは母子に被害が及ばぬよう、事前に次元獣の動きを予測していたのだから驚きだ。
 大型次元獣は、集中砲弾を食らった片翼をバサバサとはためかせてのたうった。しかし、咆哮をあげながら奴が向かう先は、休憩所と対角にあるステンドグラスの礼拝所の方向だった。
 なるほど。光る物に寄っていく習性を利用したか……! この習性は次元獣らにとって本能的な行動だ。傷を負わされて理性を欠き、目に入ったステンドグラスに引き寄せられているようだった。
 っと、いかん。感心している場合ではない。チナが作ってくれた好機を逃すわけにはいかん!
 俺は翼がバサリと開かれた瞬間を見逃さず、急所である付け根部分に渾身の魔力を打ち込んだ。
 有翼の大型次元獣も断末魔の叫びと共に地面に倒れ、そのまま二度と起き上がることはなかった。
 一瞬の静寂の後、街が震えるほどの拍手喝采が沸き起こる。次元獣の突然の襲来になす術なく兢々と屋内に身をひそめていた領民らが、次々と外へ飛び出してくる。その全員が上空の俺たちを見上げ、涙ながらに感謝を口にしていた。
「……あ! あちらに怪我をした人たちが! セイさん、あちらに向かっていただけますか!?」
「よし!」
 セリシアが示す先に、家屋の倒壊に巻き込まれたのだろう負傷者らの姿を認め、一気に加速する。
「アルテミア、ゆっくりと――」
「いえ、このまま飛んでいてください。上空から治療します!」
 十人ほどの負傷者が集められた一角に辿り着き、アルテミアに着地のイメージを伝えようとしたら、セリシアがそれに待ったをかけた。
 セリシアは俺の腰に回していた右腕を外し、眼下に翳す。
 次の瞬間、セリシアの右手のひらから生じた煌く光の粒子が、シャワーのように負傷者に降り注ぐ。光の粒子は負傷者を優しく包み込み、ふわっと発光を強くする。
 そうして徐々に発光が弱くなり、完全に消えた時、負傷者全員が見事な回復を果たしていた。血を流し痛みに呻いていた人も、瓦礫に肺を押し潰されて呼吸苦に喘いでいた人も、傷が癒えて穏やかな呼吸を繰り返している。
 広域に発動された再生快癒の魔力――。
 奇跡を目の当たりにして、俺も周囲で見守っていた人々も、全員がしばし言葉を失くした。
「セ、セイさん! 私、もう限界です!」
 その時、悲痛なアルテミアの声が静寂を割る。
「ずっと意識して目を瞑っていたら、瞼がピクピクして……っ! 目を開けてもいいですか!?」
「なっ!? 少し待て!!」
「だめ、もう限界っ!」
 俺が即座に負傷者が集う一帯から場所を移った直後、限界に達したアルテミアがパッチリと目を開き、一気に重力がかかる。
「っ!! チナ、セリシア、俺から離れろ!! 縺れるように落ちては、逆に危険だ!!」
 緩衝材の代わりにするべく、反射的に地面に向かって次元操作を発動する。同時に、アルテミアを抱いていた手を放し、しがみ付こうとするセリシアとチナにも離れるように指示を出す。この状況下ゆえ難しいかとも思ったが、セリシアとチナは俺が指示した通り、咄嗟に手を放した。
 そんな落下の最中、俺の視界の端をあるモノが掠めた。
 ん? 奴は……!
「「「きゃああっ!!」」」
 俺たちは次元魔力にバフン、バフンッと幾度か弾みながら、最終的に尻から地面に着地した。
「っ、助かった!」
「ちょこっとお尻ぶつけたぁ」
「ええ。ですが、あの高さから落ちて無事だったのですから、十分おつりがきますわ」
 次元魔力のこんな使い方は初めてだったが、目論見通り落下の衝撃を和らげるのに十分な貢献をしてくれたらしい。三人の無事を確認した俺は、安堵の胸を撫で下ろした。
 すかしホッとひと息ついた直後には、落下の最中に見た"ネズミ"を捕まえるべく動き出していた。
「三人とも、しばらくここにいてくれ!」
 俺は三人に言い残し、ウェール領を背に一直線に駆けていくネズミの後を追った。

 次元操作を用いれば、ネズミの捕獲など造作もないこと。
 俺は次元障壁で身動きを封じたネズミと対峙していた。
「ここまでずっと俺たちを付け回していたな。ずっと気配は感じていた。誰の指示だ?」
「そんなの答えるわけが……っ! 言う、言うからやめてくれ!」
 次元障壁でギリギリと絞め上げていくと、ネズミ――間者の男は早々と音を上げた。
「お前たち一行の同行は、逐一聖魔法教会のマリウス大魔導士に上げていた!」
 息も切れ切れに、男が白状する。
 マリウス大魔導士といえば、教会のナンバーツー。教会の長たる教祖の最側近だ。となれば、俺たちの監視は教祖からの指示と考えてまず間違いない。
「お前は水属性のウノだな? たしか、マリウス大魔導士も水属性……連絡は水鏡を介して行っているのか?」
「そうだ」
 水鏡とはその呼び名の通り、水面を鏡に見立てたもので、そこに映る映像を相手の水鏡と共有することができる。水属性のウノの中でも能力に優れた者同士でしか使えない技だが、タイムラグなしに情報共有が可能だった。
「……ウェール領に俺たちが滞在していることは既に伝えてあったのか?」
「あぁ。お前たちが滞在を決めた直後に報せた」
「マリウス大魔導士は俺たちがいるこの地に次元獣を差し向けたのか? 加護があるにもかかわらず、俺たちを倒さんがために!?」
 俺が怒りで戦慄く声でしたこの質問に、男は心底分からないといった様子で眉間に皺を寄せる。
「な、なんだって? 次元獣を差し向ける? 加護? ……いったい、なにを言っている?」
 男の口振りに嘘はなさそうに見えた。どうやらこの男は能力にこそ優れているが、マリウス大魔導士や教会の内部情報にはあまり精通していないのかもしれない。
「お前は教会所属の魔導士ではないのか?」
「もちろん教会所属の魔導士だ。元は冒険者をしていたが、水属性のウノ中でも高い能力を買われて先月引き抜かれた」
 無意識だろうが、これを告げる男は誇らしげだった。
 ……なるほど。教会に所属して日も浅いため多くの情報を持たず、指示通り従順に動くこの男は、間者にはうってつけ。
 そしてこの男は、マリウス大魔導士にとって所詮は捨て駒。マリウス大魔導士は俺に見つかって殺されようが、どうでもいい存在をあえて選んだのだろう。
「……行け」
「は?」
 俺が次元障壁を解いて告げれば、男は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして見返した。
「ネズミの尻尾を切ったところで意味はない」
 続く言葉で俺の真意に思い至った男はクシャリと顔を歪め、わなわなと肩を震わせた。
「セイスのくせに、馬鹿にし腐りやがって……」
「ほぅ、命が惜しくないのか。見上げた忠誠心だ」
 俺は次元操作を発動すべく、再び男に向かって手をかざす。
「っ、チクショウ! チクショーッ!!」
 次の瞬間、男は捨て台詞を叫びながら一目散に駆け出した。
 教会に引き抜かれたことは、男にとって誉れだったのだろう。しかし、教会にはもう間者の役目を失敗した男の居場所はない。
 ……見誤るな。目の前の栄誉は所詮、空中の楼閣。
 教会はお前が命を懸けるに足る崇高な組織ではない。同様に、お前の能力を真に活かせる場は教会ではなく他にある。
「弄されるなよ。正しい道は、心眼でもって見極めろ」
 小さくなる背中に向かって零した呟きは、きっと男の耳には届いていないだろう。
 一見しただけの男ではあったが、前途ある優れた能力者でもある男の未来を祈らずにはいられなかった。

 チナたちと合流し、俺たちは再び領主の屋敷へと戻った。
「おおお! 我が領を次元獣よりお守りいただき、感謝申し上げます! セイ様たちの速やかな討伐によって被害は最小限、その上、セリシア殿の治癒により負傷者はゼロ。それなのに儂ときたら、セイスやシンコを理由にセイ様とチナツ様に随分と無礼な態度を……っ、なんと詫びを申し上げたらよいかっ!」
 興奮冷めやらない様子の領主は矢継ぎ早に言葉を重ね、最後はガバッと床に伏したかと思えば、平身低頭で己の振る舞いを詫びた。
「やめてくれ。あなたの思いはもう十分に伝わった。これ以上の礼も謝罪も不要だ」
 打って変わったような領主の態度に苦笑しつつ、その肩をトンッと叩いて立ち上がるように促す。
「それから領主、肝心なことを忘れているぞ。あなたの娘、アルテミアが重力制御をなし、俺たちの空中攻撃を可能としたんだ。アルテミアがいなかったら、ここまでの早期討伐はなし得なかった」
「……まさか、娘がこんな能力を持っていようとは想像もしませんでした。これまで世間から隠すことにばかり必死で、儂は父親でありながら娘の本質をなにひとつ見てはいなかったようです」
 セリシアに腕を取られて身を起こしながら、領主はしっかりと彼女の目を見て告げる。
 領主の隣では、領主夫人が夫の言葉に賛同して頷きながら、その瞳を熱く潤ませていた。
「お父様、お母様……」
「アルテミア、儂はお前を誇らしく思う。そして『貰ってくれる男があるうちに』などと、手前勝手な結婚話を推し進めた自分が恥ずかしい。この結婚は、儂から先方に断りを入れる」
「え? 来月に迫った結婚話を破談になど、そんなことをしてはお父様の評判が――」
「そんなのは問題にならん。これはもう、決めたことだ」
 領主はセリシアの言葉を遮り、きっぱりと言い切った。
「っ、お父様。……ありがとございます」
 目に薄っすらと涙を滲ませて小さく感謝を伝えるアルテミアの頭を、領主が不器用な手つきでそっと撫でる。アルテミアの眦から膨らみきった涙がホロリと頬を伝っていった。
「それにしてもセイ様はなんと寛大でいらっしゃるのか。嘘か真かもしれぬ加護を付与しにやって来る教会の魔導士とはなんたる違いだ」
 思わず本音が口を衝いて出た、そんな様子で領主が漏らした。
「今、教会の魔導士と言ったな?」
「えぇ。彼らは態度も横柄なら、金銭にも恐ろしいほど強欲だ。加護の対価についても寄付や心づけを際限なく要求するものだから、最終的には言い値の倍にもなっている。その上、今となっては加護の守りそのものが紛い物と知れ、まったくやり切れません。まぁ、冷静に考えれば『加護があれば次元獣に襲われない』というのもおかしな話で、所詮、気休めのまじないだったのだ。高い勉強代にはなりましたが、こうしてセイ様に救っていただけたことを思えばおつりがきますな」
 領主は俺を見やり、感じ入った様子でこう口にした。
「領主、教会の加護について……いや、教会について知っていることがあれば教えて欲しい。奥で聞かせてもらえるか」
「もちろんでございます。とはいえ、王家と外戚にありその縁で教会の加護を付与していただくに至りましたが、儂とて教会そのものについてそう多くを知っているわけではありません」
「かまわん。今は少しでも情報が欲しい。……領主夫人、よかったら俺たちが話している間に、チナツたちを温泉に案内してやってくれんか。もちろん、約束していたマーリンも誘ってな」
 俺の申し出に、領主夫人は一も二もなく頷いた。
「お兄ちゃんは入らないの?」
「話が終わったら、合流させてもらう」
「それじゃあ、セリシアお姉ちゃんたちと先に入って待ってるわ! 必ず来てね、約束よ!?」
「あぁ、約束だ」
 夫人に伴われて温泉に向かうチナたちを玄関から見送り、俺は領主と共に奥の応接室に移動した。


 そうして遅れること十分。俺もチナたちに合流し、久方ぶりの温泉に飛び込んだ。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
 チナに呼ばれ、湯けむりを割って石組みの広い露天風呂の奥へとざぶざぶと進む。
 領主の屋敷の温泉は、想像以上に広さがあった。脱衣所から続く内風呂には、複数の洗い場が設置され、奥の窓に面して十メートル四方のヒノキの湯舟が。さらに内風呂から外に繋がる扉を出て、渡り廊下を進むと、今俺たちが浸かっている石組みの露天風呂がある内庭の一角に出る。こちらは屋外ということもあり、ヒノキの内風呂以上に広々として開放的だった。
 全員が薄い素材の肌着を身に着けて入浴していたが、すのこのような目張りがかかって、ほどよく周囲から遮られているのはよかった。
「意外と早かったのね!」
「そうだな」
 嬉しそうなチナに、俺も笑顔で答える。
 こんなに早くに温泉に合流できたのは、事前に申告していた通り、領主が教会についてそう多くの情報を持っていなかったためだ。だが、少ないながら有益な情報もあった。
 ……これらの情報を持って一度アルバーニ様と合流したら、オルベルに向かおう。
 今回の次元獣襲来とその後に捕まえたネズミの話から、俺たちの動向が教祖らデラ一味に筒抜けになっていることが分かった。そして周到な彼らのこと、子飼いのネズミは当然あの一匹だけではないだろう。
 そうなれば、今後俺たちが行く先々では次元獣襲来のリスクが発生する。
 情報はもう十分に集まった。これ以上、リスクを犯して旅を続ける意味はない。
 俺は両親の仇……デラを討つ――!
 ――パシャッ!
「っ!?」
 俺が脳内に今後の道程を描き、決意を新たにしていたら、突然顔面に飛沫が浴びせかけられた。
 手の甲で乱暴に目元を拭って目を開くと、チナが俺に両手のひらを向けてニンマリと笑っていた。
「ふふふっ、ボーっとしてるからよ!」
 ほーう。理由はどうあれ、無抵抗の人間に湯を浴びせかけるとはいい度胸だ。
「やったなチナ!? よし、お返しだ!」
 俺も手のひらでお湯を掬い上げ、チナに向かって浴びせる。
 水礫は陽光に反射して、キラキラと眩しいほどに輝いた。
「きゃーっ!」
「うわぁっ!? セイさん、こっちにまでかかって……って、もーう! こうなったら、僕だって負けないぞ!」
 盛大に巻き上げた水しぶきがチナの隣にいたマーリンにもかかってしまったようで、それがマーリンのスイッチを入れてしまった。
「おい、マーリン。お前はつい先日まで病人だったんだ、ほどほどにしておけ」
「病人って誰のこと? 僕はセリシアお姉ちゃんのおかげですっかり元気さ! ……みんな、セイさんに集中放水だ!」
「まぁ、面白そう!」
「微力ながら、私も加勢しますわ!」
 なぜか、マーリンの言葉にアルテミアやセリシアまでが賛同した。
「待て!? 四対一はおかし……っ」
「「「「そーれっ!!!!」」」」
 ――バッシャァアアアアッッ。
「っ、うぷっ!!」
 四人から一斉に湯を浴びせられ、一歩後ろにたたらを踏む。
「お前たち、やったな!?」
「きゃーっ!」
「わあぁっ!!」
 午前中から入り始めていたというのに、賑やかな俺たちの声は太陽が一番高いところを過ぎてもまだ、やむ気配がなかった。

 夕刻前。
 風呂を上がって旅支度を整え直した俺たちは、屋敷玄関で再び領主夫妻とマーリンの見送りを受けていた。
「どうか道中、お気をつけて」
 領主から深々としたお辞儀と共に丁寧な別れの言葉をもらう。
 見送りの光景だけを取って見れば、今朝と同じ。ただし、俺たちを送る夫妻の目には敬服と深い信頼が滲み、今朝とはまるで別人のようだった。
「あぁ、世話になったな」
「セリシアお姉ちゃん、次元獣の襲来を嬉しいなんて言ったらバチがあたっちゃうかもしれないけど、僕は約束が叶って嬉しかった。お姉ちゃんと一緒に温泉に入れて、すっごく楽しかった!」
「ええ。私もとっても楽しかったわ。ありがとう、マーリン様」
 両親の間からひょっこりと顔を出したマーリンが告げれば、セリシアも笑顔で答えた。
「それからアルテミア姉様」
「……ふふ、なんだか『姉様』だなんて呼ばれるとくすぐったいわ」
 監視塔で過ごしていたアルテミアは、実の姉弟でありながら、ほとんどマーリンとの交流がなかったのだという。
「これまでカエサル兄様から、塔で暮らす姉様のことはよく聞いてた。でも、本当はちゃんと会って話がしたかったよ。これでやっと姉様と屋敷で一緒に暮らせると思ったら、セイさんたちと一緒に行くんだって聞いて、本音を言うと寂しいんだ。……だけど、これが別れじゃないんだよね? またウェール領に、この屋敷に帰ってくるんだよね?」
「ええ。今はセイさんたちと行くわ。重力制御の能力をもっともっと磨いて、セイさんの役に立ちたいの。でも、全部終わったら帰ってくる。だってここが、私の家だもの!」
「うん! 僕、待ってるよ!」
 アルテミアとマーリンは固く抱き合い、その後ろでは領主夫妻が人目を憚らず号泣していた。
「こんな光景が見られようとは……。セイ様、チナツ様、セリシア様、全てあなた方のおかげだ。俺からも、心から感謝申し上げます」
「お前までやめてくれ」
 腰を直角に折って頭を下げるカエサルに苦笑しつつ、その背をポンポンと叩いて顔を上げさせる。
「そう言えばカエサル、風呂でマーリンが面白いことを言っていたぞ。彼は初めて入った温泉にいたく感動したようで、この感動を広く国中の人々にも伝えていきたいそうだ」
「え?」
 俺が耳元で囁けば、カエサルは意図が掴めぬ様子で小さく首を傾げた。
「国中の源泉湧出位置を調べ、各地で温泉リゾートの開発をするのだと張り切っていた。……そうなると、領主としてこの地に留まることは難しいかもしれんな」
 カエサルは呆気に取られたみたいに、俺とマーリンを交互に見つめていた。
「なに、領主夫妻はまだまだ元気だ。将来のことは、急がずゆっくり決めたらいい。それに、今後は領主夫妻も腰を据え、じっくり話し合うことができるだろうからな」
「……そうですね」
 カエサルは俺の言葉に少しの間を置いて、重く頷いた。
 そうして俺から視線を外すと、カエサルはアルテミアに向かってトンッと一歩踏み出した。
「アルテミア、セイ様たちが一緒だから道中の心配はしていない。だが、お前は塔の中での生活しか知らん。雨風や寒暖の差に十分注意して、くれぐれも健康には留意をするんだぞ」
「ええ、分かったわ。ありがとう、兄様」
 アルテミアはカエサルの忠告に笑顔で答え、固く握手を交わす。
「アルテミア、無事に帰ってくるのを待っている」
「どうか気を付けて。……なにを今さらと思うでしょう。ですがこの地から、あなたの無事を心から祈っています」
「姉様、いってらっしゃい!」
「ありがとう。お父様、お母様、マーリン。みんな、いってきます!」
 アルテミアは他の家族とも順番に別れの握手を交わすと、高らかに手を振りながら屋敷に背中を向けた。
 領主一家にとってここは新たなスタートになるのだろう。そして俺たちも、ここから新しいフェーズに進む。
 それぞれの思いを胸に、俺たちはウェール領を後にした――。