心地よい陽光を受けながら、潤沢な水と豊かな自然に恵まれたヴィルファイド王国の山間の道を進む。
 三百六十度どこを見回しても豊かな自然が悠々と広がる大地は牧歌的で、アスファルトのジャングルの中で人波を掻き分けながら忙しなく過ごしていた前世とは文字通り別世界だ。
 前世の俺は、朝は始発電車を乗り継いで出勤し、帰りは終電がなくなればタクシーで帰宅する生活だった。たまの休みとなれば、日がな一日部屋に篭って好きなプラモデルやアニメに噛り付いて過ごしてた。まさか来世の自分がこんなふうに各地を歩いて旅をしながら暮らしていようとは、夢にだって思わない。
 眩しい太陽を見上げ、日の高い時間は家屋に篭もりきりで蛍光灯の明かりしか知らない前世の自分を少しの寂寥感と共に懐古した。
「昔の俺が今の生活を知ったらきっと驚くな」
 苦笑交じりにこぼし、踏み出す足に力を込めた。
 俺は、"セイス"のセイ。先日十五歳の誕生日を迎えたのを機に、祖父母の制止を振り切って故郷の村を出てきた。もっとも、前世で二十五まで生きた記憶があるから、この世界での十五年と合算すれば精神年齢は四十歳にもなってしまうのだが……まぁ、これについてはあまり深く考えないことにしている。
 同居する祖父母にも前世の記憶のことは明かしていなかったから、ここまでずっと実年齢に相応しい言動に苦心する毎日だった。
 ちなみにセイスというのは、六属性の魔力を持って生まれてきた者を指す。
 前世でアニメやゲームに親しんでいた俺は、自分がセイスであると知った当初、六属性も魔力が使えてラッキーだと喜んだ。ところが、周囲の反応は違っていた。
 ここ魔法世界エトワールでは、――火・水・風・土・光・闇――の中から三つの属性を持って生まれてくる"トレス"と呼ばれる人々が全体のおよそ95%を占める。
 トレスの上には二属性を持って生まれてきた"ドス"と呼ばれる人々と、一属性のみを持って生まれてきた"ウノ"と呼ばれる人々が存在する。この世界では属性数が多いほど魔力が弱まるという特性があり、一属性のウノがヒエラルキーの最上位に君臨する。
 こんな世界で、俺はどんな因果か世にも稀な六属性持ちのセイスとして生まれついた。セイスの俺が最弱……。突きつけられたこの事実に、幼い俺は落胆した。
「まったく。どうせなら、ウノの勇者にでも転生させてくれればいいものを」
 転生後の俺を取り巻く現実は、なかなかに世知辛い。
 誰にともなく不平を独り言ち、ヤレヤレとため息をついてしまうのも仕方ないだろう。
 そうして真上にあった太陽が西に沈もうかという時分、俺はついに目的の中核都市エフェソスに辿り着いた。
「……ギルドはあそこだな」
 盾と槍の刻印が刻まれた看板は、すぐに見つけることができた。この看板は世界共通で、ギルドを示している。
 緊張にゴクリとひとつ喉を鳴らし、扉の引手に手を掛ける。
「ごめんください」
 重い扉を引き開けて、中を見回す。壁には求人票や次元獣の素材の取り引き価格、最新鋭の武具の案内など各種案内がところ狭しと張り出されている。そうして室内奥には用件ごとにカウンターが設置され、どの列にも人々が列をなす。
 ギルドの中は、俺が想像していた以上に盛況していた。
 ……ほぅ、ギルドにはこんなに人が集まってくるのか。
 祖父と暮らしていた故郷の村にギルドはなく、俺がギルドに足を踏み入れたのはこれが初めてだった。
「坊主、邪魔だ。扉を塞いでつっ立ってんじゃねえぜ」
 後ろからドンッと肩を押しやられ、一歩前にたたらを踏む。
「すみません」
 謝罪を口にしながら慌てて振り返ると、一般的な冒険者らが装備する物よりひと目で高価と分かる鎧と剣を身に着けた長身の男が俺を見下ろしていた。短く整えた茶色の髪に鮮やかな青い目が特徴的で、いかにも女好きしそうな雰囲気だ。
 実際、男の両腕には防御面で首を捻りたくなる露出過多の恰好をした二人の女性冒険者がしな垂れかかり、誇らしげにその腰を抱いていた。さらに後ろには随行の冒険者と思しきひょろりと痩せた男と、ずんぐりとした小太りの男がいた。
 四人の装備は決して粗末ではないが、長身の男のそれよりは質が劣る。どうやら男は、五人組のパーティのリーダー……勇者のようだ。
「ハッ、田舎坊主が……ん!? お前、セイスか!」
 俺の左手の甲に浮かぶセイスの印を認めるや、勇者は吐き捨てるように叫んだ。
 反射的にビクリと肩が跳ねる。唇を引き結び、今さらだが勇者の目から隠すように左手を体の後ろに回した。
 ヴィルファイド王国に生まれた全ての国民は、生後7日以内にエトワールの儀と呼ばれる儀式に臨む。子が健やかに成長できるよう神父から祝福を授かるのだが、同時にこの時何属性を持つのかを示す印が左手の甲に浮き上がるのだ。
 属性の数でその子の将来が決まると言っても過言ではないこの世界。エトワールの儀で俺がセイスと知った時、両親はなにを思ったのだろう……。ふいに、そんなことが脳裏を過ぎった。
「セイスがこんなところでなにをしている?」
 勇者が低く尋ねた。
「仕事を探しに」
 無視もできずに正直に答えれば、勇者の顔がニヤリと歪む。
「おいおい、便所浚いの求人はここにはないぜ? クソの役にも立たないセイスが」
「やだ、アレックったら。いくらセイスだからって、そんな言い方は悪いわ」
「そうよ。セイスだって靴磨きや飯炊きくらいできるわよ。ねぇ? 坊や?」
 クスクスと笑いながら形ばっかり勇者を窘めてみせる女たちは、果たして本当に俺を擁護しようとしているのか疑問だ。勇者の後ろにいる、ひょろりとずんぐりの男二人も互いに顔を見合わせて、ニヤニヤと笑っていた。
 明らかに面々は、セイスの俺がギルドにいる状況を面白がっていた。
「おいおい、アレック。またお前は、そうやって弱き者を揶揄って……」
 その時、パーティと顔見知りらしいギルドのスタッフが、苦笑を浮かべながら俺たちの間に割って入った。
 俺は勇者の嘲笑より、スタッフが口にした『弱き者』のひと言に、大きな衝撃を受けていた。
 ……セイスというのは、ここまで蔑まれる存在なのか。
 村でもたまに、同年の子供たちからセイスと揶揄われたことはあった。だが、村中が顔馴染みの中で、こんなふうに直接的に貶める発言をする大人はいなかった。
「だがな坊や、アレックの言うこともなまじ間違っちゃいない。ここは次元獣を相手にする冒険者が集う場所だ。ここで取り扱う求人も全て冒険者に向けたものだ。悪いが、坊やの仕事はここにはない」
「……でも、冒険者のパーティだって、あのお姉さんの言うところの靴磨きや飯炊きは必要ですよね?」
「なんだって?」
 どうやら俺は、自分が考えていた以上に祖父や村のみんなに守られていたらしい。村を出たことではじめて、俺は自分がどんなに恵まれた環境にいたのかを思い知っていた。
「俺の祖父は、武具や装備の製作や修繕を仕事にしていたんです。祖父には及ばないけど、武具や装備の手入れには自信があります。食事もあり物の材料でなんだって作ります」
「はははっ、面白い坊やだ。たしかに大規模なパーティになると、お前の言うように下働きを連れているところもあるな。とはいえ、その下働きにセイスを使っているパーティは稀だろうがな。……だが坊主、なんだってそんなにパーティへの同行に拘るんだ? 祖父の仕事を手伝っていた方が穏やかに日々を過ごせるだろうに」
「次元獣に殺された両親の仇が取りたいんです」
「仇? ……両親は次元獣にやられたか?」
 俺の言葉にスタッフの表情が引き締まる。
「俺はセイスで魔力はてんで弱いから、直接次元獣を倒すことはできないけど、次元獣を倒す勇者たちを後方から支援することはできます。パーティに所属して、ほんの少しでも次元獣被害に苦しむ人たちのために働きたいんです」
「……ほう、なかなか気骨のある坊やだ。よし、いいだろう。そこまで決意が固いなら、俺が求職願いを貼りだしてやろう」
「本当ですか!?」
「おいおい、喜ぶのはまだ早い。セイスのお前さんを雇いたいパーティが名乗り出るかは別問題だ」
 喜びの声をあげる俺に、スタッフは呆れたように言う。しかし、その声が少しだけ好意的になったように感じるのは、俺の気のせいではないだろう。
「おい、坊主。俺たちが雇ってやってもいいぜ?」
 横から件の勇者・アレックが唐突に告げる。
「……え?」
「ちょっとアレック、あなた本気で言ってるの?」
 女性冒険者の問いかけは、俺が内心で抱いた疑問と同じだった。
「ああ、本気だぜ。ただし、俺の靴を舐めて磨いてみせたらな」
 期待と不安が入り混じった目で見上げる俺に、アレックが酷薄な笑みで言い放つ。
「靴磨きは得意だろう? なぁ、坊主?」
 腕組みし、高笑いするアレックに、周囲がシンッと静まり返る。
 ……ゲスな野郎だ。
 悪趣味な発言に同調して笑う者もあったが、ギルドにひしめく大多数は眉を顰めた。それを見るに、アレックのような奴が冒険者の全てではないのだと知れる。
 冒険者の多くは、民の暮らしを守るため、高い志を持って次元獣と戦っているのだ。
 ほんの一瞬、こんな低俗なパーティに所属することに意義はあるのかと考えた。けれど、アレックが胸につけたプラチナのエンブレムを見て、決意は固まった。
 こんな奴だが、冒険者としては最上位の勇者……。こいつの腕は確かだ。
 俺の目的は、一体でも多く次元獣を倒すこと――。
「アレック様と言いましたね。約束ですよ?」
 俺は満面の笑みで言うと、アレックの足元に屈みこむ。
 こんなのは屁でもない。むしろ、渡りに船とばかりに俺は要求に従った。
 ピチャピチャと靴を舐める俺に、ギルド中の視線が注がれていた。
「コイツ、マジかよ……」
 アレックの上擦った声を聞く。
 若輩のこいつには、死んでもわからないだろう。しかし、プライドで飯は食えない。
 同様に、事を成し遂げるのに、つまらないプライドなど邪魔なだけだ。
 ……さて、こんなものか。
 靴の表面に余さず舌を這わせ、顔を上げる。
「俺をパーティに入れていただけますね?」
「あ? ……あぁ」
 問いかける俺に、なぜかアレックは及び腰で首を縦に振った。
「セイといいます。これからよろしくお願いします」
 スックと立ち上がり、パーティの面々に頭を下げる。
「……えー、マジでぇ」
「うっそ~、信じらんない」
「……でもさ、これでオイラたち、アレック様にあれやこれやと文句を言われながらの飯づくりから解放されるんじゃないか?」
「うん。アレック様は飯には殊更煩かったから、これで俺たちも随分楽になるな。それにアレック様の八つ当たりの矛先も今後は全部アイツに向くぞ」
 俺の同行決定に女性冒険者二人はただただ驚き、ひょろりとずんぐりの二人はコソコソと言葉を交わした後で、概ね好意的に俺を迎え入れた。
 こうして俺は当初の目的通りパーティの一員(ただし、下働き)となって、次元獣退治の旅に繰り出すことになった。

 アレックのパーティに同行して、一週間が経った。
 元々こき使われるだろうとは想像していたが、やはりここでの扱いは散々なものだった。
 セイスの事実を馬鹿にされ、明らかに無理な作業量を言いつけられた。しかも、その荷運びの最中に足を掛けられたり、やっと洗濯に終わりが見え始めれば水をかけられたりするのが、すっかりここでの日常になっていた。
 嫌がらせのオンパレードに腸が煮えくり返りそうになるが、グッと堪えてみせるのは次元獣を一体でも多く討ちたいがため。この一心が、俺をこの場にとどめていた。
「おい! まだ飯が出来ていないのか!? 今まで何をしていたんだ!」
 今もアレックは外向きの用事から戻ってくるや、俺の背中に向かって声を荒らげた。『何をしていた』もなにも、俺はこうしてアレックに言いつけられた作業をしているのだが。
「このセイスのクズが!!」
 さらに今日は、特に虫の居所が悪いようだ。もしかすると、出先で他のパーティとひと悶着あったのかもしれん。この一週間で知ったのだが、このアレックは行った先々で他のパーティといざこざを起こすのだ。
 ……ふむ、こうやって他とトラブルを起こしては不機嫌に喚き散らすところは、やはり瓜二つだな。
 実はこのアレック、見れば見るほど前世で俺の上司だった部長にそっくりなのだ。創業者一族出身の部長は若くして役職付きとなったが、権力を笠に着て実力もないのに横暴な振る舞いばかり。なにか気に入らないことがあれば、こうやって瞬間湯沸かし器のように顔を真っ赤にして部下に怒鳴り散らしていた。
 同じくアレックもこの国で多大な権力と発言力を持つ風の筆頭侯爵の息子で、奴自身も風属性のウノだ。しかし、奴の能力はウノの中ではかなり劣る。
 俺はこの一週間旅に同行してみて、アレックがそれを高価な装備や武具で補い、かつ、大型次元獣の討伐は意図的に避けていることを知った。
 ……はぁ。たしかに、小型や中型の討伐で数を稼げばランクは上がるが、いかんせんやり方がセコい。
「アレック様の装備を磨いていました。もう、じきに終わりますので、すぐに食事の支度を――」
「使えねえセイスの分際で俺に口答えするんじゃねえ!!」
 俺が言い終わるよりも前、憤慨したアレックが叫びながら足を振り上げる。
 ――ガシャーッン!
「っ、グッ!」
 アレックにしたたかに脇腹を蹴られて倒れ込む。倒れた先は、不幸にも磨き終えて積み上げてあった装備の上だった。
 ……このクソガキが!! これだけの量を磨くのに、いったいどれだけ時間がかかったと思っている!?
 蹴られた痛みもさることながら、ガラガラと音を立てて土の上に落ちていく装備を横目に見て、ふつふつと怒りが込み上げる。 
 ……いや、冷静になれ。
 ここで言い返すことに意味はない。
「申し訳ありません。自分はこの後、装備の磨き直しと夕食の支度、どちらを先にすればよろしいですか?」
 俺は自分自身に言い聞かせ、喉元まで出かかった悪態を呑み込むと、平静を装って今後の作業順序について問う。
「っ、飯はお前が作れ!」
 淡々とした態度の俺に、アレックは真っ赤な顔で叫ぶ。
 ギルドでパーティへの同行を決めた時、ひょろりとずんぐりの二人がコソコソと話していた通り、アレックは飯の味に煩い。そしてなんだかんだ言いながら、あの二人が作った物よりも俺の料理を気に入っているらしかった。
 まったくもって、やれやれである。
「承知しました」
「チッ!! この出来損ないのセイスが! ……ハッ、お前の両親が死んだのも当然だな!」
「それはどういう意味ですか?」
 アレックの捨て台詞の中に出てきた両親の名に、気付いた時には声が出てしまっていた。
「そんなのも分からないとは、やはりお前はクズだ」
 アレックがピタリと足を止め、俺を振り返る。ふたりの目線がぶつかった。
 奴の口もとがニンマリと弧を描き、目が蛇のように細くなる。
 ぞわりと身の毛が逆立つような、厭らしい笑みだった。俺は奴の薄い唇が開かれるのをスローモーションみたいに見つめていた。
「セイスのお前なんかをこの世に生み出したから、バチがあたって死んだに決まってんだろうが」
 耳にした瞬間、目の前が怒りで真っ赤に染まる。脳内には、キーンという反響音が響いていた。
「……ふざけるな」
 口内で呟き、両の拳を握りしめる。噛みしめた奥歯は、ギリギリと軋みをあげた。
「なんだぁ、聞こえねえなぁ? セイスのクズがなんか言ってるぜ」
 俺自身への侮辱や嫌がらせはいくらだって耐えられた。だが、我慢はもう限界だった。
「お前に――」
 ――ドドーッン! ガラガラガラ!
「うわぁああ!」
「きゃああ!」
 両親を侮辱され耐えかねた俺が口を開くのと同時に、なにかが壊れ、崩れるような大きな音と悲鳴が周囲に響き渡る。
 なんだ!? 音のあがった方向を見ると、立ち上る土煙の奥に禍々しい光を放つ黒い巨体が咆哮をあげていた。
 あの黒い巨体は……次元獣だ!!
 次元獣を認め、緊張が走り抜ける。
「勇者様!! お助けください!」
 その時、俺たちの元に初老の男が慌てた様子で駆け込んできた。
 俺とアレック、近くにいたパーティのメンバーも一斉に男に視線を向けた。
「見ての通り次元獣が現れて……、私はこの町の町長をしております。礼金は言い値で用意をさせていただきます! どうか町を次元獣から助けてください!」
「だ、だが……」
 町長は必死の形相で助けを求めるが、対するアレックの歯切れは悪い。
 その間も、次元獣は恐ろしげな咆哮と共に尾っぽを振り回す。尾っぽのひと振りで二階建ての屋敷が粉砕し、ガラガラと崩れ落ちていくのがここからも見て取れた。
「っ、勇者様! これ以上次元獣に踏み荒らされては町がひとたまりもありません! どうかお助けを……!」
 なんてことだ! 尾っぽのひと振りで二階建ての住居を粉々にしてしまうとは……!
 大きさもさることながら尋常ではない威力だ。もはや一刻の猶予もない!
 俺は慌ててアレック以下、面々の装備を準備するべく踏み出した。ところが、肝心のアレックはまったく動こうとしない。
「アレック様!? 次元獣を倒しに行かないのですか? 早く行かねば被害が拡大してしまいます!」
 先ほどの怒りは一旦脇に置き、アレックに発破をかける。
「勇者様、どうかお早く! 町が壊滅させられてしまいます!」
「……助けてやりたいのはやまやまだが、俺たちは次の街で外せない約束がある」
 俺と町長が急かすと、アレックはバツが悪そうに視線を横に逸らし、早口に告げた。
「え!? そんな約束……いえ、今はどんな用事よりも次元獣討伐を優先すべきです! 事は人命に関わります!」
 そんな約束があるなど、俺はひと言も聞いていなかった。
 ともあれ、この状況下でなにより優先すべきは、次元獣を一刻も早く倒し、町の被害を最小限に抑えること。それこそが冒険者たるものの使命だ。
「アレック様、こちらを!」
 俺は渋るアレックに向かって愛用の武器・真空の剣を掴み上げて突き出した。俺はこの一週間、アレックたちがいつ次元獣と出くわしても最高の状態で戦えるように、祖父から引き継いだ技で精魂込めて武具の手入れをしてきた。
 この剣も、俺がパーティに来た一週間前には刃こぼれができて、お世辞にもいい状態ではなかった。それが今は、連日の手入れによって輝きを取り戻している。
 これなら次元獣との戦闘でも、最大限の力を発揮できるはずだ。
「……煩い! 二度言わせるな! 其方らの町など知ったことか!」
 なっ!? あろうことか、アレックは剣を差し出す俺の腕ごと振り払い、町長にも背中を向けてしまう。
「ゆ、勇者様……!?」
「アレック! 彼らを見捨てるのか!? 次の約束などないではないか! これだけの装備と武具を備えていれば、大型次元獣にも打ち勝つことは可能だ! 砦となるべき勇者が逃げてしまっては、町民はどうしたらいいのだ!?」
 追い縋って声を張れば、アレックが憎々しげに俺を睨みつける。その表情は憤怒に歪み、唇は怒りに戦慄いていた。
「ふざけるなこのクソが!! セイスのお前が俺を呼び捨てにするとは、どういうつもりだ!?」
「ッ、グァッッ!!」
 アレックが拳を突き出し、俺の顔面に直撃する。俺は力を殺せぬまま、後ろに吹っ飛んだ。
 後ろの支柱にしたたかに頭をぶつけ、意識が飛びかける。そうこうしている内にも、アレックは容赦なく俺に馬乗りになって、上から力任せに拳を振り下ろす。
「セイスのお前を引き入れてやった恩を踏みにじりやがって! 俺を誰だと思っている!?」
「ゥ、グァッ!!」
「風の筆頭侯爵が子息、アレック・ヴェルビント様だぞ!」
「ァガッ!!」
 口の中が切れ、むわっと漂う鉄臭い匂いに噎せそうになった。
「気に食わねえんだよ! セイスのくせにいつもいつも、偉そうに口答えしやがって!!」
 殴られ過ぎて意識がもうろうとしてくる。
 なにかに取り付かれたように俺を殴り続けるアレックを、なす術なくぼんやりと見つめる。常軌を逸したその姿から、勇者の面影は欠片も見つけ出せなかった。
 ……あぁ、こいつは既に勇者ですらない。期待するだけ、無駄なのだ。
 さっきは一瞬だけ『しまった、言い過ぎたか』とも思ったが、どんなに俺が説得したところで、このプライドが高いだけの臆病者が大型次元獣の元に向かうことはないと諦めもついた。
 アレックは気が済むだけ殴った後、血で汚れ、顔中が腫れあがった俺から退いた。
「お前は追放だ!!」
 アレックは最後に俺の腹を蹴り飛ばすと、悪鬼のような形相で地団太を踏み、ツバを散らしながらまくし立てた。
 あんなに入りたかったはずの冒険者のパーティ。しかしパーティから追放を言い渡されても、俺に後悔や未練といった感情は皆無だった。
 ……こんなパーティは、俺の方から願い下げだ。
「セイスのクズが二度と俺に顔を見せるな! ……お前たち、さっさと支度をしろ! 次の街に向かう!」
 アレックは俺に吐き捨てると、俺以外の面々に指示をする。
「ちょっと、アレック~」
「あんっ。アレックったら、待って!」
「わわわっ、荷物がまだ……」
「お、おい。そっちは俺が持つ。お前はあっちのを持ってくれ」
 パーティのメンバーは俺と町長をその場に残し、取る物もとりあえず慌ただしくアレックの後に続いた。
 ……今はアレックの生家も権勢を揮い、奴自身プラチナのエンブレムを誇らしげに掲げている。しかし、真の実力が伴わぬ勇者の末路など知れている。
「君! 大丈夫かね!?」
「……っ、はい。俺なら平気です」
 俺に駆け寄り、心配そうに尋ねてくる町長に、なんとか答えを返す。
「そうか。情けない勇者もいたものだ。しかし、このままでは町が……。あぁ、どうしたらいいんだ」
「町長! たぶんこの近くに別の勇者のパーティがいると思う!」
 俺は痛みを堪えて起き上がると、力なく項垂れる町長の肩を叩いて告げた。
 おそらく、近くにアレックが悶着を起こしたであろう、別の勇者のパーティがいるはずだ……!
「そうなのか!?」
「俺、探してくるよ!」
 言うが早いか、俺は一目散に駆け出した。勇者らを探して飛び出した直後、俺は幸運にもそのパーティと行き合うこちができた。
 俺は彼らに事情を説明して助けを求めた。話を聞いた勇者らは一も二もなく頷いて町長の先導で町へと駆けていく。
 後に続こうとする俺に、そのパーティの勇者は「君は来るな! セイスの君が来ても足手まといにしかならん!」と言い放った。
 真っ当すぎる発言に、俺は返す言葉もなく足を止め、ひとりその場にとどまった。
「……俺は無力だな」
 ポツリと零した独り言は聞く者なく、広い空に溶けた。
 同時に、俺は理解していた。
 俺はずっと次元獣を倒すため、パーティへの所属にこだわってきた。しかし、力量が伴わぬのに無理矢理パーティに所属することに意味はないのだ。
 結局、俺は故郷の村に戻った。道中、風の噂で勇者の活躍によって町がギリギリで壊滅を免れたことを知った。
 その事実は、俺の心をほんの少し明るくした。