ガレージのゲートが見つかったのは、異世界から帰って割とすぐだった。小笠原から相談したいことがあると言われて、それなら良いところがある、と俺はガレージを案内したことがきっかけだった。
「何ここ?」
「家の倉庫だ。誰も来ないし、ちょうど良くごちゃっとしているから、心が落ち着く」
「いや暗い……普通、こう何かカフェとか……」
はあと大きくため息をついた小笠原は「まあ良いや」と自分の悩み事について話をし始めた。
「見てよ、これ」
手近にあったピッケルを手に取ると、小笠原はぐにゃりとそれを曲げてしまった。
「おお……」
「帰って来てから、ずっとこれなの。教室の扉も三回くらい破壊しちゃうし、校門もつまずいて曲げちゃったし」
「あれ小笠原だったのか……」
何者かが校門を破壊したと話題になってたやつだ。
ピッケルを元の形に戻すと、小笠原は大きなため息をついた。
「何とかならないかな。ふとした隙に力を出しちゃうんだよね。体育の測定とか怖くてできなかった」
「危うくすると、誰かの首をぽきっと……」
「洒落にならない」
ぶるぶるっと肩を震わせて、小笠原は頭を抱えた。
「どうにか制御できないかなあ。遅刻しそうな時、家から学校まで飛んでいけるのは便利なんだけど」
「それ、やったのか?」
「やったけど。一回だけだよ。一回だけ。誰にも見られてない……はず」
クラスメイトの一人が「空を飛ぶ女子高生を見た」と言って体調不良を訴えて帰ったことがあった。あれは本当だったらしい。
「四谷は何かないの。スキル、まだ残ってるんでしょ」
「あるぞ。裁縫スキルもまだ使える。この前もマフラー作った」
カバンの中から毛糸のマフラーを取り出す。型紙さえあれば、大体のものは再現できる。ミシンを使っても良いが、やはり手編みがやりやすかった。
作ったマフラーを、小笠原は羨ましそうに見てきた。
「良いなー。私もそう言うのが良かった」
「何でも作れるから、手応えがないのが残念だけど。量産はできる。いるか、このマフラー?」
「え? くれるの」
「もちろん。こんなもので良かったら」
「あ……ありがと……」
マフラーを首に巻くと、小笠原はボソリと小さな声で言った。
「……ちょうど新しいマフラー欲しかったところなんだ」
「そんなに気にしなくても良い。部活の後輩にも作ってやったからな」
「あ。へー……後輩とかいるんだ。意外」
「うん。明方奏って知らないか? 一年の女子なんだが」
「ん? は?」
「どうした?」
「後輩。女の子なの?」
「そうだけど」
登山部は俺と明方奏の二人だけのクラブだった。活動しているかどうか外からでは分からないし、活動内容もよくわからないので、そもそも存在すら知らない人の方が多い。
明方奏はそんなクラブに入ってくれた、貴徳な人間の一人だった。
「後輩って言っても部活の時にしか合わないからな。たまにテントに来ては、本だけ読んで帰っていくし。登山の時も二言くらいしか喋らないし」
「へー……あー……そー……」
首に巻かれたマフラーが引きちぎられそうなくらい引っ張られている。しまった。地雷を踏んでしまった。小笠原はイライラしたように、足をグリグリ動かしていた。
「二人で登山して、昼休みも一緒に過ごしてるんだねー……」
ぼそぼそと何か言っている。小笠原の足元で、コンクリートの地面がパキパキと音を立てて剥がれていた。
命の危険を感じるのと同時に、俺は異変に気がついた。小笠原の足元で何かが動いている。
「小笠原」
「何よ」
「下になんか黒いものが」
パッと小笠原が足をずらす。すると、忘れようもないあのぐるぐる渦巻が出現していた。
「これって……」
「ゲートだな」
「嘘でしょ……」
試しにゲートを小笠原の手で広げてもらって入ってみると、メリイの家に到着した。しかもこのゲートは双方向になっているらしく、俺たちは好きな時に出入りできるようになった。
「二つの世界の境目が脆くなっているのかもしれませんね」
「それを小笠原が壊したってことか。すごいなあ……」
理屈は良く分からないけれど、とりあえず再会できた喜びで、その日はぴょんぴょんと跳ねて喜んだ。
ここでの五日間は、大体現実世界での二日に相当する。俺と小笠原は休日や放課後に異世界を訪れて、メリイと遊んだり、昼寝をしたり、パンツ作りに勤しんだりすることにした。
「四谷さま! お帰りなさいましっ!」
今日もおしっこ茶の収穫を終えて、小屋に戻ると、待ち構えていたようにソプラノが訪ねてきた。
「ソプラノは寂しくしておりましたっ! 今回はどれくらいいらっしゃるんですか!?」
「明後日から学校あるから、三日くらいかな」
「そうですの! 実は明日バナナ町にサーカスが来るんですの……それで……良かったらわたくしと……」
チケットをぴらぴらと見せびらかせて、ソプラノは言った。割と有名なサーカスらしい。楽しそうだ。
「良いな。行ってみたいなあ」
「ありがとうございますですわっ。じゃあ二人は留守番頼みますわね」
「え? 私たちは行けないの?」
「小笠原さまは忙しそうですもの。さっきからペンを走らせていらっしゃいますし。何してるんですの?」
「これはねえ。数学の課題」
「スウガク……」
「ここだと時間がたくさんあるし。めっちゃ捗る」
こっちの世界の方が時間の進みが遅いのを利用して、小笠原は数学の課題をやっていた。
そんなことをしなくても、その怪力を利用すれば、勉強する必要もなくなるんじゃないかと、と言うと小笠原は首を横にふった。
「やだよ。びっくり人間扱いされるじゃん」
そこら辺の分別はあるらしい。小笠原はペンを置くとぐっと身体を伸ばした。
「ねえねえ。私もサーカス行きたいんだけど」
「メリイも行きます!」
「ふ、二人ともですか……?」
「だめ? ホストマキア家の人脈があればチケット買えるんでしょう。お願い」
「しかし、かなりの大金が必要なのですわ……」
「私たちがパンツを売って稼いだお金があるでしょ」
そう言うと、ソプラノは何も言い返せなくなったようで、恨みがましく独り言を言っていた。
「む……ううう……せっかく二人で行けると思いましたのに……こうなったら朝ごはんにお腹が痛くなる薬を仕込んで……」
「全部聞こえてるわよ。明日は私が作るわ」
「ううう」
涙を流しながら、ソプラノはぴょこんとソファの隣に寄ってきた。腕の方にすりすりすると、ソプラノは思い出したように声をあげた。
「そうだ! 大事なことがありましたわ! 四谷さま! 実は完成しましたの!」
「完成?」
「はい。こっちですわ!」
ソプラノに連れられて、裏の方へと回る。小笠原も後からついて来て、そこにあった新しい建物に目を丸くしていた。
白い外壁の、メリイの小屋よりも随分と立派な建物だった。
「これ……」
「新しい家ですわ! つい先日完成しましたの!」
「4人で住めるように、ソプラノちんとセバスちんと一緒に考えて、作ったんです!」
「すごいね。これ」
「すごいでしょう。ななちんと四谷をびっくりさせようと思って、メリイは秘密にしておいたんです」
「今日はここで寝られるなあ」
家の中に入っていくと、ちゃんと4人分の寝室があった。ひとつひとつがかなり大きい。ふかふかして、現実世界のベッドよりかなり上等だった。
「最高だ……」
「ますます帰りたくなくなっちゃうね」
「ずっとここにいても良いのですわよ!」
「そうだなあ」
誘惑がすさまじい。高校卒業を待たずして、この世界で生計を立てるというのも悪くない。後はエアコンと、冷凍室と、ネット環境さえあれば言うことない。
セバスが作り置いてくれたご飯を食べて、明日のサーカスの予定を立てた。結局、みんなで行くことになった。夜中に寝室で持って来た荷物を整理していると、誰かが扉をノックした。
「四谷ぁ……」
「メリイか。どうした」
「ひとりで寝るのは怖いのです」
手には枕を持っている。ひょこひょこ近づいて来たメリイは、俺のベッドにダイブした。
「メリイは今日は四谷の隣で寝ます」
「そうするか。お漏らししないようにな。トイレ行きたくなったら言うんだぞ」
「はい!」
電気を消して、二人で毛布をかぶる。しばらくすると、誰かが寝室のドアを開けた。
「四谷さま、起きていらっしゃいますか」
「ソプラノか。どうした」
「いえ。ひとりで寂しくしていらっしゃらないかな、と思いまして……。よろしかったら、今宵は私と……」
「ひとりではないですよ。メリイがいます」
「もういたんですね……」
まあ良いですわ、と言ったソプラノはぴょんと俺の毛布に入り込んできた。
「ベッドインですわ!」
「破廉恥なことはダメですよ」
「ちょっと狭いな」
「こうやって身を寄せ合えば問題ないですわ。ああ……温かい……」
身体が近過ぎる。手の置き場所がないまま、しばらくすると誰かが寝室のドアの鍵を壊して入って来た。
「やっぱりいた」
小笠原だった。
「誰もいないと思ったら。ここにいたのね。メリイ、ソプラノ。早く自分のベッドに帰りなさい」
「嫌ですわ」
「嫌です」
「小笠原さまが帰れば良いと思いますわ。わたくしたちは今日、四谷さまの隣で寝ると決めたんですわ」
「そうです。決めたんです」
「むうう。強情な……」
そう言いながら、小笠原はすすすっとベッドに寄ってきた。
手には枕を持っていた。
「じゃ……じゃあ。私も一緒に寝るからっ!」
意を決したように、ベッドにダイブした小笠原は、メリイの横に潜り込んだ。
「これなら良いでしょ」
「な……! 四谷さま、わたくしの方に寄ってくださいまし!」
「ななちん、破廉恥なことはやめてください」
「するか! ただの見張りよ!」
「ささ……もっとこちらに」
「ソプラノ、寄り過ぎ!」
「四谷ぁ。メリイは寂しいです」
あっちとこっちに腕を引っ張られる。
狭い。と言うか落ち着かない。寝るどころではない。
「……寝袋で寝るか」
俺の異世界生活はまだ始まったばかりだ。