黒い渦巻があったのは、魔神の抜け殻の近くだった。魔神の身体がバラバラと崩れて黒い渦巻に変化している。辺りの小石がそれに吸い込まれていくが、出てくる様子はない。
ジッとその様子を見ながら小笠原は言った。
「いかにもって感じがするけど」
「するな」
「もしかすると魔神と一緒に封印されていたのかもしれませんわね」
くるくると回る渦巻に石を投げてみる。すうっと石が吸い込まれるように消えると、懐かしい風景がうっすらと浮かびあってきた。
俺の家だった。
「あ、俺の家だ」
「本当!? じゃあ、これで帰れるってことじゃん!」
「そうだな……」
これでようやく帰ることができる。
行方不明になっていると言うことは、母親や妹たちは心配しているだろう。早く帰って安心させてあげたい。
しかし果たして、こっちの世界に来ることはできるのだろうか。それは分からない。
どうするものかと頭を悩ませていると、誰かが俺の服の袖をグッと引っ張った。
「メリイ……」
俺を見上げながら、メリイはポロリと涙をこぼした。
昨日の会話を思い出す。
いなくなるのは寂しいと言われたばかりだった。
「四谷、帰るんですか」
「……それは」
「う……」
答える前に、メリイはボロボロと泣き始めてしまった。
「四谷の嘘つき! メリイのおっぱいが成長したら見てくれるって、約束したじゃないですか! それなのに……もう破るんですか!?」
何とも答えられない。メリイはやけになったように叫んだ。
「もう知りませんっ! 勝手に帰ってください! 四谷のことなんか嫌いですからっ!」
ぼんっと俺のお腹の辺りを叩くと、メリイは走って行ってしまった。部屋の扉が乱暴にしまった後で、向こうの方で泣く声が聞こえた。
「メリイ、大丈夫かな……」
小笠原が心配そうに言った。
「メリイすごい悲しそうな顔してた……あんな顔初めて……」
「そうだな……」
思えば、父親が帰ってこなくて途方に暮れていた時ですら、メリイは泣かなかった。あんなに小さいのに、すごく明るく振る舞っていた。
そのメリイを俺は泣かせてしまった。
「俺、やっぱり帰るのやめようかな」
「やめる?」
「うん。居心地も悪くないしさ。別にそこまでして帰る必要も……」
「四谷さま」
ソプラノが声をかけてきた。
「待っている人がいるのなら、わたくしは帰るべきだと思いますわ。きっと四谷さまのことを心配しています」
「ソプラノ……」
「メリイは駄々をこねているだけです。早く追いかけて、説得してくださいまし」
言いながら、そのソプラノも涙目になっていた。「ありがとう」とうなずいてメリイの後を追いかける。
「おーい。メリイー……」
暗い部屋の中でメリイの名前を呼ぶ。しばらくして、どこからかメリイが走ってきて、俺の腰の辺りに抱きついてきた。
震える頭をそっと撫でる。
「ごめんな、俺……」
「泣いてませんっ」
「メリイ」
「泣いてませんっ! メリイは強いから泣いてませんっ……!」
暗いからメリイの顔が分からない。わんわんと泣きじゃくりながら、メリイは言った。
「嫌いって言ってごめんなさいです。あんなこと言うつもりじゃなかったんですっ。でも四谷に帰って欲しくなくて……」
「俺もだよ。寂しい」
「メリイも寂しいです……! でも、やっぱり四谷は帰るべきだと思いますっ! 寂しいですけど、メリイは強いので頑張ります! 四谷も頑張って、耐えてください!」
「……うん頑張るよ。メリイ……今までありがとう」
「うわああああん……!」
部屋中に響くような大きな声で泣いて、メリイは俺のことを抱きしめた。思えば、メリイに拾われていなかったら、俺はとっくにのたれ死んでいたはずだ。
本当に感謝しなきゃいけない。
メリイが泣き止んだところで、部屋に戻るとゲートはさっきよりも小さくなっていた。小笠原が振り向いて、困ったように言った。
「ゲートがちょっと消えかかってるの」
「……じゃあ早くしないとですね。四谷、ななちん。さようならです」
「メリイ……元気でね」
「ななちんも四谷と仲良くやるんですよ。破廉恥は程々にするんです」
「ばかっ……破廉恥って……」
小笠原は顔を赤くして、サッと俺から目をそむけた。
「メリイも元気でやるのよ。ご飯ちゃんと食べてね」
「はい!」
「そろそろいくよ。メリイ、ソプラノ。今までありがとうな」
「ぐっ……ふう……四谷ざまっ……やっぱり帰らないでくださいまし……っ……」
「ソプラノちん、泣き過ぎです」
「そうよ。さっきは帰った方が良いって言ってたくせに」
「言葉では言っても……いざとなると……うううっ……」
わあああと泣いてソプラノは、小笠原に石を投げてきた。
「ちょっと何すんの!?」
「勝ち逃げされて悔しいのですわっ……! ずるいっ……四谷さまを独占できて満足ですか……っ!」
「そ、そんなことないって」
「う……うううっ……」
ちーん、と鼻をかんで、ソプラノは小笠原に言った。
「こうなったら他の女に渡してはいけませんからね……っ!」
「余計なお世話よ」
「四谷さま……わたくし……」
「ソプラノ、俺はお前のことを忘れないよ」
「はい……わたくしも」
涙をぬぐって、ソプラノは大きくうなずいた。
「四谷。そろそろ」
小笠原が俺の手を引っ張る。ゲートはさっきよりも小さくなっていた。早くしないと、なくなってしまうかもしれない。
「じゃあな、二人とも……」
覚悟を決めて足を踏み出そうとすると、二人とも手を振って俺たちのことを見ていた。
「四谷! ななちん! さようならです! 元気で!」
「さようならですわ! 愛していますわー!」
涙をグッと堪えているのが分かる。こっちも涙を堪えて、二人に手を振り返す。
「元気でな!」
ゲートに向かって足を踏み出す。すると、ぐるりと視界が一回転して宙に浮くようなかんじがした。
どすんと尻から地面に着地する。目の前にあったのは懐かしい現実世界の自宅だった。