暴走し始めた魔神はダンジョンを半壊させていた。光線を放って開けた風穴から、地上に出ようとしている。

 時間がない。

 落ちてくる岩から身をかわし、メリイから小笠原のブラジャーを受け取る。まだ温かった。

「メリイ何で、こんなもの持ってるんだ?」

「おっぱいが羨ましかったんです……ななちんは大きいから、ななちんのブラジャーを付けていれば、それに合わせて成長すると思っていました……」

「そうか、そんな理由で……」

「ごめんなさいです」

「謝らなくて良い。メリイはきっとおっぱいの大きい女の子になるよ」

「本当ですか」

 メリイがぱあっと顔を輝かせる。

「ああ、俺が保証する。成長したら見せてくれよな」

「はいっ!」

「四谷さまっ、時間がありませんっ」

「おう、そうだな」

 右手に魔導書。左手に小笠原のブラジャーを持つ。

我は楔を解くもの(アスト・アマルート)

 両手が同時に熱くなるのが分かる。連続の召喚で体力を消耗している、もうラストチャンスだ。

 これにかける。

召喚(サモン)!」

 詠唱と同時に魔導書が光り輝いた。

 バリバリと放たれた稲妻から、見覚えのある人影が飛び出してきた。間違いない。成功だ。

「小笠原さま!」

「ななちん!」

 立っていたのは消えた時と同じ姿の小笠原だった。小笠原はくるりとこっちを向くと、俺が持っているブラジャーに目を落とした。

「あっ! あー! 私のブラジャー! やっぱりあんたが持ってたんだ! 変態!」

「俺じゃ……」

「返しなさいっ!」

 パシッと俺からブラジャーを取り返すと、小笠原は魔神を見上げて目をぱちくりさせていた。

「何あれ? トパーズ? どうなってるの?」

「トパーズが魔神を呼び出した。めちゃくちゃ暴れてるから止めてくれ」

「なるほど。反抗期ね」

 そう言うと、小笠原は大きな声でトパーズに呼びかけ始めた。

「こらー! そんなこと止めて降りてきなさーい!」

「お、小笠原さん……くっ……」

 トパーズが魔導書を開く。還送魔法だ。また小笠原を送り返そうとしている。

「小笠原!」

 俺が声をかけた時には、小笠原はもう跳んでいた。トパーズが魔法を唱えるよりも早く、小笠原の右脚は魔神の腹部に直撃していた。

「グオオオオ!!」

 魔神が悲鳴を上げる。続いて左脚。恐ろしいくらいに迷いがない。魔神は吹っ飛ばされて、頭から壁にめり込んだ。

 がっくりと力を失った魔神は元の抜け殻のように、しなしなと枯れていった。

「た、助かりましたわ……」

「魔神を二撃です……」

 魔神の抜け殻がうまいこと支えになって、ダンジョンの崩壊も落ち着いたようだった。揺れが収まっている。

 俺たちのところに戻ってきた小笠原は、ぐったりとしたトパーズを肩に抱えていた。

「何か問答無用で蹴り飛ばしちゃったけど良かったのかしら」

「仕方ない緊急事態だ」

「トパーズちん、大丈夫ですか」

 ぐったりした顔のトパーズは、泣きそうな顔で頭を下げた。

「ごめんなさい。ボクは皆さんを巻き込んで……」

「謝る必要はないさ。悔しかったんだもんな」

「う……」

 トパーズはギュッと自分の拳を握った。

「うっ……うううっ」

 絞るような嗚咽(おえつ)の後で、トパーズはボロボロと泣き始めた。

 トパーズだって俺たちを傷つけたくてやったんじゃない。臆病で優しい性格だ。それをここまで追い詰めてしまったのは、元々は人間がひどいことをしたからだ。

 魔人は倒したが、これではトパーズの気持ちが浮かばれない。

「トパーズちん……」

 メリイが涙を流すトパーズの背中をさする。どうしたものかと悩んでいると、何かが空から落ちてきた。

「話は聞かせてもらった!」

 俺たちの前に着地したのは、水着スパッツ姿のミンミン師匠だった。

「お師匠!」

「久しぶりだな! ソプラノとサンダーボルト! それから、ちっこいのとちっこくないの!」

「いつになったら名前覚えてくれるんだろう。この人」

「どうしてここにいらっしゃるんですか?」

「踏破できなくて悔しかったからな! 前は壁を壊そうとしていたら、地元民に追い返されてしまったんだ!」

 ふん、と鼻息荒く、ミンミン師匠はトパーズの前に立った。

「おい少年!」

「トパーズちんはどっちもです」

「そうか! おい少年少女! 話は聞かせてもらった! 復讐だな!」

 ミンミン師匠は呆然とするトパーズに、スッと手を差し出した。

「私と来い! ムカつく奴は自分で殴った方が気持ちが良い! まずは手始めに人の殴り方を教えてやろう!」

「殴り方……」

「ムカつく奴を思いっきり殴ると! スカッとするぞ!」

 急に現れたミンミン師匠に、トパーズは困惑したような顔をしていた。ソプラノは苦笑いをして、言葉を返した。

「ミンミン師匠についていけば間違いないですわ。この人は人を殴ることに関してはプロフェッショナルですから」

「いざとなれば卑怯な手も使うぞ!」

「もっとも、それで気が晴れるかは保証できませんが」

「殴らないよりは! 殴った方が良いぞ!」

「殴った方が……」

「スカッとするぞ!」

 トパーズはその言葉にうつむくと、自分の瞳に手を置いた。大きく息を吐き出すと、俺の方に身体を向けた。

「……四谷さん。ボクは今までこの眼で色んなものを見てきました」

 涙をふきながらトパーズはポツリとこぼした。

「弱い人は強い人には勝てないんです。レベルの差は絶対で、立ち向かっても意味なんかないって思っていました」

 でも、とトパーズは今度は大きな声で言った。

「四谷さんはあんなに低レベルなのに逃げなかったんです! ボクはびっくりしました! あんなに弱い人を僕は初めて見ました……!」

「おお……そうか……そんなに低レベルか……」

「四谷さんはすごいです! あんなに弱いのに立ち向かってきた! だからボクも……もう一度頑張りたいと思います!」

 トパーズはパッと立ち上がると、ミンミン師匠の手を取った。

「ミンミン師匠、よろしくお願いします!」

「任せろ! まずは腕立て1000回だ! その後はワームテールを殴って喰うぞ!」

 トパーズを背中に背負うと、ミンミン師匠は元気良くぴょんぴょんとダンジョンから飛び上がっていった。あっという間に見えないところまで行っている。

「あんなもん食べてお腹壊さないかなあ」

「たまに様子を確認することにしますわ」

「でもトパーズちんは嬉しそうな顔をしていました」

「なあ、俺ってそんなに弱いのかな」

「さー、帰りましょうか」

「はい、そうしましょう!」

 発言がスルーされている気がする。余計に悲しくなるので、もう言わないことにした。

 ダンジョンの至るところに穴が空いているので、きっとどこかから帰れるだろう。足を踏み出そうとすると、小笠原が俺の服の裾を掴んだ。

「どうした?」

「ねえ……あれってさ」

 振り返ると小笠原は、魔神によって壊された壁に目を向けていた。指の先に何か黒いものがある。

「ひょっとしてゲートじゃない?」

 ぐるぐると回る渦巻のようなものが、宙に浮いていた。