還送魔法。
使い魔を元の世界に送り返す魔法だ。トパーズのかけた魔法によって、小笠原が現実世界に帰還してまった。
「トパーズちん! どう言うことです?」
メリイはぽかんと口を開けて言った。
「どうして、まだゲートが見つかっていないのに、ななちんを帰らせちゃったんですか!? もう呼び出せないのかもしれないんですよ!」
「何かあったんですの……? 短気なところはありますが、小笠原さまは悪い人じゃないですわ!」
「そ、そういうことじゃありません。近づかないでくださいっ。我は楔を解くもの」
今度は召喚の呪文。ぼうっと本が鈍く輝く。
「何をする気だ。トパーズ」
「ごめんなさい。小笠原さんを帰す気は最初はなかったんです。でも、これからボクがやることを知ったら、小笠原さんは絶対にあれを壊してしまう」
「あれ?」
「すぐに分かります。召喚」
トパーズは鎖で縛られた魔神の抜け殻に手を置いていた。魔導書から放たれた光が魔神に流れ込んでいる。
バキンと鎖が折れる音がした。骸骨のような瞳に赤い光が灯っている。
「トパーズちん……もしかして、魔神を復活させようとしてます?」
「はい、その通りです。ここにあるのは魔神の抜け殻です。召喚魔法によって、今ここに魂を戻しました」
「そんなことをしたらダメです! 大変なことになりますよ!」
「良いんです。これから僕は大変なことをするんですから」
トパーズはフードを脱いでボサボサの髪から、一本小さな角を見せてきた。
「ボクは魔人族です。小さい頃から薄汚くて野蛮だと言われ、奴隷として生きてきました」
暗く沈んだ声でトパーズは言った。
「だからボクは……ボクを奴隷にした奴らに復讐するんです」
「そんな……本気か」
「はい。でも安心してください。皆さんに危害は加えません。ゲート探しの邪魔をする気はありません。僕はここでお暇します。迷惑かけてすいませんでした」
トパーズは頭を下げると、復活した魔神に目を向けた。抜け殻だった大きな身体はゆっくり動き始めていた。
「それでも魔神なんか復活させたら、たくさんの人が死ぬかもしれませんわ」
「覚悟の上です」
今までになく冷たい目をしてトパーズは言った。魔神の手のひらから飛び移ると、肩のところで座り込んでしまった。
「おい。一体何がどうなってるんだ」
「メリイは分かるかもしれません。トパーズちんは魔人族なんです。魔人族は国によっては、酷い扱いを受けてきたのです」
メリイによると魔人族は特殊な能力を持って生まれてくることが多く、昔から奴隷として良いように利用されてきた。トパーズもその一人だったということだ。
「だから復讐したいってことか。どうりでさっきから様子がおかしいと思った」
「どうしますか。メリイは復讐は良くないと思います」
「よし、説得しよう」
足元からトパーズに向かって呼びかける。
「バカなことはやめて降りてこーい! そんなことをしたら、お母さんだって悲しむだろー!」
「ボクに母親はいません。ボクが生まれた時に亡くなりました」
「……お父さんはー!」
「父は人間との争いに敗れて死にました」
もう話しかけないでください、とトパーズはそっぽを向いてしまった。
「ダメだ。説得できる気がしない」
「むしろ火に油です」
「あっ。最後の鎖が破られましたわ」
バキンと鎖を外すと、自由になった魔神はウオオオオと雄叫びをあげた。鼓膜がビリビリと痺れる。
魔神の口元がきらりと光っている。大きく息を吸い込むと、魔神は思い切りその光を吐き出した。バリバリという閃光と共に、と耳をつんざくような轟音がした。
「うお……っ」
放たれた光線は部屋の壁をえぐるように破壊していた。隙間から外の青空が見える。
「なんて威力ですの!」
「これは遊びじゃ済まされないです。四谷、どうしましょう!」
「無理やりにでも止めるしかないか。メリイ、召喚魔導書は持ってるか」
「あ、はい!」
「あの魔神。送り返しちゃおう」
召喚魔法で呼び出した以上、あの魔神も還送魔法を使えば送り返せるはずだ。
トパーズには悪いが、復讐はここで終わりにさせてもらう。魔導書を持って呪文を唱える。
「還送!」
魔導書から放たれた光が、魔神の身体を包んでいく。うまくいったかに思えたが、魔神はその光を振り払うようにして消してしまった。
「あれ?」
「効きません。召喚ロックをかけているので、ボク以外の還送魔法は効かないんです」
「ずるい! そんなの初めて知った!」
「召喚魔法は魔人族に伝わる魔法なんです。このダンジョンのことも全て、故郷に残されていた文献にあったんです。動き始めた魔神はもう誰にも止められません」
動き始めた魔神は外に出ようと、壁に手をかけてバリバリと剥がしていた。部屋全体が揺れて、巨大な石が崩れて落ちてくる。
「うわわわわ」
「逃げないとまずいですわ!」
「いや、まだ策はある」
「どうするんです?」
「召喚魔法を使おう。もう一回小笠原を呼び出すんだ」
「でも、小笠原さまが出てくるとは限りませんわ」
「何もしないよりはマシだ」
もう一度、魔導書に手を掛ける。
「召喚!」
魔導書が輝く。
光と共に出てきたのは、小笠原ではなく巨大な炎の鳥だった。まっすぐ羽ばたくと、魔神に突っ込んでいった。
「火精霊です! メリイは初めて見ました!」
「強いのか!?」
「強いです!」
突撃していった火精霊に対して、魔神が大きく息を吐き出す。吹き出した強風によって、火精霊はあっけなく消火されてしまった。
「ああっ」
「負けちゃいました!」
「相手になってませんわっ」
「ちくしょう。次だ! 次!」
もう一度、召喚魔法を唱える。次は巨大な石のゴーレムが召喚できたが、魔神が叩くとジェンガのように崩れてしまった。
「ダメですわっ」
「やっぱりななちんじゃないと……」
「くそ……もういっぺん、リセマラだ……」
魔導書で召喚しても体力は使うらしい。息が切れてきた。魔導書に手をかけようとすると、魔神は手を止めていた。
トパーズがジッとこっちを見下ろしながら、口を開いた。
「どうして……」
「ん?」
「どうして邪魔をするんですかっ!」
部屋の中に声が響く。トパーズの顔は真っ赤だった。
「四谷さんたちには関係ないんですよ! ボクが誰に復讐しようが! 誰を殺そうが! 関係ない話じゃないですか!」
「関係あるぞ! 山では三歩一緒に歩いたら友達だ。友達が人を殺すのを黙って見てる訳にはいかない!」
「うっ、うるさい……! そんな綺麗事……っ!」
トパーズの感情に影響されたのか、魔神の右手が壁をバンと叩いた。
「四谷さんたちには分からないんですっ! ボクがどれだけ虐げられてきたか! 才能にも恵まれず、復讐すら自分でできないっ。全部めちゃくちゃにしようとずっと思ってた。でも自分の力じゃできなかったんです! 情けないですよね!? 情けないと思いますよね!?」
「そんなことは……」
「そんなことはありますっ! ボクの眼は分かってしまうんです。相手がどれだけボクよりも強いのか。上下関係が一瞬で分かってしまんですよ。四谷さんもそうやって、ボクを見下しているのは知っているんですっ!」
トパーズの右目がキラリと光った。
【四谷元】
【レベル・・・5】
【STL・・・3】
【MGL・・・2】
【習得スキル・・・薬草栽培
・・・裁縫
・・・土いじり
・・・言語翻訳
・・・商才】
【習得魔法・・・なし】
浮かび上がったステータスを見て、トパーズは唖然とした顔をしていた。
「よ、弱い……。思っていたより弱すぎです! ボクより弱いじゃないですか! 今までどうやって生きてたんですかっ!?」
「余計なお世話だっ」
「ど、どうして、そんな弱いのに逃げないんですか! この岩が当たっただけで即死ですよっ!」
魔神が割った岩がすぐそばに落ちてくる。トパーズの声はぶるぶると震えていた。
「分からないのか?」
「何が……ですか」
「強さっていうのはな。レベルだけじゃないんだ。それが分からないんじゃ、トパーズ。お前は一生負けたままだ」
「……! ちくしょう……ちくしょうちくしょう!」
その声に応じるように、魔神が雄叫びをあげた。
駄々をこねるように巨大な腕を振り回し、あたりのものを破壊し始めた。ダンジョンがどんどんと崩れてくる。
「まずいですわっ。魔神が暴走してますっ!」
「メリイは四谷がトパーズちんを煽りすぎたんだと思います。反省してください」
「ごめん……」
「今は反省している場合じゃないですわっ。あの魔神を止めないと……」
そこまで言って、ソプラノがハッと何かに気がついたように息を呑んだ。
「そういえば、どうしてトパーズは魔神を呼び出せたんですの?」
「どうしてって?」
「召喚魔導書から呼び出される使い魔はランダムのはずですわ。それなのにピンポイントで魔神を召喚していましたわ……」
「何か条件があるのかもしれません。あの時、確かトパーズちんは……」
思い返すと、トパーズは魔神の抜け殻に手を置いていた。わざわざ、あそこまで近づいたのには何か理由があるはずだ。
「使い魔に関係するものに触れているとか?」
その可能性はある。
ソプラノの顔がパアッと輝いた。
「そうなると、小笠原さまに関係する何かがあれば、きっと小笠原さまが召喚できますの! これなら魔神に勝てますわ!」
「よし! 何かあるか?」
「わたくしは持ってませんわ」
「俺も持ってない。家に帰ればあるかも」
それまでに俺たちは崩れるダンジョンの下敷きになっているだろう。
万事休すだ。
「もうダメかもしれない」
「ああっ……四谷さま……来世ではわたくしと……」
「まだですっ!」
メリイが大きな声をあげた。
自分のローブの中に手を突っ込むと、もぞもぞと何かを探すような仕草をしていた。
「これならいけるはずですっ!」
メリイが取り出したのは、昨日の朝、小笠原がなくしたと騒いでいたピンクのブラジャーだった。