小笠原奈々(おがさわらなな)はいつも不機嫌そうな顔をしている。

 教室の中心でキャッキャッと騒ぐ女子たちとは離れた場所で、退屈そうにネイルをいじっているか、居眠りしたりしている。友達と話しているところをあまり見ない。

 可愛いと評判でファンは多い。男子たちが話しかけにいくが、打ちのめされた顔をして帰ってくる。「怖い怖い。小笠原さん、ずっとにらんでくる」とある男子は悲しそうな顔をしていた。

 クラスでは仙女かお地蔵さんみたいな扱いを受けている。だが小笠原は性格が悪いという訳ではない。
 
 一度だけ小笠原と席が隣になったことがあった。数学の授業で俺はうっかり教科書を忘れてしまっていた。どうしたもんかと悩んでいると、小笠原がツンツンと俺の肩を叩いた。

「ん」

 小笠原は黙って机を寄せて教科書を見せてくれた。椅子を寄せて近づくと、今授業でやっている部分をトントンと指差した。「ありがとう」と言うと、小笠原はまた「ん」と言ってうなずいた。

 教科書を見せてくれる女子に悪い奴はいない。俺は確信した。小笠原は単純に目つきが悪いだけだ。

 しかし接点とするとそれくらい。俺の召喚魔法で小笠原が出てくるのは意味が分からなかった。当の小笠原も混乱している。

「きゃー! ワニー!?」

 ぱっくり口を開けているゲラゲラフタクチを見ながら、小笠原は叫び声をあげた。

「いけー! 魔神ー!」

 メリイは小笠原を魔神だと思っているようだった。違う、小笠原は一般人だ。危険を感じた俺は慌てて小笠原の手を引っ張った。

「小笠原、こっちだ。逃げるぞ」 

「は!? あんた四谷じゃない! 何してんの!?」

「後で説明するから」

 小笠原の手を引いて走り出す。モンスターは幸いにも、突然出てきた小笠原を警戒しているようだった。手ごろな洞窟があったので、慌ててそこに駆け込んだ。

「疲れた……」

 全力で走ったので息切れしていると、小笠原はムニムニと俺の手に触っていた。

「あんた四谷よね」

「そうだけど。久しぶり」

「本物よね? 生きてる?」

「生きてるよ。色々あって、こんなことになっている」

「色々って……ざっくり言ってくれるわね。結構心配してたんだけど」

 どうも現実世界では登山中に行方不明になった高校生として、かなり話題になっているらしい。申し訳ないと思うが、こっちだって好きで帰っていない訳じゃない。

「三日間、あんたの話題で持ちきりよ」

「三日? 三日しか経っていないのか?」

「そうだけど」

「一週間は経ってるはずなんだがな」

 ひょっとすると、この世界では時間の流れが違うのかもしれない。どう言う理屈なのかはさっぱりだ。

「まあ。よく分かんないけど、生きてて良かった……」

 ホッと胸を撫で下ろして小笠原は言った。

 周囲に興味もなさそうな小笠原が一度隣の席になったくらいの俺を心配してくれているのは意外だった。こいつ俺の名前と顔を認識してくれていたのか。

 小笠原はキョロキョロと辺りを見回しながら言った。

「ねえ。ここどこなの? つーか、さっきのワニみたいの何?」

「ああ。それがなあ」

「あのう。ゲラゲラさん、来ましたよう」

 メリイがギュッと俺に抱きついた。
 ゲラゲラと気色の悪い声が聞こえてくる。匂いで追いかけてきたようだった。まっすぐこっちに向かってきている。

 逃げ場がない。万事休すだ。

「何かただ事じゃなさそうなのは分かるけど」

 小笠原が難しそうな顔をしながら言う。その通り。ただ事ではない。

 どうして召喚魔法で小笠原が呼ばれたか分からないが、小笠原にとっては完全な巻き込まれ事故だ。さすがにここでワニに食べさせるわけにはいかない。

「小笠原、メリイを連れて逃げてくれ」

「え? あんたはどうするのよ」

「俺はおとりになってワニに食べられる」

「はあ!? 見殺しにしろってこと!?」

「それしかないんだ」

「むうう……何よそれ。納得いかない」

 見ると小笠原は涙目になっていた。情に厚いというか、優しい性格だ。こいつになら頼めるかもしれない。

 小笠原の方を向いて頭を下げる。

「なあ。もしお前が生き残ったら頼みがあるんだけど」

「た、頼み? 何それ。私にできるか分かんないけど……」

「簡単だ。家にある俺のPCを破壊して欲しい。ハンマーでハードディスクごとぶっ壊すんだ。分かるな?」

「それ今言うこと!?」

「俺のプライバシーが……」

「お前のプライバシーなんか知るかー!」

 怒られた。悲しい。
 ぱっと立ち上がると、小笠原はモンスターに向かって悠然と歩き始めた。

「待て小笠原。何する気だ」

 静止の声を聞かず、小笠原は足元にあった拳大の石を手にしていた。

「ただの動物でしょ。石でも当てればビビって逃げるわよ」

「おいおい挑発するな、真っ先に食われるぞ」

「危ないですー!」

「うっせえ。これでも中学時代はソフトボール部なの。死ねクソワニ! ファッキュー!」

 確かに女子にしては整ったフォームで助走を付けながら、小笠原は手元にあった石をポーンと投げた。

 ギューンと飛んで行った石は、ぽかんとフタクチの頭部に当たっていた。

「グ……?」

 フタクチがぐるりと白目をむく。

 パキュン!

 次の瞬間には、その頭はもう一つの頭と胴体もろとも爆散していた。

 バラバラになった怪物の血は、雨のごとく辺りに降り注いだ。正面に立っていた小笠原にもモロにかかった。

「きゃー! 何これー!」

「おお……嘘だろ……」

「ふぁん!? や、やっつけたです!?」

 メリイが呆然と叫んだ。フタクチはもうめちゃめちゃの肉塊になっていた。

「大人5人いても歯が立たないフタクチさんを……一撃で……。四谷さんの知り合いは魔神さんです?」

「普通の女子高生なんだけど」

「ジョシコウセイ……強いんですねえ……」

 返り血を浴びた小笠原がこっちに向かって走って来る。

「ちょっとやだー! くっさあああ!」

 思わず鼻を塞ぐ。小笠原からはツーンとするようなひどい匂いがした。

「わあ……」

 怪物のはらわたとか、色んなものでべちょべちょになった小笠原は「やああああ」と大きな声で叫んでいた。