大会は見事に小笠原が優勝した。
「いやはっはっはっ! やられた! まさか、あんな速さの攻撃ができるとはな! 完敗だよ! 完敗!」
場外に吹き飛ばされたミンミン師匠は、島の端っこまで吹っ飛ばされたが、表彰式までに走って戻ってきた。
うっかり本気を出してしまったことを、小笠原は反省しているようだった。
「すいません、ついカッとなって……」
「そんなことはない! サンダーボルトの本気が見られて良かった! またやろう!」
自分より強い相手と戦えたことがよほど嬉しかったのか、ミンミン師匠は上機嫌に笑っていた。表彰式で賞品が手渡された。
正真正銘の召喚魔導書だ。
「還送魔法のやり方も書いてあります。やりましたね、ななちん!」
「う、うん!」
「良かったな。これで小笠原は元の世界に帰れるぞ」
「そっか。これで帰るんだ……」
感慨深げに小笠原は魔導書を見ていた。
還送魔法を使えば、思い浮かんだ場所に帰ることができるらしい。自宅の部屋でも考えておけば、小笠原は直帰できる。
「どうする? 早速、使うか?」
「あ、うーん」
「ななちん、もう帰っちゃうです?」
メリイがギュッと小笠原の服をつかんだ。それを見て、小笠原は魔導書を閉じてニコッと笑った。
「……まだ良いや。それよりお腹減ったんだけど。先にご飯にしようよ」
「賛成です!」
「せっかくなら美味しいものが食べたいな」
「それなら良いところがありますわ」
ソプラノが一回行ってみたかったと言うレストランまで歩いて行った。かなり高級レストランらしく、看板のネオンが輝いている。案内されたテラス席のすぐ外は海だった。
もう辺りはすっかり夜になっていたけれど、レストランの周りはライトがあって明るかった。ざざんと波の音が聞こえてくる。テンションが上がりまくったメリイはぴょんぴょんしていた。
「リゾート感があります! メリイは楽しみです!」
「ローストしたバナナフィッシュが、すさまじく美味しいと噂のお店ですの。一度食べてみたかったんですわ」
「バナナフィッシュ?」
「バナナように味が甘いお魚ですわ。動きの速い高級魚ですの」
まるっと太った黄色い鱗のバナナフィッシュが、ハーブや野菜と一緒に炙られて出てくる。
一口食べると、魚とは思えない甘みが口に広がった。
「甘いです! でも甘すぎない深みもあります! メリイは気に入りました!」
「レモンをかけても美味しいのですわ。四谷さまはどうですか?」
「うまいぞ。初めて食べた」
「良かったですわ! 小笠原さまはどうですか?」
「ん……美味しい」
口をもぐもぐと動かした小笠原は、ぼんやりと返答した。いつもなら「うまい! 何これ!」と仰々しく反応するのに。様子がおかしい。
俺と同じことを察したのか、ソプラノは俺の耳元でぼそぼそ囁いた。
「小笠原さま、なんだか元気ないんですわ」
「だなあ」
「何かあったんですの?」
そう聞かれても、分からなかった。
バナナフィッシュを半分くらい食べ終わった小笠原は、何を思ったか、唐突に立ち上がった。
「四谷、ちょっと」
ちょいちょいと手招きをすると、小笠原はテラス席からビーチの方に歩いて行った。話があるということだろう。
「どうしたんだろ」
「何かやったかな」
「メリイは分かっちゃったかもしれません」
小笠原の分のバナナフィッシュに手を出しながら、メリイは言った。
「四谷が破廉恥なことをしたから、ななちんは説教しようとしているのかもしれません」
そのことがあった。
確かに切羽詰まっていたとはいえ、キスを急かすのは紳士的とは言えないだろう。ここは先んじて謝るべきだ。
「小笠原。申し訳なかった」
ビーチの砂浜に土下座すると、小笠原は困惑した顔で見下ろしてきた。
「なになに。急に?」
「何って。怒ってるんじゃないのか? キスを急かしたこと」
「そ。そっちじゃない。ああ、もう思い出して。恥ずかしくなってきた!」
ぽうっと顔を赤らめて、小笠原は自分の頬に手を置いた。
「あれはしょうがないじゃん。非常事態よ。怒ってないし、謝ることでもない」
「じゃあ何のことだ」
「あのさ……魔導書が手に入ったじゃん。私、帰れちゃうんだけど。どう思うよ」
「そうだな。今まで悪かったよ。急に呼び出して、変なことに巻き込んだな」
「……それだけ?」
「それだけって」
「言いたいこと。それだけ?」
小笠原が何かを期待するように、こっちを見てくる。
「……参ったな。土下座は一日に一回までって決めているんだけど。召喚魔法なんかで呼び出してすまなかったよ。この通り」
再び砂浜に膝をつくと、小笠原は慌てたように言った。
「違う違う! そうじゃなくて。私帰ったら、あんたはひとりになっちゃうじゃない! そのことをどう思うかって聞いてるの!」
「ああ。そう言うことか……」
砂を払って立ち上がる。
気にしていなかった訳ではない。
還送魔法で小笠原は帰ることができる。けれど次に召喚魔法を唱えたところで、再び小笠原が出てきてくれるかどうかは、微妙な確率だ。何せ小笠原を呼び出した魔導書は焼失してしまっている。
となると、俺は小笠原抜きで帰還する方法を見つけなければいけなくなってしまう。これは問題だった。
「だからってなあ。残ってもらう訳にもいかないだろ。家の人だって心配してるだろうし」
「残るわよ」
「え?」
「私、残る。決めた。あんたが帰る方法を見つけて、そんで一緒に帰る」
意外な答えだった。思わず言葉を失って、小笠原のことを見つめてしまう。
「頭……打ったか」
「打ってない! あーもう! そうやって。すぐ話をはぐらかそうとするところ。素直になってよ! 私がいなくなったら、四谷は困るでしょ」
「そりゃあ困るけれど」
「じゃあ頼ってよ」
ずいっと近づいてきて、小笠原は言った。
「私のこと頼りなさいよ。もうここまで一緒にいるんだから、ただのクラスメイトって間柄じゃないじゃん」
「良いのか? 家のことは」
「時間の流れが違うんでしょ。騒ぎにはなってるかもしれないけれど、帰れれば問題ないし」
小笠原が来てから、おおよそ二週間くらい。現実世界ではおそらく一週間くらい経っている。
「それはあんただって一緒じゃん。そしたら二人で協力して探した方が早いでしょ」
「それもそうだな」
「じゃあ。それで決まりってことで」
小笠原はポンと手を打って、ニコッと微笑んだ。
「改めて、よろしくね。四谷」
「ああ、こちらこそ。よろしく」
握手しようと手を差し出すと、小笠原はふっと上目遣いで俺のことを見た。
「もひとつ言いたいことあったんだ」
「なんだ」
「闘技場でキスした時、あんた前歯ぶつけたでしょ」
「え?」
「すっとぼっけないでよ。ちょっと痛かったんだから」
言いながら恥ずかしがっているのか、小笠原は手を握ってもじもじさせていた。
「私、初めてだったんだけど。へたっぴ」
「悪い。じゃあ、もう一回やるか?」
「ん?」
「じゃあ。もう一回やるか?」
「は? ん?」
呆然とする小笠原の小笠原の手を取る。
「ま、待ってっ」
「俺も満足いってなかったんだ」
「ど、ど、どうしてそう言うことになるの」
「今度はちゃんとやるから」
顔を真っ赤にした小笠原は、かっくりとうつむいてしまった。しばらくもじもじしていたがボソリと独り言のように言った。
「分かった。もう一回……ね」
モニョモニョと手を動かして小笠原は目を閉じた。
「良いの……かも」
闘技場の時と同じ、緊張した可愛げのある表情だった。最初の時は小笠原が急に近づいてきたので、うっかりしてしまった。今度は間違わないようにしよう。
小笠原に顔を近づけようとすると、ガッと背後から丸くて固いもので頭を殴られた。
「それ以上は破廉恥ですわ」
ソプラノの声がした。
そのまま砂浜にぶっ倒れる。俺を殴ったのは丸々としたスイカだった。
「間一髪でしたわ……」
「メリイ。ソプラノ……ど。どうして……」
「みんなでスイカ割りしようと誘いに来たんです。まさか二人で破廉恥なことをしているとは思わなかったんです」
メリイは怒ったように俺の頬をつねった。
「怒られているかと思いまして、慰めてあげようと思っていたんです!」
「すまねえ。つい」
「ななちんも破廉恥です!」
「わ。私が誘ったんじゃないわよ」
慌てたように手をふった小笠原は、改まった表情で二人に言った。
「話があったの。私、四谷が帰るまで残ることにしたから」
「本当ですの?」
「良いんですか? せっかく帰れるのに。寂しくないんです?」
「うん。またメリイの家に泊めてくれない? 迷惑かもしれな……」
「やったー! じゃあみんなでスイカ食べましょう!」
小笠原の言葉を聞くまでもなく、メリイは嬉しそうに飛び跳ねた。
「お祝いです! ソプラノちん。スイカはどこですか?」
「あら? ないですわね」
「あっ! アザラシに持っていかれてます!」
俺を殴ってコロコロ転がっていたスイカは、いつの間にか海辺にいたでかいアザラシみたいに奴に抱えて持っていかれてしまった。
ソプラノとメリイが慌ててアザラシを追いかけていく。砂浜に倒れたままの俺を、小笠原が心配そうにのぞき込んできた。
「頭、大丈夫?」
「大丈夫」
「立てる?」
小笠原の手を借りて立ち上がる。
「さんきゅ」
「全く。二人も無茶苦茶するわね」
アザラシを捕まえて、きゃっきゃっと騒ぐメリイとソプラノを見ながら四谷は言った。ビーチはほぼ貸し切り状態だった。はしゃぐ気持ちは分からないでもない。
「そうだ言い忘れたことがあった」
「何だ」
小笠原はコホンと咳払いすると、照れ臭そうに「ありがとう」と呟いた。
「お礼言ってなかった」
「ありがとう? 何にだ」
「おかげさまで楽しいからさ」
プイっと顔をそむけると、小笠原はメリイたちを追いかけて行った。
その後、俺たちは夜の海でスイカ割りをした。小笠原の一撃でスイカは粉々に砕け散ったが、なんだかんだ楽しかった。