小笠原が何発目かの掌底風圧拳(しょうていふうあつけん)を空振りする。ミンミン師匠の凄まじい身体能力と、蜃気楼の合わせ技でほとんど捉えることができない。

「楽しいなあ! サンダーボルトぉ! 貴様のような強者は初めてだ! ずっと試合っていたい!」

「はあ……はあ……しんどー……あんた体力どうなってるのよ」

 額から玉のような汗を流しながら、小笠原は膝に手をついた。

「くそー……こっちの体力が」

「小笠原ー!」

 俺が呼びかけると、小笠原はこっちを振り向いた。

「四谷……」

「分かったぞ! STL値をあげる方法は……」

 言おうとすると、黒づくめの服を着た審判が割って入った。

「ストップ! それ以上はルール違反になります!」

 ピー、と笛を吹いて真面目そうな顔をした審判は懐から小さな冊子を取り出して、読み上げた。

「ルールブック第35条。試合中の助言を禁ずる!」

「何だと、そんなものあるのか? 初めて聞いた」

「運営委員会とスポンサーで作っているものになりますわ。しかし困りました。せっかくレベルのあげ方が分かっても、これでは……」

「くそ。こうなったら……」

 財布を確認して手持ちを確認する。昨日の会場前で水着が爆売れした時の利益がかなりある。これならいける。

「ジャーッジ!」

 今度は自ら黒服の審判を呼ぶ。怪訝そうな目で審判が寄ってくる。

「ルールブックの変更を要請したい」

「何ですと?」

「俺はスポンサーだ。ルールブックは運営委員会とスポンサーで作ってるんだろ? じゃあ変更が可能なはずだ。この試合、休憩と助言ができるタイムアウトを導入したい」

「……そうは言いましても、急な変更を運営委員会が認めるはずが……」

「これだけあってもか?」

 札束を見せると、審判の顔色が変わった。
 競技場の隅にいたスタッフのところに行って、ボソボソと話しあっている。数分して、戻ってきた審判は競技場に立って宣言した。

「本試合よりタイムアウト制を導入する! 今から一分間の休憩と助言を認める!」

 想定通りだ。ちょっと水着を売ったくらいでスポンサーの打診が来ると言うことは、この委員会はよほど金に困っていたに違いない。金をちらつかせたら、あっさりと折れてくれた。

 突然の宣言に観客がざわつくのが分かったが、知ったこっちゃない。

「四谷……無茶苦茶やるわね」

「私は一向に構わんぞ! これ以上試合が面白くなるならな!」

 試合は一分間のタイムアウトに入った。

「何にせよ助かったわ」

 小笠原はメリイから渡された水をおいしそうに飲んでいた。あとは、一分間で小笠原に接吻すればいけないのだが。

 さて、どうするか。

「で? どうやるの。レベルを上げる方法は?」

「それは……俺とキ……」

「ダメー! やっぱりダメですわー!」

 言おうとしたところで、横からソプラノに口を塞がれた。

「わたくしより先に、小笠原さまと接吻するなんてダメですわー!」

「は? 接吻?」

「しまった。言ってしまいましたわ」

 ハッとした様子でソプラノは自分の口を塞いだが、もう遅かった。小笠原はポカンとしていた。

「私と四谷がキス……するの?」

「それしかないみたいだ。使い魔と術師がキスをすることでレベルが上がるらしい」

「へえ、キスでレベル53万に戻れると……面白いわね……」

 納得したようにうなずいた小笠原だったが、その顔はみるみる内に赤くなっていった。あわあわしながら、物凄い早口で小笠原は喋り始めた。

「ちょ。ちょっと待ってよ。そんないきなりだなんて。おかしいっ。おかしいし。聞いてない。聞いてないんだけどっ」

「タイムアウト。残り30秒!」

「時間がない、小笠原。嫌かもしれんが……」

「い、嫌とか言っているんじゃなくて!」

 ぶんぶんと首を振って小笠原は言った。

「その、ほら。準備とかあるじゃん。あ。いや。したいって言ってる訳でもないんだけど。ほら、今、私、めっちゃ汗だくだし。唇もベトベトして気持ち悪いって言うか。あー! 暑い! アイス食べたい!」

「ななちん、落ち着いて」

「落ち着いてるよ! そっちが急展開過ぎるでしょ!」

 俺の顔を見ると、すぐに視線を伏せて小笠原は言った。

「それにっ……わたし、キスとかしたことないし」

 もじもじした様子で小笠原は後退りし始めた。これはダメそうだ。無理強いすることでもない。

「タイムアウト。残り10秒!」

「仕方ない……この勝負は諦めて……」

「ああ! もう!」

 俺の言葉を遮って、小笠原は大きな声をあげた。

「するわよ。チュー!」

「え……」

「やってやろうじゃないの! へえへえ。チューでしょ。それくらい、何ともないんだから!」

「ほ。本当にするのですか? さっきは初めてだとおっしゃっておりましたが……」

「だまらっしゃい!」

 バンと手近な壁を壊して、小笠原は俺の前に立った。

「さ、さあ。やるわよ、四谷」

「本気か? やけになっているような」

「なってないし。平常心だし」

「良いのか?」

「は、早くしてよ……みんな見てるじゃない……」

 ここまで言われてやらないのも、紳士的ではないか。

「じゃあ、やるぞ」

「う、うん」

 近くに寄ってきた小笠原のあごをクイッと上げる。

「~~~!」

 目が合うと、小笠原は後退してしまった。

「おい。どうしたんだ?」

「し。しらないわよ。つ、つい……」

「力を抜け。深呼吸」

「すーはー」

「いけるか?」

「だ。大丈夫」

 小笠原はぎゅうっと目を閉じながら近づいてきた。唇をプルプルさせながら、小笠原は小さな声で言った。

「よっ、四谷は……」

「ん?」

「キスは。初めて?」

 コクリとうなずく。

「おう」

「……そっか」

 言葉を返すと小笠原は何も言わずに、顔を近づけてきた。

「……んっ」

【使い魔との親愛度が50万上がった】

 顔を離すと、きゃー、とソプラノとメリイが騒いでいた。

「破廉恥ですわー!」

「破廉恥です! メリイも見ました!」

「あのー……タイムアウト終了なんですが、もうよろしいですが」

 審判が困ったように聞いてきた。小笠原の顔色はうつむいて良く分からない。耳の先まで真っ赤になっていた。

「小笠原、いけるか」

「……うん」

 ゆらりと小笠原の身体が動く。足元がフラフラしている。様子がおかしい。

「小笠原、大丈夫かな」

 言うと、ソプラノは困ったように肩を落とした。

「きっと現実を受け付けられないのでしょう。小笠原さま、すごい緊張していましたわ」

「ななちんは混乱状態にあります。今は、あまり接吻のことは言わない方が良いです。機嫌が悪くなるかもしれません。それにしても破廉恥でした」

 メリイは怒ったように俺の頬をつねった。

 そんなことを知る由もないミンミン師匠は、興奮した様子で小笠原に声をかけていた。

「サンダーボルト! すごいな! 見事なキスだったぞ! 惚れ惚れした!」

「……」

「体温も上がっている! 鼓動も早い! 接吻による興奮状態だな!? 闘気も上がっている! これは面白くなってきたぞ! どんな裏技を使ったんだ!? 接吻だけで強くなるなんて聞いたことがない! あの男とはどんな関係だ!? 夫婦か!? 恋人か!? おお! 鼓動がますます速くなっている!」

「……」

「それは愛の力か!? さっきのせっ……」

 ミンミン師匠が全て言い終わる前に、小笠原の身体が動いた。

「うるせー!」

 掌底風圧拳。
 さっきまでのものとは比べ物にならない。魔法を使う暇もなく、ミンミン師匠は場外まで吹っ飛ばされた。