ハッピーウォーターを倒すと、水没していたと見られる前線基地が出てきた。岩石をくり抜いて作ったのだろうか、中は小さな部屋があった。スイッチを押すと、明かりはちゃんと灯ってくれた。

 救出した人は全部で13人。その中にメリイの父親はいなかった。介抱しながら待っていると、一人の男が目を覚ました。

「北の大穴から流れ込んできたんです。地下水と一緒にここも水没してしまって、そこから記憶が曖昧になって……」

 ハッピーになっている最中の記憶はないらしい。ハッピーになる以外に害を成すものではないため、他の人たちも次々に目を覚ました。

「いやあ。半年も眠っているとは不覚でした」

 面目ないとリーダーという髭面の頭を下げた。

「しかしまさか、子どもに助けられるとは。どんな手を使ったんだ?」

「手の風圧で吹き飛ばしました」

「面白い冗談だなあ、ハハハ」

 冗談ではないのだが、ここで試すわけにもいかない。回収したハッピーウォーターは樽に詰めておいた。もう悪さをすることもないだろう。

 それにしても、とリーダーはメリイに視線を向けた。

「ザイザスの娘さんか。これは驚いた」

 冒険家ザイザス(メリイのお父さん)はもうとっくに前線基地を離れて第四層へと向かっていた。

「新しいルートを見つけたと言ってなあ。一年かそこ以上は戻ってこないと言っていた。言伝を頼まれていたんだが、この騒ぎでその知らせすら伝えられなかった」

 申し訳ないと頭を下げて、リーダーはテーブルの上に真っ赤に輝く宝石を取り出した。

「わあ……すご」

 小笠原が目を輝かせた。俺の顔くらいある宝石は明かりを反射して、キラキラ光っていた。

「地上で売れば1000万マネーは下らないはずだよ。これを娘に渡してくれと言っていた」 

「へえ、これだけあれば借金返せるね。やったね、メリイ」

「……はい……です」

 どこか浮かなげにメリイは返答した。

 それは当然だ。メリイが欲しかったのは宝石ではない。

 前線基地で父親に会えると思っていたんだ。無事なことは分かったけれど、それでも一目会いたいという気持ちは痛いほど伝わってくる。

「どうする、メリイ」

「……?」

「ここで帰るか。第四層まで行くか。小笠原で掘ればそんなに時間はかからない。しらみつぶしに探せば、きっと会えるはずだ」

 メリイはその言葉にハッと目を丸くした。小笠原も俺の言いたいことが分かったのか、肩をすくめて笑った。

「良いよ。とことん付き合う」

 ジッと立ちすくんだメリイは赤い宝石を見ていた。

「そう……ですか」

 ボソリと言ってメリイは顔をあげた。赤い宝石を手に取ったメリイは、意外にもそれをリーダーへと返した。

「リーダーさん。この宝石はいらないです」

「お!? まじかよ。1000万は下らない代物だぞ!?」

「いりません。メリイには卵を産んでくれる鶏がいます。最近はおしっこ茶も売れて、お金にはそんなに困っていないんです」

「だからってなあ……せっかくの宝石だぞ」

「メリイが欲しいのはこんな宝石じゃないです。リーダーさん。もし、お父さんが帰って来たら伝えてください」

 はっきりとした声でメリイは言った。

「すごい宝石を見つけるまでは、絶対に帰ってこないでください。メリイは強い子なので、いつまでも待てるのです」

 その言葉にキョトンとしたリーダーだったが、ハッと我にかえると大きな声で笑い始めた。

「ああ、そうか。やっぱり、お前はザイザスの娘なんだなあ。分かった分かった。ちゃんと言っとくよ」

「よろしくです」

 ペコリと頭を下げて、メリイは俺たちのところに帰ってきた。

「良いのか。メリイ」

「良いです。これ以上、四谷とななちんに迷惑をかける訳にはいきません。ソプラノちんがちゃんと鶏の世話ができるかも心配です」

「気を使わなくて良いのに」

「そうじゃないです」

 顔をあげると、メリイは俺たちのことを見た。

「メリイには四谷とななちんがいます。だから寂しくないんです」

 青い目をらんらんと光らせて、メリイは微笑んだ。

「だから今日は帰ります」

「……私と四谷がいるから?」

「寂しくないです!」

「なんかそれ……照れくさいな」

 もじもじと頬を赤らめながら、小笠原は俺のことを見た。

「ねえ、四谷」

「そうだな。今日は三人で一緒に寝るか?」

「寝ないよ」

 あっさりと断られてしまう。俺の寝床はいつになったら風呂場から変わるんだろう。

 あらかた用事も終わったので、元来た穴から地上へ戻ることにした。去り際にリーダーは思い出したように言った。

「あー。そうだ。これは持っていってくれないか。流石に見るのもうこりごりなんだ」

 手分けして採集した樽いっぱいのハッピーウォーターだった。重たそうなので、小笠原に担いで上がってもらうことにした。「女の子に荷物を持たせるなんて……」とぶつぶつ言っていたが、俺とメリイが持てるはずもない。

 果てなしの大洞窟を出て家に帰ると、すっかり日は落ちてしまっていた。

「てっきり宝石をたくさん持って返ってくると思いましたのに……」

 戦利品を見て、ソプラノはがっかりしたように言った。

「お駄賃という名目で、いくつか分けてもらおうと思っていましたのに……」

「ちゃっかりしてるわね、この女」

「でも四谷さまが無事に帰ってきてくれて嬉しいですわ。そんなにたくさんのハッピーウォーターどうするつもりですの?」

「どうしようかなあ。ちょっと怖いし、処分するかソプラノにあげても良いけど」

「あら。それは勿体ないです。用法用量を守っていれば、ハッピーウォーターはそこまで怖いものではないですわ」

 そう言って、ソプラノは樽を持って、ブリキの浴槽にざぶざぶ入れ始めた。

「こうやって半身浸かるくらいなら、良い感じのリラックス効果が得られます」

「へえ。良いな」

「あまり入りすぎると中毒になってしまいます。1時間くらいで出てきてください。増えすぎたハッピウォーターは火であぶると縮みますわ」

「試しにやってみるか」

 言われた通りの量でハッピーウォーターに入ってみると、頭の奥がポワポワと温かくなった。一日の疲れが水に溶けていく感じがした。

「あー……これは……良いな……」

「素晴らしいでしょう」

「良い……」

「本当に大丈夫なの?」

 小笠原が心配そうに言った。

「癖になってやめられなくなるとか」

「そんなことない……出ようと思えば、いつでも出られる。小笠原も入ってみるか……」

「私は良い。もうコリゴリ」

「……もったいない」

 登山の後の温泉くらい気持ちが良い。鉱夫たちが夢中になるのも納得がいく。

「そろそろ出なさいよ。もうとっくに夜よ」

 しばらく浸かっていると、夜がふけた頃に小笠原が浴室に顔を出した。

「ソプラノは帰ったし。メリイも寝ちゃったわよ」

「そうか……今日はここで寝る」

「まじで?」

「うん」

「もしかして、私が一緒に寝ないって言ったから()ねてる?」

 俺のことを見下ろしながら、小笠原は言った。

「悪かったわ。隅っこの方に布団用意しといたから。早くハッピーウォーターから出てきてよ」

「……服はどうするんだ? 小笠原は着るのか」

「私は着て寝る。あんたも着なさい」

「じゃあ、ここで寝る」

 俺の言葉に、むすっとしたように頬を膨らませた小笠原は「もう知らない」と出ていってしまった。ちょっと後悔があったけれど、それもハッピーウォーターの力でどうでも良くなった。

 幸せな気持ちで、そのまま寝た。

 起きるとメリイが俺の頬を引っ張っていた。

「四谷ぁ。もう朝ですよ」

「おう。メリイかあ……良いぞお……ハッピーウォーター睡眠……」

「目がとろんとしてます。おーい、四谷ぁ、ななちんが怒ってますよー」

「四谷ー! ご飯できたよー!」

 小笠原の声がズンズンと近づいてくる。顔を出した小笠原は浴槽にいる俺を見て、顔を引きつらせた。

「まだ浸かってるの。早く出てきてよ! もう朝だよ!」

 そうは言っても、もうちょっと浸かっていたい。

「……あとごふん」

「……へえ」

 小笠原はそれだけ言って、小屋に戻っていた。

 三十分後、メリイの力を借りて浴槽から出ると、庭に置いておいたストックのハッピーウォーターは樽ごと火を点けられて、全てなくなっていた。慌てて風呂場に戻ると、小笠原が浴槽を担いで戻ってくるところだった。

 焚き火の中に、ボトボトとハッピーウォーターが捨てられていく。

「これで一件落着ね」

 にっこりと笑いながら、小笠原は俺を引きずって家に放り込むと、満足そうに朝ごはんを食べ始めた。

 こうして俺のハッピーウォーターはなくなった。