暗い森の中を歩いていく。

 通称『獣の森』と呼ばれるダンジョンは、その名の通り獣たちの不気味なうなり声が、周囲からずっと聞こえてきていた。

「暗いです! 怖いです!」

 小さな人影が俺の後ろからピョコピョコ付いてくる。震えた声で辺りを見回していた。すかさずその身体を抱えて口を塞ぐ。

「静かに。モンスターに見つかる」

「もがー。もがー」

「今日は最後まで探索するって約束だろ」

「でもお。でもお」

 目深にかぶったとんがり帽子の向こうで、大きな瞳がプルプルしている。

「やっぱり怖いですー。メリイたちごときのレベルじゃなぶり殺しですよ。腹わた引きずり出されてガブガブされちゃいます」

「大丈夫。星の少ない日を選んできた。見つからないよ」

「絶対に、ですかあ」

「多分なあ」

 そう返すと、メリイはかくかくとうなずいた。

「死ぬ時は一緒ですよう。四谷(よつや)ぁ」

「はいはい」

 軽く返しながらも、俺も怖くて仕方がない。
 俺、四谷元(よつやはじめ)は歴戦の有志でも何でもない。ついこの間までは、全国どこにでもいる平凡な男子高校生だった。

 その一般男子が趣味の登山の最中に道を外れてしまい、この奇妙な異世界に迷い込んでしまった。帰る手段もなく、荒野で空腹で倒れた俺を救ってくれたのは、今抱えているメリイと言う子どもだった。

「ハナハナさーん、出ておいでー」

 俺に抱っこをされながら、メリイは持っていた杖の光を灯した。

「ハナハナさん、ありますかねえ」

「なきゃ困る。こんな危険地帯にわざわざ来たんだから」

「ハナハナさーん」

「大きい声出すなよ」

 メリイを抱っこしながら、辺りを探す。

 ハナハナ、別名ツキハナレバナ。

 獣の森で、夜のみに開花する植物だ。咲いている時にすり潰せば、万病に聞くと言われる薬になる。もちろん高値で売れる。

 貧乏職なし。
 現在、金銭的に窮地に陥っている俺とメリイは、その噂を聞きつけてこのダンジョンまでやってきた。地上げのヤクザに裸で吊し上げられるよりはマシだろう、と相談して覚悟を決めた。

 ハナハナは開花する時は青く光ると言われている。前方を見てメリイがハッとしたように身を震わせた。

「あ、あそこ。青く光ってないです?」

「どこだ?」

「あっちです」

 目を凝らすと、確かに何やら青いものが見えた。
 足を踏み出すと、何かを「ぐにり」と嫌なものを踏んだ感触があった。

「今、何か踏みました?」

「踏んだかもしれない」

「どんな感じですか」

「硬かった」

「あー……」

 目の前に大きな影があった。

「絶対に見つからないって言ったのに……」

 メリイが泣きそうな声でボソリとこぼした。

 影がのっそりと動いた。
 杖の光の下にゆっくりとやって来る。大口を開けた生き物だった。人間なんかぱっくり飲み込めそうだ。四つ足でにじり寄って来る様子は、ジャングルで見るワニにそっくりだった。俺が持っている短剣ではどうにもならなそうな気がする。

「死ぬ前にお腹いっぱいご飯食べたかったです……」

 メリイは諦めたように言った。

「四谷が先に食べられても良いですよ」

「お前俺が食べられてる姿を見たいのか?」

「ひとりが食べられている間に、もう一人が逃げられるんじゃないかなと思いまして」

 そう言っていると、ワニはくるりと向きを変えて、横顔についたもう一つの口をぱっくりと開けた。

「ダメみたいですね……」

 頭が二つあった。

 ここに来る前に見ておいた生物図鑑を思い出す。ゲラゲラフタクチ。愉快な名前だが、生態は全然愉快じゃない。肉食。鋭い嗅覚。狙った獲物は絶対に逃さない。ゲラゲラ笑いながら獲物を捕食するまで追いかけて来る。

 後退りすると、フタクチはゲラゲラっと笑いながらこっちに寄ってきた。

「うひゃー!」

 もうおしまいだあ、とメリイが叫んだ。ゲラゲラフタクチは大人五人がかかりでも手を焼くほどの怪物だ。俺とメリイではひとたまりもない。

 だが、今の俺には切り札があった。

「やるか、あれ」

「や、やるんです?」

「それしかない」

 俺の合図で、メリイが震える手でローブの中から古ぼけた本を取り出した。その中の一ページを開いて書かれた言葉を読み解く。

我は楔を解くもの(アスト・アマルート)

 召喚魔法の詠唱。うまくいけば強力な使い魔を呼び出すことができるらしい。メリイの家を掃除していてたまたま見つけたのが、この召喚の魔導書だった。

「四谷。ゲラゲラさん来てます!」

 メリイが叫んだ。すぐそこまでワニが近づいてきている。
 本がぼうっと輝く。手がものすごく熱くなってくる、ページに浮かび上がった呪文を唱えた。

召喚(サモン)!」

 その瞬間、目の前に光の束が現れた。バリバリと言う雷の音が辺りに響く。大地を揺らすほどの衝撃に、怪物もひるんで動きを止めていた。

「うわあ。これは召喚成功じゃないですかあ」

 メリイがはしゃいだようにバタバタする。どうもそのようだ。希望が見えて来る。

 最低でもおとりになってくれる動物系の使い魔。欲を言えば飛べる奴が良い。

 収束していく光の方に目を向けると、そこには俺と同じくらいの背格好の人影が立っていた。白いシャツとチェックのリボン。真っ青で特徴的なスカートは、俺の通っていた高校の制服のものだった。

「ん?」

「何ですこれ? まさか魔神さんを呼び出しちゃったんです?」

「いや。これは……」

 思わずその名前をつぶやく。

小笠原(おがさわら)……?」

 栗色の長い髪。赤い髪留め。

 スッと通った鼻筋と、猫っぽいつり目気味の瞳は間違いなくクラスメイトの小笠原奈々(おがさわらなな)だった。

 キョロキョロと辺りを見渡しながら、小笠原は大きな声で叫んだ。

「は? 何これ? ちょっとココどこなの!?」