グリフィン公爵と別れ、静かに二人で談笑をしていると、突然、国王がその姿を二人の前に現した。なにか焦っている様子。

「ジルベルト、悪いがエレオノーラ嬢を貸してほしい」

「陛下、あちらにいらっしゃらなくてよろしいのですか?」

「だから、エレオノーラ嬢を貸してくれ。今日は、近隣諸国からも人が集まっているからな」

「陛下、ですからなおさら。あちらにいらっしゃったほうがよろしいのではないですか?」

「ジルベルト。すまんが、エレオノーラ嬢に通訳を頼みたいのだ。こちらで準備した通訳では、力不足なところがあってだな」

「陛下たるもの。近隣諸国の言語など、使えて当然ですよね」

「日常的な会話はできるが。深い話は無理だ」

「自信満々に無理だ、とおっしゃられても」

「ジル様」
 ジルベルトの腕に絡みついていたエレオノーラが声を発した。
「私なら大丈夫ですよ」

 エレオノーラが大丈夫でもジルベルトが大丈夫ではない。ジルベルトは深いため息をつくと共に首を振った。

「私も同行していいだろうか」

「それは問題ない」

 エレオノーラは国王の後ろをジルベルトと並んでついていくことにした。案内された先には、近隣諸国の偉い人がたくさん集まっていた。そこにくわえて、この国の偉い人たちも。

「エレオノーラ嬢、こちらへ」
 促され、一人の年配の女性の前に立たされた。ジルベルトは少し離れた場所から、その様子をうかがっている。エレオノーラは背中に変なオーラを感じた。思わず苦笑を浮かべたくなる。我慢。

「ファニタ王妃、彼女です」

 ファニタ王妃、名前は聞いたことがある。確か隣国のアークエット国の王妃。

「ファニタ王妃は、エレオノーラ嬢が書いてくれた招待状を非常に気に入ってくれてね。それで、どうしても会いたいとおっしゃってくれた」
 国王が説明する。
 会いたいってどういうこと? 通訳が足りない、とかそんな話ではなかったのか? と思いながらも、エレオノーラは促されて挨拶をした。
 そのアークエットの言葉に、ファニタ王妃はまたまた喜んでくれた。

「あなたが書いたという招待状を手にして、今日という日がとても楽しみだったの」

「とても光栄です」

「アークエットの言葉もとてもよく勉強してくださっているのね」

 潜入調査のため、とは言えない。

「異文化は自分の世界を広げてくれます。異文化を学ぶことは、自分の成長にも繋がりますから」

「そうですね。勉学は何事も成長に通ずる道ですね」

 エレオノーラの今の気分はアークエットの潜入調査員だ。だが、心の準備とか下調べとか、そういうのを全部省いているため、いつボロが出るかわからない。ジルベルトの婚約者の仮面の上に、アークエット潜入調査員(実際は、どこからも依頼はきていない)という仮面をつけなければならないのだろうか、ということまで考え始めた。
 その偽の仮面をつけたまま、適当に会話を弾ませるがそれもファニタ王妃は喜んでくれたらしい。とにかくアークエットの言葉を不自由なく使いこなしている、というところが高評価だったようだ。

「エレオノーラ。私には息子が二人いるの。紹介してもいいかしら」

 突然、話は変な方向に転がっていく。近くにいる国王はニヤニヤと笑っているし、むしろ背後からの視線が痛い。その視線の主はジルベルトに違いないだろう。

 ファニタ王妃から二人の王子を紹介された。年齢はエレオノーラより少し上くらい。そして嫌な予感しかない。国王のニヤニヤも止まらない。絶賛、継続中だ。この人はこうなることをわかっていて、エレオノーラをこの場に呼んだに違いない。婚約者がいることを伝えていないのか?

 案の定、その一人の王子から、すっと手を差し出された。
 少し離れたところにいるジルベルトが動く気配がした。つまり、と察する。
 その王子が口を開く前に、気絶しよう。後ろには絶対ジルベルトが控えているはず。

「申し訳ありません。彼女は気分が優れないようです」
 ジルベルトはエレオノーラの身体を支えて、謝罪する。ジルベルトの言葉が通じたのかどうかはわからない。

「まあ、大丈夫かしら」
 ファニタ王妃が、心配そうな表情を浮かべた。

 エレオノーラを抱きかかえながら、この場をなんとかしろ、という視線を国王に向けた。彼はニヤニヤしながら、それを察する。

「どうやら人の多さに当たってしまったようですね。彼女を奥の部屋に連れて行きなさい」
 言葉を続けたのは、国王だった。先の言葉をアークエットの言葉でファニタ王妃に言い、後の言葉はジルベルトに言う。何やら誤魔化してくれていそうだ。

 ジルベルトはエレオノーラを抱いたまま、別室へと向かった。

 そんなジルベルトをじっと見つめている男が二人いた。
 一人は国王。ファニタ王妃と話をしながら、楽しそうに彼の様子を見ている。この男は完全にジルベルトで楽しんでいる。
 そしてもう一人はグリフィン公爵。じっとりとまとわりつく視線は、ジルベルトとその婚約者を観察しているように見えなくもない。
 グリフィン公爵は、前王の弟の息子。つまり、現国王とは従兄弟同士。
 彼はジルベルトがこのホールを出ていくまで、じっとその視線を外すことはしなかった。それはまるで、獲物を狩るかのような、とても執拗な視線だった。


「やられたな」
 エレオノーラを抱いているジルベルトが彼女に向かって口を開いた。

「どういう意味ですか?」
 薄目を開けて、静かに尋ねた。

「あいつだ。クラレンスだ」
 ジルベルトの口から出た名前が、国王の名前であると認識するまでに五秒かかった。
「陛下が何か?」

「あれは、私たちで楽しんでいる」

 別室のソファにエレオノーラをおろした。ジルベルトはその隣に座る。

「あなたを他の男と踊らせようとしていた、くそ」
 最後の呟きは聞かなかったことにしておこう。「どこもかしこも、私とあなたの仲を邪魔する奴ばかりだ」

 うーん、とエレオノーラは少し考える。

「では、ジル様。デートに誘ってください。できれば、あまり人のいないところがいいです。人の目が少なければ、私もこのような変装をすることもないので」