「あ、はい……えっと、コンクールの絵はまだ完成してないというか……いろいろ描いてはいるんですけど」
真っ赤なりんごを丁寧にむいてくれるたえちゃんの手元は、すいすいと皮を切り取っていく。「あらそうだったのね」とすぐ目を細めたたえちゃんは、優しくこう問いかける。
「もしよかったら、見せてくれないかしら」
「え……」
意識は思わずあの一番上の引き出しに逸れた。
吉瀬だけが存在するあの絵が、窮屈な場所へとしまいこまれている。それを思い出しては「いや……ちょっと」と曖昧な返事が口に出ていった。
「まだ、見せれるものじゃなくて……完成品じゃないので」
「いいのよ、完成品じゃなくても。呉野くんが描きたいものが、おばちゃんは気になるだけなの。先生としてじゃなくて、おばちゃんとしてだから、そんな萎縮しないで」
そう言われてしまうと、がんじがらめになっていた心が、少しだけ和らぐ。
自分の絵を人に見せるというのは、とても勇気がいることなんだと知って、ほんのわずか時間を要しては「はい……」と頷いて見せた。
「吉瀬さん?」
引き出しから取り出した画用紙をたえちゃんに渡すと、すぐにあの柔らかな声で彼女の名前を口にした。
「あ…………はい」
認めてしまっていいのか不安になって、けれどそれは他人の目から見ても彼女だと認識してもらえるぐらいにはなっているんだなと、どこか安心する。
「そう……すごく綺麗ね」
しみじみと、たえちゃんは感心するように、一枚一枚時間をかけてじっくりと見つめていく。めくられる度に、ごくりと唾を飲んで反応を伺っている自分がいる。
なんだかんだ言って、人の評価は気になる、たとえ、今は先生としてのたえちゃんではないにしても、絵に携わる人に見てもらうというのはどうも緊張して仕方がない。
しばらく眺めていたたえちゃんは、最後の一枚を見て、ぐっと深い息を吐いた。それがどういう意味の息なのかわからず、思わず「あの」と声をかけた瞬間、
「──吉瀬さんが愛おしくてたまらないのね」
思いがけないその返しに、なにかが弾けていくような感覚だった。どくんと、心臓が激しくバウンドして、決定的ななにかを突きつけられたような、そんな衝撃。