蝉がうるさくて仕方ない。うんざりとしてしまう。この声で現実に引き戻されるような感覚で、途端に耳を塞ぎこんでしまいたくなる。
 それでも蝉は鳴く。鳴き続ける。
 黙れと声をあげたって、競うように声をあげたって、蝉が静かになることなんてない。

「こんにちは」
 ふと、声が落ちてきたのは、改めて検診日で病院を訪れたとき。ロビーで座っている俺に話しかけてきたのは理子だった。
「……こんにちは」
 いきなり声をかけられ、狼狽えるように弱々しい声が出ていく。そんな俺に、理子はわかりやく「はあ」とため息をついた。
「え……なに?」
「いや? ただ、そんなあからさまに困られるとこっちが困るっていうか。いつもの図々しい態度はどこいったのか」
「……図々しいのはそっちでは?」
「はい?」
「いや、なんでもない」
 年上相手にずけずけと、いつも棘しかないようなボールを投げてくる気がするが。そこを突っ込むとまた面倒なことになりそうだからと、ぐっと口をつぐむ。
「検診ですか?」
 どかっと、人一人分スペースを空けては隣に座る理子に「あ、……うん」と躊躇いがちに頷く。
 拓哉が亡くなって、どんな顔をすればいいかわからなかった。そんな俺に、またしても溜息が飛んでくる。
「なんでこんな人に懐いてたのか……」
 心底わからないといった顔で理子は天井を仰ぐ。おそらく拓哉のことを言っているのだろう。俺もそこは同感だ。なぜ懐かれていたのかわからない。
 しばらく沈黙が続き、はてどうするべきかと思っていれば、
「今日は拓哉の忘れ物、引き取りにきたんです」
「え……」
「っていうのはうそで、あなたに会いに来ました」
「え……なんで一回嘘を挟んだ?」
「そこはいいじゃないですか。乙女心を察してください」
「あ……ごめん」
 相変わらず冷え切った声色に、大人しく従ってしまうが、今のは俺が悪かっただろうか。
「で……なんで俺に?」
「一言、ちゃんと言っておかないといけないと思いまして」
 ぴりっと、緊張が張り詰めたような気がして、自然と背中が伸びる。