30日後に死ぬ僕が、君に恋なんてしないはずだった

「なになに? ふたりでなんのコソコソ話?」
 肩に回された腕とともに、背後から人間の重心をかけられ前のめりになる。
 吉瀬との距離が少しだけ埋まり、ハッとしてはぐっと背中を伸ばす。
「……べつに」
 声の主なんて、そもそもこうして俺に触れてくる奴なんて一人しかない。
 よりにもよってこのタイミングだなんて、やっぱり高岡は空気が読めないんだなと再認識する。
「え? 噓だあ、仲良く喋ってたの俺見てたよ? 吉瀬と話してるの。ね、吉瀬」
 そう彼女に話を振って、同意を求める。彼女はふわり、笑う。「まあね」と。
 ――ああ、やめてほしい。
 吉瀬との時間を、今まで紡いできた時間を、取られてしまいそうな感覚を覚えた。
 この男にそんな気がないことを分かっているのに、それでもこの焦燥感に似た感情を拭い去ることなど出来ない。
「高岡くんは夏休みなにするの?」
 人当たりのいい顔で、吉瀬は高岡に話を持っていく。
 それは場をもたせるための優しさか、それとも好意から抱く興味か。
「俺? 俺はもう毎日バイト。バイト三昧。朝から夜まで、下手したら休みなしで働いちゃう予定」
「え? 大変じゃない? 勉強とか」
「ああ、俺就職組だからさ。受験勉強とかしなくてオールオッケーなんだよ。いいだろ」
「いいなあ、でも就職は就職で大変そうだけどね」
「そうなんだよ。働くっていうのはこれまたなあ」
 あっという間に高岡のペースにのまれてしまう。どこでも、どんな人でも、高岡は高岡だ。その人間性を貫いて、人を盛り上げ、そして場を和ます。
 俺はここにいるようで、ここにいないような感覚になる。
 二人だけで成立する会話に、俺はここにいる必要があるんだろうかと思ってしまうのは、俺が卑屈だからなのか。
「呉野は受験組だっけ?」
 高岡の視線が俺に向けられ、視線が下に落ちる。
「……いや、受験はしない」
「あーじゃあ俺と一緒か」
「……」
 同じように括られても、俺と高岡では決定的な違いがある。俺はただ、受験しないだけだ。それが就職とイコールになるとは限らないことを、この男は知らない。
「呉野くん?」
 覗き込むようなその瞳に、汚れた感情が引いていく。
 彼女の透き通ったその色は、まるで醜いものを浄化してくれる効果があるらしい。
「……ああ、いや、じゃあ、夏休み、よろしく」
 最後に精一杯の愛想を見せては、高岡の腕から離れるように席についた。
 拓哉にとって俺が毒なように、きっと俺にとっての毒は高岡だ。
 こんな感情なんて、知らない方がずっと良かった。人と関われば関わる程、自分の醜さが露呈していくようで嫌いだ。
 こんなの、知らな方がずっといい。だから一人を、貫いてきたつもりだったのに。


 夏なんて、季節で一番嫌いだった。灼熱地獄の世界をこの肌と戦っていかなければならないなんて、どんだけ重い十字架なんだよと、毎年毒づいて終わっていく。
 今年も例年通り変わらない夏を過ごしていくんだと思っていた。変わることのないこの季節を、静かに待つだけだと。
「あ、やっぱり呉野くんに先越されちゃってたか」
 いつも通り、空き教室で準備をしていると、少し遅れて吉瀬がやってきた。とは言っても約束の十分前だ。
「時間、気にしなくていいよ。吉瀬が来れるときに」
「だめだよ、だって、ここで呉野くんが待ってることには変わらないんだから」
「……そっか」
 吉瀬は律儀だと思う。こうして時間はきっちりと守ってくれるし、人の大事にしてるような部分を土足で踏み荒らすようなこともしない。だから誰にでも好かれるような心を持っているんだろうなと納得する。
 人を知ると、自分にないものが浮き彫りになって嫌になってしまう。特にここ最近は、醜い感情に苛まれることが増えた。彼女を知れば知る程、自分にはなかったはずの感情が小さく芽生え始め、そしてそれは次第に膨らんでいく。
「でも嬉しいなあ」
 彼女はいつもの定位置へと座ると、頬をゆるゆると綻ばせた。
「嬉しい?」
「嬉しいよ、だって夕方にこうして出掛けるって、今までのわたしにはありえなかったからね」
 夏休みに入って、まだ一週間も経っていない。それでも、こうして制服姿で現れた彼女を見ると、その期間がとてつもなく長かったように思う。ずいぶんと俺は彼女を待ちわびていたらしい。
「だからね、呉野くんとこうして過ごす夕方は特別だなあって思う」
「……大袈裟だよ」
 俺なんかと一緒に過ごす時間なんて、なにもそんな特別なことではない。
 彼女の時間を奪って、自分の目的を達成させるためだけにお願いしたようなものだ。
「吉瀬は……優しいね」
 だから、その温かさが息苦しくなる。やめてと、言ってしまいそうになることが怖い。
「んー、そう見せてるだけなんだよ、ほんと」
「それ、前に似たようなこと言ってたね」
 少し前も、彼女は、他人のイメージに沿って生きているようなことを言っていた。あのとき滲んでいた寂しさを、今でもはっきり思い出す。
「あ……そうなんだ、わたし前にも言ってたんだ」
 彼女が苦笑を滲ませ、やってしまった、と思った。
 あの時間を、彼女は忘れてしまっている。俺がそのことを覚えておかなきゃいけないのに、
「ごめんね、変なこと言っちゃってた」
 困ったように笑うものだから、なにも言えなくなる。気の利いた台詞なんて、思い浮かびもしない。
 夕焼けが真っ赤に空を燃やしていく。その空を、彼女は窓枠越しから眺めていた。
「ここに来るとね、なんだか心が自然と開いていっちゃうような気分になるんだ」
 なんでかな?と笑う彼女は、やっぱりどこか寂しそうで。
「だから、喋っちゃう。呉野くんに、閉じ込めていた言葉を、吐き出しちゃうんだ。きっと開放感を味わってるんだろうね。心が軽くなっていくような気分」
 そんなことを思ってくれていたんだと、自然と顔の緊張が消えていった。
 別に力んでいたわけではない。でもどこかで、彼女と過ごす時間の重みを深く捉えすぎてしまって、楽になんてなれなかったのだろう。
「……それは、嬉しいよ……俺からすると」
 ここに来て、心を閉ざされるよりはずっと嬉しい。それはきっと、彼女が抱えているなにかから、一時期にも解放されているような気分に聞こえるから。
 今だけは、ゆるやかに、そして優しく時間が流れていくような気がする。それは彼女の線を描きたい俺も、そして俺自身にとっても、心がゆるゆるとほぐされていくような言葉だ。
「わたし……優しいねって、言われるように普段意識してるの」
 ぽつり、ぽつり、こぼされていく声は、あまりにも小さくて、彼女の儚さが際立っていくように見える。
「周りの目ばかり気にして、人の顔色ばかり伺って、それで、優しいねって言われるような行動をとるの。自分の意思じゃなくて、ただ人から優しくされたい一心で。見返りを……求めるだけの優しさなんだよ、わたしのって」
 いつも笑っている彼女は、そんな欠片を一つも見せたりはしない。
 彼女の印象は、明るくて、華があって、けれどどこか危うくて。
 そんな彼女が吐露されていく感情は、きっと彼女の奥深くに眠る大事なもので。
「……卑怯、なんだよ、わたし。優しくなんて、ないんだよ」
 自分を否定ばかりする。そんな言葉なんて似合わないのに、無理矢理当てはめようとしているように聞こえて、切ない。
「優しくされたいって……そんなの誰だって思うことだよ」
 彼女の本音は、俺には痛いほど分かるものだ。
「人は、優しさを求めて生きているようなもんだよ。たとえ突き放しているように見えても、きっとどこかで優しさを探してる。……俺だって、優しくされたいと思う」
 こんな体で、こんな病気で、同情されたくはない。可哀想だとも思われたくない。でも、優しくはされたい。そんな甘えた感情は、俺の中に小さく存在している。見逃せないような、厄介な大きさで、いつまでそこにいる。
「キリもないと思う……優しさはいつだってほしくて、たった一回ではなかなか満足出来なくて、また欲しいと思ってしまう。でも、そういうものなんじゃないのかな。優しさをもらうことが出来るから、人に優しく出来たりする。どんな言葉で救われるか、教えてもらえるような気がする。どんな行動で、どんなタイミングで。それって、自分だけでは分からないものなんじゃ……ないかな」
 優しさをちょうだいとは言えない。だから、ふとしたときに与えられると、心が救われていくような気がする。満たされていくような気がする。
 それは、人と関わることで得られるもので、自分に足りていないところを知っていく機会になる。
「……あ、ごめん。なに急に語ってんだって話だよな」
 吉瀬が喋らないから不安になった。沈黙が怖くなって、どうにか繋ごうと思ったけれど――
「そっか……呉野くんは、そう考えられる人なんだね」
 彼女の黒い髪が、真っ白なシャツの上で揺れていた。
「わたしのような純粋じゃない優しさでさえ、呉野くんは肯定してくれるんだ」
「……優しいよ、吉瀬は」
 彼女にとって、その自分の優しさが受け入れられなかったとしても、それでも傍から見れば、彼女が優しいことには変わらないわけで、でも、誰しもがそんな矛盾を抱えながら生きているようなものだと思う。
 優しくされたいから優しくするは、間違ってるとは思わない。
「でも、呉野くんの方がよっぽど優しいよ」
「俺は全然……吉瀬に比べたら」
「こんな愚痴でさえ真剣に聞いてくれるでしょ? 適当に流してもいいのに、呉野くんは全部受け止めようとするよね」
「……そんないい奴じゃないけど」
「自分が見えてる部分と、人が見えてる部分は違うんだろうね」
 彼女の言う通り、きっと同じにはならない。人は、表面上に出てきているものでしか分からない。その中身がどうであろうと、心が読めない限り、分かるわけがないんだ。
 俺だって、吉瀬が言うように優しい人間ではないけど、でも、そう見えてくれているのなら、少しはマシな人間なんだって思える。
 ――自分が、綺麗な人間なように錯覚してしまう。
「きっと、呉野くんが優しいから、わたしも優しくなれるんだろうな」
 そう言った彼女は、とても綺麗な顔で笑っていた。
「あ、せっかくだから一緒に写真撮ろうよ」
「え……」
 彼女の突発的な提案に思わず心が不快な音を鳴らした。
 顔がひきつったのを見逃さなかったようで「あれ……だめだった?」と瞳を不安気に揺らしながら顔を覗き込まれる。
「あ……ごめん、写真は苦手なんだ」
「そうなの? どうして?」
 昔から写真は避けていた。自分の肌が残されることがこわくて、一番遠ざけたいもので。改めて写真で自分の姿を見てしまうと、病気を違う形で突きつけられるような気がする。
「……ごめん、だめなんだ」
「どうしても?」
「……どうしても」
 彼女はひどく残念そうな顔をする。その顔に申し訳なさが募って三度目の「ごめん」を口にすると、からりと笑う。
「そっか。ならしょうがないね」
 まるでオンとオフがあるみたいに、電気のスイッチのように切り替わった彼女の顔にほっとした。これ以上どう説明したらいいかわからなかったから。
「じゃあ、しっかりとわたしを見つめてくださいな」
「なんかそれ語弊があるな……」
「えーでも同じ意味でしょう?」
「まあ……そうなんけど」
「ほら、存分に書いてください」
 彼女がおちゃらけてくれて、場の空気を一気に柔らかくしてしまう。
 あまりにも幸せな時間だった。幸せ過ぎて、自分がいる世界が見えなくなってしまっていた。
 幸せな場所なんか、自分には似合わないということを忘れてしまっていたんだ。
 神様が許してくれるわけなどなかった。俺は、ずいぶんと自惚れていた。
 夏休みに入って初めての病院だった。8月上旬。夏本番。月に一度でも、こうして病院で診てもらわなければいけない身体というのはどうも不便で仕方がない。
 今日だって、言われる言葉は決まっていて、変わりがないという結果をもらうだけだ。
 この時期に長袖を着ているせいで、周囲からジロジロと不信感を抱いたような視線が飛ばされる。
 夕方、日差しがずいぶんと減った時間だけれど、それでもやっぱり太陽は微かに残っている。
 ――ああ、吉瀬は今頃、なにをしてるのかな。
 大学にいくと言っていた吉瀬は、夏休みも勉強漬けらしく、塾にこもりっきりだという。
 それでも、勉強は夕方まで。その時間に勉強しても忘れちゃうからと、彼女は笑っていた。
 だから、彼女が今、どんな風に過ごしているのか気になってしまう。
 
 病院の中が、やたらと慌ただしいことに気付いたのは、受付を済ませ、ロビーで待っているときだった。
 人が行ったり来たり。その中には俺の主治医の先生も混じっていて、俺に気付かないまま通り過ぎていく。
 ――嫌な予感がする。
 昔から、病院に来ることが多くて、だからこそ、こういう雰囲気をいち早く察してしまう。
 エレベーターが到着した音に視線を向ければ、出てきたのは理子だった。
 冷静で、顔色一つ崩さないあの理子が、この世の終わりだと言わんばかりの顔で走っていく。
 途中、俺と目が合うと、その瞳は不安げに揺れて、唇を噛みしめていた。
「……もしかして、拓哉になにかあった?」
 そのまま通り過ぎて行こうとする理子の背中に問いかけると、その足はぴたりと止まった。
「……状態が悪化したって……今日が山場かもって」
 強気な理子の声が、震えていた。
 俺の顔を一瞥すると、大きく息を吸って、なにかを振り切るように走って行った。
 ――俺は、その後ろ姿を、ただ静かに見つめていることしか出来なかった。理子の背中を追いかけることも――拓哉に会いに行くことも、出来なかった。
 予約の時間になっても先生は現れず、看護師に「ごめんね、今日は診てもらえないかも」と声をかけられた。
「ああ……はい」と答えるので精一杯で、立ち上がることも出来ず、ただ静かにその場に座り続けた。周りがどんどん名前を呼ばれ、診察室に入っていく中、俺はただ一人、取り残されたように、その場から動けなかった。
「……ねえ」
 不意に落とされたその声にハッとする。どれくらいそうしてただろうか。顔を上げれば、いつになく冷たい理子の顔があった。
「拓哉が……あなたに会いたいって、……言ってます」
 か細く、そう絞り出すのがやっとのような、そんな音。
 顔のラインで切りそろえられた黒い髪が闇に溶け込んでいくに見える。
 俺になんて一番会わせたくないと思っているくせに、理子は拓哉に甘い。――いや、甘やかすことが、理子に出来たことだったのかもしれない。
 あまりにも脆く、儚い、姉と弟の関係。
 会いたいと、拓哉が望んでくれたことは嬉しかった――けれど、罪悪感の方が大きかった。あんな小さな体で、あんな純粋な子が、もう山場かもしれないと告げられた。
 俺たちがいる世界は、そういう世界だということを、俺はどこかで忘れてしまっていたのかもしれない。
 理子はロビーで待っていると言った。月の光に照らされた彼女の頬は、涙のあとが残っていて、弟の死を覚悟出来ていないその横顔に心が痛んだ。
 拓哉の病室の前まで行く、すすり泣く声が聞こえる。ぼそぼそと、男女の会話は、きっと拓哉の両親なのだろう。
 家族の時間を邪魔していいものだろうかとノックを躊躇ったが、拓哉が俺に会いたいと願ってくれたことを思い出し、扉をノックした。
 ガラガラと、レールを滑っていく扉の先には、拓哉の両親がベッド脇に座って泣いていた。
 足が竦んでしまいそうになり、声がひゅっと止まってしまいそうになる。
「……あ、あの、すみません。拓哉に、会いたくて」
 ――違う。会いたいは、うそだ。本当は、ここから逃げ出したい。
「もしかして、ゆき……さん?」
 拓哉の母親が俺を見て尋ねる。その目は赤く染まっていた。
「あ……呉野幸人です。拓哉と……よく話をしていて」
 どう説明したらいいのか分からない。よく、なんて関係でもなかったけれど、上手い言葉が見つからない。
 ベッドの上で眠る拓哉は、あどけない顔で弱りきっていた。息をするのもやっとなのだろうか、その呼吸はどこか苦しそうだ。
「……拓哉に、会ってあげて」
 拓哉の両親は、二人揃って無理して笑ってくれた。「拓哉も喜ぶと思うから」と。廊下を出ていった二人に「……ありがとうございます」と小さく漏れていく声。少しでも拓哉と一緒にいたいはずなのに、こんなときでさえ気を使ってくれる拓哉の両親。その心中を察すると、あまりにも痛い。
 ベッドサイドにあるパイプに座っては、静かに眠る拓哉の顔を眺めた。
 ずっと病院暮らしだった。学校にも行ったことがなかった。
 それでも、拓哉はいつもにこにこしていた。病気を感じさせないその顔に、いつだって俺は怯えていた。
 後悔ばかりが押し寄せる。もっと優しくしておけばよかったとか、もっといろんなことを教えてやればよかったとか――俺が拓哉になってやれたらとか。
 そんなことを考えては、拓哉の顔が見れなくなっていく。
 シーツから出ていた拓哉の手は、まだまだ子供の手をしている。小さくて、大人になりきれない手。
「……ゆき、兄ちゃん」
 途切れ途切れに聞こえたその声に視線を上げると、目を閉じてた拓哉が、俺を見ていた。
「……来て……くれたんだ」
 その顔が、ほろほろと緩んでいく。苦しい中でも、人を安心させようとするその顔に言葉が詰まる。
「……ゆき兄ちゃんにね……会いたいって、思ってたんだ」
「……どうして?」
「話、したくて……」
 つたない喋り方で、それでも、普段見せている笑みとは変わらないものを、今なお浮かべようとしている。
 げっそりとした頬が見ていられなくて、視線を逸らしてしまいたくなる。それでも、拓哉の顔から目が離せない。
「前に……アニメの話、してくれた……でしょ? あのね、ぼく、ずっと考えてたことがあって……どうしてぼくは、病気を持って生まれてきちゃったんだろうって……。病気があるとね……おとうさんも、おかあさんも、理子も、ずっと泣いてて……ずっと、頑張ってて」
 拓哉から見た自分の家族は、いつだって辛そうに見えていたのだろう。
 人のことを思いやる拓哉にとって、それはとても耐え難いものだったはずで。
「ぼくね……生まれてこない方がよかったのかなって……おもってたんだ……」
「そんなこと……っ」
「うん……そんなこと、ないんだって……ゆき兄ちゃんの話を聞いて、思ったよ。病気は悪いものじゃないって、神様が与えてくれたものだって……思ったら……ぼくは、特別になれてたんだって……思えるんだ……。ほかの人が……けいけん、できないこと……ぼくは、できてるんだって……これは、ちゃんと、意味があるんだって……」
 それは本心から出る言葉なのだろうか。それともまだ、自分に言い聞かす言葉だったのだろうか。
「ねえ……ゆき兄ちゃん……意味……あるんだよね? ぼくたちが……病気になる意味……ちゃんと……あるんだよね?」
 生まれてからずっと、抱えてきたそれは、自分の力ではどうすることも出来なくて、課せられたのか、はたまた科せられたのか、生きてる人間には分からないんだ。
 周りは、希望を持たす言葉ばかりを投げかける。でも、自分の身体は自分が一番よく知っていて、そんな希望がないことぐらい、本当は分かっているんだ。
 分かっていて、それでもやっぱり、その希望に縋っていたいと思ってしまう。
 たとえ根拠のない言葉でも、たとえただの励ましだったとしても、それを拒絶したくなる気持ちや、それを受け入れたい気持ちと常に戦わなければならない。
 この小さな身体で、一体どれだけの苦悩を背負って生きてきただろうか。
 いつも笑ってるその裏で、一体どれだけ泣いてきただろうか。
「……あるよ」
 病気は憎い。授かれてよかったなんて思えるはずもない。出来れば、健康体で生まれてきたかった。
「神様は、拓哉を選んだんだ。拓哉だから、特別に」
 でも、そんなこと、今の拓哉に言えるはずがない。そんな無慈悲な言葉なんて、衰弱していく拓哉に突きつけられるものじゃない。
 だから、どれだけでも嘘をつく。今だけは、どれだけでも。
「……そっかあ……そうなんだ……特別か」
 拓哉は笑っていた。最期まで。
 目を閉じて、それから、こう言った。
「生まれてこれて……よかったなあ……ぼく……しあわせ、だったなあ……」
 幸せだと、そう残した拓哉は、本当に幸せそうな顔で眠っていった。
 静かで、あまりにも穏やかな、そんな夜が、どうしようもなく怖くて、悲しかった。