「なになに? ふたりでなんのコソコソ話?」
 肩に回された腕とともに、背後から人間の重心をかけられ前のめりになる。
 吉瀬との距離が少しだけ埋まり、ハッとしてはぐっと背中を伸ばす。
「……べつに」
 声の主なんて、そもそもこうして俺に触れてくる奴なんて一人しかない。
 よりにもよってこのタイミングだなんて、やっぱり高岡は空気が読めないんだなと再認識する。
「え? 噓だあ、仲良く喋ってたの俺見てたよ? 吉瀬と話してるの。ね、吉瀬」
 そう彼女に話を振って、同意を求める。彼女はふわり、笑う。「まあね」と。
 ――ああ、やめてほしい。
 吉瀬との時間を、今まで紡いできた時間を、取られてしまいそうな感覚を覚えた。
 この男にそんな気がないことを分かっているのに、それでもこの焦燥感に似た感情を拭い去ることなど出来ない。
「高岡くんは夏休みなにするの?」
 人当たりのいい顔で、吉瀬は高岡に話を持っていく。
 それは場をもたせるための優しさか、それとも好意から抱く興味か。
「俺? 俺はもう毎日バイト。バイト三昧。朝から夜まで、下手したら休みなしで働いちゃう予定」
「え? 大変じゃない? 勉強とか」
「ああ、俺就職組だからさ。受験勉強とかしなくてオールオッケーなんだよ。いいだろ」
「いいなあ、でも就職は就職で大変そうだけどね」
「そうなんだよ。働くっていうのはこれまたなあ」
 あっという間に高岡のペースにのまれてしまう。どこでも、どんな人でも、高岡は高岡だ。その人間性を貫いて、人を盛り上げ、そして場を和ます。
 俺はここにいるようで、ここにいないような感覚になる。
 二人だけで成立する会話に、俺はここにいる必要があるんだろうかと思ってしまうのは、俺が卑屈だからなのか。
「呉野は受験組だっけ?」
 高岡の視線が俺に向けられ、視線が下に落ちる。
「……いや、受験はしない」
「あーじゃあ俺と一緒か」
「……」
 同じように括られても、俺と高岡では決定的な違いがある。俺はただ、受験しないだけだ。それが就職とイコールになるとは限らないことを、この男は知らない。
「呉野くん?」
 覗き込むようなその瞳に、汚れた感情が引いていく。
 彼女の透き通ったその色は、まるで醜いものを浄化してくれる効果があるらしい。
「……ああ、いや、じゃあ、夏休み、よろしく」
 最後に精一杯の愛想を見せては、高岡の腕から離れるように席についた。
 拓哉にとって俺が毒なように、きっと俺にとっての毒は高岡だ。
 こんな感情なんて、知らない方がずっと良かった。人と関われば関わる程、自分の醜さが露呈していくようで嫌いだ。
 こんなの、知らな方がずっといい。だから一人を、貫いてきたつもりだったのに。