彼女はまた、口角を上げた。おそらく無理をして。
「んーなんだろう、なんかさ、普段聞けないことを聞いてみたくなっちゃって」
「聞けないことって……」
「ほら、この時間のことって忘れちゃうから。もし呉野くんに嫌なこと言われても、明日のわたしは覚えていないでしょ? 都合いいかなって」
 なんだか吉瀬らしくない言葉だなと思った。どこか投げやりに聞こえてしまうのは何故だろうか。――いや、わざとそうしているのかもしれない。投げやりを装っているのかもしれない。
「あ、もしかして前にも呉野くんに同じこと言ってる?」
 ハッとしたような顔で申し訳なさそうにする彼女は、どうやら俺の困惑を見て誤解してしまったらしい。
「いや、初めて聞かれた」
「本当? ならいいんだけど」
 こういう、ちょこちょことしたシーンで、彼女の記憶は本当になくなってしまうんだなということを実感する。
 たしかに彼女の事情は知っていたし、知っているからこそこうして時間を共に過ごしているわけだけど、それでもやっぱり実感なんてどこか遠くにあったのだと思う。
「こんなの聞けるのも呉野くんぐらいだからさ。なんか、呉野くんにとってのわたしのイメージってなんなのかなあって」
「イメージか……」
 不意に目の前にあるもう一人の彼女に視線を落とす。
 柔らかく微笑む彼女の印象は、きっと俺の中で存在している吉瀬なのだろう。
「明るくて、真面目で……優しい、かな」
 当たり障りのないようなものばかりだとは自覚していた。それでも、そんな言葉たちが彼女にはしっくりきてしまうのだ。
「そっか……やっぱ、そういうイメージだよね」
 自嘲にも似たような笑みが口角の端に滲んでいる。まるでそう言われることが最初から分かっていたような言い回しに「なんで?」と、聞かずにはいられない。
 彼女は、「んー」と可愛らしく唸る。それは、言ってもいいのかという躊躇いのようにも見える。
 数秒微かに微笑んだ彼女は、「引かないでね」と前置きをして、それからそっと吐き出す。
「そう見えるように、してるから、かな」
 すらりと言葉が出てこなかったのは、躊躇いを完全に拭いきれなかった証拠なのだろうか。