「――……くん、呉野くん」
 ハッとしたのは、吉瀬の声が鼓膜に届いた時。
 ミンミンと騒がしく鳴いていた蝉の声が途端に大きくなっていく。少し離れた場所に座る吉瀬は「どうしたの?」とどこか心配そうな顔つきで俺を見つめていた。
「あ……いや」
 右手に握っていた鉛筆をぎゅっと握っては「ごめん」とつけくわえた。
 教室は橙色に染まっている。その中に佇む彼女はあまりにも綺麗で、そんな彼女の貴重な時間をもらっておきながら、俺は昨日のことを思い出していた。
 拓哉との思い出は、重ねるごとに俺の心を少しずつ蝕んでいく。まるで病気と同じだ。じわじわと、得体の知れない黒い何かが、俺の心を覆い隠そうとしている気がして、その瞬間にいつも引きずりこまれそうになる。
 彼女の線を空間から切り取った絵が、真っ白な紙の上で存在していた。夕日に照らされる、彼女の横顔。忘れ去られてしまう、彼女の時間。
「呉野くんってさ」
 再び彼女の絵に取り掛かろうとすれば、ふと聞こえた穏やかなトーンに視線を上げた。
 ゆるゆると絡まるようなその視線は、かちりとハマり、離せなくなる。
「わたしのこと、どう見えてる?」
 それは、なんとも言えないような顔だった。無理矢理言葉に当てはめなければならないのなら、痛々しく笑っているように見える、だろうか。
「え……」
 自然と、紙の上を滑っていた手の動きも止まる。まさかそんな質問をされるとは思っていなかった。
 これは彼女なりの気遣いなのだろうかと考えては、いやどうだろうかと自分で首を傾げる。
 俺の様子が少し変だと察して、場を取り繕うと、突拍子もない質問を投げてきたのだろうかと思ったけれど、真意なんてものは分からない。俺は吉瀬でもなければ、吉瀬の心が読めるわけでもない。
「……それって、どういう意味?」
 ならばと、馬鹿正直に真意を尋ねたのが正解だったとは思えないが、それでも俺は聞かずにはいられなかった。