「それじゃあ」
 はなから競争する気がなかった彼女は、必ず大好きな弟を勝たせようとする。だから慌てることはしないし、それが優しさだと思っている。
『理子にはね、本気で戦ってほしいんだあ』
 前に拓哉が言っていた言葉が頭の中で残っていた。
 本当は、拓哉のあの元気も作りものだ。理子が本気で戦わないことを、拓哉は知っている。それでも、戦う姿勢を見せて、にかっと笑う。
 優しさは、時に誰かを静かに悲しませる。こうして弟の為にと思ってやってることも、拓哉にとってはそれは望んでいないことを、彼女は知らない。そして俺の口からも、知らせてあげることは出来ない。彼女は他者との交流を避けている。
 弟を守るように、自分が嫌われ役を買って出る。それが彼女だ。
 彼女のきつい言葉を、俺は黙って聞き入れるしかない。反論することも出来なければ、牙を剥き出すことも出来ない。
 ――俺はたしかに、拓哉にとって毒だ。
 拓哉が仮にそんなことを思っていなかったとしても、拓哉の周りの人間にはそう思わせてしまう。特に、あの理子のように。



「昨日休みだったけど、体調でも壊してたの?」
 週明けの月曜日を休んだこともあり、翌日の美術の時間で吉瀬に尋ねられた。
「あ、いや……病院で」
「病院? じゃあやっぱり体調?」
「ううん、診察」
「診察?」
 こてんと傾げた彼女は、「あ、そっか」と察したような顔を見せる。
「病気の?」
「そう」
「そっかそっか。えっと、大丈夫……なの?」
 ごめん、こんなこと聞いてと若干申し訳なさそうにする彼女に首を振る。
「大丈夫」
 俺の場合、病気の進行は比較的遅いと言われている。こんなことは奇跡に近いようなことで、本来ならばこうして学校で絵を描いているなんてことは考えられない。ましてや学校に行けてることも珍しいとされている。俺のようなこの年齢は。
「わたしもたまーに行くよ。まあ半年に一回ぐらいだけど」
「頭の?」
「そうそう。でもさ毎回同じこと言われるの。〝はい、じゃあまた次様子見ましょう〟って。別に悪くなってないみたいだけど、かと言って良くもなってないんだなって思う」
「ああ……なんか分かる気がする」
 言われることはあまり変わらない。それは確かに現状問題ないのかもしれないけれど、逆言えば良好とも言えない。〝治ってきてますね〟と言われれば、光を感じることもあるが、変わらないのであれば……気持ちも変わらないままなんだ。
 ケント紙に彼女の線を切り取っていく。少しづつ、少しづつ増えていく線だが、やはり難しい。何度も消してしまうし、なかなか完成には近づけない。