「え? あー……うん、絵を習ったことは一度もないかな」
 ――本当にいた。この世界には本物の天才がいたらしい。
 翌週。選択授業である美術の時間が訪れ、呉野くんに気になっていた質問を投げかけると、ありえない答えが返ってきた。
「本当にないの? 本当になくて、あれだけ上手に描けるの?」
「いや、普通だよ。普通のりんごだから」
「全然違うよ!」
 なんならわたしの描いたお粗末なりんごを彼に見せてあげたい。とても美味しそうには見えないりんごを。
「はあ……じゃあ本当にすごいね。経験ないんだもんね」
「ないね……でもそんな吉瀬が言ってくれるほど上手いわけでもないけど」
 彼はとことん謙虚なのか、わたしの言葉を素直に受け止めてはくれない。前回も否定されてしまったし、今回もまた否定されてしまった。やっぱり慧子が直接褒めた方が説得力はある。
 ちらりと隣に視線を流すと、口を尖らせ真剣モードになってる熱い横顔が視界に入る。
 ……慧子、集中するとたこ口になるんだよね。
 きっとわたし達の会話も聞こえていないのだろう。それだけ集中出来るほど、絵が本当に好きなんだということが伝わってくる。
「あ、ねえねえ。呉野くんってコンクールとか興味ないの?」
 きっと彼なら――そう思って出した話題に、それまで伏せ気味だった視線がふっと持ちあがった。珍しく、彼の反応が大きく見える。あまり動かないイメージの表情筋からは、驚きと困惑が滲んでいるような気がした。
「……ああ、えっと、一応出ようとは思ってる」
 彼から予想外の返事が戻ってきたことに「そうなの?」と驚きが飛んでいく。
 まさかコンクールをあることを知っているではなく既に出ようとしているなんて。
「すごいね、コンクール出るなんて」
「いや、ぜんぜん……まだ描き始めてもないし」
「間に合うの? 秋のコンクールだよね?」
 わたしの問いかけに、彼は苦笑を見せる。