「……そっか」
ぼそり、彼女の答えに出たのは、どこまでも情けない一言だった。
似たような経験を持つのに、彼女の場合は次元が違う。ごっそり抜けてしまう記憶があるというのは、やっぱり俺では想像も出来ない。
「だから、もし昨日の夕方、呉野くんと話してたことがあるなら、その……」
「あ、いや……たいした話じゃないから」
そう、たいしたことではなかった。彼女の記憶からごっそり抜け落ちても、なんの問題もない、そんな時間だったんだ。それを俺が、勝手に特別視してしまっただけの話で。
彼女が覚えていなかったら、話を振ったりしなかった。蝉の墓も、コンクールの話も、わざわざぶり返したりなんかしない。俺だけの心に留めておいたのに。
彼女は困ったような顔で「ごめんね」と謝った。きっと今までにも、こんなことがごまんとあって、その度に彼女は謝ってきたのだろうか。故意で忘れてしまったわけじゃない記憶の罪を、彼女はこうして謝り続けてきたのだろうか。
それはやっぱり、とても辛いことなんだろうな。中には覚えておきたいと思う記憶だってあったはずなのに、翌日には忘れてしまうのは、辛くないのだろうか。その真意に踏み込むことは出来なかった。紙には、ぼんやりと輪郭どった彼女の線だけが静かに浮かんでいた。
「なあ、また忘れたんだよ。やばくね? なんで忘れると思う? 教えてくれよ」
「知らないよ」
昼前の四限目。二日続けて美術の時間があれば、体育の時間だって待ち構えていた。よりにもよってまたグラウンドだ。今日はハンドボールをするらしい。そんな中、長袖のカッターシャツを着てる俺は、恒例となった木の下の影に逃げ込み、その隣には、あのうるさい高岡が並んだ。どうやら今日もジャージを忘れたらしい。馬鹿なんだろうか。
「見学って暇じゃね?」
「まあ……暇だとは思うけど」
外に出る以外の種目なら参加出来るが、俺の都合で授業を進めていくわけにもいかない。結果的に出来ない授業もあれば、参加出来るものもある。それはジャージを忘れたとか、そんな理由とはかけ離れたものだ。
「いつも何してんの?」
「別に……ぼーっとしてる」
「うわ、暇。暇の極みじぇねえか。俺、暇は嫌いなんだよなあ」
いちいちオーバーなリアクションを見せる男に「あっそ」と短く返す。それは、俺が暇好きみたいな発言に聞こえなくもないけれど、わざわざ突っ込んだりはしない。高岡とは別にそこまので仲じゃない。
「あ、呉野って選択授業、美術だろ? どう? 楽?」
「楽とは思わないけど」
「え? そうなん? でも音楽よりマシじゃね? 再来週の課題テスト、ソロで歌わされるんだぜ? まじで地獄じゃね?」
「ご愁傷様」
そんなこともあるだろうから、音楽を回避をした。一人で歌うなんてどんな拷問だ。
ぼそり、彼女の答えに出たのは、どこまでも情けない一言だった。
似たような経験を持つのに、彼女の場合は次元が違う。ごっそり抜けてしまう記憶があるというのは、やっぱり俺では想像も出来ない。
「だから、もし昨日の夕方、呉野くんと話してたことがあるなら、その……」
「あ、いや……たいした話じゃないから」
そう、たいしたことではなかった。彼女の記憶からごっそり抜け落ちても、なんの問題もない、そんな時間だったんだ。それを俺が、勝手に特別視してしまっただけの話で。
彼女が覚えていなかったら、話を振ったりしなかった。蝉の墓も、コンクールの話も、わざわざぶり返したりなんかしない。俺だけの心に留めておいたのに。
彼女は困ったような顔で「ごめんね」と謝った。きっと今までにも、こんなことがごまんとあって、その度に彼女は謝ってきたのだろうか。故意で忘れてしまったわけじゃない記憶の罪を、彼女はこうして謝り続けてきたのだろうか。
それはやっぱり、とても辛いことなんだろうな。中には覚えておきたいと思う記憶だってあったはずなのに、翌日には忘れてしまうのは、辛くないのだろうか。その真意に踏み込むことは出来なかった。紙には、ぼんやりと輪郭どった彼女の線だけが静かに浮かんでいた。
「なあ、また忘れたんだよ。やばくね? なんで忘れると思う? 教えてくれよ」
「知らないよ」
昼前の四限目。二日続けて美術の時間があれば、体育の時間だって待ち構えていた。よりにもよってまたグラウンドだ。今日はハンドボールをするらしい。そんな中、長袖のカッターシャツを着てる俺は、恒例となった木の下の影に逃げ込み、その隣には、あのうるさい高岡が並んだ。どうやら今日もジャージを忘れたらしい。馬鹿なんだろうか。
「見学って暇じゃね?」
「まあ……暇だとは思うけど」
外に出る以外の種目なら参加出来るが、俺の都合で授業を進めていくわけにもいかない。結果的に出来ない授業もあれば、参加出来るものもある。それはジャージを忘れたとか、そんな理由とはかけ離れたものだ。
「いつも何してんの?」
「別に……ぼーっとしてる」
「うわ、暇。暇の極みじぇねえか。俺、暇は嫌いなんだよなあ」
いちいちオーバーなリアクションを見せる男に「あっそ」と短く返す。それは、俺が暇好きみたいな発言に聞こえなくもないけれど、わざわざ突っ込んだりはしない。高岡とは別にそこまので仲じゃない。
「あ、呉野って選択授業、美術だろ? どう? 楽?」
「楽とは思わないけど」
「え? そうなん? でも音楽よりマシじゃね? 再来週の課題テスト、ソロで歌わされるんだぜ? まじで地獄じゃね?」
「ご愁傷様」
そんなこともあるだろうから、音楽を回避をした。一人で歌うなんてどんな拷問だ。