彼女の顔が見れなくて、確認出来なくて、残りの時間をどうするべきかと考えていれば、
「……もしかして、わたし……何か大事なこと、呉野くんと話してたかな」
 か細く、消え入りそうな音が鼓膜に届く。視線を上げれば、ひどく申し訳なさそうな表情を見せる顔を目が合う。
「ごめんね、あの、知ってるかもしれないんだけど」
 そう切り出した彼女の声は、どこか震えているようにも聞こえる。
「わたしね……なんでか分からないんだけど、夕方の記憶だけが翌日にはなくなっちゃって。なんていうのかな、思い出そうとするんだけど、どうしてもその時間だけがごっそり抜けちゃうの」
 知ってる、と言ってしまいそうになるのを喉の奥で留めた。彼女の噂はきっとクラスメイトのみならず、他クラスの生徒も知ってる事実だ。
「変だよね、わたしの頭」
 無理に笑った笑みを微かに口元に残すその顔は、とても痛々しい
「昔からなの?」
 ぼそりと出た俺の問いかけに、彼女は「うん……」と小さく頷く。
「物心ついたときからかな。気付いたら、夕方だけ記憶がないの。おかしいよね、他の時間は覚えてるのに」
 おかしいと、彼女は自分を受け入れらないような言葉で紡いだ。そんなことはないと、俺が言ってしまうのはおかしい気がして、ただ静かに首を振った。
 その言葉に対して、俺は意見を出せる立場ではない。
「……忘れてるって、どんな感じ?」
 そのかわり、間を繋ぐために出て来た言葉はそんな陳腐なものだった。我ながら恥ずかしくて、すぐに取り消そうとしたけれど、彼女は「んー」と悩むような素振りを見せた。
「なんだろう……わたし的にはね、そんな不思議でもないんだ。ほら、人間って昨日のことを思い出すのに、全部細かく覚えてるわけじゃないでしょ? わたしの場合、二時間ぐらいの記憶がなくなってるだけで、あとはある程度覚えてるからそこまで支障がないっていう感じかな。覚えてるはずの時間帯でも忘れてることあるし。あ、昨日の晩御飯何食べたっけ、とか、そんな感覚かな」
 俺のどうしようもない問いかけにも、彼女は生真面目に返してくれる。愛想をしっかりと添えて。俺と違って、彼女は誰とでも仲良くなれてしまう。大きなハンデを背負っていながら、それでも彼女は気さくに人との壁を乗り越えていく。