「やっぱり照れくさいね」
 一限目は幸か不幸か、美術の時間だった。イーゼル越しに彼女とこうして対面するのは二回目で、やっぱり慣れないものがある。「そうだね」と返した俺に「ね」と苦笑する彼女。
 俺と話すことに抵抗はないんだろうか、とか、病気のことは知ってるよな、とか、様々な疑問が浮かぶけれど、何一つとして声として出ていかない。そんなナイーブな話をされたところで困らせるんだろうけど、と思いながらケント紙に世界を落とした。
 彼女の輪郭を切り取っていこうとすれば、不意に夕焼けに照れされた頬を思い出す。きらきらと輝いて見えたあの笑みが頭から離れない。
 彼女と一緒に作った蝉の墓が映像として流れた。それからコンクールのことも、あんなことを誰かと共有するのは初めてで、まだ色濃く残ってるうちに余韻に浸りたいと思った。
「昨日のさ、コンクールの話なんだけど」
 ――あれは、吉瀬に言われたのもあって、受けてみようと思ったんだ、と。そう続けるつもりだった。そう言えば、彼女のおかげだったというのは伝えていなかったと気付いたから。
「コンクール?」
 こてん、と首を傾げた彼女が不思議そうな顔を見せる。まるで初めて聞いたような反応に「あ、えっと」と言葉が詰まる。
「あの、昨日さ、蝉の墓を作った時に――」
「蝉……」
 昨日に繋がるキーワードを懸命に繋ぐのに、ことごとく彼女には届かないような感覚に違和感を覚える。
 なんで……確かに昨日は一緒に……
 あれは夢だったのだろうか。俺が作りだした幻想だったのだろうか。でもあれは確かに……
 そこまで到達して、彼女が抱えてるものを思い出し、呼吸が止まった。
 〝覚えてないんだ、――昨日の夕方のことは〟
 空が真っ赤に燃えていた時間帯。夕日が世界を照らしている時間、彼女はその時の記憶が保てない。そもそも覚えていないのだから、自分がどう過ごしていたかなんて知らない。
 昨日のことは、彼女の中でなかったことになっているんだ。たとえその時間が俺にとって忘れられない記憶になっていたとしても、彼女は違う。今の彼女にとって、あの時の時間はぽっかり穴が空いたように存在していない。
 自分との時間が忘れられているという事実が、すぐに受け止められなかった。
 泳ぐ視線に、増える瞬き。覚えてない。それが分かってしまうと、どう対処すればいいのか分からない。散々迷って、結局出てきたのは「あ……ごめん、なんでもない」という情けない一言だった。
 下手に作った笑みがすぐに崩れていくのを隠すように、上履きに視線を向けた。
 引きつる頬は、上手く笑えていただろうか。違和感に、気付いていないだろうか。