「呉野くんにとって弥宵は、強い光だったんじゃないかな。暗いところを照らしてくれるような、そんな存在だったんじゃないかって、この絵を見て感じるの」
 それを見た瞬間、ありもしない記憶の欠片が、うっすらと姿をあらわしたような気がして。けれどすぐ、さざ波のように引いてしまい儚く消えていく。いくら手を伸ばしても、呉野くんとの日々が、ぜんぜん、思い出せない。
「夕方の弥宵を、呉野くんは残したかったんだろうね」
 慧子の言葉が、深く心の奥に刺さっていく。
 嫌いだったあの時間を、夕方を、呉野くんは必死に残そうとしてくれていた。どんな顔をしているか、わたしに教えようとしてくれていた。
「──っ」
 視界がぼんやりと滲んでいく。じわっと熱くなる瞳からは、頬を熱いものが流れていく。
 ──あれから、泣けなかった。呉野くんが亡くなってしまってから、悲しみよりも、空っぽになってしまったような気がして、泣きたいようで泣けない日々が続いていた。
 彼とは多くの時間を共有したはずなのに。日記にも、夕方彼と過ごした日々が描かれているのに、頭の中には欠片さえその思い出が存在しなくて。
 知っているようで知らない。そんな記憶に戸惑いが続いていた。
 彼が亡くなったと聞かされたのは、退院したと言っていたあの日から二日後のことだった。
 あの日、本当は病院を抜け出していたことも、もう死が迫っていることも、なにも言わなかった呉野くんは、いつもと変わりなく笑っていたらしい。二週間ぶりに会えたと、日記に書いてあるその思い出は、わたしの頭には残っていない。
 病院を抜け出したから、症状が悪化したんじゃないかと罪悪感にかられることもあった。
 抜け出してでも描きたいと思ってくれたのはどうしてなんだろう、とか。そんなことは、もう呉野くんには直接聞けない。聞きたいことは、もう聞けなくなってしまった。
 それだけ、遠いところに呉野くんは旅立ってしまった。
「ねえ弥宵、この絵の弥宵は、すごく楽しそうだよ」