別に誰かを恨むつもりはなかった。
 交通事故ったって、自分が悪い。下り坂の道路の端を自転車でブレーキを掛けずに思い切り走らせていた。結構なスピードになっていたと思う。その時、脇をぎりぎりに市営バスが通って、その風圧で俺は転んだのだ。接触はしていなかったと思う。それでも派手な転び方をして、とっさに右手で受け身を取ったせいで複雑骨折をやらかした。
「バスに轢かれなかっただけ幸せよ。馬鹿」
 と手術が終わって病院のベッドに固定された俺に、開口一番、母親が泣きながらそう言った。
 そっか、幸せか。
 ぼんやりする頭でその言葉を繰り返す。
 包帯にまかれた自分の腕にちらと目をやって、俺は母親に聞いていた。
「……俺の右手、完治するの? 動くの?」
「動くわよ」
 母親は弱々しい笑顔で言った。
「リハビリ頑張れば、日常生活には支障はないだろうってお医者さんが言ってたわ」
「ギターは? 今まで通りに弾けるの?」
 ぐっと母親が息を呑むのが判った。何か言おうと口を開きかけた彼女を制して俺は言った。
「いいよ。どうせ趣味だし。プロになろうなんて思ってたわけじゃないし」
 嘘だった。
 夢はシンガーソングライターという奴。
 ギター片手に新進気鋭のミュージシャン。音楽好きの高校生が考えそうなありがちな夢だ。
「何か音楽、聴きたいな」
 俺がぼんやりと呟くと、慌てたように母親がベッドサイドのラジオに手を伸ばす。ここは個室だから他の入院患者を気にする必要はなくて、少しヴォリュームを上げてもらった。
 聞き覚えのある陽気なDJの声が、ようやく梅雨が明けたね、もうすぐ夏休みだと楽しげに語り、夏にぴったりなこの曲を、とやはり陽気にタイトルコールした。
『サマーアップル サイダーガール!』
 ああ、と溜息が自然にこぼれた。
 軽いギターソロから始まる初恋をテーマにしたこの曲は、今、俺の一番のお気に入りだった。
「ギター、コピーしてたんだけどな」
 なにげに窓に目をやると、梅雨明けのさわやかな夏空がずっと向こうまで続いていた。
 あの空の下には何があるんだろう。
 珍しくセンチになって俺は思う。
 病室の中でくすぶっているこんな俺の世界より、ずっと明るいものがあの空の下にはあるような気がした。