時間を半日ほど遡る。
初春の陽気、窓からは明るい陽射しが差し込む廊下で、扉の向こうから聞こえてくる最愛の妻の呻き声に、辺境貴族マルグリット家の当主クレストは胸を痛めていた。
産気づいてからすでに数刻、四度目の出産だというのに、我が子はなかなか出てきてはくれない。
妻の苦しげな声に耐えかねて、クレストは廊下に跪くと、神に祈りをささげた。
この国の守り神である愛の女神ベローチェに。
すると、クレストの耳朶の奥に突然、若い女性の声が響き渡った。
(忠実なる我が信徒クレストよ。聞こえますか? ワタクシは今、あなたの心に直接語りかけています。ワタクシは女神ベローチェ、誰がどう見ても美しく気高い、女神の中の女神ベローチェです。聞こえますか?)
「め、め、女神さまぁあああ!?」
これには、クレストも流石に腰を抜かしそうになった。
(あなたの子はもうすぐ無事に生まれます。おめでとうございます。あなたの妻の身の安全も、ワタクシが保証しましょう)
「本当ですか! あ、ありがとうございます!」
(そして、その新たに生まれてくる赤ん坊は、ワタクシが選んだ子――女神に選ばれし聖なる子です)
「えっ!?」
(大事に、大事に、育てるのですよ)
「も、もちろんです。私の子が……女神さまにお選びいただけるなんて、なんたる栄誉でしょうか!」
(うん、うん、そうでしょう、そうでしょう。アナタは良くわかっていますね。ご褒美に生え際が後退し始めるのを、二年遅らせてあげましょう)
「ははーっ! ありがとうございます」
(大事に育てるとは言っても、並大抵の育て方ではいけませんよ。まず、怒ってはいけません、叱ってはいけません、説教してはいけません)
「は、はい」
(最高の環境を用意し、最高の待遇を用意しなさい。欲しいというものは何でも買い与えなさい。寝たいというのならいつまでも寝させてあげなさい。食べたいというのなら、なんでも食べさせてあげなさい。女性を望むなら、何人でも侍らせなさい)
「そ、それは……随分な放蕩息子に育ちそうな気もしますが……」
(大丈夫です。そんなに無茶をいうタイプには見えませんでしたから……なんにせよ、その子の望むことを全力で叶えるのです。いいですね)
「は……はぁ」
(返事!)
「ハイッ!!」
(その子が不満を持たずに過ごしている限り、あなたの家の繁栄とあなたの額の生え際の安泰を約束いたしましょう)
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
なんでそんなに生え際? とは思ったが、もちろん口には出さない。
(そして、この子のために従者を遣わしましょう)
「従者でございますか?」
(そうです。この子にふさわしい最強の守護者を遣わせます)
この国、フィグマにおいて貴族は成人と同時に、生涯の主従となる守護者を選ぶ風習がある。
無論、クレストにも守護者、ブルースという名の執事がいる。
だが、生まれたばかりの赤子に守護者をあてがうなど、これまで聞いたこともない。
「どんな方なのでしょう?」
(今夜遅くにこの屋敷を訪れ……え? ちょ!? はぁああああっ!?)
「え、あのぉ……め、女神さま?」
(あ……コホン、失礼。ちょっと未来を覗き見して、ドン引きしてしまいました)
「は?」
(まず、その子が生まれたら、この屋敷から避難しなさい)
「え? それはどういう意味で……」
(ちょっとした手違いです)
「手違い? いや……あの、本当に女神さまなんですよね?」
(そうですよ? なにか問題でも? なんなら今すぐ生え際を後頭部まで移動させてあげましょうか?)
「め、滅相もございません!」
(いいですか、今夜、夜遅く、この屋敷に少女が一人、音速で突っ込んできます)
「音速?」
(音速です)
「…………」
ちょっと、なに言ってんのかわからない。
(そしてその衝撃でこの館は倒壊するでしょう。そして倒壊した後の廃墟、その中央に残った柱に突き刺さっている少女こそが、あなたの子の守護者です)
「突き刺さっ!? ええっ!?」
(インパクト抜群ですよね。あはは、女神のワタクシもドン引きです)
「えーっと……それは一体なんの例えなのでしょう? やっぱり教典的な複雑な解釈の必要なお話なのでしょうか?」
(いいえ、ガチです)
「ガチ?」
(いけません。それ以上考えてはいけません。その時が来ればわかります。いいですね。四の五の言わずに言われた通りにするんですよ!)
「か、かしこまりました!」
かくして、子供が誕生するやいなや、クレストは慌ただしく家財を別邸の方へと運び込み、女神の指示通りに、家族に使用人たち総出で避難する。
そして、別邸で新たに生まれた子の顔を覗き込みながら、妻に女神から受けた神託について説明していると、外からすさまじい轟音が響き渡った。
「き、来た! 音速の守護者か!」
クレストが慌てて表へ飛び出すと、空に浮かんだ月に届くほどに高く砂煙が立ち昇っていた。
それは明らかに本邸のあった場所。
「ブルース! すぐに馬車の用意を!」
「はい、旦那様!」
馬車を用意させ、クレストは自らの守護者たる執事とともに、退去したばかりの本邸へと急ぐ。
そして――
「な、なんだ、これは!」
本邸へと続く道はえぐれて深い溝のようになっていて、えぐれた地面には、プスプスと赤熱した石が黒煙を立ち昇らせている。
クレストと執事ブルースは互いに顔を見合わせると、ゴクリと息を呑んで、その溝の脇を馬車でひた走り、ついに本邸へとたどり着いた。
たどり着いてみれば、本邸は見るも無残な有様である。
柱という柱はへし折れ、屋根は崩落、幾千年の時を経た遺跡さながらに崩れ残った壁が残っているばかり。
そして館を支えていた中央の巨大な柱。
その柱には、蜘蛛の巣上のひび割れの中央に、人間の腰から下が生えていた。
「女神さまのご神託の通り……だが」
一体、何をどうやったら、こんなことになるんだ。
その言葉をぐっと飲みこんで、クレストは柱の方へと歩み寄る。
近づいてみると、その下半身は年若い女性のものらしく、じたばたと暴れていた。
「あ……あの、守護者さま……ですか?」
そう声を掛けた途端、柱の女性の身体がぴくんと跳ねた。
「そう」
そう言って、その女性の下半身はピンと足を伸ばす。
威厳を保とうとでも考えているのかもしれないが、「気をつけ」の姿勢になったせいで、それまで以上に『突き刺さってる感』がスゴかった。
「あの……引っ張りましょうか?」
「ええ、お願い。でもスカートの中を見たら殺す」
「わ……わかりました」
クレストは執事ブルースと頷きあう。
すでにスカートが盛大にめくれあがっていることは、絶対にバレないようにしようと心に決めた。
しれっとスカートを直し、執事と二人でなんとか引き抜いてみる。
畑の根菜さながらに引き抜かれたその人物。それは確かに美しい少女だった。
土煙で多少汚れてはいるが、長い黒髪に紅玉の瞳。三日月のような鋭利な美しさをもつ少女である。
パンツの子供っぽさからは、想像もつかない美しさだった。
「守護者さま、一体、ここでなにが起こったんでしょう?」
「さあ……」
「…………」
さあの一言で誤魔化そうという辺り、すさまじい図太さである。流石は女神が選んだ守護者といったところだろうか。
女神様は『音速』で突っ込んでくると仰っていたが、流石にそれは大袈裟だろう。
そうでなければ、こんな清楚な少女が平然としていられるはずがない。
クレストは、現実を直視するのを止める。そして、気を取り直して少女を馬車に載せ、我が子の眠る別邸まで案内することにした。
クレストは、馬車で向い合せに座った彼女の姿を観察する。
年のころは十七か十八。二十歳は越えていないだろう。
黒髪はこの国でも珍しい訳ではないが、赤い瞳の人間は初めて会った。嘗て世界を脅かした魔王の瞳は、紅だったと聞くが、それをいうのは流石に失礼だろう。
少女が胸元に抱きかかえていた子供の竜は、屋敷につくまでの間、ぐるぐると目を回したまま。
子供とはいえど竜をペットにしているなんて、古の物語に語られる大魔術師ぐらいのもの。
流石は女神さまがお選びになった守護者といったところだろうか。
人との接触を拒むような冷ややかな雰囲気をもつ少女に気後れして、話しかけることも躊躇われたのだが、別邸のすぐそばまで来た頃、彼女の方から口を開いた。
「私が面倒を見る子は、あなたの子供?」
「は、はい。女神さまのご神託で、本日生まれた我が子の守護者が今夜あそこに現れると……」
「ふぅーん、それが私ね。で、その子の名は?」
「は、はい、セルジュと名付けました」
「……最初にいっておくけど、あまり期待しないで。赤ん坊の面倒なんてみたことないから」
「はい、日々の世話は乳母がおりますので、ご心配には及びません」
「そう……良かった。どちらかというと苦手なの、赤ん坊は。妹の時もそうだったけど。意思の疎通もできない生き物は好きじゃない」
まさに気乗りがしないという雰囲気。
いつの間に目を覚ましたのか、胸に抱いた子竜が威嚇するようにクレストの方を眺めていた。
別邸に到着するとその足で、少女を生まれたばかりの我が子のいる部屋へと案内する。
「あなた……そちらがお話の?」
「ああ、そうだ。女神さまが遣わされた守護者殿だ」
「まあ、かわいらしい守護者さまね」
そう言って奥方が挨拶しようと身を起こすのを全く無視して、アーヴィンは赤ん坊の寝かされている籐かごの方へつかつかと歩み寄っていく。
そしてクレストの方を振り返り「この子か?」と問いかけた。
「あ、はい」
アーヴィンは明らかに気乗りしない様子で、藤かごの中を覗き込む。
そこでスヤスヤと寝息を立てているのは、見るからにしわくちゃの生まれたばかりの赤ん坊。
眺めているうちに赤ん坊がうっすらと目を開けた。
産まれたばかりの幼児である。視力などほとんどないのだろうが、青い瞳がぼんやりと少女を見ていた。
(案外かわいらしいものね……泣きわめく様子もないし)
赤ん坊は泣きわめくものだと、偏見めいた思いをもっていたこともあるが大人しいその赤ん坊に、アーヴィンは微かな好感を抱いた。
その瞬間のことである。
赤ん坊と少女の周囲で、魔力が急激に膨れ上がった。
「なっ!?」
それを感じ取れぬアーヴィンではない。
彼女の精神を何かが縛り付けようとしている。特定の感情が膨れ上がっていくのを感じる。
咄嗟にレジストしようとするも、全く歯が立たない。
「なんなの! これ!?」
少女の胸の内が、押さえきれない感情であふれていく。
それは先ほど抱いた微かな好感。それが凄まじい勢いで膨れ上がっていく。
愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。
それはポンコツ女神がこの赤子に仕込んでおいたチートスキルの発動。
その名も『愛の大暴走』
互いに好感を覚えたなら、それがたとえわずかなものであったとしても、瞬時に相手のそれを数千倍にも高騰させる、迷惑極まりないチートスキルであった。
初春の陽気、窓からは明るい陽射しが差し込む廊下で、扉の向こうから聞こえてくる最愛の妻の呻き声に、辺境貴族マルグリット家の当主クレストは胸を痛めていた。
産気づいてからすでに数刻、四度目の出産だというのに、我が子はなかなか出てきてはくれない。
妻の苦しげな声に耐えかねて、クレストは廊下に跪くと、神に祈りをささげた。
この国の守り神である愛の女神ベローチェに。
すると、クレストの耳朶の奥に突然、若い女性の声が響き渡った。
(忠実なる我が信徒クレストよ。聞こえますか? ワタクシは今、あなたの心に直接語りかけています。ワタクシは女神ベローチェ、誰がどう見ても美しく気高い、女神の中の女神ベローチェです。聞こえますか?)
「め、め、女神さまぁあああ!?」
これには、クレストも流石に腰を抜かしそうになった。
(あなたの子はもうすぐ無事に生まれます。おめでとうございます。あなたの妻の身の安全も、ワタクシが保証しましょう)
「本当ですか! あ、ありがとうございます!」
(そして、その新たに生まれてくる赤ん坊は、ワタクシが選んだ子――女神に選ばれし聖なる子です)
「えっ!?」
(大事に、大事に、育てるのですよ)
「も、もちろんです。私の子が……女神さまにお選びいただけるなんて、なんたる栄誉でしょうか!」
(うん、うん、そうでしょう、そうでしょう。アナタは良くわかっていますね。ご褒美に生え際が後退し始めるのを、二年遅らせてあげましょう)
「ははーっ! ありがとうございます」
(大事に育てるとは言っても、並大抵の育て方ではいけませんよ。まず、怒ってはいけません、叱ってはいけません、説教してはいけません)
「は、はい」
(最高の環境を用意し、最高の待遇を用意しなさい。欲しいというものは何でも買い与えなさい。寝たいというのならいつまでも寝させてあげなさい。食べたいというのなら、なんでも食べさせてあげなさい。女性を望むなら、何人でも侍らせなさい)
「そ、それは……随分な放蕩息子に育ちそうな気もしますが……」
(大丈夫です。そんなに無茶をいうタイプには見えませんでしたから……なんにせよ、その子の望むことを全力で叶えるのです。いいですね)
「は……はぁ」
(返事!)
「ハイッ!!」
(その子が不満を持たずに過ごしている限り、あなたの家の繁栄とあなたの額の生え際の安泰を約束いたしましょう)
「あ、ありがとうございます! ありがとうございます!」
なんでそんなに生え際? とは思ったが、もちろん口には出さない。
(そして、この子のために従者を遣わしましょう)
「従者でございますか?」
(そうです。この子にふさわしい最強の守護者を遣わせます)
この国、フィグマにおいて貴族は成人と同時に、生涯の主従となる守護者を選ぶ風習がある。
無論、クレストにも守護者、ブルースという名の執事がいる。
だが、生まれたばかりの赤子に守護者をあてがうなど、これまで聞いたこともない。
「どんな方なのでしょう?」
(今夜遅くにこの屋敷を訪れ……え? ちょ!? はぁああああっ!?)
「え、あのぉ……め、女神さま?」
(あ……コホン、失礼。ちょっと未来を覗き見して、ドン引きしてしまいました)
「は?」
(まず、その子が生まれたら、この屋敷から避難しなさい)
「え? それはどういう意味で……」
(ちょっとした手違いです)
「手違い? いや……あの、本当に女神さまなんですよね?」
(そうですよ? なにか問題でも? なんなら今すぐ生え際を後頭部まで移動させてあげましょうか?)
「め、滅相もございません!」
(いいですか、今夜、夜遅く、この屋敷に少女が一人、音速で突っ込んできます)
「音速?」
(音速です)
「…………」
ちょっと、なに言ってんのかわからない。
(そしてその衝撃でこの館は倒壊するでしょう。そして倒壊した後の廃墟、その中央に残った柱に突き刺さっている少女こそが、あなたの子の守護者です)
「突き刺さっ!? ええっ!?」
(インパクト抜群ですよね。あはは、女神のワタクシもドン引きです)
「えーっと……それは一体なんの例えなのでしょう? やっぱり教典的な複雑な解釈の必要なお話なのでしょうか?」
(いいえ、ガチです)
「ガチ?」
(いけません。それ以上考えてはいけません。その時が来ればわかります。いいですね。四の五の言わずに言われた通りにするんですよ!)
「か、かしこまりました!」
かくして、子供が誕生するやいなや、クレストは慌ただしく家財を別邸の方へと運び込み、女神の指示通りに、家族に使用人たち総出で避難する。
そして、別邸で新たに生まれた子の顔を覗き込みながら、妻に女神から受けた神託について説明していると、外からすさまじい轟音が響き渡った。
「き、来た! 音速の守護者か!」
クレストが慌てて表へ飛び出すと、空に浮かんだ月に届くほどに高く砂煙が立ち昇っていた。
それは明らかに本邸のあった場所。
「ブルース! すぐに馬車の用意を!」
「はい、旦那様!」
馬車を用意させ、クレストは自らの守護者たる執事とともに、退去したばかりの本邸へと急ぐ。
そして――
「な、なんだ、これは!」
本邸へと続く道はえぐれて深い溝のようになっていて、えぐれた地面には、プスプスと赤熱した石が黒煙を立ち昇らせている。
クレストと執事ブルースは互いに顔を見合わせると、ゴクリと息を呑んで、その溝の脇を馬車でひた走り、ついに本邸へとたどり着いた。
たどり着いてみれば、本邸は見るも無残な有様である。
柱という柱はへし折れ、屋根は崩落、幾千年の時を経た遺跡さながらに崩れ残った壁が残っているばかり。
そして館を支えていた中央の巨大な柱。
その柱には、蜘蛛の巣上のひび割れの中央に、人間の腰から下が生えていた。
「女神さまのご神託の通り……だが」
一体、何をどうやったら、こんなことになるんだ。
その言葉をぐっと飲みこんで、クレストは柱の方へと歩み寄る。
近づいてみると、その下半身は年若い女性のものらしく、じたばたと暴れていた。
「あ……あの、守護者さま……ですか?」
そう声を掛けた途端、柱の女性の身体がぴくんと跳ねた。
「そう」
そう言って、その女性の下半身はピンと足を伸ばす。
威厳を保とうとでも考えているのかもしれないが、「気をつけ」の姿勢になったせいで、それまで以上に『突き刺さってる感』がスゴかった。
「あの……引っ張りましょうか?」
「ええ、お願い。でもスカートの中を見たら殺す」
「わ……わかりました」
クレストは執事ブルースと頷きあう。
すでにスカートが盛大にめくれあがっていることは、絶対にバレないようにしようと心に決めた。
しれっとスカートを直し、執事と二人でなんとか引き抜いてみる。
畑の根菜さながらに引き抜かれたその人物。それは確かに美しい少女だった。
土煙で多少汚れてはいるが、長い黒髪に紅玉の瞳。三日月のような鋭利な美しさをもつ少女である。
パンツの子供っぽさからは、想像もつかない美しさだった。
「守護者さま、一体、ここでなにが起こったんでしょう?」
「さあ……」
「…………」
さあの一言で誤魔化そうという辺り、すさまじい図太さである。流石は女神が選んだ守護者といったところだろうか。
女神様は『音速』で突っ込んでくると仰っていたが、流石にそれは大袈裟だろう。
そうでなければ、こんな清楚な少女が平然としていられるはずがない。
クレストは、現実を直視するのを止める。そして、気を取り直して少女を馬車に載せ、我が子の眠る別邸まで案内することにした。
クレストは、馬車で向い合せに座った彼女の姿を観察する。
年のころは十七か十八。二十歳は越えていないだろう。
黒髪はこの国でも珍しい訳ではないが、赤い瞳の人間は初めて会った。嘗て世界を脅かした魔王の瞳は、紅だったと聞くが、それをいうのは流石に失礼だろう。
少女が胸元に抱きかかえていた子供の竜は、屋敷につくまでの間、ぐるぐると目を回したまま。
子供とはいえど竜をペットにしているなんて、古の物語に語られる大魔術師ぐらいのもの。
流石は女神さまがお選びになった守護者といったところだろうか。
人との接触を拒むような冷ややかな雰囲気をもつ少女に気後れして、話しかけることも躊躇われたのだが、別邸のすぐそばまで来た頃、彼女の方から口を開いた。
「私が面倒を見る子は、あなたの子供?」
「は、はい。女神さまのご神託で、本日生まれた我が子の守護者が今夜あそこに現れると……」
「ふぅーん、それが私ね。で、その子の名は?」
「は、はい、セルジュと名付けました」
「……最初にいっておくけど、あまり期待しないで。赤ん坊の面倒なんてみたことないから」
「はい、日々の世話は乳母がおりますので、ご心配には及びません」
「そう……良かった。どちらかというと苦手なの、赤ん坊は。妹の時もそうだったけど。意思の疎通もできない生き物は好きじゃない」
まさに気乗りがしないという雰囲気。
いつの間に目を覚ましたのか、胸に抱いた子竜が威嚇するようにクレストの方を眺めていた。
別邸に到着するとその足で、少女を生まれたばかりの我が子のいる部屋へと案内する。
「あなた……そちらがお話の?」
「ああ、そうだ。女神さまが遣わされた守護者殿だ」
「まあ、かわいらしい守護者さまね」
そう言って奥方が挨拶しようと身を起こすのを全く無視して、アーヴィンは赤ん坊の寝かされている籐かごの方へつかつかと歩み寄っていく。
そしてクレストの方を振り返り「この子か?」と問いかけた。
「あ、はい」
アーヴィンは明らかに気乗りしない様子で、藤かごの中を覗き込む。
そこでスヤスヤと寝息を立てているのは、見るからにしわくちゃの生まれたばかりの赤ん坊。
眺めているうちに赤ん坊がうっすらと目を開けた。
産まれたばかりの幼児である。視力などほとんどないのだろうが、青い瞳がぼんやりと少女を見ていた。
(案外かわいらしいものね……泣きわめく様子もないし)
赤ん坊は泣きわめくものだと、偏見めいた思いをもっていたこともあるが大人しいその赤ん坊に、アーヴィンは微かな好感を抱いた。
その瞬間のことである。
赤ん坊と少女の周囲で、魔力が急激に膨れ上がった。
「なっ!?」
それを感じ取れぬアーヴィンではない。
彼女の精神を何かが縛り付けようとしている。特定の感情が膨れ上がっていくのを感じる。
咄嗟にレジストしようとするも、全く歯が立たない。
「なんなの! これ!?」
少女の胸の内が、押さえきれない感情であふれていく。
それは先ほど抱いた微かな好感。それが凄まじい勢いで膨れ上がっていく。
愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。愛しい、愛しい、この子が愛しい、愛してる、可愛い、好き、大好き、超愛してる。
それはポンコツ女神がこの赤子に仕込んでおいたチートスキルの発動。
その名も『愛の大暴走』
互いに好感を覚えたなら、それがたとえわずかなものであったとしても、瞬時に相手のそれを数千倍にも高騰させる、迷惑極まりないチートスキルであった。