ゴツゴツとした岩肌。ラストダンジョンの最奥。広大な地下空間で、聖剣の刀身がキラリと光った。

「覚悟しろ! 魔王ッ!」

 まだ少年と呼ぶのが相応(ふさわ)しい、そんな幼げな勇者が、剣を(たずさ)えて突っ込んでいく。

 物憂げにひじ掛けにもたれ掛かった黒髪の美男子。こめかみに二本のねじくれた角を持つ魔王が、その口元に(あざけ)るような(わら)いを貼り付けた。

「ふっ……愚かな」

 魔王に慌てる様子はない。

 頭上へと振り下ろされる聖剣。それを彼は、指先で摘まむように受け止めた。

「な、なんだってッ!?」

 少年勇者は驚愕の表情を浮かべ、彼に従ってここまで共にやってきた仲間たちは目を見開いて言葉を失う。

 次の瞬間、魔王の眼が妖しく光ると、剣だけをその場に残して、少年勇者は見えない力に弾き飛ばされ、そのまま壁面に叩きつけられた。

「ぐはっ!」

「勇者さまぁ――――!」

 武道家の少女が悲痛な声を上げて、勇者の下へと駆け寄っていく。

「どういうことだよ、爺さん! 聖剣なら魔王を倒せるんじゃなかったのか!」

「ぬ、ぬぅう、そのはずなのじゃが」

 巨漢の戦士が背後を振り返って声を荒げ、老齢の賢者は(うめ)いた。

「ふん、確かに本物の聖剣ならばそうであろうな。しかし、こんな(なまく)らを聖剣とは……片腹痛いわ」

 聖剣だと言われていたその剣が、魔王の手の中で甲高い音とともに粉々になって崩れ落ちる。

「バカな! 偽物じゃったというのか!」

魔王は、老賢者の驚愕の声ににんまりとイヤらしい笑みを浮かべたかと思うと、大儀そうに椅子から立ち上がり、勇者とその仲間たちを睥睨(へいげい)した。

「ここまで来たことは褒めてやろう。だが、この茶番ももう終わりだ」

 途端に魔王の周囲で、目視できるほどの濃厚な魔力が立ち昇り始める。

「くっ……」

 巨漢の戦士が手にした戦斧を構え直し、もはやこれまでとばかりに、無謀にも特攻を図ろうとする。

 だが、その瞬間、それを制して前へと歩み出る者がいた。

 それは白い僧衣に身を包んだ若い女性。金色の長い髪に、意志の強そうな口元。凛とした雰囲気をまとった美女である。

「ここはワタクシにお任せください。勇者さまさえ生きておられれば、再度立ち上がることも出来ましょう」

「せ、聖女殿! 何を……」

 思わず目を剥く老賢者に、聖女はニコリと微笑みかけた。

「ワタクシの身もろとも魔王を封印いたします」

「ばかな! それではアナタが!」

「ふはは! 女ァ、貴様ごときがこの魔王に(かな)うとでも思っているのか!」

「早く! 勇者さまを連れてお逃げください!」

「くっ……ス、スマン!」

 巨漢の戦士が昏倒したままの少年勇者を脇に抱え、聖女を除いた一行は玄室を飛び出した。

 彼らは口惜しげに歯を食いしばり、必死に元来た道を駆け上がる。

 やがて、地上へと続く階段の途上、振り返った武道家の少女は、背後で激しい光が明滅するのを見た。

 あとのことは、推測するしかない。

 だが、この日を境に魔族の侵攻がピタリと収まったことから考えても、聖女の封印は成功したのだと……そう思われた。





 そして、八十年余りの時が過ぎた。





 ラストダンジョンの最奥。地下空間の一角に描き出された封印の紋章。青白い光を放つその更に向こう側には、外側からは干渉出来ない空間がある。

 その空間――暗い石畳の玄室で、重厚な黒檀のテーブルを囲み(ささや)きあう者たちの姿があった。

「ま、まさかあやつがやられたというのか?」

「ふっ、取り乱すでない。なぁに、ヤツは我ら四天王の中でも最弱よ」

 暗灰色のローブを目深に被った三人の人影。

 三人が囲むテーブルの、そのずっと奥の玉座には、ねじくれた角を持つ黒髪の美男子――八十年の時を経ても容貌に全く変化のない()()の姿も見える。

「魔王さま、次は私が行かせていただきましょう!」

「いや、吾輩が参ろう」

「馬鹿な! おまえではヤツの二の舞ではないか。おまえを死なせる訳にはいかん」

「何をいう! おぬしを失えばわが軍は大打撃だ。やはり吾輩が!」

 言い争いを始める二人をキョロキョロと見やって、残りの一人がここぞとばかりに口を挟む。

「ならば、私が!」

 すると残りの二人は顔を見合わせてこう言った。

「「どうぞ、どうぞ」」

「ちょ!?」

 それは、もはや伝統芸能の域に達したお約束の展開。

 残りの一人が驚愕の声を上げたその瞬間、魔王が拍手しながら重々しく頷いた。

「うむ、完璧である。ブラボーであるぞ!」

 拍手の音が響く中、暗い玄室にパッと灯りがともって、鍋を手にした女性が玄室の中へと入ってくる。

「さあ、みんなご飯よぉ~。四天王ごっこはそれぐらいにして、テーブルの上かたずけて。お姉ちゃん、鍋敷きお願いね~!」

「「「は~い」」」

「うむ、今宵の晩餐はなんだ」

「今日はパパの大好きなホワイトシチューよ」

「くっ、くっ、くっ、良いではないか! ママのシチューは最高だからな」

 ダンジョンの最奥、聖女が施した何人も破れぬ結界。

 その向こう側に封印されたはずの玉座の間は、八十年の時を経た現在、一家団欒の空間へと変貌していた。

 よくみれば、魔王はよれよれの部屋着。

 それを甲斐甲斐しく世話をするエプロン姿の金髪の女性は()()聖女である。

 共に見た目は二十代そこそこ。

 八十年前のあの時から、ほとんど変化は見られない。

 だが、二人の関係性は百八十度変化していた。

 醸し出す雰囲気は亭主関白をきどる夫と、子供じみた夫を掌で転がす賢妻による熟年夫婦といった雰囲気である。

 一体なにがあったと言いたくなるような光景ではあるが……。
 
 あの日、二人は共に封印され、以来、この玄室で戦いに明け暮れた。攻める魔王。聖女は魔法を駆使して防御する。そんな長きにわたる戦いの中で、二人は互いを認め合い、やがて……愛が生まれた。

 雨の中で捨て犬を抱き上げる不良少年に、生徒会長を務める優等生が思わずキュンとしちゃう的な、そんなラブコメ展開が絶え間ない戦闘の間に幾度かあって、次第に意識しあう二人。

 即死魔法とともに放たれる魔王の熱い視線。

 恥じらいながら、魔法障壁で跳ね返す聖女。

 やがて二人は密かに愛を育み、最後は魔王のプロポーズでまさかのゴールイン。
 
「平凡でも温かい家庭にしましょうね」

 聖女は柔らかな微笑みを浮かべてそう言った。

 どのあたりが平凡なのかはわからないが、以来、幸せな毎日が続いている。

「ああっ!? フレちゃんが、リッコの肉とったー!」

「あらぁ~、はしっこによけてるから、いらないんだと思ったわぁ~」

「姉さん……大人げない」

「よぉーし、リッコにはパパのお肉を分けてあげよう」

「ええ……なんかパパが口つけたのヤダぁ……」

「ママぁ……娘が意地悪するよぉぉぉ」

「こら、リッちゃん、そんなこと言うから、パパいじけちゃったじゃないのぉ」

 聖女と魔王、そして二人の間に生まれた三人の娘たちによる普通でない人々の、あまりにも普通な家族団らん風景。

 末妹の肉を強奪するという暴挙に出たのは、長女フレデリカ。

 たれ目勝ちな瞳に、金色のふわふわした肩までの髪。

 フリル過多なピンクのドレスを纏った、どことなくたんぽぽの綿毛や日だまりを連想させる、ゆるふわ系のお姉さんである。

 その姉の暴挙にため息を吐いたのが次女アーヴィン。

 頭の上で揺れる一房のアホ毛に若干の違和感を感じるが、それを除けば清楚という言葉のよく似合う美少女である。

 腰まで届く長くつややかな黒髪に紅い瞳。

 オレンジの差し色の入ったシンプルな濃紺のドレスを纏った、どこか冷たい印象を与える少女であった。

 そして最後に、年頃の娘らしい暴言で父親を凹ましたのが、三女リッコ。

 みるからにIQが低そう……もとい天真爛漫な少女。

 栗色巻き毛に黄色の短衣(チュニック)とホットパンツ姿が健康的で、幼女と言っても差し支えの無い小柄な女の子である。

 さて、賑やかな夕食が終盤に差し掛かった頃、そんな魔王一家の団欒のひと時に、思いもかけない邪魔が入る。

 この世界では時折、異世界から漂流物が流れ着くことがある。

 その多くは用途もわからぬままに、オブジェや飾り物として高値で取引されるのだが、この玉座の間にも一つ、オブジェとして飾られている()()()()()()()()()があった。

 それが、いきなり『ジリリリリン!』と、けたたましい音を立てたのだ。

 この玉座の間にあまりにも似つかわしくないそれは――ダイヤル式の黒電話であった。