「しかしなんだ……、折角の勝負に景品がなにもないというのは味気ないな」

「どーでもいい。でも遺言代わりに聞いてあげるわ。なにが欲しいの?」

 青年の切り出しにもイリスは大して驚かない。
 戦いにはよくある戯言だ。
 たまにこういった手合は出てくる。

 特に相手が女ともなれば、身体目当てに勝負を挑んできたり、こういった賭けをして精神的優位に立とうとする男は多い。

 そういう男も我慢ならない、ゆえに斬り刻む。
 イリスにとって、この勝負はいつものこととしか映らなかった。

 だが、今宵は違った。

「私が勝ったら……旅の同行をしたまえ。助手がいる」

「旅の……同行?」

 信じられない。
 奴隷になれだの、犯させろだの、欲にまみれた要求は何度も聞いてきた。

 旅の同行というのは初めてだ。
 他の男とは違う雰囲気にイリスは困惑の色を隠せない。
 
「人斬りを旅の連れとか……アンタ正気?」

「とても、重要なことなんだ。……さぁ、始めよう。迅速な行動は尊ぶべきものだ」
 
 そう言って、青年は拳法の構えをとる。
 両腕の不気味に輝く鉄甲は、切り傷や弾丸の跡がびっしりと刻みこまれていた。

 大陸武術には数え切れないほどの流派があり、その流派によって套路や繰り出される技は違ってくる。
 彼はそれの遣い手なのだろう。


 となればますます油断はならない。
 鉄甲の跡や構えから感じる熟練さに、並々ならぬ闘気を感じたからだ。

 その拳でどれほどの人間を殺してきたのか。
 もしかしたら自分より殺しまわってきたのかもしれない。
 
 ――――強いッ!

 人斬りとして直感がそう語る。  
 
「抜刀術だろうその構え。……エセ神速でないことを祈ろう」

 恐らくは挑発なのだろうがその言葉に、ほんの一瞬苛立ちを覚えた。
 だが、集中を途切れさせることは一切ない。

 居合において心の乱れは自らの命を絶つ一里塚だ。
 勝利への焦りは早く抜こうとする心を駆り立てる。

 焦りに駆られ即抜きすれば、それこそ奴の拳の餌食だ。
 後手の相手に有利をとらせてはならない。

 だが、彼奴も歴戦の武人。
 そうそうに仕掛けてくることもあるまい。
 
 となれば、先手必勝を狙う他無し。
 狙うは奴の首。

 全ての指針が整ったとき、彼女の心は平静した。
 血の水面の美しい平らの如く、雑念は消える。


 ――――刹那、イリスの姿が消えた
 否、地面スレスレを、爆発的な速度で駆け抜け、今まさに青年の首元目がけ抜刀しようとしているのだ。

 一撃必殺、無心の境地の抜刀に一分(いちぶ)の狂いなし。

 刹那の煌めきが鞘滑りの小さな音のみを残し、刀身が青年の首元へと翔んだ。
 
 ――――だが。
 
(よく鍛錬された撃剣だ。神託者がいともたやすくバッサリやられたのもうなずける。……肝っ玉がヒヤッとしたぞッ!)

 首元へ飛んだ刀身は突如として硬い感触と金属音によって阻まれる。
 鉄甲と刃が火花を散らしぶつかったのだ。

 鍔迫り合いにも似た静止が続く中、青年は首筋に汗を流す。
 コンマ単位で防御が遅れれば、この肉体は首なし胴と変わり果てていただろう。
 そう思うと、青年の背筋が凍り付くほどの寒気を感じた。

「……へぇ、アタシの抜刀を。やるじゃん」

 イリスは狼狽していない。
 タダ者ではない、と直感したときから、この抜刀一閃ももしかしたらと勘付いていたからだ。

 先手必勝の剣を見舞ったとは言え、それで倒れるほど戦いは甘くはない。
 イリス・バージニアの心、揺らぐに及ばず。
 その器量と剣の腕に、青年はますます魅了された。
 
「わんぱく小娘め……、気に入ったぞ」

 両者互いに後方へ飛び間合いをあけた。

 イリスは先程シュベリアーノ一家との戦いで見せた虎伏の構えを。
 それを見た青年は更なる闘志を燃やし、全身から神託のエネルギーを滲ませる。

「久々に楽しいバトルになりそうだ。服従のさせ甲斐があるぞ」

「ほざきな。次は(なます)斬りにしてあげるわ」

 イリスの地を割る飛び込み。
 ほんの1歩の動作で、間合いを完全に詰め、右八相からなる袈裟斬りが翔ぶ。

(死ねッ!)

 ときの流れが緩やかに感じるほどの高速の世界の中で、白刃が青年の肩口に伸びていく。
 だが次の瞬間、イリスの腹部に衝撃が走った。

「ぶぐっっ!?」

 それは青年の風貌に似た、7つの色に輝くヒト型。
 青年の身体から弾丸のように放たれ、その拳がイリスの腹部に直撃したのだ。

 圧倒的なパワーとスピードからなる破壊力。
 成すすべなく、イリスは後方に叩きのめされる。

「い……痛ッ……。い、今のが、アンタの神託……?」

 ヒト型が霧散して消え、青年はイリスを地に這いずる虫のように見据える。

「休んでいる暇はないぞ」

「ッ!」

 今度は3体同時に、イリスめがけて放たれる。
 すぐさま飛び起き、刀で防御の姿勢をとった。
 だが、それだけで3体もの猛攻を防ぐことはできない。

 ヒト型3体が織り成すのは、拳法のコンビネーション。
 拳に足に、頭突きに手刀に。
 まさに、無駄に精錬された圧倒的なリンチである。

「う、ぐッ!」

 イリスの顔に先ほどの自信は消えていた。
 かわりに、これまで味わったことのない危機感が彼女を襲う。

 防戦一方で、攻撃もいくらか喰らった。
 いつダウンしてもおかしくない。
 
 ――――だが、青年はなぜか嫌な予感がしていた。

(Missing-F……、自分の幻影を無数に作り出す、ただひとつのシンプルな能力。これまでのバトルにおいても、この神託で勝利を掴んできた。……だが、なぜだ? いつものように敵を追い込み、敵を捻じ伏せているというのに……。この胸の内から湧き上がる謎の不安感は一体)

 そして、それは見事に的中した。
 幻影の動きが突如として止まり、首が一瞬にして跳ね飛ばされる。

「まさか……もう順応したというのか?」

 まさに形勢逆転の一撃。
 幻影が霧散したその場所に、イリスは刀を振り抜いた姿勢で佇んでいた。

 その顔には最早窮地の色は見当たらず、餌を見つけた幽鬼のように邪悪な笑みで歪ませていたのだ。

 ――――恐ろしい……。

 少なくとも年ごろの少女、否、人間という部類がしていい笑顔ではない。 
 その笑みと同時に、ドス黒くも冷たい風のような剣気が青年の身と心を蝕まんと蔓延していく。

「ふふふ、久々に楽しいわ。だって、こんな強い神託者(オトコ)を斬れるんだもの」

 左足を軸に、右足を後ろへやる。
 刀身を背中に隠すように、深い脇構えの型をとった。

「相当、神託者を。それも男を憎んでいるらしいな」

「当たり前よ、……殺してやるわ、どいつもこいつも」

 しばらくの沈黙の中、荒野のガンマンのようににらみ合う。
 下手な動きは、隙を生んでしまうためできない。

 イリスは剣気の中に憎悪を滾らせながらも、冷徹な瞳をのぞかせる。
 青年はそれを余すことなく感じ取っていた。

(この女の憎悪もそうだが……あの太刀筋(・・・・・)のことも気になる。……よし、ならば、一気にカタをつけるほかあるまい)

 ――――突風が吹く。
 ふたりの間を舞う木の葉の群れが、互いの姿を隠した。
 その直後を狙って、同時に動き出す。

「シャッ!」
「Missing-F!!」

 今度の幻影は体からではなく、空間からごっそりと現れる。
 その数、20体。

 しかし怯む様子すらなく、イリスは駆け抜けていく。
 正気ではないほどの鋭い眼光を迸らせながら。

「どけぇ!」

 機械のように精密なリンチの渦に、幾つもの剣閃が走る。
 幻影1体1体の動きを完全に見切ったうえで、真っ二つにしていった。

 素早い足捌き、俊敏な体捌きによる斬撃が、幻影を膾斬りにしていくその様を見て、青年は生唾を飲む。

(間違いない、あの太刀筋……アレクサンド新陰流秘伝の技だ。この流派の源流の始祖が使ったとされる『怪異殺しの極意』! カビの生えた伝説だと思っていたが……)

 本来、ただの刀剣が強力な異能の力を斬ることなどありえない。
 聖剣か魔剣か、果てはなにかしろの加護がなければ難しい。
 だが目の前にいる少女は、鬼の様な形相でそれを可能にしている。

 今の彼女の水準であれば、神が起こすであろう"奇跡"すらももしかしたら……。

 だが、青年にとってそこが妙だ。
 彼の知る知識では、この技を修めるには80年はかかるとされている。
 それほどまでに希少な技であるため、いつしか伝説となったのだ。

(奴が使っているのはただの刀だ。……まさか、あの身から滲み出る憎悪が、それを可能にしているのか? 奴の過去が……進化を加速させている、と? ……バカな!)

 気づくころには幻影の数は2体。
 凄まじく速い殲滅力だ。
 だが、その顔に疲れが見えている。

 眼光衰えぬものの、体がおぼつかない。
 もう、刀を振るので精一杯といった感じだ。

「うがぁあ!」

 1体を斬る。
 だが、 彼女はそこで力尽きてしまった。
 倒れ伏し、気を失ってしまう。

「……倒れても、刀は離さなんだか」

 苦しそうに目蓋をおろすイリスに、青年は目を細めた。
 残った最後の幻影を消失させる。

「戦うたびに強くなる……か、面白い人斬りだ」

 そう言って彼女の体を軽々と担ぎ上げた。

「この小娘の身柄……『フレイム・ダッチマン』が貰い受ける!」

 フレイム・ダッチマンと名乗る青年は、そのまま森を抜け、煌びやかな街へと歩いていった。


 これが人斬りイリスと神託者フレイム・ダッチマンの出会いである。