15時を少し回ったあたり。
 この街の中にある一際目立つ役場から、並んで出てくるふたり。
 フレイムは受け取った賞金を懐にしまい、イリスは退屈そうに伸びをした。

「もっと強いかと思ったけどそうでもなかったわね」

「あれでもかなり厄介な神託者なんだがなぁ」

 威風堂々と去っていく彼らを、役場の人間はヒソヒソとなにかを言い合いながら見送った。

 どうせ自分たちのことと、あの戦いでの騒動のことで危険人物扱いでもしているのだろう。
 まぁ大して間違っていないので気にしない。

「パプォリオ・ルネッサンスが死んで、随分街がざわついてるわね」

「主に君のせいでな」

 戦闘によって人的被害は無かったものの(イリスの辻斬りを除く)、運送業者にとっては大きな痛手を被った。
 街にある荷馬車のほとんどが、消え失せたからだ。
 ――――当然イリスは。

「荷馬車なんて使うパプォリオが悪い」

 この一点張り。
 知ったことかと、鼻を鳴らす。
 フレイムは肩を竦めつつ苦笑いを浮かべた。

 しばらく歩くと広場の方に人だかりができているのが見える。
 
「なにごとかしら」

「祭りといった行事の陽気さは感じられんな。……もっと深い、人間の持つ奥深い憎悪だ」

 ふたちはなんとかその様子をみようと試みたがこの数の多さと熱気に阻害され、十分な位置が確保出来なかった。
 したがって、自らの身体能力を活かし家々の屋根の上から、その様を見ることに。

 それは想像を絶する光景だった。
 広場に設けらていたのは、"処刑台"だ。
 ☓印状に磔にされた、美しい女が3人。

 妖艶かつ、際どい衣装から覗く肌には殴打や暴行の跡が生々しく残っていた。
 なにより1番驚くべきは、3人の女には皆"蝙蝠の翼"が生えているのだ。

「なによ……これ」

 イリスは絶句する。
 この異様な光景に生唾を飲んだ。
 その隣で、フレイム・ダッチマンは腰に手を当てながら平然と答える。

「知らんのか? ……あれは、サキュバスだよ」

「さ、サキュバスぅ?」

 話には聞いていた。
 男の欲を貪り、精気を奪う堕落の化身。
 それがなぜ、あんな風に拘束されているのか。

「そりゃあ君、彼女らを殺すためだろう? 知らなかったか? 一部の民衆たちにとっては"最先端の流行"であり、"不満のはけ口"でもあるのだ。……耳を傾けてみるといい」

 イリスは言われた通りに、広場の声に耳を傾ける。
 すると、喧騒の中にこんな言葉が聞こえた。

「この……不埒極まりない汚物め!」

「私の息子は、サキュバスを一目見ようと山を越えようとして帰ってこなかった! 私の息子を返せ!!」

「なんて猥らな生き物! この世に存在すべきではないわ」

「サキュバスは全員抹殺すべきだ! 人類の平和のために!」

 ひとりひとりの言葉に歓声が上がり、磔のサキュバスには罵声や卵、石が飛ぶ。
 イリスはその熱気に1歩退いた。

 自分もまた男の神託者を恨む者。
 なにかを恨むという気持ちはわからないでもない。

 だが、この規模は異常だ。
 なにより、違和感がある。

「世界はいつでも不安定だ。ゆえに民衆の心は荒波に飲まれ続けている。それを抑えるために与えられたのが生贄だ。かつてこの地であった"魔女狩り"の再現。対象は魔性の怪物美女、サキュバス。人の……、あー、主に男の心を惑わす並びに、子供の教育的観念に反する存在として、国そのものが"根絶活動"を許している。これが彼らの正義だ、あまりに卑屈極まりない」

 そう言った委員会が発足されており、その幹部の大半が根絶主義者であるという。

「最後のひとりを殺すまで止まらないってわけ? まるでアタシみたいね」

「ひとつだけ違いがある。彼らが処刑されることは今後ないだろうが、君は処刑される。……おや、そろそろ始まるみたいだ」

 サキュバスたちの足元に積まれた藁に、火がともされる。
 火はみるみる大きくなり、彼女達の肉体を焼いていった。

「いやぁ! 許してぇ!!」

「熱いッ! 誰かぁ!」

「ヤダ……ッ、たす、け……て……ッ!」

 燃えていく彼女らを見て、民衆は満面の笑みを浮かべ歓声を上げろ。
 
「いいぞ! 燃えちまえ!」

「死ね! この世の汚物め!」

「人間を脅かす邪悪な魂め、地獄で報いを受けろ!!」

「ヒャハハハ! 燃やされながらもアッチは男を望むのか?」

 人間が悪魔を裁き、浄化の炎にてそれを焼き尽くす。
 罪への罰、法の証明。

 これはまさにその光景なのだろうが、イリスはどこか腑に落ちなかった。
 これではまるで……。

「因みに補足しておくが、サキュバスが人間を頻繁に襲っていたのは今から500年以上前の話だ。今は繁殖期、即ち子作りの季節にでもならない限り、例え縄張りに人間が入ってきても襲うことはないそうだ」

「……え?」

「それどころか、人間と同じように生活をしているサキュバスだっているくらいだ。知ってるか? サキュバスは才色兼備が多いのだ。つまり人間よりも知性や能力、ベッドの中でのテクもすべて上回る。……これを快く思わない人間が現れない方がおかしい」

 それにその美しさに溺れサキュバスばかりと関係を持つ男が増えれば、それこそ純粋な人間種は途絶えハーフがこの世に蔓延るだろう。

 人間とサキュバスのハーフは優れた能力を持つ者が多い。
 それこそ人間を遥かに凌駕するほどに。

 イリスは世の流れに対して無頓着だった節があり、そういった社会情勢を聞くたびに目を丸くした。
 普段何気なく歩く道中でさえも、きちんと時代の流れというモノはあるのだと。
 

「今ではサキュバスは人間を滅ぼす害悪として見られ、前まで人間社会で暮らしていたサキュバスのほとんどが処刑されたらしい。……その血をひく子供もな」

「……アナタはどう思ってるの?」

「なにが?」

「そういう社会に対して、アナタはなにか思うことは? この世の中は間違っているーとか」

 軽い質問だった。
 イリスもまた根絶主義者。

 この情勢に対してとやかく言える立場ではない。
 だからこそ、その他の意見を聞いてみたかった。
 目の前の光景を一緒に見ている、この男の意見を。

 すると、フレイムはゆっくりと体の向きをイリスに向けた。

「あのな、質問を質問で返すようで悪いが……」

「ん、なぁに?」

この世界が1度でも正(・・・・・・・・・・)しい歴史を築いたこと(・・・・・・・・・・)があったか(・・・・・)?」

 フレイムの口から出た意外な言葉。
 世界の感じ方は人それぞれだとは思うが、彼のはどこか遠い目をした者が語る物語のようなニュアンスにも聞き取れた。

「正義と平和……その名の下に集うのは、いつだって他者への憎しみと争いだ。……だから私はひとつの結論を説く。……正義や平和の根底にあるのは、憎しみや嫉妬、そして復讐の念だ。敵を作って、初めて平和や正義を自覚するのだよ我々は」

 イリスはふと笑い狂う民衆たちを眺めるフレイムを見ながら、この世にどうして平穏が訪れないのかを説かれたような気がした。
 そして彼を見てこうも思った。

 ――――フレイム・ダッチマンは"人間"というものを諦めている、と。

「特定の者を憎み、妬み、蔑み、排除しようとする心。そしてそれを自ら若しくは一部のコミュニティで共有し正当化させようとする行為。それを私は『卑屈な正義』と呼んでいる」

「卑屈な正義?」

「そうだ、自分たち以外の者は認めない排他的な楽園主義の者に多い思想だ。彼らにとって楽園以外の命は全て偽物であり楽園こそが、本当の自分なのだ。それにそぐわないのなら、あらゆる手段を用いてでも排除行動を正当化し行使する」

 フレイムの表情には得難いものが浮かんでいた。
 不穏な民衆の空気と共に流れてくる醜悪な風を背中に受ける姿は、苦行に耐える修行僧のような哀愁が漂っている。
 そしてイリスに聞こえないようにこう呟いた。

 ――――神々が地上に巻き散らした厄介なミームだ、と。

「ふ~ん、正義とか悪とかあんま考えたことないけど、複雑なのね」

「そうともさ。それに卑屈な正義もまた、立場や視点でその形を変える。あらゆる時代に現れ、絶対という形を残さずに人々を翻弄する。こればかりは、私も逃れられん。そして君もな」

「卑屈な正義より、普通に悪でいいわアタシ」

 そうか、と軽く笑んでフレイムはもう一度処刑を見る。

「しかしこれも運命か。出発前日に良いものが見れた」

「え、どういうこと?」

 屋根を伝いながらニヤリと笑い遠くの山の方を指さす。

「今の流れでわかるだろぉ? ――――サキュバスが住む山だよ」

 イリスは硬直する。
 今の流れとは一体なんなのか。
 今の流れとやらのどこに、サキュバスの縄張りまで足を運ぶという話があったのか。

「説明を省きすぎたな。すまん。君がいない間、叡智の果実の情報をたらふく集めた。どうやらそこに住む『サキュバスの女神』が、"それらしいもの"を持っているらしいのだ」

「なるほど、そういうことね。理解したわ。……精々、サキュバスのお姉さま方に、骨抜きにされないようにね?」

「それには及ばん。繁殖期は秋ごろからだ。入ったという程度だったら襲い掛かってはこんだろう」

 曖昧な返答だったが、イリスにとっては構わない。
 もしも自分に襲い掛かってきたら、容赦なく斬り捨てればいい。
 そう思っていた。

「因みにだが、この国の騎士たちが3ヶ月ほど前に、あの山へサキュバス狩りに遠征に行ったが……誰ひとりとして帰ってこなかった。いやはや、不思議だな」

「……ねぇ、そこ本当に大丈夫なの?」

「ん? 臆病風に吹かれたか?」

 いつものように軽く返してくるフレイムに、イリスは苦笑いを浮かべる。

「明日の朝出発する。体を休めておけ。ふふふ、ようやく叡智の果実にたどり着いたぞ」

 肉の焼ける異臭の中、フレイム・ダッチマンは憑りつかれたように笑っていた。