壁一面にかけられた紅白幕。
ステージの上には、『ご卒業おめでとうございます! 教師一同』とある。
生徒たちは学籍番号で、席が決められているため。
1番という呪われたナンバーを手にした俺は、文字通り最前列で、学園のお偉いさんとお見合い状態だ。
よく知らんが、一ツ橋高校の本校。東京からわざわざ福岡へ来てくれたらしい。
かなり年配の老人……杖を持って、何やらもごもごと言っている。
人が多すぎて後ろの方は確認できないが、どうやら家族も出席しているみたいだ。
たぶん、我が家からは誰も参加していないと思う……放任主義なので。
宗像先生が咳ばらいをしながら、ステージ隣りの司会席と思われる机へと向かう。
マイクを掴み、位置を調整する。
「あー あー、テステス……」
もう二度と見たくない、懐かしい光景ですな。
「それでは、全員揃ったようなので。ただいまより、第31回一ツ橋高校、通信制コース。春期卒業式を始めます」
いや、俺の隣りが空いたままなんだけど?
まだミハイルが来てないのに……。
しかし宗像先生はそんなことを無視して、式を始める。
「えー、最初にお伝えしたいことがあります……。それは本日の生徒たちに対する、卒業証書、授与の件です。訳あって、短縮させて頂きます。本校から名誉校長が来て頂きましたが、生徒を代表して、夜臼 太一くんが卒業証書を受け取ります」
一体どういうことだ?
普通こういう時って、校長から一人ひとり直接、卒業証書をもらえるもんだろ。
宗像先生に名前を呼ばれた夜臼先輩が、元気よく立ち上がる。
身体をカチコチにさせて、ステージ上に向かう。
ていうか、今日の式に参加しているってことは、夜臼先輩はついに卒業できたのか?
ちょっと泣けるぜ……。
壇上には先ほど見かけた老人が、身体をふるふると震わせて、夜臼先輩を待つ。
「ふぇ~ 夜臼 太一くん。一ツ橋高校、いや我が五ツ橋学園へ20年近く通い学んだこと。その勤勉な姿に私たちは感動しました……よって、あなたへ卒業証書と共に、総長賞を差し上げます」
総長賞とかいう訳のわからない賞状と、ガラス製の小さなトロフィーを受け取る夜臼先輩。
目には涙をいっぱい浮かべている。
まあ……20年も高校行ってればね。
「あ、ありがとうございます! 家宝にさせていただきます!」
続けて、卒業証書も受け取ると、夜臼先輩は改めて深々と頭を下げる。
この間、体感にすると数分……。
司会席から驚きの言葉が発せられる。
「えー、名誉校長。ありがとうございました。これにて、第31回一ツ橋高校。通信制コース、春期卒業式を終了します」
ファッ!?
早すぎる。まだ始まったばかりじゃないか!
驚きのあまり、その場で固まる俺とは対照的に、辺りにいたお偉いさん方は席を立ち始める。
「今年の福岡校は早かったですな」
「まあ、どうですか? 中洲辺りで一杯?」
「ふぇふぇ……福岡のキャバクラは、レベルが違いますからのう」
あの爺さんも参戦するのか。
ていうか、なに。この卒業式!?
※
辺りにいた一ツ橋高校の関係者や教師たちも、パイプイスを畳んで直し始めた。
生徒たちも黙って、それを手伝う。
壁一面にかかっていた、紅白幕も下げられ、大きなガラス窓から日差しが差し込む。
マジで終わりなの?
ひとりで困惑していると、目の前に大きな男が現れた。
リキ先輩だ。
「タクオ、ちょっと来い!」
何やらおっかない顔で、こちらを見つめている。
「は? どうしてだ? 卒業式が終わったなら、俺たちも帰るんだろ?」
「バカ言うなよ! お前には、まだやることが残っているじゃねーか!」
めっちゃ怒ってるやん。
どうしたの、リキ先輩たら……。
「一体、何を言って……」
言いかけている際中で首根っこを捕まれ、強引にステージ裏へと連れて行かれる。
舞台幕の中に入ると、そこには一人のバニーガール……じゃなかったバニースーツを着た男の子が立っていた。
コスプレ好きの住吉 一だ。
俺の顔を見て、なぜか「ひっ!」と悲鳴をあげる。
「あ、あの……新宮さん。服を脱いでくれますか?」
答えようとしたが、リキが乱暴に地面へ落としたため、尻もちをついてしまった。
「いてて……なんなんだよ、お前ら」
理解が追いつかない俺に対し、二人は何も答えてくれず、とにかく服を脱げと言う。
当然それを拒むと、ムキになったリキが、力まかせに俺のスーツをビリビリに破ってしまう。
「ふ~! ふ~! タクオが悪いんだぜ? 言うことを聞かないから……」
人をパンツ一丁にさせて、酷い言いようだ。
まさか、この二人。グルになって俺を前からも、後ろからも襲う気かっ!?
「新宮さん。ごめんなさい……だけど、こうしないとダメだから。目をつぶっていてください」
「え……」
リキの大きな手によって、視界がブラックアウトしてしまう。
一体、何が起きているんだ?
微かに聞こえてくる一の声を頼りに、頭の中で想像してみる。
「んしょんしょ……新宮さんのは、結構ノーマルサイズだから、これでいいかな?」
何やらゴソゴソと音が聞こえてくる。
「大丈夫だって、一。タクオの尻なら初めてでも余裕で入るだろ?」
ファッ!?
まさか、リキのやつ、まだ俺を狙っていたのか。
「ですよね♪ ちょっとキツくても、新宮さんなら喜んでくれますもんね」
いや……キツいのは無理。
しばらくすると、リキが手を離してくれた。
目の前には、ニコニコと微笑む一。
「うわぁ! カッコイイですよぉ~ やっぱりサイズ合ってましたね、リキさん」
「おお~ マジで似合っているぜ、タクオ! ちょっと感動してきたわ……」
なぜか目に涙を浮かべるリキ。
「二人とも……一体、何をしたんだ?」
俺がそう問うと、一が嬉しそうに答えてくれた。
「頼まれていたんです。新宮さんのタキシードを……僕が作らせていただきました」
「へ?」
視線を下に落とすと、確かに先ほど着ていたスーツより、豪華なジャケットにパンツ。蝶ネクタイ付で全身、真っ白。
この格好は、まるで……。
俺が首を傾げるていると、リキが後ろから背中を押してくる。
「ほれほれっ、主役はさっさとステージに戻るんだな」
「ちょっ! やめろよ……」
リキに言われるがまま、会場に戻ると。
先ほどまで、卒業式だった場所とは思えないぐらい色が変わっていた。
今着ているタキシードと同様のカラー。全てが白に染まっている。
生徒たちが座っていた席も、白い木製の長イスに変えられている。
左右に並べられた座席の間には、同系色の布が敷かれていた。
バージンロードってやつか。
そして俺のすぐ前には、見慣れた顔が並んでいた。
卒業式に参加していなかった、うちの家族。
親父と母さん、二人とも綺麗に着飾っている。
普段汚い格好をしている六弦のくせして、モーニングコートなんか着ている。
母さんも黒の留袖。
もちろん、妹たちも座っている。
通っている高校の制服を着たかなでと、幼いやおいを抱っこするばーちゃんまで。
まあやおいは、ばーちゃんにBLマンガを読ませてもらっているのだが……。
「よぉ! タク、待ってたぜ!」
「親父……なんで、ここに?」
俺の問いに、目を丸くして答える。
「なんでって……呼ばれたからだろ? お前の結婚式に」
「はっ!? 結婚式?」
その言葉に動揺していると、司会席からアナウンスが流れる。
「え~! 新郎の琢人くんは、ステージに上がるようにっ!」
振り返ると、宗像先生がこちらを睨んでいた。
顎をクイッと動かし、無言の圧をかけてくる。
黙ってステージへ上がれということか……。
「じゃあ、タクオ。俺たちは後ろで見ているから、しっかり男を見せろよなっ! あの動画以上を期待しているぜ!」
と親指を立てるリキ。
俺ひとり残して、一と後ろの席へ去っていく。
よく見れば、後方の席には親交のある生徒たちが座っていた。
花鶴 ここあ。千鳥 力。トマトさん、妹のピーチ。日田の兄弟。
それに腐っている職場仲間と、編集長の倉石さんまで。
どうして……みんな集まっているんだ?
まだ頭が混乱しているが、とりあえず宗像先生が怖いので、従うことに。
ステージへ上がるため、階段を登る。
そこで待っていたのは、ひとりの白人男性。
金髪のガッチリした中年。
見たところ、牧師のようだ。
「ドーモ。今日はよろしくデス。結婚式を任せられたロバートと申しマ~ス」
とニッコリ笑って見せる。
ん? この白人、どこかで見たことあるような……。
あっ! 別府温泉で宗像先生を娼婦として一晩買った変態だ!
「ミス・蘭に頼まれて、今日は牧師をやりマ~ス♪」
「……」
牧師ってチェンジできないのかな?
先ほどまで行われていた卒業式が……。一瞬にして、結婚式会場へと変わってしまった。
ステージの上では、自称牧師のロバートがニコニコ笑って立っている。
右手に聖書を持って……。
ドМの変態おじさんに、持たせていいものだろうか?
このチャペル? らしき会場。
どうやら宗像先生と生徒たちが、作ってくれたようだ。
ロバート牧師の背後には、十字架が飾られている。ダンボール製の。
「あの……宗像先生、これって一体?」
未だに状況が掴めないので、司会席に立っている先生へ質問してみる。
「見りゃわかるだろ? 結婚式を始めるんだよ」
「結婚式って、誰がそんなこと頼んだんですか? 俺は望んでませんよっ!」
「あぁん? 人がせっかく用意してやったのに、文句を言うのか? お前は。一ツ橋高校の教師や生徒たちみんなで、頑張ったんだ! 感謝しろ、バカヤロー!」
「そ、それは……」
ふと振り返ってみると、クラスメイトたちが寂しそうな顔でこちらを見つめていた。
先生の言う通り、かもしれないな。
「あとな、ロバートは牧師をやるために、わざわざアメリカから来たんだぞ? 彼にも礼を言え!」
知らんがな、それに彼は本当に聖職者なのか?
俺の代わりに、ロバート牧師が英語で先生をなだめる。
「That’s okay. No worries! I just want your body」(大丈夫、気にしないで。僕は君の身体が欲しいだけさ)
なんだ、宗像先生が恋しくて来日しただけか。
「あぁ? 日本語使えったろ? まあいいや。ホテルは予約しているから、そこで話を聞いてやる」
「Yes!」
話は噛み合っていないが、ロバート的にはやる気マンマンのようだ。
アホらし……。
※
「じゃあ、そろそろ花嫁……じゃなかった花婿? あ~! もう、めんどくさい! とりあえず、入場だっ!」
先生の投げやりな紹介と共に、会場の灯りが全て消えてしまう。
真っ白だった空間が、一気に暗闇に染まった。
何も見えないと困っていたところを、一筋の光りが差し込む。
目の前のバージンロードから会場の入口まで、一直線に照らしている。
その先に見えるのは、二人の人影。
ひとりは黒いモーニングコートを着た……女性?
金色のポニーテールが輝いている。それにコートを着ても、膨れ上がる巨乳。
あれはもしかして、ヴィッキーちゃんか!?
ということは、隣りに立っているあの子は……ミハイル!
ヴィッキーちゃんとは対照的な色、白で統一している。
顔はベールで隠されているから、分からないが。
あの華奢な体格は、彼で間違いないだろう。
ウェディングドレス……ではなく、パンツと言うべきか。
一般的なドレスとは違い、ひらひらしたフリルやスカートなどは一切、排除されている。
その代わり、肌の露出が激しい。
ノースリーブにショートパンツ、所々に花柄レースの刺繍が入っている。
持ち前の白く美しい両脚を揃えて、ブーケを手に持つ。
どこからともなく、音楽が流れてきた。
『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』
あまりに、場にそぐわない曲だったので、その場でずっこけてしまった。
しかし、俺とは対照的に、入場してきた二人は至って冷静だ。
すました顔をして、ゆっくりとこちらへ向かってくる。
バージンロードを歩くその姿は、正しくこの世に舞い降りた天使。
こちらへ近づいて来て、気がついたことだが。
ミハイルの足元は、厚底の白いローファーだ。紳士向けの。
以前、結婚式の話をした際、俺がミハイルに言ったからなのか?
ドレスは女が着るもの。男は着ない。
だから、わざわざ男のミハイルが着られる服を……。
ひとりでぼーっと考えこんでいたら、いつの間にか、目の前にヴィッキーちゃんが立っていた。
眉間に皺を寄せて、俺を睨みつける。
「てんめ……なに、さっきからジロジロ見てんだよ」
とドスの聞いた声で脅す。
くしくも3年前の春。初めてミハイルに言われたセリフだ……。
顔だけなら、弟のミハイルと変わらない美人なのに。
弟より怖い。
結婚を許してもらえたはずなのに、何故か謝ってしまう。
「す、すみません……」
「この野郎、クソ坊主! お前、結婚の挨拶から顔出さないじゃねーか? あのウイスキーぐらいで、弟をやると思ったのか!?」
今から結婚式を始めるんじゃないのか?
花嫁を連れて来た、お父さん代わりでしょ。
困った俺はミハイルに視線をやるが、本人は無言を貫く。
たぶん、自身を姉のヴィッキーちゃんが、俺へ託すのを待っているのだろう。
そんな窮地から助けてくれたのは、意外な人物だった。
「あの~ アンナちゃんのお母さんですよね?」
事情をよく知らない親父が、出しゃばってきた。
当然、ブチギレるヴィッキーちゃん。
「あぁん!? 誰が母親だっ!? あたいはまだピチピチの独身だ! それにこいつはアンナじゃなくて、ミーシャ!」
顔を真っ赤にして怒鳴るヴィッキーちゃんを見ても、物怖じせず。
ヘラヘラと笑いながら、頭を下げる親父。
「すみませぇ~ん。知りませんでして……あ、ところで、先ほどの話なんですが。あの『すみ酒』じゃ足りないですよね? 今日は祝いの席ですので、式が終わったら一杯どうですか?」
まさかとは思ったが、ヴィッキーちゃんの顔つきが、一気に柔らかくなる。
「えぇ、嫌だな~ 琢人くんのお義父さんたら。その酒ってウイスキーですか?」
「もちろんですよ。さすがに『ザ・メッカラン』の60年ものは無理でしたがね。『山々崎』の50年ものなんていかがでしょう?」
「……」
しばしの沈黙の後。
長年親代わりをしてきたヴィッキーちゃんだが、可愛い弟を簡単に手放してしまう。
「ほれ、あげる」
と俺にミハイルを託してくれた。
酒さえあれば、どうにかなるんだな。
※
ようやく俺の左腕に、辿り着いたミハイル。
ベールであまり顔は見えないが、それでもエメラルドグリーンの輝きは隠せないようだ。
俺にしか聞こえないように、耳元でささやく。
「遅れてごめんね……タクト。このドレス……じゃなかったスーツを作るのに、時間がかかって」
「なっ!? じゃ、じゃあ……しばらく会えなかった理由って?」
「うん☆ ずっとこれを作ってたから。ちゃんと間に合わせたくて☆」
そういうことだったのか。
「でも、俺は……」
言いかけたところで、ミハイルが俺の唇を人差し指で塞ぐ。
今気がついたが、手にウェディンググローブをはめている。
「いいじゃん☆ 今日の結婚式は、オレがみんなに相談したから、準備してくれたんだよ? 甘えよう☆」
「みんなって?」
「ここにいる全員だよ。みんな、オレたちの結婚を祝いたいって、用意してくれたの☆ タクトには黙っていたから、ごめんね」
俺はもう一度、後ろを振り返ってみた。
みんな嬉しそうに笑っている。
ミハイルの言ったことが本当なら、ここまで準備するのに相当な時間と、金を使ったはずだ。
俺たちのために……。
「お~い! もういいか!? さっさと結婚式、やるぞ。新郎新婦?」
司会席に目をやると、宗像先生がやる気のない顔をして、式のプログラム表を手で叩いていた。
あんな顔をしているけど、先生も俺のために、牧師まで用意してくれた……。
卒業式を短縮して、結婚式の方を優先してくれたし。
やっぱり、俺。この高校を選んで良かった。
愛するミハイルに、友達想いの級友たち。
それに生徒を一番に、行動してくれる先生。
みんなありがとう……。
目頭が熱くなってきたけど、必死にこらえる。
泣くなら今じゃない。この結婚式が終わってからが良い。
覚悟を決めて、司会席にいる宗像先生へ向かって叫ぶ。
「すみません! 準備ならもう出来ました! 結婚式を始めてくださいっ!」
気がつくと、口角が上がっていた。
すると宗像先生が、眉間に皺を寄せる。
「なんだ? ニヤニヤと笑って気持ち悪い……さっさと式を終わらせろ。私も新宮のお父さんが用意してくれた『山々崎』を早く飲みたいんだ。みんな打ち上げが待ち遠しいんだよっ!」
「……」
前言撤回、最低な高校でした。
僕の学歴で、唯一の汚点になります……。
まずはロバート牧師が、俺たちふたりに対して、愛の誓いを確かめる。
俺は練習もしてないので、一発勝負だ。
かなり緊張する……。
「琢人くん。あなたはここにいる、ミハイルくんを……」
よく映画とかで聞いたことのあるセリフ。
俺の人生でこんなこと、絶対に起きないだろうと思っていた。
ちょっと、感動していたら……。
「攻める時も、受けの時も……また痔になっても、マンネリ化しても」
思わず、その場でずっこけるところだったが。
ミハイルが腕を組んでいるので、転ばずにすんだ。
「パートナーとして愛し、敬い、慈しむことを誓いますか?」
即答でYESと言いたいところだが、一部のセリフを受け入れたくない。
でも、ここはロバート牧師の言う通りにしよう。
「は、はい……誓います」
その答え方に、ロバートが苛立つ。
眉間に皺を寄せ、再度誓いを確認する。
「タクトくん? 絶っ対に誓いマスね!?」
めっちゃ怒ってる、ドMのくせして。
「誓います! 永遠にっ!」
するとロバートは嬉しそうに微笑む。
「オーケー」
次はミハイルの番。
俺の時とは違い、ちゃんとした誓いの言葉だった。
『病める時も、健やかな時も……』という、おなじみのやつだ。
当然、ミハイルもYESと即答し、無事に誓いが成立したのであった。
というか、なぜ俺だけ、あんな誓いを立てられたの?
※
結婚式のプログラムを知らされていない俺は、次にどんなことを行うか。知るわけもなく……。
きょろきょろと辺りを見回していると、隣りに立つミハイルが俺の袖をくいっと掴む。
「大丈夫だよ☆ オレに合わせて」
「ああ……」
そんな俺を見て呆れたのか、宗像先生が深いため息をついたあと、こう言った。
「では、リングガールの入場です」
きっとプログラムを順次、説明するから安心しろということなのだろうが……。
リングガールってなんだ?
今から際どい水着姿のお姉ちゃんが、入場するのか。とアホな妄想をしていたら。
会場奥の入口に、ひとりの少女が立っていた。
先ほどミハイルが歩いていた、ヴァージンロードの上を。
小学生ぐらいの女の子だ。
白いドレスを着て、頭に花冠をかけている。
手には網かご。
徐々にこちらへ近づいてくると、その子に違和感を感じる。
それは顔つきだ……。
遠目で見れば、女の子だが。よく見れば、しっかり成人した女性。
いや、もう30歳を迎えたのに、独身のかわいそうなアラサー。
俺の元担当編集。白金 日葵だ。
「はい。お二人の結婚指輪を、届けに来ましたよ」
と網かごを差し出す白金。
自ら望んでやっているようには見えない。
その証拠に、舌打ちをつく。
「チッ……なんで、私がこんなことをしないといけないんだか」
顔を歪めて、神聖なヴァージンロードへ唾を吐き捨てる。
これには俺もブチギレそうだったが、みんなやミハイルの前だ。
怒りをこらえて、白金に礼を言う。
「悪いな、白金。ありがとう」
そう言って、カゴを受け取る。
「フンッ! 私より先に結婚なんてしやがって、クソウンコ作家のくせに!」
ダメだ。祝いの席でキレてはいかん。堪えろ。
「は、はは……まさか白金まで、結婚式に参加してくれるとはな」
「別に私は参加したくなかったのですけどね。DOセンセイじゃなかった。“アンナ”センセイのお父さんが『山々崎』を飲ませてくれるって聞いたもんで」
お前も結局、酒かよ……。
どうなってんの? 初代、伝説のヤンキーたちは。
※
白金が持ってきた網かごには、2つのプラチナリングが入っていた。
黙って受け取ったけど、この結婚指輪は誰が用意したんだ?
俺はミハイルに告白する時、渡したのは婚約指輪であって、結婚指輪じゃない。
ロバートに「どうゾ、お互いの指に差し込んで下サイ」に促されたが……。
こちらが用意したものじゃないから、怪しんでしまう。
後で多額のお金を、請求されるのではないかと。
俺が指輪を睨んで固まっていると、ミハイルがそれを見て、クスクス笑う。
「フフフッ、早く指輪を入れてよ☆」
と細い指を差し出す。
「え……でも、これ。誰が買ったんだ? 俺は買ってないのに……」
「タクトって結構、心配性だよね。こんな時ぐらい信じてよ☆」
「?」
「オレが買った……ていうか、作ったの☆ 二人分ね☆」
「つ、作っただと!? ミハイルはそんなチートスキルを、持ち合わせていたのかっ!?」
あれだろ?
異世界に飛ばされた主人公が、鉱山で希少な鉱石を掘り出し。
コツコツと貯めたスキルポイントを使い、鍛冶スキルに全振りする。スローライフ的な……。
とひとりで、次回作の主人公は金髪ハーフの美少年が、異世界でエルフより可愛くなるストーリーを考えていたら。
ミハイルが俺のおでこを、人差し指でデコピンする。
「いでっ!」
「考えすぎだってば。福岡に工房があってね、そこの先生に教えてもらいながら、作ったんだよ☆ ちょっと歪んじゃったけどね」
「そういうことか……」
「お店で買った方がキレイだけど。作ったら少し安くなるし、何より世界で2つだけのリングだもん☆ タクトが可愛い婚約指輪をくれたから、結婚指輪はオレが作りたかったんだ☆」
「……」
その言葉を聞いて、今までの自分を呪った。
ミハイルがこの数ヶ月、会えないと言っていた理由は、全て今日のため。
俺が結婚式を断ったから、ひとりで宗像先生や友達に相談して、式を用意し。
指輪まで自分で作ってくれた……。
なら、ミハイルの気持ちにしっかりと応えるべきだ。
それからの俺は、素早かった。
指輪交換をさっさとすませ、司会の宗像先生や牧師であるロバートの言葉も無視して、ミハイルにこう囁く。
「ベールを上げたいから、腰を屈めてくれ」
「う、うん……」
その場でミハイルが、ゆっくりと腰を屈めるのを確認すると。
俺は彼の頭にかかったベールを、両手で上げていく。
ベールを上げると、ミハイルが瞼を閉じて待っていた。
俺が「もういいぞ」と言うと、ゆっくり瞼を開き、腰を伸ばす。
厚底のローファーを履いているとはいえ、俺たちには身長差がある。
どうしても、彼の方が上目遣いになってしまう。
2つのエメラルドグリーンを輝かせて、微笑むミハイル。
薄紅色の唇は、どこか艶がかっているような気がした。
ひょっとして何かリップを塗っているのか?
「お待たせ、タクト☆」
「ミハイル……」
とても長い時間。すれ違っていたような気がする。
やっとこいつの顔を、見ることが出来た。
それだけで、心が満たされていく。
もう……ダメだ。我慢できん。
「それでは、誓いのキスを……」
とロバートが最後までセリフを言う前に、俺はミハイルを抱きしめていた。
もうお互いが離れないように、強くきつく。
「た、タクト?」
「愛している……ミハイル」
「オレもだよ。でも、このままじゃ、誓いのキスが出来な……」
ミハイルの小さな唇を、力づくで奪う。
こんな強引なキスをするはずじゃなかったのに。
久しぶりに見た彼が可愛すぎて、理性が吹っ飛んでしまった。
彼が逃げられないように、右手で頭を抑え、腰に左手を回す。
「んんっ……」
誰かは分からないが、悲鳴のような歓声が上がる。
そりゃ、そうだろう。
俺は誓いどころか、かなりディープなキスを堪能しているのだから。
ミハイルの舌先を探すことで、頭はいっぱい。
もちろん、彼が拒むことはないが。少し恥ずかしがっているように感じる。
腰に回していた手の位置も、次第に下りていく。
彼が一生懸命作ったウェディングスーツ。
触れたことで、ようやく気がついた。
この生地はきっとフェイクレザーだろう。つるつるのスベスベ。
撫で回すのに最適。いや、揉みしだくのが良い!
~10分後~
「んちゅ……じゅばじゅば……ぶちゅっ、ちゅ~!」
誓いのキスにしては、あまりに長い接吻だった。
おまけにミハイルの小尻を、撫で回しては揉みまくる……を繰り返していた。
しかし、それを黙って見ている大人たちではない。
誰かが固い筒で、俺の頭を引っぱたく。
「長いっ! さっさとやめんかっ! 初夜なら後にしろ、バカモン!」
後頭部をさすりながら、ミハイルから離れると。
顔を真っ赤にした宗像先生が、結婚式のプログラムを丸めて立っていた。
「すみません……つい」
「つい、じゃない! お前、このあと式をどうすんだ!?」
宗像先生が指差す方向に目をやると、ミハイルがまた『トリップ』していた。
「うへへへ☆ タコさんのタクトだぁ~ だから、オレのお尻も触ってきたんだぁ。くすぐったいよぉ~」
「……」
ミハイルが正気を取り戻すのに、30分を要した。
ミハイルが正気を取り戻したところで……。
俺たちは晴れて、夫婦になれた。
いや、夫婦という表現はちょっと違うか?
まあなんにせよ、これで俺とミハイルは、永遠のパートナーだ。
牧師のロバートが会場のみんなに向かって、宣言する。
「さあ、この二人の新しい門出に、盛大な拍手をくだサイ!」
待っていましたと言わんばかりに、一斉に席から立ち上がると。
力いっぱい手を叩いて、祝ってくれた。
みんな自分のことのように、嬉しそうに笑っている。
「おめでとう、タクオにミハイル!」
「二人とも、素敵です!」
と叫ぶのは、リキと一。
「あのぉ~ 初夜に動画を撮影したいのですが、可能でしょうか!?」
そんなふざけたことを叫ぶのは、俺の腐った職場仲間だ。
普段は真面目で大人しい女性なのに、BLや同性愛については感覚がぶっ壊れている。
全て編集長の倉石さんによる、調教のせい。
誰が営みの録画を許可するか!?
そういう撮影は、俺だけがして良いの。
ヤベッ! そう言えば、ビデオカメラを用意してなかったぜ。
※
式が無事に終わり、新郎新婦は退場することになる。
ゆっくりとヴァージンロードを二人で歩く。
ミハイルは嬉しそうに、級友や家族に手を振っていた。
俺はと言えば、正直誓いのキスをやり過ぎたと後悔していた。
自家発電の直後……賢者タイムみたいな気分。
今になって恥ずかしさが、こみ上げてくる。
そりゃそうだ。
目の前でカメラを向けている、母さんとばーちゃんの前で、あんな濃厚キスと尻揉みをしたのだから。
「タクくん! 母さん、感動したわよ!」
「すごいじゃない、タッちゃん!」
褒めてくれているんだけど。なんか二人とも口から、よだれを垂らしているんだよね。
もちろん、妹のかなでも見逃すわけなく。
「尊い! おにーさまなら、ミーシャちゃんと結婚できると思ってましたわ! 全てかなでの計画通り。女装させて良かったですわ」
え? 全部、あいつが仕組んだことなの?
怖っ。
一歩進むごとに、俺は出席者へ頭を下げる。
しかし、とある出席者の前で、小さな石ころを投げられた。
「いてっ!」
本当に小さなものだから、頬に当たっても、さほど痛むものではないが。
連続して投げられると、ちょっと痛む。
それに目にも入るし……。
「鬼は外~! 鬼は外~っ! BL作家はいらな~い!」
誰だ、季節外れの豆まきをしているのは?
ミハイルにはしないで、俺にだけ投げてきやがる。
しかも、顔面狙い。
何個か石をキャッチすることが出来たので、手の上にのせて確認してみると。
「これは……白米?」
辺りを見回してみると、他の出席者たちも網かごから手に掴み、投げている。
顔面ではなく、足元に優しく落とすレベル。
だが、この出席者には悪意しか感じない。
相手の顔をじっくり見つめると、そこには小さな女の子が立っていた。
いやアラサーのロリババア。
白金が俺の顔目掛けて、ライスシャワーを投げつける。
「悪霊退散っ! 早くミハイルくんにお尻を攻められて、痔になっちゃえ!」
「……こんの、ロリババア。お前は最後ぐらい大人になれよっ! ちゃんと祝えないのか?」
「祝うわけないじゃん! このクソウンコ作家! ラブコメなんて、最初から書けなかったんですよ!」
その時、俺の中で何かがブチンと切れる音がした。
「なんだと、貴様! ちゃんと売れただろうが! お前が編集として力不足だったんだ!」
新婦を残して、白金に飛び掛かる。
どうしても、こいつをぎゃふんと言わせたいから。
そのあと取っ組み合いのケンカになり、宗像先生とヴィッキーちゃんが止めに入るまで、俺と白金のケンカは止まらなかった。
※
みんなから祝福されて、無事に結婚式を挙げることが出来た。
ミハイルと仲良く会場から出ると、一台のオープンカーが目に入る。
かなり派手な車だ。
ピンク色の車体だし、大きなリボンや白いバラで作られたリースなどで、装飾されていた。
車体の後方部には、紐で括られた複数の空き缶が、アスファルトに転がっている。
これは……ブライダルカーってやつか?
「ほら、タクオにミハイル! 早く乗れよ、出発するぜ」
運転席には、なぜかリキが座っている。
「そうだよ。二人が主役なんだからね♪ あ、ちなみにこの車は、私がデザインしたの」
と助手席で笑うのは、腐女子のほのかだ。
つまり、彼女が普段から乗り回している愛車なのか。
その証拠に、リボンやリースでは隠し切れない部分が、悪目立ちしている。
頬を赤くしたショタっ子が、おじさんに無理やり襲われているのに……「らめぇ」と受け入れているBLイラスト。
フロントだけじゃなく、全体に裸体の男たちがプリントされている。
BL痛車とでも、言うのか?
こんな恥ずかしい車には、乗りたくない……。
でも、せっかく用意してくれたブライダルカーだし、我慢して後部座席へ乗ることに。
それに結婚式を企画、参加してくれたみんなが、わざわざ駐車場まで見送りに来ている。
俺たちの新しい門出を、見守っているのだろう。
後部座席から、二人で手を振る。
「それじゃ、みなさん。本当にありがとうございました!」
「バイバイ~ みんな☆」
運転手を任せられたリキが気を使って、駐車場をぐるりと一周する。
その間、結婚式に参加したたくさんの人々に、挨拶することが出来た。
一ツ橋高校から出発する前に、ミハイルが手にしていたブーケを空に向かって、投げる。
ブーケトスってやつだ。
大勢の女子が鼻息を荒くして、ブーケを手にしようと競い合っていたが。
それを見た宗像先生が、強い口調で注意する。
「こらぁ! 今回の花嫁は、男の古賀だ。よってブーケを手に出来るのは、男子のみ!」
先生が考えた謎ルールのせいで、女子はため息をついて解散する。
地面に落ちたブーケを拾ったのは……天然パーマのバニーボーイこと、住吉 一。
「あ、僕が次のお嫁さん……?」
よりにもよって、リキに片想いしている一か。
知らねっと……。
~それから、30分後~
学校から離れて、しばらく経ったころ。
俺たちは、大きな国道を走っていた。
このブライダルカーは、ミハイルも知らなかったようで、驚いていた。
オープンカーだから目立つし、風がバシバシ当たって肌寒い。
でも、不思議と気分は悪くない。
「ところで、リキ。一体、どこへ向かっているんだ?」
「え? ああ、実はミハイルにも黙っていたんだけど……なあ、ほのかちゃん?」
恥ずかしそうに、頭をかくリキ。
仕方なく、助手席のほのかが説明してくれた。
「もう、リキくん。こういう時、頼りないんだから。あのね、宗像先生と一ツ橋高校のみんなで、話し合って決めたんだけど……。実は二人に結婚のお祝いがあるの」
「お祝い?」
「うん。今、向かっている場所……ホテルを予約しておいたの。お金も事前に払っているから、心配しないで。ちょっとしたハネムーンだから♪」
「!?」
これには驚いた。
あの借金まみれの宗像先生が、生徒にそこまでしてくれるとは……。
ミハイルもハネムーンと聞いて、感動していた。
「ハネムーンなんて考えていなかったよ。ありがとう、ほのか。それにリキも……」
目に涙を浮かべて、礼を言う。
「はは! 気にすんなよ、ハネムーンと言っても福岡市内だぜ? お、もうすぐ着くぞ」
ん? ハネムーンなのに、福岡市内だと?
おかしくないか。
福岡県で旅行するとしたら、ビルや商業施設が並ぶ市内より、自然の多い場所を選ぶと思うが。
首を傾げていると……リキが運転する車は、賑やかな繫華街、博多を走っていた。
ビジネス街だから、大きなビルが立ち並んでいる。
ホテルもあるにはあるが、ビジネスホテルばかりで。ハネムーンに利用するものとは程遠い。
と思っていたら、車は人通りの多い『はかた駅前通り』に入る。
見覚えのある交差点で、ウインカーを出すと。リキが「ここだったよね?」と、助手席のほのかに尋ねる。
彼女が「うん」と頷くと、そのまま左折した。
裏通りに入ったところで、目に入ったのは……俺たちがよく通っているラーメン屋『博多亭』だ。
まさかとは思うが、ここに来たと言うことは?
ブライダルカーは小さな白いホテルの前で、止まる。
正しく表現するには、説明不足だろう。
宿泊施設として、利用目的が違うのだから。
「さ、下りてくれ」
驚く間もなく、リキが終点を告げる。
「なっ!? リキ、お前。ここがなんのホテルか、知っているのか!?」
「え……ラブホだろ? 悪りぃ、金と時間が無くてさ。宗像先生が『ホテルには違いないだろ』って予約したんだ」
「ウソだろ……?」
ただのヤリ部屋じゃん。どこがハネムーンなの?
「あ、タクオ。これ」
1つのトランクを差し出すリキ。
どうやら、ミハイルの荷物らしい。
俺がトランクを受け取ると、すぐさま車のエンジンをかける。
「え、ちょっと……」
引きとめようとしたが、間に合わなかった。
「じゃあ、俺とほのかちゃんは、卒業式の打ち上げがあるからさ。二人はゆっくり新婚旅行を楽しんでくれよ」
「そうそう♪ おじゃま虫の私たちは、宗像先生やみんなと焼き鳥屋さんでパーティーするから」
なんか、そっちの方が楽しそうな気がするけど。
「二人とも、待ってくれよ! 本当にこのまま、行くのか!?」
俺の問いに、リキとほのかは黙って顔を合わせる。
しばしの沈黙の後、二人は息を合わせてこう言った。
「当たり前だろ」
「当たり前でしょ」
こいつらの方が、もう夫婦じゃね?
ふと、気になったので、ミハイルに目をやると。
顔を真っ赤にして、アスファルトに視線を落としていた。
恥ずかしさからか、身体を震わせている。
「……」
黙り込むミハイルを見て、心配になった俺は声をかける。
「なあ、大丈夫か?」
「え……?」
俺が声をかけるまで、我を忘れていたようだ。
大きな目を丸くして固まっている。
お互いどうしていいか分からず、その場で立ちすくんでいると……。
リキとほのかが乗る、ブライダルカーが動き始めた。
「じゃあな! また同窓会とかで会おうぜ!」
「二人とも、お幸せに~♪」
残されるこちらの身も考えてよ……。
※
リキたちが去って、どれぐらい経っただろう。
20分以上は、このラブホテルの前に立っている。
裏通りとは言え、博多駅の近くだ。
真っ白なタキシードとウェディングスーツを着た、俺たちは悪目立ちしている。
すれ違う通行人たちが、指を差して笑う。
「なに、あれ?」
「きっとウェディングプレイとかじゃね」
違うわっ! プレイじゃなくて、正真正銘の夫婦だ!
愛するパートナーを見て、嘲笑う奴らに苛立ちを覚える。
これ以上、ミハイルを笑いものにさせてたまるかっ!
それに……宗像先生の真似じゃないが、ホテルには違いない。
どちらにしろ、今夜、俺とミハイルは結ばれる……予定だった。
なら、初めてがムードのないラブホでも良いじゃないか。
気合を入れるために、頬を両手で叩く。
「うしっ!」
ようやく、俺も覚悟を決めた。
そして、ミハイルに一言。告げる。
「ミハイル、入ろう」
「え、えぇ!?」
驚く彼を無視して、話を続ける。
「俺たちはもう結婚したんだ。今日からずっと二人で暮らす……なら、遅かれ早かれこういう場所も利用するだろ?」
「うん……そうだよ、ね」
目を合わせてはくれないが、ミハイルも俺の考えと同じようだ。
その姿を見た俺は同意と見なし、黙って彼の手を掴む。
これ以上の言葉は、無粋だろう。
少し強引だが、彼の手を引っ張って、ホテルの中へ入ろうとした……その瞬間、ミハイルが俺の手を払う。
驚いた俺は振り返って、彼の顔を確かめる。
「ご、ごめん……嫌とかじゃなくて……あのね、実は」
顔を真っ赤にして、身体をもじもじとさせている。
なんだ? トイレにでも行きたいのか?
そういうことなら、ホテルにもあるだろう。
「どうした? やはり、入りづらいか?」
俺の問いに、頭をブンブンと左右に振って見せる。
「そうじゃないんだって……。あのね、タクトはウェディングドレスを見たくないって、言ったじゃん」
「ああ……そう言えば、そんな話もあったな」
「実はもう一人分、作ったの。ドレスを」
「へ?」
首を捻る俺に対して、彼は黙って指を差す。
ミハイルが差したのは、俺の右手。
先ほど、リキに渡されたトランクケースだ。
「その中には……アンナの分。ウェディングドレスが入っているの」
久しぶりに聞いた、その名前に驚きを隠せない。
「なっ!? アンナだと!?」
「うん……いろいろ考えたけど。あ、アンナも着たいと思うし……タクトも見たいかなって」
「そ、それは……」
否定すれば、嘘になる。
彼の言う通り、俺も一年以上、彼女と会えていない。
それにプロポーズした際、男のミハイルを選んだが……。
本音は、未練タラタラで。
彼女のことを引きずっているのも事実だ。
ウェディングドレス姿のアンナ……想像しただけで、興奮してしまう。
「ったい……見たい!」
気がつくと、自分の正直な気持ちをミハイルにぶつけていた。
また女のアンナを選んで、傷つくんじゃないかと思ったが……。
「嬉しい☆ タクトなら、そう言ってくれると思ってた☆ 実はね、アンナのドレスも作っていたから、なかなか会えなかったんだよ」
「……」
そういう事だったのか。
ったく、こいつはどこまでも可愛いな。
※
トランクの中身が分かったところで、ミハイルはようやくホテルへ入る決心が着いたようだ。
もう一度、俺と手を繋ぐ。
「じゃあ、今度こそ入ってもいいのか?」
「うん……だけど、その前に聞いてもいいかな」
潤んだ瞳で上目遣いをする。
エメラルドグリーンだけでも、反則レベルなのに。
こんなことされたら、股間が爆発しそうだ。
「なんだ?」
「あの……“どっち”がいい?」
「え?」
「だからさ、今のオレとアンナ。どっちを選ぶの?」
頬を赤くして、こちらをじっと見つめる。
なんて愛らしいんだ。
つまり、彼が言いたいのは……男のミハイルか、女のアンナ。
どっちを食べたいですか? ということだろう。
なんだ、この高揚感は。
まるで仕事から家に帰ってきたら、愛する妻が「お風呂にしますか? お食事にしますか? それともワタシ……」的なシチュエーション。
しかし、そんなことを選ぶ必要はない。
意味を理解した、俺は即答する。
「両方、いただこう」
「え?」
大きな目を丸くする、ミハイル。
「だから、二人ともいただく。俺がミハイルとアンナを愛しているのは、事実だからな」
ミハイルは俺の答えを聞いて、一瞬、言葉に詰まっていたが……。
恥ずかしそうにこう言った。
「じゃ、じゃあ……どっちから?」
「もちろん、ミハイルからだ。俺が一番最初に可愛いと思ったのは、お前だからな」
俺がそう答えると、ミハイルは小さな声で「バカ……」と呟く。
だが、まんざらでもないようで、身体をもじもじさせながら、俺の目をじっと見つめる。
「オレで良いんだ?」
「確かにアンナも好きだ。でも大事なのは、中身であるミハイル、お前だ」
「うん☆」
俺の顔を見つめて、優しく微笑むミハイル。
右手を差し出し、何かを待っているようだ。
「行こ、タクト☆」
「ああ……そうだな」
彼の小さな手を掴むと、ラブホテルの入口に立つ。
緊張しているせいか、手の中は汗で湿っている。
こんなベトベトの手じゃ、ミハイルが嫌がるだろうと思ったが。
ミハイルは俺の考えていることを、察しているようだ。
上目遣いで、こう囁く。
「大丈夫だよ☆ オレもすごく怖いもん、タクトと一緒☆」
「……ミハイル」
その一言で、火がついた。
「じゃあ、二人で同時にホテルへ入るか?」
「うん、いいよ☆」
まさか結婚して、初めての共同作業が、ラブホテルへの入場とはな。
深呼吸した後、互いの手を強く握りしめ、片足を前に上げる。
するとセンサーに反応したようで、自動ドアが開いた。
「「せーの!」」
了