まさか、またこのスーツを着るとは……。
一ツ橋高校へ入学する時、親父から借りたスーツだ。
親父の方が背が高いから、ガバガバだけど。
今日はミハイルとの結婚を許してもらうため、先方へ挨拶に行くのだ。
形だけでもしっかりしないとな。
髪型も洗面台に置いてあったポマードで、ビシっと決める。
オールバックというやつだ。
思わず、鏡に映る自分に見とれてしまう。
「う~む。マフィア映画の幹部ってところかな」
顎に手をやり、ポーズをとると。
背後から声が聞こえてくる。
「幹部じゃなくて、チンピラにもなれなかった陰キャですわね。映画ならすぐ撃ち殺されて終わりですわ」
振り返ると、妹のかなでが立っていた。
赤ん坊のやおいを抱っこしながら。
「かなでか……驚かせるなよ。俺は今から結婚の挨拶に行くんだぞ?」
「おにーさま。なんでそんな余裕たっぷりなんですの? 相手側はミーシャちゃんとの恋愛さえ、許してないんでしょ?」
「そ、それは……」
「はぁ……やっぱり、何も考えていないのですね。いいですか? 普通の恋愛結婚でも、お二人は反対されること間違いないですよ。だって未成年でしょ」
そう言われたら、そうだ。
告白した時は、ミハイルを逃がしたくない想いで、勢いからプロポーズした。
いくら高校を卒業してから……という約束があっても、あのキス動画が問題だ。
「う……でも、本人であるミハイルは、俺と一生を共に過ごすことを誓ってくれた。どんな困難も今の俺たちなら、乗り越えられるさ!」
しかし、それを聞いたかなでは鼻で笑う。
「わかってませんね。お二人が熱々なのはいいことですけど。結婚というものは他人同士が、まったく生き方の違う家族が一つになるということですわ。猫の子をもらうわけじゃないですの。ミーシャちゃんだって、家族がいるんです。そこを理解しないと、おにーさまがひとりで突っ走っているだけですわね」
クソ、こいつなんて相手もいないのに。
妙に現実味のある話し方だ。
「じゃあ、どうすれば良いんだ?」
「簡単ですわ。ミーシャちゃんのご家族に認めてもらうことです。でもそれが一番、難しいですわ。おにーさまの人間性、収入など。それにご家族との相性ですわね」
「……」
どれも絶望的じゃないか。
可愛い弟を女装させて、好き勝手なことをしたし。
収入は、今でこそあるが……一時的な印税のみ。
BL編集部のバイトをやらせてもらっているが、二人で暮らすには無理がある。
あと、姉のヴィッキーちゃんとの相性は、良いのだろうか?
「ま、何回も何回も相手に怒鳴られて……。時には殴られ、蹴とばされても、諦めずに挨拶へ行きまくることですわ。恋愛と一緒のことですよ?」
「今の俺なら大丈夫さ。ミハイルがついているからな!」
と拳を作ってみたが、赤ん坊のやおいがぶち壊す。
「受けっ! 受けっ!」
「……」
だから、お前のお兄ちゃんは、バリバリの攻めだと言っているだろ。
※
日取りは事前にミハイルと決めていた。
姉のヴィクトリアは、あの報道を見て以来、元気がなく。
長年、地元で人気の洋菓子店なのに、休業が続いているらしい。
よっぽどショックだったのだろう。
可愛い弟が女装して、プロポーズされる動画が世界中に知れ渡ってしまった。
しかも、ミハイルはそれを受け入れている……。
俺たちの恋愛における最大の弊害は、姉のヴィッキーちゃんかもしれない。
列車に揺られること数分、目的地である席内駅へたどり着く。
改札口を出ようとしたところで、すぐに彼の姿が目に入る。
ミハイルだ。
「タクト~! 久しぶりだね☆」
エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、微笑む。
丈の短いタンクトップだから、おへそは丸出し。
ショートパンツも、ダメージ加工のデニムだから、ところどころ穴が開いている。
男性用とはいえ、彼のおパンツが見えてしまう。
今日は赤ですね……ゴクリ。
「よお、ミハイル」
改札口を抜けると、彼はすぐに、俺と腕を組みたがる。
絶壁の胸が肘にあたり、興奮してしまう。
「ねぇ、最近。なんで連絡くれないの? さびしいじゃん」
と上目遣いで唇を尖がらせる。
「そ、それはその……妹のやおいが帰って来てお世話とか。あと今日の挨拶で、色々と考えていたんだ」
「そうだよね、ごめん。なんかタクトが告白してくれてから、ずっと胸のドキドキが止まらなくて……」
今度はちょっと涙目になってしまった。
ヤベッ、かわいすぎる。
この辺にホテルないかな?
ちょっとご休憩してから、挨拶したらダメかな……。
※
そんなイチャイチャタイムは、すぐに消え失せる。
駅から数分で、席内商店街が見えてきたからだ。
伝説のヤンキー、古賀 ヴィクトリアが営むパティスリーKOGAがあるのだが。
本日もシャッターが降りたまま。
「なあ、ミハイル。ヴィッキーちゃんの様子はどうだ?」
「う、うん……なんか毎日、おかしいんだ。仕事もしないし、ずっとお酒ばかり飲んでいるの。それでね、オレが少しでも外へ行こうとしたら、怒り出すんだ。スーパーへ買い物に行くだけなんだよ?」
「……」
完全に嫁入り前のダメ親父じゃないか。
「とにかく、オレが離れないようにずーっと『お酒のつまみを作れ』ってうるさいんだ。別にオレは作るの、好きだから良いんだけど」
「そうか……」
一体、どうなることやら。
ミハイルに案内され、店の裏側に回る。
少し錆びた外付け階段をのぼると、玄関が見えた。
随分と年季の入ったドアらしいから、毎回ヴィッキーちゃんが蹴りまくっていたっけ。
馬鹿力のミハイルは余裕の顔で、カチャンと開けているが。
「じゃあ、どうぞ☆ タクト☆」
「おお……おじゃましまーす」
家に入った瞬間、異様な臭いで充満していることに気がつく。
酒くさい……。
きっと換気もしていないのだろう。
なんか息苦しいな。
とりあえず、紳士靴を脱いで、ミハイルと共にリビングへ向かう。
奥で待っていたのは、下着姿であぐらをかく金髪の女性。ヴィクトリア。
彼女の前には、大きなローテーブルがあり、ミハイルが作ったと思われる料理が並んでいた。
そして後ろの壁には、ストロング缶とウイスキー瓶が大量に重ねられている。
「すぅ……すぅ……」
どうやら居眠りしているようだ。
よく見れば、目の下に大きなくまがある。
俺に対する怒りも強いようだが、心配なんだろうな。
「あ、ねーちゃん。またそんな格好で寝ている。もう起きてよ! タクトがわざわざ家に来てくれたんだよ?」
ミハイルとしては気を遣って、起こしてくれたのだろうが。
恐怖でしかない。
このあと、起きる出来事が。
「んん……ミーシャ。どこ行ってたんだ?」
まだ寝ぼけている。
「どこって、ねーちゃんが呼んだから、タクトを連れて来たんだよっ!」
そう言って俺を指差すミハイル。
今まで瞼を擦っていたヴィクトリアだが、突然目を見開き、睨みつける。
「てめぇ……クソ坊主。よくあたいん家に来られたな」
ドスのきいた声で、俺を脅す。
しかし、悪いのは間違いなくこちらの方だ。
大事な弟を女装させて、1年以上も騙していたから。
謝罪の言葉よりも前に、俺は床に土下座することを選んだ。
頭をぐりぐりと床へねじ込みながら。
これが俺の誠意だ。
「あ、あのこの度は、誠に申し訳ございませんでした! 俺のわがままでミハイルを、色んなことに付き合わせて……」
「……」
ヴィッキーちゃんの顔は見えないが、黙って話を聞いてくれているようだ。
「でも、俺は本気なんです! ミハイルとの恋愛だけは、誰にも譲りたくありません! 今日はお姉さんのヴィッキーちゃんにも、それを知って欲しくて来ました」
言い終えるころ、ゆっくりと顔を上げる。
顔を赤くしているミハイルが、黙って俺を見つめていた。
しかし、問題はその隣りだ。
口を大きく開き、汚物を見るような目つきで、上から俺を見つめる。
怖すぎるっぴ!
「……坊主。とりあえず、死ね」
「へ?」
何かが左のほおをかすった。
手で押さえて見ると、熱を帯びていた。
ねっとりとした感触に違和感を感じ、手の平を見ると、赤い血が流れている。
その後、背後でパリンっ! と何かが割れる音が聞こえてきた。
振り返ると、ウイスキー瓶が壁に衝突して、砕け散っている。
「てめぇ! あたいの可愛いミーシャを人形にしやがって! 頭かち割ってやるから、こっちに来やがれ!」
両手にウイスキー瓶を持ち、ローテーブルに片脚をのせるヴィクトリア。
それを抑えるのは、弟のミハイルだ。
「ねーちゃん! やめて! タクトはオレの大事な人なの!」
「じゃあ、なにか? あたいはどうでもいいってか!?」
ヴィッキーちゃんが落ち着くまで、1時間以上かかった。