気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


「い、いつからなの……? オレがアンナだってことを知ったの」

 頬を赤くして、そう問うのは。口調だけが男っぽいツインテールの美少女。
 たぶん周りにいる野次馬たちも、彼を女だと思い込んでいるだろう。

「ウソだろ? あの子、女だろ?」
「私より可愛いんだけど!」
「いや……あれで男なら、むしろ興奮してきた」

 最後のやつ、マジで便乗してくんなよ。

 辺りはざわついてたが、俺はそれを無視し、ミハイルの瞳を見つめ真面目に答える。
「最初からだ、一年前にこの博多で。確かに可愛いらしい服を着ていたから、一瞬、別人だと思ってしまった。誰よりも可愛かったからな」
「そ、そうなんだ……」
 俺の答えを聞いて、怒るわけでもなく。恥ずかしそうに視線を地面に落とす。
 
「でもすぐに、お前だと気づいたよ。この世でミハイル以上に、可愛いと思った人間はいないからな」

 今の俺は、どうかしているのかもしれない。
 恥ずかしいセリフを、すらすらと口から発している。
 ミハイルも俺の変貌ぶりに、驚きを隠せない。

「なっ!? そ、そんなこと、こんなところで言わないでよ……」

 そう言われたが、俺が止めることは無い。
 だって、これからもっと恥ずかしいセリフを連発するだろうから。

「悪い。でも今ここでお前に伝えないと。また離れてしまいそうな気がするから……」
「そんなにオレが良いの? なんで……タクトが言ったんじゃん。『女だったら付き合える』って! だから、オレ。いっぱい頑張ったのに」

 唇を嚙みしめ、スカートの裾を掴む。
 アンナではなく、ミハイルを選んだことに憤りを感じているようだ。
 その怒りは更に、ヒートアップしていく。

「妹のかなでちゃんに教えてもらって。タクトが好きな声優のYUIKAちゃんが着ているファッションやメイクとか……髪型だって勉強したんだ! 喋り方もタクトが好きそうな女の子に変えたんだゾ!」
「ああ……わかっている。ずっと見ていたからな」
「じゃあ、なんでなの!? 男は嫌だって言ったじゃん!」

 気がつくとミハイルの瞳は、涙で溢れていた。
 興奮しているのか、俺と距離を詰めて、拳を作っている。

「そうだ。俺はお前の告白を断り、『女じゃないと付き合えない』と言った」
「ならどうして……アンナにしてくれないの? オレ、なんか間違えた? タクト好みにしたつもりだったのに……」
 そう言うと、俺の胸をポカポカと叩く。
 だが俺は敢えて、そんなミハイルに手を貸さず、自分の気持ちを伝えることにした。

「確かに完璧な女の子だった。俺好みのファッションに、話し方。最初のデートから俺は、アンナに釘付けだった。毎回、取材するのが楽しみで。世界が変わった。何も無かった俺という人生を変えてくれた」
「……」
 どうやら、黙って話を聞いてくれているようだ。

「だが、それは元となるミハイルがいたから、成立する世界だ。それを知ったのは、お前が絶交してくれたからだ。ダチとしてな」
「オレが、タクトと絶交したから?」
 潤んだ瞳で俺を見つめるミハイル。

「そうだ。絶交されてようやく気がついた。俺にはお前が……ミハイルが必要だと。いなくなって、世界が真っ暗になってしまったんだ。食事は味がせず、喉も通らない。今まで好きだったものでさえ、何も楽しめない。感じない。ただの闇だ」
「オレがいなくなっただけで?」
「ああ……もちろんアンナも好きだ。でもそれよりも大事なのは、好きなのはお前だ。ミハイル。それを伝えたかった」
「男のオレでいいの?」

 その質問を待っていたと言わんばかりに、俺の心臓が高鳴る。
 ここでしっかり決めないと……。
 深呼吸をした後、俺はミハイルの頭にゆっくり手を回す。

「そうだ。男のミハイルで……いや、ミハイルがいいんだ。だからもう、こんな格好しなくてもいいだろ」

 俺は彼のツインテールを片方掴み、勢いよく引き剝がす。
 カツラを取れば、ミハイル自慢の美しい金髪がサラリと流れてくる……と思っていた。
 ショートカットにしていたが、たぶん今着ているガーリーなファッションも似合うだろう。
 しかし、俺の勉強不足だった……。

「「あ……」」

 ヅラを取った瞬間、二人して声を合わせる。

 尼さんのようなスキンヘッド……ではないが。丸くて黒い頭。
 きっとカツラがズレないように、地毛をまとめるネットだ。

 ツインテールのヅラを片手に、その場で固まる。
 これは、ネットを外せばいいのだろうか?
 でも、うまいこと髪型を、きれいに整えられるかな。
 またヅラをのせるか? う~ん、わからん。

 そんなことを一人で、考えていると。
 当の本人は、顔を真っ赤にして、視線を地面に落としている。

 ヤベッ……またしくじった。

  ※

 どうしていいかわからず、お互い固まっていると。
 俺たちを見ていたギャラリーの中から、女性の声が聞こえてきた。

「ちょっと! あんたさ、なにしてんのよっ! 女の子に恥をかかせて!」
「え?」

 振り返ると、ビジネススーツを着たお姉さんが、眉間に皺を寄せている。
 頼んでもないのに、ズカズカとこちらへ近づき、俺が持っていたミハイルのヅラを取り上げる。

「貸しなさい!」
「いや、それはこいつのヅラで……」
「ヅラじゃなくて、ウィッグていうのよ! あんたね、この子に告白するみたいだったけど。なんでウィッグを外したのよ!?」
「そ、それは。こいつの地毛が見たくて。でも中がネットだとは思わなかったので……」
「バッカじゃない! ウィッグにはネットが必須なのに。これだから、男はデリカシーがないのよ!」

 なんで俺が今、めっちゃ叱られないといけないの?
 それにミハイルも男だって。

「もういいわ! 私、こう見えて美容系のお仕事しているから。この子の髪型もメイクも地毛だけで、可愛くしてあげる!」
「い、いや……そんな悪いですよ」
「うるさいわね! 男は黙ってなさい! ちゃんとこの子に告白したいんでしょ? なら準備ぐらい、させてあげて!」
「はい……」

 だから、なんでミハイルが女の子扱いなの?

 その後お姉さんの部下たちが近くにいたようで、3人でミハイルを取り囲む。
 ウィッグとネットは紙袋に入れ、大きなポーチを取り出すと。
 みんなでミハイルに、どんな風に仕上げるか尋ね始める。

「ビューラー使う?」
「口紅の色はどれが良い?」
「チークは?」

 おいおい、女装を解除というか。
 アンナからミハイルへ、解放させるつもりが、また女の子化してるじゃん。

 残された俺は離れた場所で、ミハイルの準備が終わるまで、じっと眺めていると。
 自称、美容系のお姉さんに怒鳴られる。

「ちょっと! なに見てんのよ! 女の子のメイクを見るなんて、最低よっ!」
「すみません……」
 仕方なく、ミハイルに背を向けると。
「もう、これだから。男子はっ!」
 と吐き捨てられた。

 あいつも男なんだけどなぁ……。

 ミハイルの準備が終わるまで、俺は反対側を向いてないといけない。
 つまり、たくさん集まっている野次馬たちと目が合う。
 気まずい……。

 そこで一人の少年が、俺に声をかけてきた。

「なあ! さっきは悪かったよ」
「え?」
 見れば、学ランを着た真面目そうな高校生だ。
「さっきその……お前にホモって言っちゃったの。俺なんだ」
「ああ。もう、いいさ。告白は出来そうだし」
「俺、お前の男らしい告白を見ていて、ホモって言ったこと。情けなく感じたよ」
「は?」
 この少年は一体なにを言いたいのだ。

「実は俺も昔から好きな人がいて……でも、相手は同性で。彼女を家に連れ込むリア充で、それを見ていたら毎日イライラして」
「そ、それが?」
「実の兄貴だから、諦めていたんだ! でも、お前の熱い告白を見て勇気が出たよっ! 俺もお兄ちゃんにこの想いを、伝えようと思う!」
「えぇ……」

 こっちはブラコンか。
 でもその関係なら、想いは伝えない方が良いような……。

 止めようとしたが、彼の決意は固いようで、嬉しそうに拳を突き出す。
「ありがとな! お互い、頑張ろうぜ!」
 仕方ないので彼の拳に、自身の拳を合わせる。
「そ、そうだな……」

 俺のせいで、無垢な少年を焚きつけてしまった。

 俺の告白を見て「勇気が出た」と叫ぶブラコンの少年だが。
 もう、居ても立っても居られないそうで。

「今すぐお兄ちゃんへ、この熱い想いを伝えにいってくる!」

 と博多駅の中へ走り去ってしまう。
 マジで良かったのか、これは……。

 そんなことをしている間に、ミハイルの準備が終わったようで。
 自称、美容系のお姉さんが俺に声をかける。

「ちょっと! そこの男子、もう出来上がったわよ。可愛くね」

 振り返ると、ハンサムショートの美少年が立っていた。
 でも、髪型が男ぽいだけで、他はアンナのまま。
 ガーリーなファッションだし、メイクもお姉さん達によって、より可愛くなってしまった。
 まつ毛が上げられているので、大きな緑の瞳はより強調されて見える。
 そして彼の小さな唇には、ピンク色の口紅が塗ってあり、早くキスしてと誘われている気が……。
 改めて、ミハイルの顔に見惚れていた。

「さ、私たちは退場するから、続きを始めて」
「え?」
「告白の続き、あるんでしょ? どうぞ」
「はぁ……」

 なんだ、このお姉さんも色々と俺に説教したり、ミハイルのことを奇麗にしてくれたけど。
 結局、野次馬の一人なんだな。

 お姉さんと部下たちが、ギャラリーの中に戻ったところで。
 俺は恥ずかしさを紛らわすため、咳払いをする。

「ごほんっ! その……ミハイル」
「う、うん。なぁに?」

 彼も俺の言葉を待っているようで、ぐっと距離を詰める。
 上目遣いで、俺を見つめるから、理性を保つので精一杯だ。

「俺はノンケだ。意味は分かるか?」
「え? のんけってなに?」
「まあ、同性を好きにならないってことだ」
 そう答えると、なぜかしゅんと落ち込むミハイル。
「そうなんだ……」
「だが、同時に俺は面食いでもある。顔にうるさい、かなり厳しい人間だ」
「それがどうしたの?」

 首を傾げるミハイルを見て、俺は確信した。
 やはり、こいつしかいない。
 なんてカワイイんだ。
 早く抱きしめたい。

「その俺が一番カワイイと思ったのは、ミハイル。お前だけだ」
「え? オレが?」
「ああ……この世の誰より、世界で一番カワイイ! この想いは一目見た時から変わらない! だから、これを受け取ってくれないか?」

 俺はその場で片膝をつき、事前に用意していた小さなケースを、ジーパンのポケットから取り出す。
 そして、パカッと音を立てて開くと。
 中には小さな指輪が輝いていた。

「え、これって……」
 驚くミハイルを無視して、俺は自分の想いをぶつける。

「ミハイル。好きだ、愛している」
「た、タクト……」
 突然のプロポーズに動揺していたが、嫌がる素振りはない。

「俺と結婚してくれっ!」
「なっ!? け、結婚って、オレとするの!?」
「当たり前だ。お前と一生を共に生きたい! だから、この婚約指輪を受け取ってくれないか?」
「そんな……オレとタクトは男同士じゃん。結婚なんて出来ないんじゃないの?」
「別に法的な意味で、結婚しなくてもいい。俺とミハイルの間で誓約を立てれば良いんだ。同性愛とか、未だに俺もよく分からない。でも、俺はお前を独占したいんだ! そう考えたら、こういう答えになっていた……」

 俺が全てを吐きだすと、ミハイルは黙ってしまう。
 しかし反応としては、悪くないように感じる。

 これが俺の考えた計画。
 ミハイルとの結婚だ。

  ※

 数分間、経っただろうか?
 沈黙が続く。

 俺は片膝をついたまま、リングケースを開いている状態だ。
 ミハイルは地面と睨めっこ。

「で、でも……もし結婚するにしても、オレたちまだ高校生だよ?」
「すまん。その辺は説明不足だった。結婚を前提に付き合って欲しい、と言うことだ。まずは高校を卒業しないと。だから、早くても二年後。そのためにもミハイルと一緒に高校へ通って欲しい。戻って欲しいんだ!」
「そっか……そういうことか。オレも、またタクトと高校へ行きたいな」
 その言葉に俺は、思わず身を乗り出す。
「な、なら!」

 微かな声だが、確かにミハイルは答えてくれた。

「うん☆」

 ニッコリと微笑んで、俺を見つめる。
 これはどう考えてもYESだろう!

「じゃあ、良いんだな? 薬指に指輪を入れても……」
「お願い☆」

 俺の給料三ヶ月分で購入した、ネッキーの婚約指輪。
 リングケースから取り出すと。
 既にミハイルが、左手を差し出していた。

 彼の細い指にゆっくりと指輪をはめる。
 しっかり、お店で店員のお姉さんと話し合って購入したのに。
 ミハイルの指が細すぎて、サイズはガバガバだ。

 ゆるゆるで格好の悪いプロポーズとなってしまった。
 それでも、ミハイルは嬉しそうに手を掲げている。

「うわぁっ! ネッキーのやつだ。ありがとう、タクト!」
「……」

 喜んでいる彼には悪いが、もう俺の方が限界だった。
 ようやく想いを伝えられて、そしてミハイルが二人の未来を受け入れてくれた。

 気がつけば、俺はミハイルの身体に飛びついていた。
 華奢な身体を両手で強く抱きしめる。

「ずっと怖かった。寂しくて潰れそうだった……会いたかったよ」

 今まで格好をつけていたくせに、緊張の糸が切れてしまったようで。
 弱音を吐いてしまう。
 そんな俺でも、ミハイルは優しく包み込んでくれる。

「……ごめんね。寂しかったよね、これからはずっと一緒だから、安心してね。タクト☆」
「約束だからな」
「うん、約束☆」

 やっと渇いた心が満たされていく気がした。
 胸に空いた大きな穴も、ミハイルという愛で塞がれていく。

 去年の誕生日に、そうやってお互い抱きしめた仲だ。
 彼も分かった上で、俺の腰に手を回す。
 お互いの気持ちが繋がっている……そんな気がする。

「早くこうしかった……」
「今度からタクトが苦しい時、オレが抱きしめてあげるよ☆」
「ミハイル……」

 一旦、彼から身体を離して、じっと瞳を見つめる。
 相変わらず、エメラルドグリーンがキラキラと輝いてまぶしい。

「好きだ、ミハイル」
「オレもタクトのことが、大好きだよ☆」
「じゃあ……キスしてもいいか?」

 直球の質問に、ミハイルは一瞬固まってしまう。
 でも、俺の気持ちに合わせようと必死だ。

「う、うん。いいよ、だってオレたち。け、結婚するんだもん。キスぐらいなんてこと……」
 と言いかけている際中だが。
 俺は強制的にミハイルの話を止めさせた。
 
 彼の唇を奪ったのだ。

「んんっ!?」

 驚く彼を無視して、ミハイルのぬくもりを味わう。
 一度だけ、唇を重ねるつもりだったが……。
 試しにキスすると、その気持ち良さに病みつきになってしまう。

 色んな角度から、何度も繰り返し、ミハイルの唇を楽しむ。
 最初は戸惑っていたミハイルだったが、今では静かに瞼を閉じて、俺の動きに合わせてくれる。

 自分でも驚いていた。
 初めてのキスが男だし、大勢の人間が見守る中、熱い口づけを繰り返す。

 何度もくっついては、離れる……を繰り返しているうちに、とあるミスを起こしてしまう。
 一瞬だったが、俺の舌先がミハイルの唇に入り込んでしまった。

「ん!?」

 これには、さすがのミハイルも怒ると思ったが……。
 特に嫌がる素振りはない。

 ならばと俺は舌先を、彼の口の中へ突入させる。
 奥には小さなミハイルの舌が、待っていて。
 優しく俺を受け入れてくれた。
 それを良いことに、俺はディープキスを楽しむことにした。

 ~10分後~
 
「も、もお~! いい加減にしてよっ! 長すぎるし、こんなところでしなくても良いじゃんか!」
 顔を真っ赤にさせて、俺から離れるミハイル。
「悪い……あまりにも美味かったら。嫌だったか?」
「嫌とかじゃなくて、場所を考えてよっ!」

 そう言うと、ミハイルは周囲で盛り上がっていた野次馬たちを指さす。

「ほぉ~ 最高な二人!」
「すごく尊いわっ!」
「もっとお願いしますっ!」


「あ……」
「べ、別にガッつかなくても、これからは一緒だし」
「ミハイル」
「とりあえず、もうここから離れよっ!」

 ミハイルは俺の手を掴むと、野次馬たちを搔き分け、その場から逃げる。
 大きな交差点を渡り、はかた駅前通りへ入ると。
 顔を真っ赤にしたミハイルが、俺にこう言った。

「ホントにいいの?」
「え?」
「アンナのこと、忘れられる? もう女装はいらないの?」
「それは……」

 男のミハイルが良い、と宣言しておきながら俺は……。
 でも、もう嘘はつかないと決めていた。

「悪い。たまにでいいから、女装してくれるとありがたい」
 俺の答えにミハイルは怒ると思ったが、クスッと笑ってこう言う。
「もう、タクトはエッチだからな。いいよ、してあげる☆」

 大勢の野次馬から逃げるため、一旦はかた駅前通りへ戻ることにしたミハイル。
 何か考えがあったわけでもなく、俺の手を引っ張って、通りの奥へと入っていく。
 すると、見慣れたビルが目に入った。

 何度も訪れた場所……例のラブホテルだ。

「あ……」

 無意識のうちに、ここへたどり着いたようで。
 それに気がついたミハイルは、顔を真っ赤にしてしまう。

「こ、これは……そう言う意味じゃなくて」
 慌てる彼を見て、俺は笑って答える。
「分かってるさ。あんな所でキスしたんだし、混乱していたんだろ?」
「うん……」

 確かに、目の前にあるのはラブホテルだ。
 だが反対側には、馴染みのラーメン屋がある。

 もう空も真っ暗だし、腹も減った。
 野次馬たちが解散する時間稼ぎも欲しいところだ。

「ミハイル。ラーメンでも食って行かないか?」
「え? あ、そっか。うん☆ 食べたい!」

 
 古いガラスの引き戸を開いて、大将に声をかける。
「大将、久しぶり」
 
 カウンターの奥で、大将は麺を茹でていた。
「あら、琢人くん? ひとりかい?」
「いや……今日は二人なんだ。ほら、大将に挨拶して」
 そう促すと、ミハイルは恥ずかしそうに顔を出す。

「あの、初めまして。お、オレ。古賀 ミハイルって言います」
「え? アンナちゃんだろ? 髪切ったの?」
 ヤベッ。
 女装しているし、フルメイクだから、大将にはアンナに見えるようだ。

「大将……その悪い。今まで騙していたつもりはないんだが。実はアンナは……男なんだ!」
「は? 琢人くん、おいちゃんのこと、バカにしてるの? どう考えても可愛らしい女の子、アンナちゃんじゃないか?」
「いや、違うんだ……」

 仕方なく、俺はこの1年間に起きた出来事を、軽く説明する。
 ミハイルが女装した姿が、アンナであったことを。
 それを聞いた大将は、顎が外れるぐらい大きな口で、ミハイルを凝視していた。

「ほ、本当に……男の子だったの?」
「はい……ごめんなさい。騙していて、オレ。男なんです」

 しばらく、その場でフリーズしていた大将だったが、徐々に平常心を取り戻していく。

「つまり、琢人くんのカノジョはアンナちゃんだけど。その正体がミハイルくんってことだね?」
「ああ……そして、先ほど俺がプロポーズしたから、フィアンセだ」
 とミハイルの肩を掴んで、俺に近づける。
「もう、タクトってば。こんなところで、また……」
 
 どうやら俺は、ミハイルに告白したことで。
 堂々と自分の気持ちを、話せるようになったらしい。
 キスしたから、興奮しているのかも。

「そうか、あの琢人くんがついに結婚かぁ。いやぁ、おいちゃん。なんか泣けてきちゃったよ……」
「え? 引かないの? 男同士なのに」
「別にどっちでも良いじゃない。色んな愛の形があって」

 そう言うと、大将はなぜかボロボロと涙を流し、タオルで拭う。
 博多って本当に、そっち界隈が多いのかな?

  ※

「よぉし! 今日はおいちゃんのおごりだよっ!」
 と大将が手を叩く。
 なんだか、毎回大将に奢ってもらっているような。

「え、良いんですか? オレ、男なのに……」
 とカウンター席で縮こまるミハイル。
「関係ないよ! 琢人くんのために今まで、色々と頑張ってくれたのは事実だろ? ならアンナちゃんもミハイルくんも同じじゃないか!」
「あ、ありがとうございます☆」

 結局、大将の粋な計らいで、店のメニューを何でも食い放題にさせてもらった。
 俺もミハイルも、ラーメンを何度もおかわりしたり。
 餃子やチャーハンも、大盛りで食べさせてもらった。

「しかし、あれだねぇ~ 琢人くんもこれから大変じゃない?」
 新たな餃子を焼きながら、俺に問いかける。
「え、何がですか?」
「だって、結婚するんだろ? それなりのお金、職業に就かないとさ」
「あ……」

 今までずっと忘れていた。
 計画のことばかりで、その後を考えていなかったのだ。

 大将の言う通り、結婚するには生活を持続するため、ある程度の年収が必要だ。
 しかし、俺はまだ未成年の高校生。
 プロの作家とは言え、不安定な職業。
 もう一つの仕事は……。

「おじちゃん、大丈夫だよ☆ タクトはプロの人気作家だし。それに新聞配達も頑張ってるから☆」
 とミハイルが自分のように自慢する。
「あ、そうだったね……でも、あれだろ? 作家ってのも不安定な仕事だろ。お金、大丈夫なの? 琢人くん」
 話を振られて、脇汗が滲み出るのを感じた。

「えっと……実は今、俺専業作家なんだ」
 都合の良いように答えただけだ。
 本当は違う。
「てことは、小説1本で食えるようになったの? はい、餃子大盛りね」
 カウンターに餃子の皿を載せられて、なんだか胃が痛くなってきた。

「え? タクト、新聞配達はどうしたの?」
「その……実はクビになったんだよね」
「ウソぉ!? あんなに長いこと働いてたのにぃ!?」
「うん、そうなんだ……」

 ~それから数日後~

 俺は新しいバイト先を探すため、自室のパソコンで求人サイトを片っ端から検索していた。
 しかし、どれも高校生不可。
 なるべく、早く安定した仕事に就きたい。
 できれば高額の仕事が良いが。

「参ったな……」

 小学生の時から、お世話になっていた『毎々(まいまい)新聞』真島店だが。
 俺は突如、クビになってしまった。
 クビというより、店長からお願いレベルで「しばらく休んで欲しい」と頼まれた。
 
 理由としては、俺が交通事故を起こしたから。
 あの時、店長はすごく責任を感じたらしく、俺の家族や宗像先生に何度も謝ってくれたらしい。
 自分が止めなかったから、琢人くんをあんな目に合わせた。
 そして、もし俺があの時死んでいたら……。

 宗像先生も相談を受けて、心身共に不安定だから、働かせるのはやめたほうがいいと助言したとか。

 まあ、確かに先生や店長の判断は、間違っていないだろう。
 店長は泣きながら「またいつでもおいでね」と言ってくれたが。
 しかし、第二の父とも言える店長に、これ以上の迷惑はかけられない。

 大丈夫だ。今の俺なら、どんな状況でも乗り越えられるさ。
 ミハイルが隣りにいてくれるからな。

 と求人サイトをチェックしていると、スマホが鳴り始めた。
 着信名は……ロリババア。

「もしもし?」
 
『こんの……アホぉぉぉぉぉ!』

 電話を出た瞬間、キンキン声で鼓膜が破れるかと思った。

「いきなり、なんだ? 白金……」
『何がじゃないでしょ!? DOセンセイのせいで、編集部は大混乱ですよっ!』
「は? なんのことだ?」
『しらばっくれるつもりですか! あれだけ、アンナちゃんの正体は隠し通せと言ったのに。男だということを、あんな大勢の前で叫んで……“気にヤン”の読者や親御さんからクレームの嵐なんですっ!』
 
 ちょっと言っている意味が分からない。
 
「どういうことだ?」
『知らないんですか、あのお祭り騒ぎをっ!?』
「すまん……ちゃんと教えてくれ」
『じゃあ、今から送るURLにアクセスしてみてください』

 するとパソコンへ一通のメールが送られてきた。
 某動画共有サイトのアドレスみたいだ。
 クリックすると……。

 いきなりサムネイルがモニターに映し出される。
 それを見て驚きのあまり、俺は唾を吹き出してしまう。

「ブフッーーー!」

 何故かと言えば、その被写体に問題がある。
 画面いっぱいに映し出された男の顔。汗だくで何かを叫んでいるようだ。
 動画を再生してみると。

『おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人がを人好きになることが悪いことなのか!?』

 あ、これ……俺だわ。
 クソ。あの時、動画を撮影して奴らか。
 勝手に、人の告白を笑いものにしやがって。

 とりあえず、事態を把握した俺は、白金との通話に戻る。

「これのことか……確かに告白した。すまん」
『別に告白は悪くないですよ! でも場所を考えてくださいっ! 色んな動画サイトに転載されて。バズりまくっているんですよ!』
「マジ?」
『大マジですよっ! ショート動画にも転載されて、DOセンセイのことも特定されていますっ!』
「……」
 結婚までのハードルは高そうだ。

 後から調べて分かったことだが……。
 ミハイルへ愛の告白を撮影した動画は、今現在で100万回以上の再生回数を叩き出している。
 しかし、それはノーカットの未編集動画であり。

 それとは別に、無理やり編集した悪意のある動画、ショート動画に、濃厚キス動画など……。
 ネット民のおもちゃにされていた。
 
 ここまで来たら、もうお手上げだ。
 腹を括るしかない。
 しかしだ……動画サイトのおすすめに上がって来た作品が気に食わない。
 クリックすると。
 軽快なリズムに合わせて、俺が歌いだす。

『お、お、俺はホモだっ♪ ホモの何が悪い♪ お、お、男が好きだっ♪』

 なんという改悪編集。
 自室でパソコンのモニターを眺めながら、深いため息をつく。

「ったく、よくやるよ。その技術を他に使えよ……」

 白金の言った通り、俺が身バレしため、DO・助兵衛のツボッターは炎上していた。
 そして、アンナというヒロインが男だと判明したため。
 俺が所属している、博多社のゲゲゲ文庫ホームページも荒れに荒れていた。
 もちろん作品である、“気にヤン”の公式ツボッターも。

 ファンの大半はヒロインの正体を、隠していたことに怒りを抱いていた。
 そりゃ、そうだよな……。
 騙していたのは、間違いないから。

 ~次の日~

 俺は白金に呼び出されて、天神にある出版社。博多社へ行くことにした。
 自動ドアが開くと、受付デスクに座っていた若い少年が駆けつける。

「あ、新宮さん!」
「おう、一。久しぶりだな」
「動画見ましたよ! すごくカッコイイ告白でした! 僕もあんなことをされたいですっ!」
 
 と興奮気味に俺の両手を掴むのは、受付男子こと、住吉 一だ。
 正直、目のやり場に困る。

 今日のコスプレ……というか最早、ランジェリーの部類なのでは?
 淡いブルーのベビードールを纏っているが、スケスケだから中が丸見えだ。
 紐パンを履いていて、ガーターベルトまで着用している。
 
 BL編集部の倉石さんが、命令したのかな。
 だが本人はそんなこと構わず、俺の両手を掴んでブンブン振っている。

「感動しました! 新宮さんとミハイルさんが結ばれるところを……想像すると僕、下着を汚しちゃいそうです♪」
 汚すなよ。
「そうか……とりあえず、白金を呼んで欲しいのだが」
「あ、それでしたら。もうお話は伺っております! 編集部の方へ呼ぶように言われてますので。エレベーターへどうぞ」
「了解した」

  ※

 エレベーターからチンと言う音が聞こえて、目的地へ到着したことに気づく。
 ドアが開くと、物凄い数の電話機が並べられていた。
 ベルが鳴ったと思ったら、すぐに男性社員が受話器を取る。

「はいっ! あ……その件でしたら、誠に申し訳ありません」
「いえ、私もヒロインの正体は知りませんで……」
「本当に申し訳ございません! 息子様の性癖を歪めてしまい……」

 これは全てクレームなのか。
 俺がその場で立ち尽くしていると。

「ようやく、張本人のお出ましですか?」

 目の前に幼い少女が立っていた。
 キャンディーのイラストがたくさんプリントされた、可愛らしいワンピースを着ている。
 幼いのは服だけだ。
 年齢はもうアラサーだし、肌も荒れている。

「白金……」
「打ち合わせ、しましょうか?」

 と更に狭くなった、打ち合わせ室を指さす。

「あ、ああ……」

 ゲゲゲ文庫の編集部は、本来の仕事が何も出来ずにいた。
 クレーム対応ばかりに追われているから。

 若い社員だけじゃ足りないので、中年の社員。編集長まで頭を下げていた。
 いい歳したおっさん達が半泣き状態で、謝っている姿は確かにこたえる。

 打ち合わせ室というには、あまりにもスペースが狭く何もない。
 あるのは、丸イスが二つだけ。

 とりあえず、白金と向かい合わせに座ってみる。
 互いの膝と膝がくっつくほどの距離感。

「はぁ……DOセンセイ。私は失望しましたよ。どうして、あんな人通りの多いところで、告白なんてしたんですか?」
「うっ、それはその……仕方なくだ。あの時を逃がしたら、アンナを。いやミハイルと二度と会えない気がして」
「で、あの動画騒ぎですか……」

 白金から生気を感じない。青ざめた顔で、瞼の下には大きなくま。
 どこか遠いところを見ているようだ。心ここにあらずといった様子。

 そんな白金を見て、俺もさすがに罪悪感を感じ。
 イスから立ち上がり、頭を下げる。

「すまん、白金! お前と二人で頑張ってきた“気にヤン”が、こんな風になってしまって。でもまたやれるよな、俺とお前なら。続きを書けば……」
 と言いかけたところで、白金が下から俺を睨みつける。
「続き? ないですよ。“気にヤン”の続きなんて」
「そ、そんな……ウソだろ? だってあれだけ売れているんだから」
 俺がそう言うと、白金は顔をしわくちゃにして怒鳴り声を上げる。
 
「その売れている作品を、作者本人が台無しにしたんでしょうがっ!」
「……」

 いつもふざけている白金だが、今回だけは何も反論できない。

「この前の電話でも、伝えた通り……あの動画でDOセンセイの知名度は、一気に上がりました。悪い意味ですが。本名から通っている高校、全て特定されています。ヒロインのこともね」
「まあ……俺だけなら良いんだ。他の人達に迷惑をかけてしまい、申し訳ないと思っている」
「ほんっとにそうですよっ! 見ました? この惨状を? 博多社始まって以来ですよ。まあ、それだけ私たち編集部の人間も“気にヤン”に賭けていましたから……一時はアニメ化の話もあったのに」
 と唇を尖がらせる。

「じゃあ、今後の“気にヤン”の連載はどうなるんだ?」
 俺の問いかけに白金は、黙り込んでしまう。
 頭を抱えて、何やらぼそぼそと呟く。

「ち切り、です……」

 良く聞こえなかった俺は、もう一度聞き返す。

「なんだって?」
「だから……打ち切りですって」

 俺はその言葉を信じられずにいた。

「ウソだろ? なんでだよ……あれだけ売れている作品なのに?」
「確かに……今でも売れています。でもラノベ読者ではなく、今回の動画を見た人間が、面白半分で買っているんですよ。どの書店も売り切れ続出らしいです」
「売れていることが悪いのか?」
「悪いというより……メインヒロインに問題があるんですよ。最初から女装男子として売れば、良かったのに。女の子として販売しましたから。上層部も続刊を出すことを渋っています。だから、“気にヤン”は打ち切りになるでしょう」

 いつになく真剣な顔つきの白金を見て、事の重大さに気がつく。

「じゃ、じゃあ……別の作品ならどうだ? 今の俺なら他にもラブコメを書けそうだが?」
「無理ですって。どうせまたアンナちゃん、いやミハイルくんをモデルに書くんでしょ? 例え違うと言っても、読者は信じてくれません。今回の騒ぎでDOセンセイは、有名になりすぎました……たぶん他の出版社でもセンセイに、作品を頼みたいと思いませんよ」
「そんな、じゃあ俺は一体どうしたら……」

 二人して頭を抱え、将来に絶望していると。
 コツコツと音を立てて、誰かが近寄ってくる。

「あらあら、琢人くん。そんな暗い顔してどうしたの? ひょっとして職探しかしら? ならうちに寄っていかない?」

 見上げると、そこには優しく微笑む女性が立っていた。
 元受付嬢で今は、BL編集部の編集長。

「倉石さん……」
「見たわよぉ~ あの動画、超イケてるわね! 男同士で10分間もディープキスとか、ネタとして最高っ!」
 と親指を立てる。
 結局、俺はそっち側に落ちないとダメなのか……。

「倉石さん、どうしてここに?」

 その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。

「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」
「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」
「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」

 どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。
 白金から、その許可を得たいのか?

「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」
 酷い言われようだ。
 あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。

「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」
 倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。
「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」
 僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。

 これには俺も黙って、見ていられなかった。
 もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。

「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」

 しばらく沈黙が続く。
 恐る恐る、頭を上げてみると……。
 鬼のような形相で睨む白金がいた。

「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」
「こんのっ……」

 最後までガキだな、白金は。
 でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。

「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」

 と思っていたが、そこまで言われる義理はない。
 むしろ激しい苛立ちを覚えている。

「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」
「なんですって! ウンコ作家のくせして!」

 結局、最後までケンカ別れになってしまった。

  ※

 その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。
 BL編集部は、すぐ上の階だ。

 チンという音と共に、ドアが開くと。
 そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。
 各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。

 入口には、大きな垂れ幕を掲げており。
『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』
 と書いてあった。

 俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。
 全員、大人しそうな女性。
 黒髪に眼鏡の人が多く感じる。

 しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。
 頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。

「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」
「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」
「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」

 みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。
 まるで盛りのついた猫だ。
 怖すぎっ!

 しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。

「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」

 そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。

「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」
「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」
「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」

 どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!
 人の嫁をネタにするな!

 落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。

「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」
「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」
「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」

 倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。
 分厚い壁で覆われた一室。
 ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。

 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。
 ゲゲゲ文庫とは大違い。
 見るからに豪華で、座り心地も良さそう。

 柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。
 どこから、こんな金が……。

 倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。

「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」
「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」

 自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。

「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」
「は?」
「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」

 真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。
 さすがの俺もブチ切れそうになった。

「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」
 思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。
 
「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」
「うう、それはそうです……」

 そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。

「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」
「え? ウソでしょ?」
「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」

 俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。
 BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。
 母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。
 その俺が……BL作家になるだと?
 笑わせるぜ。

 ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。
 何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。

「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」
 それを聞いた、俺は即答する。
「やります! なんでも書きます!」
「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」
「え……何でですか?」

 俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。

「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」
 こんな怖い倉石さん、初めてだ。
「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」
「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」
「う、ウソでしょ……」

 俺が取材して手に入れたネタ……いや、ヒロインたちとの思い出。
 一年間、頑張って書いてきた作品。“気にヤン”だが……。
 BL作品として売り出すには、女キャラを排除しろと倉石さんは言う。

 しかし、それではあまりにもサブヒロイン達が不憫だ。

「倉石さん……BL編集部で拾ってもらえるのは嬉しいのですが。やはりサブヒロインは女でも、必要じゃないですか?」
 それを聞いた途端、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「は? なんで? メインヒロインが男なら、サブヒロインも男じゃないと、BLじゃないわ」
 めっちゃ冷たい声で、圧をかけてくるやん。
 こんなに怖い人だったけ?

「あの……何度も言っていますが、俺が書いているのは実際に起きた出来事です。例えば、ミハイルが女装してアンナになる理由も、サブヒロインにあります。彼女たちに対抗するため、女の子に変身したんです」
 俺がそう説明すると、倉石さんは顎に手をやり、唸り声をあげる。

「う~ん。そういうことなの……つまり女装男子とか、男の娘系ね。それは別の作品として需要があるかも」
 どうやら納得してくれたようだ。
 安心したところで、再度倉石さんに確認を取る。

「分かって頂けましたか?」
「それは理解できたわ。でも、うちの編集部で出すなら、完全にリメイクする必要があるわ」
「へ?」
「BLならば、徹底的に女人禁制の世界じゃないと! これは鉄板よ!」
「はぁ……」

 なんか似たようなことを、母さんが言っていたような。

「さっきも言ったけど、サブヒロインを男に性転換したら成立すると思うのよ……例えば、赤坂 ひなたちゃんってボーイッシュな女子高生は、リキくんみたいな短髪のマッチョにしてね」
「えぇ……」
「あとほら、ミハイルくんにそっくりな幼馴染のマリアちゃんは、心臓手術のついでに、肉体改造をして少年兵として戦争に行くのよ」
「それで、どうなるんですか?」
「戦いが終わり、帰還したところで伝説の傭兵になった『マイケル』は、幼馴染の出版を耳にして帰国するの! そしてミハイルくんと対峙するわけ!」
 マイケルって誰だよ。
「あの、それってBLの世界になってます?」

 結局、倉石さんとの話は、終始平行線で決着が着くことはなかった。
 仕方ないので、既存の作品である“気にヤン”はとりあえず、そのまま放置。
 改めて、俺とミハイルだけのラブストーリー?
 というより、二人の日常を淡々と描くことになった。

 対抗馬がいなくなったので、盛り上がりに欠けると思ったが。
 倉石さんは満足そうだった。

「琢人くん、これからのあなたは今まで以上に、困難な道を辿ると思うわ」
「俺がですか?」
「ええ……ゲイであることもカミングアウトしたし、何より結婚するのだから。二人の生活を維持するために、お金が必要だわ」
「まあ、それは色んな人に言われてますから」
 笑って話を逸らそうとしたら、倉石さんがガラス製のローテーブルを拳で叩く。

「そんな気持ちじゃダメよ! あなたは分かってない! まだ学生だから自覚がないの。もう結婚すると誓ったのだから、今までの自分を、考えを捨てなさい! 生きていくためには何でもするの……例えばミハイルくんとの営みも、包み隠さずネタにしてお金に変えるのよ!」

 目が血走っている。
 怖すぎだろ……。

「い、営みって、それはさすがに……パートナーであるミハイルも、嫌がると思いますし」
 そう言って断ろうとしたら、すっと手の平を差し出す倉石さん。
「出して」
「え? なにをですか?」
「ミハイルくんの電話番号よ」
「なっ!?」

 この人、まさかミハイルを編集部に呼び出して、裸の写真とか撮るつもりじゃ……。

「私がミハイルくんから許可を取ればいいでしょ? 今ここで彼に電話をかけて!」
「え……今からですか?」
「当たり前でしょ!」

 仕方なく、俺はスマホのアドレス帳から、ミハイルの名前をタップすることに。

 彼にしては珍しく、ベルの音が何度も繰り返される。
 出ないなら、それに越したことはないのだが……。
 しばらくすると、いつもの元気なミハイルの声が聞こえてきた。

『もしもし、タクト☆ どうしたの?』
「あ、悪い。何か忙しかったんじゃないのか?」

 何か用事があるなら、それを口実に電話を切ろうとしたが。
 なぜか、彼は口を濁す。

『そ、その……ちょっと集中していて、電話に気がつかなかったの』
「ひょっとしてスイーツ作りか? なら切ってもいいぞ?」
『ち、違うんだ……この前、タクトと博多駅でしたじゃん?』
「は? なにを?」
『忘れたの? キスだよ……動画サイトで見ていたの。思い出したら、ドキドキして。あの時のタクト……凄かったから☆』

 いかん、そんなことを電話越しに言われたら。
 俺まで興奮してきた。
 特に股間が……。

 だが、未来の嫁とのイチャイチャタイムは、倉石さんにより強制的に止められてしまう。
 
「琢人くんっ! 早いところ変わってもらえる?」
 一気に興奮が冷めてしまった。

「あ、すみません……。ミハイル、ちょっと編集部のお姉さんと話せるか? 俺とお前の話を元に、作品にしたいそうだ」
『お姉さんって誰? どういう関係なの?』
 今度は勘違いしたミハイルが、ドスのきいた声で尋ねる。

「違うよ、ミハイル。ほのかのお友達だ」
『あ、ほのかと同じ病気なんだね☆ なら安心☆』
 酷い偏見だ。
 とりあえず、倉石さんと代わる。

「はじめまして、ミハイルくん。私BL編集部の倉石というんだけどねぇ。琢人くんとミハイルくんが結婚するじゃない?」
 わざと大きな声で話しているような気がする。
 その証拠に、何度かこちらに目をやる。

『う、うん……結婚するって約束したよ』
 応接室が静かなせいか、彼の声がこちらまで聞こえてくる。

「それでね、今後二人の結婚生活を支えるために、お金が必要じゃない。ミハイルくんがタクトくんとラブラブしているところをね。小説やマンガにしたいんだけど、どうかしら?」
『えぇ!? オレとタクトが、ラブラブするところを?』

 やはり驚いている。
 さすがに二人の私生活まで、ネタにはしたくないだろう。

「ためらう気持ちもわかるわ。でもね、ミハイルくん。二人の作品が有名になれば、抑止力にもなるわよ?」
『よく、しりょくってなに?』
「琢人くんに邪魔な虫……そうね。女どもが寄って来なくなるわ。だって二人のラブラブ作品は実話なんだから。全世界に知らしめてやるのよ! ゲイとして!」
『そっか。他の女の子が寄らなくなるのは、安心かも……』
 納得するなよ、ミハイル。

「でしょっ! “気にヤン”はアンナちゃんがモデルだけど、今回のBL作品は全く違うの! ただただ二人が愛し合う作品。いわば協同制作ねっ!」
『オレなんかで良いの?』
「もちろんよっ! 私たちBL編集部は、二人の結婚を祝福しているわ! もし邪魔な女がいるなら、私に言って! ブッ殺してあげるから!」

 なんて恐ろしいことを言っているんだ、倉石さん。
 BLになると、人が変わるから怖いんだよな。

『あの……邪魔じゃないけど。でもタクトの中で、マリアとかひなたとか……また優しくするんじゃないかって。怖い時があるかな』
「なるほど。ミハイルくんの不安は排除しないとダメね。夫となる琢人くんには、きっちりと! 落とし前をつけてもらわないと、ねっ!」
 と俺を睨む倉石さん。
 
 
 電話を切ったあと、BL編集長から初の業務命令が下された。
「琢人くんっ! ミハイルくんが不安を抱えているんだから、排除しなさい! 全サブヒロインへ結婚を報告し、契約を解除してきなさい! 『俺は女を愛せない』とっ!」
「……」

 別にそんなこと、誰も言ってないよ。
 俺はミハイルしか、愛せないだけだって……。

「琢人くん、作品名なんだけど。もうこちらで勝手に決めているんだけど。いいかしら?」
「まあ、いいですけど」
「シンプルに『タクトくんとミハイルくん』がいいと思うの♪」

 まんまやないか。
 ていうか、本名が使われるのか……。
 しかし、あの動画で名前はバレてるし、いいか。

「わかりました。大丈夫です」
「ホント? 良かったぁ♪ あとね、ペンネームも改名しようと思うの。さすがにBL作家が、DO・助兵衛じゃ下品だもの」
 名前まで変えられるのか。
 ていうかBLもある意味、下品な部類では?

「じゃあ、どういう名前なら良いんですか?」
「実はそれも前から、考えているのよ~ 今回の作品は二人の日常を、赤裸々に描く本物のBL小説でしょ? だから、古賀 アンナというペンネームがぴったりよっ♪」
 それを聞いて、俺は大量の唾を吹き出す。

「ブフッーーー!」
 まさか……俺に女装させるつもりか?

「偽りでもアンナちゃんは、二人が作り上げた愛の原形でしょ? もったいないと思うの、このまま捨てるには……。琢人くん自身が告白の時、『男のミハイルが良いと』断言してしまったし」
「確かにそうですが……なぜ俺がアンナの名前を継ぐのですか?」
「だってほら、今回はミハイルくんからもしっかり許可を得て、二人のおせっせを描くからさ。つまり共同ペンネームね♪」
「なるほど……俺たちの名前ってことですか」

 それなら、良いかもな。
 アンナという美少女は、今後リアルでも会うことは無いかもしれない。
 俺としても、寂しく感じていたところだ。
 思い出として、彼女の名前を使うってのも一つの手だな。


「ところで、琢人くん。話は変わるのだけど、あなたこの前、交通事故を起こしたんでしょ?」
「ええ、どうしてそれを知っているんですか?」
「ガッネーから、話を聞いたのよ」
「そうですか……それがどうしたんです?」
 俺がそう問いかけると、倉石さんの目つきが鋭くなる。

「琢人くんって、今も新聞配達をやれてるの?」
 ギクッ! 全てを見透かされているような気がした。

「いえ……あの事故が原因で、クビになりました……」
「やっぱりね。じゃあ、尚のことお金が必要でしょ?」
「はい、おっしゃる通りです……」

 その場でうなだれる俺を見て、倉石さんはローテーブルの上に、1枚の書類を置く。

「琢人くんがいくら人気作家でも、すぐにお金は払えないわ。だけどうちで雇うことなら、出来るわよ」
「へ?」
 俺は耳を疑った。

「将来、有望なBL作家をこんなところで潰したくないの。だから、うちの編集部でバイトとして、雇ってあげる」
「マジですか!?」
「ええ、やる事は私のお手伝いぐらいしか無いけど……」

 渡りに船とは、このことだ!
 バイトでもありがたい。

「じゃあ、よろしくお願いいたします! 何でもやらせてください!」

 そう言って契約書に、サインを書こうとしたら、倉石さんに釘を刺される。

「いいの? そこに琢人くんの名前を書けば、片道切符よ?」
「どういう意味ですか?」
「あなたには、将来ここの正社員になってもらいたいの」
「しゃ、社員ですか?」
「ええ……いくら売れている作家でも、不安定な職業でしょ? だから兼業作家でいてほしいの。社員になれば、安定した収入で暮らしていけるじゃない」
「なるほど……」
 倉石さんの説明を聞いて、理解したと思った俺はボールペンに手を取るが……。
 ビシッと平手で叩かれてしまう。

「話はまだ終わってないわよ。社員になるためには、最低限の資格が必要なの。採用基準は簡単、大卒よ。つまり、琢人くんはまだ高校生だけど。卒業後には大学へ進学してもらうわ!」
「え……俺、進学するつもりなんて、無いですよ?」

 いきなり大卒の資格がいると聞いて、持っていたボールペンを手放す。
 冗談じゃない。
 あんなバカ高校でも、辞めようかと迷っていたのに……。

「琢人くん! あなただけの問題じゃないでしょ? 愛するミハイルくんのために、大学ぐらい出なさい。たった4年頑張れば、正社員になれるのだから!」
「でも……」
「じゃあ、可愛いミハイルくんを大学に行かせる? あなたはそれでいいの!?」
 おバカなミハイルじゃ、入試試験で挫折するだろうな。
 仕方ない。覚悟を決めるか……。

「わかりました。高校を無事に卒業したら、大学を目指します! どんなアホ大学でも良いんですよね?」
「ええ、いいわよ~ 大卒じゃないと給料も安いしね♪」

 はぁ……結婚が決まって、浮かれていたけど。
 高校が終わっても、またガッコウか。

  ※

 晴れて俺はBL編集部から、古賀 アンナとしてデビューが決まり。
 また倉石さんにバイトで雇ってもらうことになった。
 当分、金の心配は無いだろう。
 高校を卒業するまでは……。

 各書類に、自身の名前を書いたことで全て契約が成立した。

「嬉しいわぁ~ 琢人くんがうちの編集部に来てくれてぇ~♪」
「ははは……よろしくお願いいたします」
「そんなに固くならないでよ~ もう人気者でしょ? アンナ先生は♪」
「……」
 これから、そう呼ばれると思うと辛いな。

 応接室から出ると、倉石さんが編集部にいた女性陣を集める。

「みんな~! 聞いてぇ、琢人くん……いや古賀 アンナ先生が、今日からうちで連載することになったから、仲良くしてねぇ!」

「「「は~い♪」」」

 誰も俺が、アンナという名前に違和感を持つことなく、受け入れてくれる。
 むしろ、男としては見てくれない。

 たくさんの女性に囲まれて。

「アンナちゃんは、ここのデスク使って」
「お菓子とか好き?」
「こっそりでいいから、ミハイルくんのキス。味を教えて欲しいな♪」

 などと、完全に女子会のノリになっている。

  ※

 とりあえず、今日は特に仕事がないので。
 また改めてプロットや設定を、書いて来て欲しいと倉石さんに頼まれた。
 それとは別に、BL編集部が刊行している雑誌でエッセイを書いて欲しいと頼まれた。
 例の動画騒ぎで、腐女子の人たちが興味津々らしい。主に俺の恋愛観など。

 忙しくなりそうだ……。

 帰り際、倉石さんに声をかけられる。

「あ、待って。琢人くん!」
「へ?」

 振り返ると、大きな紙袋が目に入った。
 どこかで見たことがあるような……。

「これ、持って帰って」
「なんです、それ?」
「ガッネーから頼まれてね。預かっていたのよ」
「白金から?」
「私も中身は知らないわ。でも琢人くんには大事なものだって……。ちょっと前に『私に何かあったら』って深刻な顔して持ってきたのよ。きっと“気にヤン”の連載に不安を感じていたんじゃないかしら?」

 まさかっ!? これは赤坂 ひなたの家に宿泊した時、パパさんから頂いた300万円。
 白金のやつ……俺がアンナの正体を告白した時から、ちゃんと後のことを考えていたのか。
 だから、倉石さんに預けていたのか。
 クソッ……ロリババアのくせして、らしくないことしやがる。

「思い出しました。確かに俺が白金に預けたものです……」
「やっぱりそうなの? じゃあ返しておくわね♪」

 紙袋を受け取ると、俺はエレベーターへ乗り込んだ。

 目頭が熱い。
 あんな別れ方になったけど……白金。
 今までありがとう。

 でも一応、現金の状態が気になって、紙袋の中身を確認する。
『赤坂饅頭』という和菓子の箱が3つ入っていた。
 ひなたパパは、俺を婿養子にしたかったからな……。
 箱の蓋を開けると、福沢諭吉の上にメモ紙が入っていた。

『DOセンセイへ。ホストクラブで遊んだら、30万円ぐらい使っちゃいました。なので、今や人気作家のDOセンセイなら安いと思い。ひなたパパに返す時は、ご自身で補填されてくださいな♪』

 メモ紙をグシャグシャにして、俺は叫んだ。

「あんのロリババアーーー!!!」

 今年に入って色々あったから、あまりスクリーングに行けてなかったが……。
 俺の身体も回復したし、ミハイルも戻ってくれた。

 だからまた俺たち二人で、スクリーングへ通うことにした。
 以前のように、同じ時間の列車で待ち合わせて。
 もう二人は付き合っているし、婚約状態だ。

 古賀 アンナという、L●NEアカウントは消滅したが。
 代わりに、ミハイルという名前が追加された。
 告白して以来、頻繁にメッセージのやり取りしている。

 地元の真島(まじま)駅のホームに立ち、今から電車に乗ると彼に伝える。
 すると数秒も経たないうちに返信が届く。

『わかった☆ 隣りの席を空けといてよ☆』

 その愛らしい文章を見て、思わずニヤけてしまう。

 電車へ乗り込むとしばらく窓の風景を眺める。
 ここまで来るのに、本当に長かった……。
 辛かったけど、ちゃんと今がある。

 真島駅から二駅離れた場所。
 彼の住む、席内(むしろうち)駅に列車が到着した。

 プシューという音と共に、自動ドアが開いた瞬間。
 甲高い声が聞こえてくる。

「おっはよ~! タクト☆」

 嬉しそうに微笑む一人の少年。
 白のタンクトップに、デニムのショートパンツ。
 足元は動きやすそうなスニーカー。

 金色の美しい髪は、もう短くなってしまったが……。
 それでも、彼の美貌は健在だ。
 小顔だからハンサムショートも似合うし、持ち前の大きなエメラルドグリーンが眩しい。

 俺を見つけると、すぐに隣りへと座り込む。
 太ももをビッタリとくっつけて。
 そして、上目遣いで話しかけるのだ。

「タクト☆ 久しぶりだね☆ あ、でも……オレ毎日、動画を見ていたから。あんまり時間を感じないかな☆」
 と照れてしまうミハイル。
 自身の小さな唇に手を当てて、思い出しているようだ。

 ヤベっ! 俺まで思い出してしまう。
 こんな目の前に、未来の嫁が座っているのに……何もしないだと!?
 何とか彼に言い聞かせて、キスできないだろうか。

 じっとミハイルの唇を、上から眺めていると。
 彼に不審がられる。

「あれ? タクト、どうしたの? なんか今日は静かだね?」
 首を傾げる姿すら、小動物みたいで可愛い。
「す、すまん……久しぶりにミハイルと会えて、嬉しくてな」
「ホント? オレも嬉しいよ☆ タクトに早く会いたかったもん☆」
 今の一言で、俺に火がついてしまった。
 ミハイルの肩を強く掴み、動けないようにする。

 一瞬、ビクッと肩を震わせていたが……なんとなく、俺が考えていることを察知したようだ。

「タクト……」

 ピンク色の唇が輝いている。

 日曜日の朝だし、小倉行きだから。乗客は少ないほうだが……。
 それでも何人か若者が、同じ列車に座っている。

 しかし、俺は博多駅で大勢の人々に見られながら、キッスをした男だ。
 これぐらい、もうなんてことないぜ。

 ミハイルの背中に手をやり身体を俺に寄せる。
 嫌がる素振りも見せず、従順に動きを合わせてくれた。
 そっと瞼を閉じて、待ってくれている……。

 もう一度、あの時を再現しようとしたその時だった。
 ミハイルがそっと俺から離れてしまう。

「ごめん、タクト……今のオレには、しない方がいいよ……」
「え?」
「あの日。博多駅で告白してくれた時、すごく嬉しかった。今でも胸がドキドキする……」

 頬を赤くして、地面に視線を落としてしまう。
 なんだ? 恥ずかしいだけなのか。

「それがどうしたんだ?」
「と、止まらないんだよ……」
「何が?」
「“あの日”が止まらないの!」
「……」

 忘れていた。
 ミハイルの性知識は、お子ちゃまレベルだったことを。

 その後、彼から詳しい説明を聞いたが。
 どうやら、俺が原因のようだ。
 博多駅で告白した後、抱きしめてキッスを交わす……それもディープキスを10分間も。

 それ以来、毎日夢に出て来るらしい。
 お花畑の中を、俺と仲良く手を繋いで歩いていると、いきなり迫られてしまい……濃厚キスが始まる。
 というシーンが、脳内で延々と繰り返されるそうだ。

 そんな夢ばかり見るから“あの日”が増えてしまう。
 月に1回レベルの“男の子の日“が、週に2回も起きるとか?
 
 だから「今のオレは汚れている……」と落ち込んでいた。
 いや、むしろピュアすぎでしょっ!?
 
「もうオレにキッスしない方がいいよっ!」
 と涙ぐむミハイルくん。
 ヤバい、そんな顔をされたら、尚のこと襲いたくなる……。

「ごほんっ! ミハイル、落ち着け。今、お前に起きている現象は、男なら自然なことだ」
 正直16歳の男子高校生なら、異常だと思うが……。
「ホントにっ!?」
「ああ……」
「そっかぁ~☆ なら悪いことしてなかったんだぁ~ 良かったぁ☆」
 ちょっと、そんなことで善悪の区別をつけていたら、俺なんか極悪人だよ。

「別に悪いことじゃないさ……むしろ男なら、成長したことを喜ぶべきだと思うぞ?」
「そうなの? でも、あんまり回数が多いと困るよぉ……あ! そう言えば、前にタクトへ相談した時、言ってたよね?」
「へ?」
「ほら、『制御できる方法がある』って☆」
 緑の瞳を輝かせて、俺の答えを待つミハイル。
 上目遣いだから、どうしても誘われているような錯覚を覚える。

 制御できる方法だと?
 そんなの教えなくても、自然と覚えるもんだろう。
 だが、無垢なミハイルなら仕方ないか……。

 しかし、どうやって教える?
 そうなるとお互いが、裸にならないと。
 
 はっ!? そう言えば、一ツ橋高校の近くにボロいラブホテルがあったな。
 一時間ほど、ご休憩と称して、彼に恋の課外授業を始めるべきか?
 手取り足取り使って……そのままベッドイン。

 いかん、妄想するだけで股間が爆発寸前だ。
 結婚する前に、ミハイルの全てを知り尽くしてしまいそう。
 それは俺の紳士道に反する行為。

 仕方なく彼には、その場しのぎの嘘をついておくことにした。

「いいか、ミハイル。俺は今18歳だ」
「うん☆ 知ってるよ☆」
「だが、お前はまだ16歳だな?」
「そうだけど?」
「ならば、まだ教えることは出来ない。制御する方法はな、18歳を越えてからじゃないとダメなんだ! よく18歳未満禁止という、赤いのれんを見るだろう? あれはそういうことだ。法律で決められているのだ!」
 ごめん……ミハイル。
 俺は小学生で覚えたけど。

 取ってつけたようなウソだが、知識のない彼は驚いていた。
「えぇ!? そうなの!? じゃや18歳まで、このままなの!?」
「うむ……対処法としては、俺とのキスを思い出さないこと、動画も見ないこと。あとはお前の好きな、ネッキーやスタジオデブリのアニメを見まくることだ」
「そんなぁ~ タクトとのキス動画は好きだから、何度も見ちゃうよぉ」
 と口を尖がらせる。

「仕方あるまい。今できることはそれぐらいだ」
 悪い、ミハイル。
 結婚の準備ができたら、とことん身体に教えてやるからな。
 いや毎日、俺が絞り出してやろう……。

  ※

「ところで、ミハイル。さっき言っていた動画の件だが……かなりバズっているらしいな。現段階で500万回再生されていると聞いた。それで姉のヴィッキーちゃんも見たのかな?」
 一番、危惧していることだ。
 なんせ可愛い弟を女装させて、密会していたことをずっと黙っていたからな。
 疑われる度に、どうにかごまかしていたが……。

「あ、それなら大丈夫だと思うよ☆」
「どうしてだ?」
「ねーちゃんって、ネットとか見ないタイプなんだ☆ お酒しか興味ないし。でもたまにテレビぐらいなら見るかな? あの動画はテレビで放送されないでしょ?」
「そういうことか……」

 ヴィッキーちゃんが、アナログ人間で安心はしたが。
 しかし、例の動画は異常なほどに再生回数が伸びている。
 テレビ局の人が、使わないことを祈ろう……。

 列車に揺られること30分ほど、目的地である赤井駅へ到着する。
 気がつけば季節は変わり、もう夏の青空になっていた。
 日差しが強く、眩しい。

 一ツ橋高校へ向かうため、二人して国道を歩くことに。

「なあ、ミハイル」
「ん? なに☆」
「実は……今日のスクリーングで、みんなに全てを告白しようと思うんだ」
「えっ!? こ、告白?」
 告白という二文字に、目を丸くするミハイル。

「そうだ。この前の倉石さんが電話で言っていたろ? サブヒロインになったモデルへ結婚を報告するって話」
「なんだ、そういう意味か……」
 どうやら誤解していたようで、俺の説明を聞いて安心する。

「ミハイル、お前。不安なんじゃないか?」
「え、何が?」
「お前はいつも俺のことを、優しい人間と……表現する。だから、今日他の女子に会うことが、怖いんじゃないのか?」

 俺としては未来の嫁である、ミハイルに気を遣っているだけだ。
 他の女子に未練はない。
 今はミハイルを、第一に考えているつもりだ。
 だから、もう間違いは起こしたくない……彼にちゃんと説明をしておきたかった。

 しばらく黙り込んだあと……彼は頷く。
「いいよ……オレ、信じているから。タクトのこと」
 そうは言っているが、目に涙を浮かべている。
 細い肩を震わせて。

「ミハイル、無理はするな。俺も嘘はつかないと決めた。お前ももっと素直になれ」
「う……うん。やっぱり、怖いかも。もう取材をしないって言ったら、ひなたとマリアは襲い掛かってくるかもしれないし」

 そんな猿じゃないんだから。
 でも、ミハイルがこう言ってくれたんだ。
 俺もその気持ちに応えたい。

「わかった、こうしよう。彼女たちと話している時、ずっとそばにいてくれ。そうしたら、なにも起こらないだろ?」
「それは悪いよ。だって、ひなたもマリアも嫌だったけど。タクトへの気持ちは本物だと思うから」
「ミハイル……」

 仕方なく、彼女たちへ契約の解除を報告する際は、近くでこっそりとミハイルが見守ってくれることになった。

  ※

 校門をくぐり抜けると。通称、心臓破りの地獄ロードが見えてきた。
 またこの長い坂道を登らないと、行けないと思うと。通学するのが嫌になってくる。
 でも、今は隣りにミハイルがいてくれる。

 気がつけば、俺たちは手を繋いで坂道を登っていた。
 こんな何もない場所でも、デートコースになってしまうとは。
 登り終える頃には、互いに見つめ合って笑い合う。

 だが、そんな甘いひと時も一瞬で終わりを迎える。
 坂道のてっぺんに、鬼のような形相をした女が立っていたからだ。

「こらぁ~! 貴様ら、久しぶりに学校へ来たと思ったら、もうイチャイチャしやがってぇ……」
 と唇を嚙みしめるのは、担任教師の宗像 蘭先生だ。
 顔を真っ赤にして、俺たちを睨みつける。

「宗像先生……」
「センセー、ごめんなさい」
 
 ツカツカと音を立てて、こちらへ向かってくるので。
 俺たちは殴られると思い込み、瞼を閉じてしまう。
 しかし、予想とは反して。先生は俺たちを両手で優しく包み込んでくれた。

「お前ら……本当に良かった。あのまま二人が離ればなれになるんじゃないかって、私は心配だったんだぞ」

 涙を流しながら、俺たちを強く抱きしめる宗像先生。
 やっぱり心配させてしまったか……。

「すみません。今日から復学しますんで」
「お、オレも退学はしないで、卒業までがんばりますっ!」

 それを聞いた先生は、態度を一変させる。

「そうなのか? ならもう心配ないな……。というか、新宮っ! お前な、私は古賀に素直な気持ちを伝えろと助言したが。あんな街中でディープキスしろとは言ってないぞ、バカ者! 我が校にもクレームの嵐だっ!」

 ミハイルだけ解放され、俺は無駄にデカい乳で圧迫される。
 鳥肌、立ってきた。

「ぐへっ……あの時は、ああするしか無くて」
「純朴な古賀にいやらしいことを覚えさせやがって! 新宮、お前は卒業するまで大量の補習が必要だっ!」
「そ、そんな……」
「当たり前だっ! もう春学期も終わりなんだから、勉強に専念しろ!」

 なんで俺だけなの……。

  ※

 宗像先生から洗礼を受けたあと、俺たちは校舎へと向かった。
 いつも通り、裏口から玄関に入って、下駄箱で上履きに履き替える。
 そして教室棟の二階へ上がっていく。

 本来ならば、朝のホームルームを行う2年生の教室へ入るのだが……。
 全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子生徒が、扉の前を塞いでいた。

 小柄な女子だ。
 ピンク色に染め上げた長い髪を、後頭部で1つに丸くまとめている。
 通信制コースの生徒なら、校則など皆無なので、見慣れた光景だが。
 化粧もバッチリ決めているギャル……。

「あ、スケベ先生! ちょりっす」
 と胸元で小さくピースしてみせる。
「おお……ちょりっす」

 “気にヤン”のコミカライズを担当してくれたピーチこと、筑前(ちくぜん) (ぴーち)だ。
「スケベ先生、打ち切りのこと聞きました。残念っすね……」
 つけまつげが、アホみたいに長いから、瞬きする度にバサバサとうるさい。

「それに関してだが……俺のせいですまないことをした、ピーチ」
「いえ、自分はノーダメージなので、大丈夫っす!」
「ん? どういうことだ?」
「スケベ先生と同じく、BL編集部に拾ってもらえたので。ちなみに、聖書(ばいぶる)にぃにも引き抜かれたっす。“気にヤン”は悲しい終わり方でしたが、結果的にはみんな人気も出て、スケベ先生のこと、ありがたく思っているっす!」
「そうなのか……」

 ピーチの話では、“気にヤン”に関わったクリエイターは良くも悪くも、例の動画騒ぎで注目が集まったらしく。
 知名度が上がったことで、倉石さんが声を掛けたとか。

 コミカライズを担当してくれたピーチは、引き続き俺のBL小説のマンガを描くことになり。
 また兄のトマトさんは、元々男らしいイラストを描くのが得意だったため。
 俺からは離れるが、別の女性作家を担当するらしい。
 女性には描けない……汗だくつゆだくの男臭いイラストも需要がある、らしい。

 もう何でもありだな。

 しかし、俺もここまで騒ぎがデカくなるとは思わなかった。
 それにこんな形で、彼女の筆を止めてしまうのは、本意ではない。
 深々と頭を下げて、謝ることにした。

「ピーチ、今まで色々とすまなかった!」
「い、いえ……自分はそこまでダメージ受けてないんで。むしろ、スケベ先生の……いやアンナちゃん先生のことを深く知れるから、これからが楽しみっす!」

 ん? いま俺のことをアンナちゃんって言った?

「本当にいいのか?」
「マジっす! 自分はウェブ小説時代からの推しなんで! 同性愛も全然OKっす! かわいいミハイルくんをもっと忠実に描きたいっす!」
 と表現されたことで、隣りに立っている本人は顔を真っ赤にしている。

「……オレのこと、写真みたいに描いてくれてありがとね」
「いえいえ、自分もお二人の動画を見て、感動したっす!」

 と和やかに話が進んでいるのだが、一つ気になる点がある。
 それは、ピーチの背後に立っている物体だ。

 日焼けした三ツ橋高校の女子生徒なのだが……顔がパンパンに腫れ上がっている。
 黒髪のショートカットで、活発そうなのは伝わってくるが。
 ハチに刺されたように、目が腫れている。
 膨れ上がった瞼のせいで、瞳が確認できない。

「なあ、ピーチ……お前の後ろに立っている子って誰だ?」
「え? ああ、ひなたちゃんでしょ? 今日、元気ないんす」

 ファッ!?
 この物体が、あのひなただと!?

「新宮センパイ……久しぶりです……」
「あ、久しぶり」

 これから、彼女に契約解除を報告するのか。
 なんか言いづらい。