ばーちゃんが妹のやおいを、連れてきてくれたおかげで、アンナはご機嫌だった。
抱っこしても嫌がらないから、離したくないと。ずっとやおいを嬉しそうに抱きかかえる。
「いい子だねぇ~ やおいちゃん☆」
「う~ 攻め!」
ふたりを嬉しそうに眺めるばーちゃん。
「アンナちゃんは本当に良いお嫁さんになるわよ。タッちゃん、そろそろ決めたらどうなの?」
「それは……」
ここで答えられるかよ。
20分ほど抱っこしても、満足できないアンナだったが。
やおいの方が限界みたいだ。
どうやら眠たいようで、泣き始める。
アンナは慌てて、ばーちゃんにやおいを手渡す。
「あらら、やおいちゃん。おねむなの? じゃあ音楽を聴きながら帰りましょ」
慣れた手つきで、やおいをベビーカーの中に寝かせると。
ハンドバッグからスマホを取り出す。
するとベビーカーの持ち手につけられた、小さなスピーカーから、男の声が聞こえてきた。
『なっ! お兄ちゃん、ダメだよ! 彼女がいるくせに……』
『あれはお前へのあてつけだ。嫉妬させるためにな』
なんだ、急に男性声優の喘ぎ声が聞こえてきたぞ。
『んぐっ……お兄ちゃんも、僕を好きだったの?』
『聞くまでもないだろ? さ、始めよう』
『はあっ、はあっ……お、お兄ちゃーーーん!』
ばーちゃんが用意したBLのCDか。
なんてものを、公共の場で流しているんだ……と思った瞬間。
あることに気がつく。
「すぅ……すぅ……」
やおいが泣き止んでいる。
しかも、気持ちよさそうな顔で寝ていた。
「うんうん、やっぱり寝る時はこれが一番ね。タッちゃんの時と同じ♪」
え? 俺もあんなことされてたの?
劣悪な環境に絶句していると。
ばーちゃんは平気な顔をして「じゃあ、二人ともまたね」と手を振る。
「あ、ああ……」
「はい☆ また抱っこさせてください☆」
早めに妹をばーちゃんから、離した方が良くないか。
※
恐ろしい光景を見てしまったが、アンナの機嫌は良くなったし。
ずっとニコニコ笑ってくれる。
ならば、良しとしよう。
「アンナ、今からどこに行きたい?」
「んとね。夢の国のストアに行きたいな☆」
「了解した」
それからはいつものアンナらしく、大好きなキャラクターグッズを見たり、ペアで着られるTシャツを買ったり、一つのアイスを二人で分けて食べたり……と。
とてもデートらしい、一日を過ごせた。
夕暮れになるまで、たくさん遊ぶことが出来た。
「はぁ、もう夕方か……なんか時間が経つの、早すぎるよぉ」
と頬を膨らませるアンナ。
「それだけ、楽しい一日だったってことだろ。良いことじゃないか」
「うん☆ 今日がタッくんとしてきた取材のなかで、一番楽しかったかも☆」
「そうか。それは良かった……」
彼女が発した一言で、俺は笑みが失せてしまう。
決めていたからだ……今日が最後だと。
「なあ、アンナ。実はその取材の件で話したいことがあるんだ」
「え? 取材のことで?」
どうやら、俺の緊張が伝わったようで、彼女も顔が強張ってしまう。
「そうだ。俺たちにとって、とても大切なことだ。少し落ち着いた場所で話がしたい」
「うん……」
「1年前にも行った場所だが、博多川で良いか?」
俺の問いに彼女は答えることなく、黙って頷く。
少し強引だが、俺はアンナの手を掴むと、カナルシティから出てすぐ見える川。
博多川へと向かう。
小さな横断歩道を渡れば、すぐだ。
人気のない大きな川に、ベンチが2つほど並んで設置されている。
誰も座っていなかったので、アンナに座るよう促す。
二人して、肩を並べ。対岸にズラーッと並び立つラブホテルに目を向ける。
別に見たいからではない。
今は彼女の顔を見ることができないからだ。
緊張して、すぐには思っていることを口に出せない。
でも、俺から言わないと。
「あ、アンナ……実は、今日の取材で最後にしたいと思っているんだ」
「最後って取材を? どうして? まだ小説は終わってないでしょ?」
急に不安に駆られたようで、すかさず俺の右手を握るアンナ。
彼女に触れられて、俺も決心できた。
ようやく、彼女の瞳を。二つのエメラルドグリーンを見つめられる。
「その通りだ、小説は終わっていない。だが、もうそろそろ。この関係にも無理が生じている……そう感じるんだ」
「ど、どういうこと?」
「俺の気持ちの変化だ……アンナも知っている通り、ついこの間まで。俺は生死に関わるような事故を起こしてしまった。これは自分の気持ちを偽っていたからなんだ」
「タッくんが?」
深呼吸をしたあと、俺は彼女の両手を掴んで、持ち上げる。
「いいか? 今から言うことは俺の本音だ。何も一切、嘘はつかない。ひょっとしたら、アンナを傷つける可能性もある。それでも話を聞いてくれるか?」
「……」
まだ何も言っていないが、アンナには俺の緊張が伝わっているようで。
肩が震えていた。
しばらく黙っていたが、彼女の小さな唇が微かに動く。
「い、いいよ……話して」
アンナから許可をもらえて、俺の身体に衝撃が走る。
心臓はバクバクとうるさいし気分が悪い。
手から汗がにじみ出て、彼女の手を湿らせてしまう。
でも、ここでやらないとまた俺は……。
「俺が……一ツ橋高校に入学したのは、恋愛を取材するためだ。そんな時にミハイルが、アンナを紹介してくれて。とても楽しい体験が出来た。生まれて初めてだと思う。こんなに濃い一年は」
「うん」
「これからもずっと続くと思いたかった。でも、もう無理なんだ。アンナとの取材も出来ないほど、俺はダメになってしまった。その原因なんだが……ある人を好きになってしまったからなんだ」
言い切ったと思った直後、後悔してしまう。
目の前にある、美しい瞳に涙が浮かんでいるからだ。
「それって……取材した子たちの誰かなの?」
「いや、違う人だ」
「じゃあ、アンナは?」
「悪いが違う。俺が好きになった人は、ここにはいない」
デートに連れてきて、色々と考えた上で機嫌も良くしたのに。
いい思い出にしたかったけど。
こればかりは、彼女に伝えておかないと。
「……じゃあ、一年前に約束した『報酬』は? アンナのことを気に入ったら、ホントのカノジョにしてくれるって」
「本当に申し訳ないが、その報酬も無理だ」
「うわぁん!」
その場で泣き崩れるアンナ。
俺も見ていて、胸が引き裂かれる思いだった。
だが、ここまでは予想通りの反応だ。
計画通りに事が進んでいる。
パニックに陥っているアンナから、視線を逸らして、川を眺める。
「こんな酷いことをして、本当に悪いと思っている……でも、その相手なんだが。実はアンナが知っている人でな。いや一番近しい人間だと思っている。アンナにも必要な存在だ。名前だけでも聞いてくれないか?」
と視線を彼女に戻したら、誰もいない。
「あ、あれ? アンナ!? どこだ!」
慌ててベンチから立ち上がり、辺りを見回す。
気がつけば、周りはカップルだらけ。
みんなイチャついていた。
だが、今はそんなこと、どうでもいい。
「アンナぁ! どこだっ! まだ話は終わってないぞっ!」
そう叫んでも、反応は無い。
代わりに知らない男が、話しかけてきた。
隣りのベンチに座っていたカップルの彼氏。
「あの……」
「なんだっ!? 今俺は人生で、最大の告白をしようとしているんだぞっ!」
「隣りで聞いていたんで、そうかなって……。彼女さん、たぶん博多駅方面に走っていきましたよ?」
ファッ!?
あのタイミングで、普通逃げるかね?
「すまんな! 礼を言う!」
ベンチから飛び出ると、はかた駅前通りを全速力で走る。
大勢の人で賑わっているため、この中からアンナを見つけるのは困難だ。
クソッ! しくじった!
「はぁはぁ……はぁ……アンナ、どこだ!」
その日のはかた駅前通りは、いつも以上にたくさんの人で賑わっていた。
何かイベントをやっているのか、それとも、ただの帰宅ラッシュか?
広い歩道だが、人混みで埋っており、ここを避けて通るわけにも行かない。
彼女もまだこの道を、歩いているかもしれないから。
最初こそ走っていたが、博多駅に近づくにつれて、そのスピードは落ちていく。
いくら急いでも、信号が赤になれば、みんなが足を止めてしまうから。
結局、俺もそれに合わせるしかない。
だからといって、諦めてなどない。
その証拠に、アスファルトの上で足踏みをしている。
「まだか? 早く青になれっ!」
何度も人と信号に止められたが、どうにか博多駅まで、たどり着くことが出来た。
この頃には息が上がっていて、全身汗だく。
それでも声を振り絞る。
「アンナっ! どこだ!? 俺だ、琢人だっ! まだ話があるんだ!」
叫び声だけが虚しく、中央広場に響き渡る。
何人かの女性が振り返ってはくれたが……本人ではない。
クソっ! こんなはずじゃなかったのに。
ジーパンからスマホを取り出して、アンナに電話をかけてみる。
その間も、広場を見渡す。
何度もぐるぐると身体を回転させるから、気持ちが悪い。
『おかけになった電話は、電波の……』
「ダメか!」
電話は諦めて、彼女が向かった場所を考えてみる。
ショックから逃げるとすれば、駅のホームか……。
いや、帰宅するにしても、この時間に列車へ乗り込むのは簡単じゃない。
ビルの中か、女子トイレ。
彼女が行きそうなところ……ひょっとして、いつもの待ち合わせ場所。
黒田節の像か?
俺は広場の奥へ向かい、銅像の足元を確かめる。
いた!
大きなリボンのブラウスに、ブルーのミニスカートを履いた金髪の少女が立っている。
俯きながら、スマホを触っている。
「アンナっ! 探したぞ!」
慌てて彼女の元へ向い、細い肩を掴む。
「……」
黙り込んで、俯いている。
さきほど伝えたことが、よっぽど辛かったんだろうな。
「聞いてくれ、アンナ! 俺はお前を傷つけるために言ったんじゃない! 好きになった人の名前に意味があるんだ! だから、もう一度。顔を上げて聞いてくれないか?」
そう言って、彼女の肩を強く揺さぶる。
だが、無言を貫くアンナ。
「……」
「ダメか? きっとその名前を聞けば、お前も理解してくれると思うんだが」
その時だった。
何を思ったのか、彼女は俺の腕を叩き落とす。
「いてっ!」
「ねぇ~ さっきからなんなの? 私さぁ、推しのライブを観ているから。邪魔しないでくれる?」
そう言うと、耳元からワイヤレスイヤホンを取り外す。
「え、推し?」
よく見れば、アンナとは程遠い生物だった。
おかめみたいな顔で、眉毛が太く。頬がりんごのように赤い。
ファッションだけはアンナに近いものだが……。
「ひょっとして、ナンパ? その顔でよく勇気あんね? 男ってさ。ちょっとガーリーなファッションするだけで、ホイホイ釣れるからさ。年中、発情期なの?」
「あ……いや、俺はその……」
咄嗟のことで、人違いとは言えなかった。
「な~に? ナンパしてきて、童貞とか? ウケるわぁ~ 鏡見てから出直してきな」
「はい……ごめんなさい」
間違えたのは確かなので、とりあえず謝っておいた。
ていうか、お前みたいなやつを俺がナンパするかっ!
※
時間だけが過ぎていく。
中央広場では、夏に向けてイベントを始めているようで。
売店などが、設置されている。
会社帰りのサラリーマンやOLが、ビールを買って談笑していた。
その光景に釣られたのか、他の客がぞろぞろと集まり出す。
俺にとっては、非常にまずい状況だ。
これだけの人が広場に集まれば、アンナを探すのは至難の業と言える。
彼女と離れて、10分は経っただろう。
もう列車に乗って、帰ってしまったのだろうか?
俺は……どうしたら。また失ってしまうのか。
それだけは、絶対に嫌だっ!
「よしっ!」
気合を入れるために、自身の頬を思い切りぶん殴る。
「ってぇ……」
思った以上に、痛かった。
だが、目が覚めた気がする。
辺りにいた女子高生は、ドン引きしていたが。
大きく息を吸い込むと、俺は博多駅のビル全体に向けて、力いっぱい叫んだ。
「聞いてくれぇーーー! アンナぁーーー!」
突然、一人の男が騒ぎ始めたので、周囲にいた人間たちは驚き、足を止める。
何百人から一斉に、視線を集めてしまう。
それでも、俺はやめない。
「まだいるんだろぉーーー! 話は終わってないぞ! 俺が好きになったのは、アンナじゃなくて……男のミハイルなんだぁーーー!」
言い終える頃には、ぜーぜーと息を切らしていた。
不思議と恥ずかしさは感じなかった。むしろ、すっきりした気分だ。
この声が相手に、届いていればいいのだが。
気がつけば俺の周りに、人々が円を描くように集まる。
「おい、あいつ。こんなところで何を叫んでいるんだ?」
「あれじゃない? 動画の撮影とか?」
「そんなことないだろ……だって、男が男を好きとか、ホモじゃん」
勝手なことばかり、言いやがる。
それに何人かの人間たちは、スマホで動画を撮影する始末。
人の恋路を何だと思って、いやがるんだ!
気がつけば、その怒りを彼らにぶつけていた。
「おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人が人を好きになることが悪いことなのか!?」
そう怒鳴り声をあげると、野次馬たちは黙り込む。
「いいかっ! 俺のことをホモだと嘲笑うのならば、それでも構わんっ! だが、俺の人生で大事な告白なんだっ! 邪魔だけはしないでくれ!」
言い切った直後は、何も反応がなかったが。
しばらくすると、数人の女性たちから拍手が湧き起こる。
静まり返った辺りを確認した後、もう一度、俺は深く息を吸い込んで、その名前を叫ぶ。
「アンナっ! 誤解させて悪かったぁ! 俺が好きなのは、アンナだけどアンナじゃない。女装していない、素の……男の古賀 ミハイルだったんだぁーーー!」
ミハイルという名前だけが、虚しく博多中のビルに響き渡る。
言い終える頃には、熱い涙が頬を伝う。
これでダメなら……と諦めていたからだ。
「やっぱり、戻ってはくれないのか……ミハイル」
その場で膝をつき、地面に手をつく。
俺が考えていた計画なんて、もうめちゃくちゃだ。
でも、この想いだけは、伝えておきたかったのに……。
「こんなところで、あんまりオレの名前を叫ぶなよ。恥ずかしいじゃん……」
顔を上げると、そこには可愛らしいツインテールの美少女……ではなく。
女装した男の子が立っていた。
野次馬を掻き分けて、俺の前まで来てくれたようだ。
顔を真っ赤にして、視線は地面に落としている。
「み、ミハイルっ!?」
「こんな大勢の人たちがいるところで……好きとか。バカじゃん」
「悪い……もう失いたくなかったんだ。お前を」
そう言うと、ミハイルはようやく視線を合わせてくれた。
「話の続き。まだあるの?」
緑の瞳を輝かせて、恥ずかしそうに俺を見つめる。
俺はゆっくりと立ち上がり、深呼吸した後。
こう答えた。
「まだある。ちゃんと最後まで聞いて欲しい」
「うん」
良い展開になってきたのだが、ミハイルの登場で野次馬たちも盛り上がり。
たくさんの人々に、囲まれてしまった。
俺の告白が終わるまで、帰ってくれないんだと思う……。
「い、いつからなの……? オレがアンナだってことを知ったの」
頬を赤くして、そう問うのは。口調だけが男っぽいツインテールの美少女。
たぶん周りにいる野次馬たちも、彼を女だと思い込んでいるだろう。
「ウソだろ? あの子、女だろ?」
「私より可愛いんだけど!」
「いや……あれで男なら、むしろ興奮してきた」
最後のやつ、マジで便乗してくんなよ。
辺りはざわついてたが、俺はそれを無視し、ミハイルの瞳を見つめ真面目に答える。
「最初からだ、一年前にこの博多で。確かに可愛いらしい服を着ていたから、一瞬、別人だと思ってしまった。誰よりも可愛かったからな」
「そ、そうなんだ……」
俺の答えを聞いて、怒るわけでもなく。恥ずかしそうに視線を地面に落とす。
「でもすぐに、お前だと気づいたよ。この世でミハイル以上に、可愛いと思った人間はいないからな」
今の俺は、どうかしているのかもしれない。
恥ずかしいセリフを、すらすらと口から発している。
ミハイルも俺の変貌ぶりに、驚きを隠せない。
「なっ!? そ、そんなこと、こんなところで言わないでよ……」
そう言われたが、俺が止めることは無い。
だって、これからもっと恥ずかしいセリフを連発するだろうから。
「悪い。でも今ここでお前に伝えないと。また離れてしまいそうな気がするから……」
「そんなにオレが良いの? なんで……タクトが言ったんじゃん。『女だったら付き合える』って! だから、オレ。いっぱい頑張ったのに」
唇を嚙みしめ、スカートの裾を掴む。
アンナではなく、ミハイルを選んだことに憤りを感じているようだ。
その怒りは更に、ヒートアップしていく。
「妹のかなでちゃんに教えてもらって。タクトが好きな声優のYUIKAちゃんが着ているファッションやメイクとか……髪型だって勉強したんだ! 喋り方もタクトが好きそうな女の子に変えたんだゾ!」
「ああ……わかっている。ずっと見ていたからな」
「じゃあ、なんでなの!? 男は嫌だって言ったじゃん!」
気がつくとミハイルの瞳は、涙で溢れていた。
興奮しているのか、俺と距離を詰めて、拳を作っている。
「そうだ。俺はお前の告白を断り、『女じゃないと付き合えない』と言った」
「ならどうして……アンナにしてくれないの? オレ、なんか間違えた? タクト好みにしたつもりだったのに……」
そう言うと、俺の胸をポカポカと叩く。
だが俺は敢えて、そんなミハイルに手を貸さず、自分の気持ちを伝えることにした。
「確かに完璧な女の子だった。俺好みのファッションに、話し方。最初のデートから俺は、アンナに釘付けだった。毎回、取材するのが楽しみで。世界が変わった。何も無かった俺という人生を変えてくれた」
「……」
どうやら、黙って話を聞いてくれているようだ。
「だが、それは元となるミハイルがいたから、成立する世界だ。それを知ったのは、お前が絶交してくれたからだ。ダチとしてな」
「オレが、タクトと絶交したから?」
潤んだ瞳で俺を見つめるミハイル。
「そうだ。絶交されてようやく気がついた。俺にはお前が……ミハイルが必要だと。いなくなって、世界が真っ暗になってしまったんだ。食事は味がせず、喉も通らない。今まで好きだったものでさえ、何も楽しめない。感じない。ただの闇だ」
「オレがいなくなっただけで?」
「ああ……もちろんアンナも好きだ。でもそれよりも大事なのは、好きなのはお前だ。ミハイル。それを伝えたかった」
「男のオレでいいの?」
その質問を待っていたと言わんばかりに、俺の心臓が高鳴る。
ここでしっかり決めないと……。
深呼吸をした後、俺はミハイルの頭にゆっくり手を回す。
「そうだ。男のミハイルで……いや、ミハイルがいいんだ。だからもう、こんな格好しなくてもいいだろ」
俺は彼のツインテールを片方掴み、勢いよく引き剝がす。
カツラを取れば、ミハイル自慢の美しい金髪がサラリと流れてくる……と思っていた。
ショートカットにしていたが、たぶん今着ているガーリーなファッションも似合うだろう。
しかし、俺の勉強不足だった……。
「「あ……」」
ヅラを取った瞬間、二人して声を合わせる。
尼さんのようなスキンヘッド……ではないが。丸くて黒い頭。
きっとカツラがズレないように、地毛をまとめるネットだ。
ツインテールのヅラを片手に、その場で固まる。
これは、ネットを外せばいいのだろうか?
でも、うまいこと髪型を、きれいに整えられるかな。
またヅラをのせるか? う~ん、わからん。
そんなことを一人で、考えていると。
当の本人は、顔を真っ赤にして、視線を地面に落としている。
ヤベッ……またしくじった。
※
どうしていいかわからず、お互い固まっていると。
俺たちを見ていたギャラリーの中から、女性の声が聞こえてきた。
「ちょっと! あんたさ、なにしてんのよっ! 女の子に恥をかかせて!」
「え?」
振り返ると、ビジネススーツを着たお姉さんが、眉間に皺を寄せている。
頼んでもないのに、ズカズカとこちらへ近づき、俺が持っていたミハイルのヅラを取り上げる。
「貸しなさい!」
「いや、それはこいつのヅラで……」
「ヅラじゃなくて、ウィッグていうのよ! あんたね、この子に告白するみたいだったけど。なんでウィッグを外したのよ!?」
「そ、それは。こいつの地毛が見たくて。でも中がネットだとは思わなかったので……」
「バッカじゃない! ウィッグにはネットが必須なのに。これだから、男はデリカシーがないのよ!」
なんで俺が今、めっちゃ叱られないといけないの?
それにミハイルも男だって。
「もういいわ! 私、こう見えて美容系のお仕事しているから。この子の髪型もメイクも地毛だけで、可愛くしてあげる!」
「い、いや……そんな悪いですよ」
「うるさいわね! 男は黙ってなさい! ちゃんとこの子に告白したいんでしょ? なら準備ぐらい、させてあげて!」
「はい……」
だから、なんでミハイルが女の子扱いなの?
その後お姉さんの部下たちが近くにいたようで、3人でミハイルを取り囲む。
ウィッグとネットは紙袋に入れ、大きなポーチを取り出すと。
みんなでミハイルに、どんな風に仕上げるか尋ね始める。
「ビューラー使う?」
「口紅の色はどれが良い?」
「チークは?」
おいおい、女装を解除というか。
アンナからミハイルへ、解放させるつもりが、また女の子化してるじゃん。
残された俺は離れた場所で、ミハイルの準備が終わるまで、じっと眺めていると。
自称、美容系のお姉さんに怒鳴られる。
「ちょっと! なに見てんのよ! 女の子のメイクを見るなんて、最低よっ!」
「すみません……」
仕方なく、ミハイルに背を向けると。
「もう、これだから。男子はっ!」
と吐き捨てられた。
あいつも男なんだけどなぁ……。
ミハイルの準備が終わるまで、俺は反対側を向いてないといけない。
つまり、たくさん集まっている野次馬たちと目が合う。
気まずい……。
そこで一人の少年が、俺に声をかけてきた。
「なあ! さっきは悪かったよ」
「え?」
見れば、学ランを着た真面目そうな高校生だ。
「さっきその……お前にホモって言っちゃったの。俺なんだ」
「ああ。もう、いいさ。告白は出来そうだし」
「俺、お前の男らしい告白を見ていて、ホモって言ったこと。情けなく感じたよ」
「は?」
この少年は一体なにを言いたいのだ。
「実は俺も昔から好きな人がいて……でも、相手は同性で。彼女を家に連れ込むリア充で、それを見ていたら毎日イライラして」
「そ、それが?」
「実の兄貴だから、諦めていたんだ! でも、お前の熱い告白を見て勇気が出たよっ! 俺もお兄ちゃんにこの想いを、伝えようと思う!」
「えぇ……」
こっちはブラコンか。
でもその関係なら、想いは伝えない方が良いような……。
止めようとしたが、彼の決意は固いようで、嬉しそうに拳を突き出す。
「ありがとな! お互い、頑張ろうぜ!」
仕方ないので彼の拳に、自身の拳を合わせる。
「そ、そうだな……」
俺のせいで、無垢な少年を焚きつけてしまった。
俺の告白を見て「勇気が出た」と叫ぶブラコンの少年だが。
もう、居ても立っても居られないそうで。
「今すぐお兄ちゃんへ、この熱い想いを伝えにいってくる!」
と博多駅の中へ走り去ってしまう。
マジで良かったのか、これは……。
そんなことをしている間に、ミハイルの準備が終わったようで。
自称、美容系のお姉さんが俺に声をかける。
「ちょっと! そこの男子、もう出来上がったわよ。可愛くね」
振り返ると、ハンサムショートの美少年が立っていた。
でも、髪型が男ぽいだけで、他はアンナのまま。
ガーリーなファッションだし、メイクもお姉さん達によって、より可愛くなってしまった。
まつ毛が上げられているので、大きな緑の瞳はより強調されて見える。
そして彼の小さな唇には、ピンク色の口紅が塗ってあり、早くキスしてと誘われている気が……。
改めて、ミハイルの顔に見惚れていた。
「さ、私たちは退場するから、続きを始めて」
「え?」
「告白の続き、あるんでしょ? どうぞ」
「はぁ……」
なんだ、このお姉さんも色々と俺に説教したり、ミハイルのことを奇麗にしてくれたけど。
結局、野次馬の一人なんだな。
お姉さんと部下たちが、ギャラリーの中に戻ったところで。
俺は恥ずかしさを紛らわすため、咳払いをする。
「ごほんっ! その……ミハイル」
「う、うん。なぁに?」
彼も俺の言葉を待っているようで、ぐっと距離を詰める。
上目遣いで、俺を見つめるから、理性を保つので精一杯だ。
「俺はノンケだ。意味は分かるか?」
「え? のんけってなに?」
「まあ、同性を好きにならないってことだ」
そう答えると、なぜかしゅんと落ち込むミハイル。
「そうなんだ……」
「だが、同時に俺は面食いでもある。顔にうるさい、かなり厳しい人間だ」
「それがどうしたの?」
首を傾げるミハイルを見て、俺は確信した。
やはり、こいつしかいない。
なんてカワイイんだ。
早く抱きしめたい。
「その俺が一番カワイイと思ったのは、ミハイル。お前だけだ」
「え? オレが?」
「ああ……この世の誰より、世界で一番カワイイ! この想いは一目見た時から変わらない! だから、これを受け取ってくれないか?」
俺はその場で片膝をつき、事前に用意していた小さなケースを、ジーパンのポケットから取り出す。
そして、パカッと音を立てて開くと。
中には小さな指輪が輝いていた。
「え、これって……」
驚くミハイルを無視して、俺は自分の想いをぶつける。
「ミハイル。好きだ、愛している」
「た、タクト……」
突然のプロポーズに動揺していたが、嫌がる素振りはない。
「俺と結婚してくれっ!」
「なっ!? け、結婚って、オレとするの!?」
「当たり前だ。お前と一生を共に生きたい! だから、この婚約指輪を受け取ってくれないか?」
「そんな……オレとタクトは男同士じゃん。結婚なんて出来ないんじゃないの?」
「別に法的な意味で、結婚しなくてもいい。俺とミハイルの間で誓約を立てれば良いんだ。同性愛とか、未だに俺もよく分からない。でも、俺はお前を独占したいんだ! そう考えたら、こういう答えになっていた……」
俺が全てを吐きだすと、ミハイルは黙ってしまう。
しかし反応としては、悪くないように感じる。
これが俺の考えた計画。
ミハイルとの結婚だ。
※
数分間、経っただろうか?
沈黙が続く。
俺は片膝をついたまま、リングケースを開いている状態だ。
ミハイルは地面と睨めっこ。
「で、でも……もし結婚するにしても、オレたちまだ高校生だよ?」
「すまん。その辺は説明不足だった。結婚を前提に付き合って欲しい、と言うことだ。まずは高校を卒業しないと。だから、早くても二年後。そのためにもミハイルと一緒に高校へ通って欲しい。戻って欲しいんだ!」
「そっか……そういうことか。オレも、またタクトと高校へ行きたいな」
その言葉に俺は、思わず身を乗り出す。
「な、なら!」
微かな声だが、確かにミハイルは答えてくれた。
「うん☆」
ニッコリと微笑んで、俺を見つめる。
これはどう考えてもYESだろう!
「じゃあ、良いんだな? 薬指に指輪を入れても……」
「お願い☆」
俺の給料三ヶ月分で購入した、ネッキーの婚約指輪。
リングケースから取り出すと。
既にミハイルが、左手を差し出していた。
彼の細い指にゆっくりと指輪をはめる。
しっかり、お店で店員のお姉さんと話し合って購入したのに。
ミハイルの指が細すぎて、サイズはガバガバだ。
ゆるゆるで格好の悪いプロポーズとなってしまった。
それでも、ミハイルは嬉しそうに手を掲げている。
「うわぁっ! ネッキーのやつだ。ありがとう、タクト!」
「……」
喜んでいる彼には悪いが、もう俺の方が限界だった。
ようやく想いを伝えられて、そしてミハイルが二人の未来を受け入れてくれた。
気がつけば、俺はミハイルの身体に飛びついていた。
華奢な身体を両手で強く抱きしめる。
「ずっと怖かった。寂しくて潰れそうだった……会いたかったよ」
今まで格好をつけていたくせに、緊張の糸が切れてしまったようで。
弱音を吐いてしまう。
そんな俺でも、ミハイルは優しく包み込んでくれる。
「……ごめんね。寂しかったよね、これからはずっと一緒だから、安心してね。タクト☆」
「約束だからな」
「うん、約束☆」
やっと渇いた心が満たされていく気がした。
胸に空いた大きな穴も、ミハイルという愛で塞がれていく。
去年の誕生日に、そうやってお互い抱きしめた仲だ。
彼も分かった上で、俺の腰に手を回す。
お互いの気持ちが繋がっている……そんな気がする。
「早くこうしかった……」
「今度からタクトが苦しい時、オレが抱きしめてあげるよ☆」
「ミハイル……」
一旦、彼から身体を離して、じっと瞳を見つめる。
相変わらず、エメラルドグリーンがキラキラと輝いてまぶしい。
「好きだ、ミハイル」
「オレもタクトのことが、大好きだよ☆」
「じゃあ……キスしてもいいか?」
直球の質問に、ミハイルは一瞬固まってしまう。
でも、俺の気持ちに合わせようと必死だ。
「う、うん。いいよ、だってオレたち。け、結婚するんだもん。キスぐらいなんてこと……」
と言いかけている際中だが。
俺は強制的にミハイルの話を止めさせた。
彼の唇を奪ったのだ。
「んんっ!?」
驚く彼を無視して、ミハイルのぬくもりを味わう。
一度だけ、唇を重ねるつもりだったが……。
試しにキスすると、その気持ち良さに病みつきになってしまう。
色んな角度から、何度も繰り返し、ミハイルの唇を楽しむ。
最初は戸惑っていたミハイルだったが、今では静かに瞼を閉じて、俺の動きに合わせてくれる。
自分でも驚いていた。
初めてのキスが男だし、大勢の人間が見守る中、熱い口づけを繰り返す。
何度もくっついては、離れる……を繰り返しているうちに、とあるミスを起こしてしまう。
一瞬だったが、俺の舌先がミハイルの唇に入り込んでしまった。
「ん!?」
これには、さすがのミハイルも怒ると思ったが……。
特に嫌がる素振りはない。
ならばと俺は舌先を、彼の口の中へ突入させる。
奥には小さなミハイルの舌が、待っていて。
優しく俺を受け入れてくれた。
それを良いことに、俺はディープキスを楽しむことにした。
~10分後~
「も、もお~! いい加減にしてよっ! 長すぎるし、こんなところでしなくても良いじゃんか!」
顔を真っ赤にさせて、俺から離れるミハイル。
「悪い……あまりにも美味かったら。嫌だったか?」
「嫌とかじゃなくて、場所を考えてよっ!」
そう言うと、ミハイルは周囲で盛り上がっていた野次馬たちを指さす。
「ほぉ~ 最高な二人!」
「すごく尊いわっ!」
「もっとお願いしますっ!」
「あ……」
「べ、別にガッつかなくても、これからは一緒だし」
「ミハイル」
「とりあえず、もうここから離れよっ!」
ミハイルは俺の手を掴むと、野次馬たちを搔き分け、その場から逃げる。
大きな交差点を渡り、はかた駅前通りへ入ると。
顔を真っ赤にしたミハイルが、俺にこう言った。
「ホントにいいの?」
「え?」
「アンナのこと、忘れられる? もう女装はいらないの?」
「それは……」
男のミハイルが良い、と宣言しておきながら俺は……。
でも、もう嘘はつかないと決めていた。
「悪い。たまにでいいから、女装してくれるとありがたい」
俺の答えにミハイルは怒ると思ったが、クスッと笑ってこう言う。
「もう、タクトはエッチだからな。いいよ、してあげる☆」
大勢の野次馬から逃げるため、一旦はかた駅前通りへ戻ることにしたミハイル。
何か考えがあったわけでもなく、俺の手を引っ張って、通りの奥へと入っていく。
すると、見慣れたビルが目に入った。
何度も訪れた場所……例のラブホテルだ。
「あ……」
無意識のうちに、ここへたどり着いたようで。
それに気がついたミハイルは、顔を真っ赤にしてしまう。
「こ、これは……そう言う意味じゃなくて」
慌てる彼を見て、俺は笑って答える。
「分かってるさ。あんな所でキスしたんだし、混乱していたんだろ?」
「うん……」
確かに、目の前にあるのはラブホテルだ。
だが反対側には、馴染みのラーメン屋がある。
もう空も真っ暗だし、腹も減った。
野次馬たちが解散する時間稼ぎも欲しいところだ。
「ミハイル。ラーメンでも食って行かないか?」
「え? あ、そっか。うん☆ 食べたい!」
古いガラスの引き戸を開いて、大将に声をかける。
「大将、久しぶり」
カウンターの奥で、大将は麺を茹でていた。
「あら、琢人くん? ひとりかい?」
「いや……今日は二人なんだ。ほら、大将に挨拶して」
そう促すと、ミハイルは恥ずかしそうに顔を出す。
「あの、初めまして。お、オレ。古賀 ミハイルって言います」
「え? アンナちゃんだろ? 髪切ったの?」
ヤベッ。
女装しているし、フルメイクだから、大将にはアンナに見えるようだ。
「大将……その悪い。今まで騙していたつもりはないんだが。実はアンナは……男なんだ!」
「は? 琢人くん、おいちゃんのこと、バカにしてるの? どう考えても可愛らしい女の子、アンナちゃんじゃないか?」
「いや、違うんだ……」
仕方なく、俺はこの1年間に起きた出来事を、軽く説明する。
ミハイルが女装した姿が、アンナであったことを。
それを聞いた大将は、顎が外れるぐらい大きな口で、ミハイルを凝視していた。
「ほ、本当に……男の子だったの?」
「はい……ごめんなさい。騙していて、オレ。男なんです」
しばらく、その場でフリーズしていた大将だったが、徐々に平常心を取り戻していく。
「つまり、琢人くんのカノジョはアンナちゃんだけど。その正体がミハイルくんってことだね?」
「ああ……そして、先ほど俺がプロポーズしたから、フィアンセだ」
とミハイルの肩を掴んで、俺に近づける。
「もう、タクトってば。こんなところで、また……」
どうやら俺は、ミハイルに告白したことで。
堂々と自分の気持ちを、話せるようになったらしい。
キスしたから、興奮しているのかも。
「そうか、あの琢人くんがついに結婚かぁ。いやぁ、おいちゃん。なんか泣けてきちゃったよ……」
「え? 引かないの? 男同士なのに」
「別にどっちでも良いじゃない。色んな愛の形があって」
そう言うと、大将はなぜかボロボロと涙を流し、タオルで拭う。
博多って本当に、そっち界隈が多いのかな?
※
「よぉし! 今日はおいちゃんのおごりだよっ!」
と大将が手を叩く。
なんだか、毎回大将に奢ってもらっているような。
「え、良いんですか? オレ、男なのに……」
とカウンター席で縮こまるミハイル。
「関係ないよ! 琢人くんのために今まで、色々と頑張ってくれたのは事実だろ? ならアンナちゃんもミハイルくんも同じじゃないか!」
「あ、ありがとうございます☆」
結局、大将の粋な計らいで、店のメニューを何でも食い放題にさせてもらった。
俺もミハイルも、ラーメンを何度もおかわりしたり。
餃子やチャーハンも、大盛りで食べさせてもらった。
「しかし、あれだねぇ~ 琢人くんもこれから大変じゃない?」
新たな餃子を焼きながら、俺に問いかける。
「え、何がですか?」
「だって、結婚するんだろ? それなりのお金、職業に就かないとさ」
「あ……」
今までずっと忘れていた。
計画のことばかりで、その後を考えていなかったのだ。
大将の言う通り、結婚するには生活を持続するため、ある程度の年収が必要だ。
しかし、俺はまだ未成年の高校生。
プロの作家とは言え、不安定な職業。
もう一つの仕事は……。
「おじちゃん、大丈夫だよ☆ タクトはプロの人気作家だし。それに新聞配達も頑張ってるから☆」
とミハイルが自分のように自慢する。
「あ、そうだったね……でも、あれだろ? 作家ってのも不安定な仕事だろ。お金、大丈夫なの? 琢人くん」
話を振られて、脇汗が滲み出るのを感じた。
「えっと……実は今、俺専業作家なんだ」
都合の良いように答えただけだ。
本当は違う。
「てことは、小説1本で食えるようになったの? はい、餃子大盛りね」
カウンターに餃子の皿を載せられて、なんだか胃が痛くなってきた。
「え? タクト、新聞配達はどうしたの?」
「その……実はクビになったんだよね」
「ウソぉ!? あんなに長いこと働いてたのにぃ!?」
「うん、そうなんだ……」
~それから数日後~
俺は新しいバイト先を探すため、自室のパソコンで求人サイトを片っ端から検索していた。
しかし、どれも高校生不可。
なるべく、早く安定した仕事に就きたい。
できれば高額の仕事が良いが。
「参ったな……」
小学生の時から、お世話になっていた『毎々新聞』真島店だが。
俺は突如、クビになってしまった。
クビというより、店長からお願いレベルで「しばらく休んで欲しい」と頼まれた。
理由としては、俺が交通事故を起こしたから。
あの時、店長はすごく責任を感じたらしく、俺の家族や宗像先生に何度も謝ってくれたらしい。
自分が止めなかったから、琢人くんをあんな目に合わせた。
そして、もし俺があの時死んでいたら……。
宗像先生も相談を受けて、心身共に不安定だから、働かせるのはやめたほうがいいと助言したとか。
まあ、確かに先生や店長の判断は、間違っていないだろう。
店長は泣きながら「またいつでもおいでね」と言ってくれたが。
しかし、第二の父とも言える店長に、これ以上の迷惑はかけられない。
大丈夫だ。今の俺なら、どんな状況でも乗り越えられるさ。
ミハイルが隣りにいてくれるからな。
と求人サイトをチェックしていると、スマホが鳴り始めた。
着信名は……ロリババア。
「もしもし?」
『こんの……アホぉぉぉぉぉ!』
電話を出た瞬間、キンキン声で鼓膜が破れるかと思った。
「いきなり、なんだ? 白金……」
『何がじゃないでしょ!? DOセンセイのせいで、編集部は大混乱ですよっ!』
「は? なんのことだ?」
『しらばっくれるつもりですか! あれだけ、アンナちゃんの正体は隠し通せと言ったのに。男だということを、あんな大勢の前で叫んで……“気にヤン”の読者や親御さんからクレームの嵐なんですっ!』
ちょっと言っている意味が分からない。
「どういうことだ?」
『知らないんですか、あのお祭り騒ぎをっ!?』
「すまん……ちゃんと教えてくれ」
『じゃあ、今から送るURLにアクセスしてみてください』
するとパソコンへ一通のメールが送られてきた。
某動画共有サイトのアドレスみたいだ。
クリックすると……。
いきなりサムネイルがモニターに映し出される。
それを見て驚きのあまり、俺は唾を吹き出してしまう。
「ブフッーーー!」
何故かと言えば、その被写体に問題がある。
画面いっぱいに映し出された男の顔。汗だくで何かを叫んでいるようだ。
動画を再生してみると。
『おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人がを人好きになることが悪いことなのか!?』
あ、これ……俺だわ。
クソ。あの時、動画を撮影して奴らか。
勝手に、人の告白を笑いものにしやがって。
とりあえず、事態を把握した俺は、白金との通話に戻る。
「これのことか……確かに告白した。すまん」
『別に告白は悪くないですよ! でも場所を考えてくださいっ! 色んな動画サイトに転載されて。バズりまくっているんですよ!』
「マジ?」
『大マジですよっ! ショート動画にも転載されて、DOセンセイのことも特定されていますっ!』
「……」
結婚までのハードルは高そうだ。
後から調べて分かったことだが……。
ミハイルへ愛の告白を撮影した動画は、今現在で100万回以上の再生回数を叩き出している。
しかし、それはノーカットの未編集動画であり。
それとは別に、無理やり編集した悪意のある動画、ショート動画に、濃厚キス動画など……。
ネット民のおもちゃにされていた。
ここまで来たら、もうお手上げだ。
腹を括るしかない。
しかしだ……動画サイトのおすすめに上がって来た作品が気に食わない。
クリックすると。
軽快なリズムに合わせて、俺が歌いだす。
『お、お、俺はホモだっ♪ ホモの何が悪い♪ お、お、男が好きだっ♪』
なんという改悪編集。
自室でパソコンのモニターを眺めながら、深いため息をつく。
「ったく、よくやるよ。その技術を他に使えよ……」
白金の言った通り、俺が身バレしため、DO・助兵衛のツボッターは炎上していた。
そして、アンナというヒロインが男だと判明したため。
俺が所属している、博多社のゲゲゲ文庫ホームページも荒れに荒れていた。
もちろん作品である、“気にヤン”の公式ツボッターも。
ファンの大半はヒロインの正体を、隠していたことに怒りを抱いていた。
そりゃ、そうだよな……。
騙していたのは、間違いないから。
~次の日~
俺は白金に呼び出されて、天神にある出版社。博多社へ行くことにした。
自動ドアが開くと、受付デスクに座っていた若い少年が駆けつける。
「あ、新宮さん!」
「おう、一。久しぶりだな」
「動画見ましたよ! すごくカッコイイ告白でした! 僕もあんなことをされたいですっ!」
と興奮気味に俺の両手を掴むのは、受付男子こと、住吉 一だ。
正直、目のやり場に困る。
今日のコスプレ……というか最早、ランジェリーの部類なのでは?
淡いブルーのベビードールを纏っているが、スケスケだから中が丸見えだ。
紐パンを履いていて、ガーターベルトまで着用している。
BL編集部の倉石さんが、命令したのかな。
だが本人はそんなこと構わず、俺の両手を掴んでブンブン振っている。
「感動しました! 新宮さんとミハイルさんが結ばれるところを……想像すると僕、下着を汚しちゃいそうです♪」
汚すなよ。
「そうか……とりあえず、白金を呼んで欲しいのだが」
「あ、それでしたら。もうお話は伺っております! 編集部の方へ呼ぶように言われてますので。エレベーターへどうぞ」
「了解した」
※
エレベーターからチンと言う音が聞こえて、目的地へ到着したことに気づく。
ドアが開くと、物凄い数の電話機が並べられていた。
ベルが鳴ったと思ったら、すぐに男性社員が受話器を取る。
「はいっ! あ……その件でしたら、誠に申し訳ありません」
「いえ、私もヒロインの正体は知りませんで……」
「本当に申し訳ございません! 息子様の性癖を歪めてしまい……」
これは全てクレームなのか。
俺がその場で立ち尽くしていると。
「ようやく、張本人のお出ましですか?」
目の前に幼い少女が立っていた。
キャンディーのイラストがたくさんプリントされた、可愛らしいワンピースを着ている。
幼いのは服だけだ。
年齢はもうアラサーだし、肌も荒れている。
「白金……」
「打ち合わせ、しましょうか?」
と更に狭くなった、打ち合わせ室を指さす。
「あ、ああ……」
ゲゲゲ文庫の編集部は、本来の仕事が何も出来ずにいた。
クレーム対応ばかりに追われているから。
若い社員だけじゃ足りないので、中年の社員。編集長まで頭を下げていた。
いい歳したおっさん達が半泣き状態で、謝っている姿は確かにこたえる。
打ち合わせ室というには、あまりにもスペースが狭く何もない。
あるのは、丸イスが二つだけ。
とりあえず、白金と向かい合わせに座ってみる。
互いの膝と膝がくっつくほどの距離感。
「はぁ……DOセンセイ。私は失望しましたよ。どうして、あんな人通りの多いところで、告白なんてしたんですか?」
「うっ、それはその……仕方なくだ。あの時を逃がしたら、アンナを。いやミハイルと二度と会えない気がして」
「で、あの動画騒ぎですか……」
白金から生気を感じない。青ざめた顔で、瞼の下には大きなくま。
どこか遠いところを見ているようだ。心ここにあらずといった様子。
そんな白金を見て、俺もさすがに罪悪感を感じ。
イスから立ち上がり、頭を下げる。
「すまん、白金! お前と二人で頑張ってきた“気にヤン”が、こんな風になってしまって。でもまたやれるよな、俺とお前なら。続きを書けば……」
と言いかけたところで、白金が下から俺を睨みつける。
「続き? ないですよ。“気にヤン”の続きなんて」
「そ、そんな……ウソだろ? だってあれだけ売れているんだから」
俺がそう言うと、白金は顔をしわくちゃにして怒鳴り声を上げる。
「その売れている作品を、作者本人が台無しにしたんでしょうがっ!」
「……」
いつもふざけている白金だが、今回だけは何も反論できない。
「この前の電話でも、伝えた通り……あの動画でDOセンセイの知名度は、一気に上がりました。悪い意味ですが。本名から通っている高校、全て特定されています。ヒロインのこともね」
「まあ……俺だけなら良いんだ。他の人達に迷惑をかけてしまい、申し訳ないと思っている」
「ほんっとにそうですよっ! 見ました? この惨状を? 博多社始まって以来ですよ。まあ、それだけ私たち編集部の人間も“気にヤン”に賭けていましたから……一時はアニメ化の話もあったのに」
と唇を尖がらせる。
「じゃあ、今後の“気にヤン”の連載はどうなるんだ?」
俺の問いかけに白金は、黙り込んでしまう。
頭を抱えて、何やらぼそぼそと呟く。
「ち切り、です……」
良く聞こえなかった俺は、もう一度聞き返す。
「なんだって?」
「だから……打ち切りですって」
俺はその言葉を信じられずにいた。
「ウソだろ? なんでだよ……あれだけ売れている作品なのに?」
「確かに……今でも売れています。でもラノベ読者ではなく、今回の動画を見た人間が、面白半分で買っているんですよ。どの書店も売り切れ続出らしいです」
「売れていることが悪いのか?」
「悪いというより……メインヒロインに問題があるんですよ。最初から女装男子として売れば、良かったのに。女の子として販売しましたから。上層部も続刊を出すことを渋っています。だから、“気にヤン”は打ち切りになるでしょう」
いつになく真剣な顔つきの白金を見て、事の重大さに気がつく。
「じゃ、じゃあ……別の作品ならどうだ? 今の俺なら他にもラブコメを書けそうだが?」
「無理ですって。どうせまたアンナちゃん、いやミハイルくんをモデルに書くんでしょ? 例え違うと言っても、読者は信じてくれません。今回の騒ぎでDOセンセイは、有名になりすぎました……たぶん他の出版社でもセンセイに、作品を頼みたいと思いませんよ」
「そんな、じゃあ俺は一体どうしたら……」
二人して頭を抱え、将来に絶望していると。
コツコツと音を立てて、誰かが近寄ってくる。
「あらあら、琢人くん。そんな暗い顔してどうしたの? ひょっとして職探しかしら? ならうちに寄っていかない?」
見上げると、そこには優しく微笑む女性が立っていた。
元受付嬢で今は、BL編集部の編集長。
「倉石さん……」
「見たわよぉ~ あの動画、超イケてるわね! 男同士で10分間もディープキスとか、ネタとして最高っ!」
と親指を立てる。
結局、俺はそっち側に落ちないとダメなのか……。
「倉石さん、どうしてここに?」
その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。
「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」
「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」
「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」
どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。
白金から、その許可を得たいのか?
「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」
酷い言われようだ。
あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。
「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」
倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。
「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」
僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。
これには俺も黙って、見ていられなかった。
もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。
「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」
しばらく沈黙が続く。
恐る恐る、頭を上げてみると……。
鬼のような形相で睨む白金がいた。
「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」
「こんのっ……」
最後までガキだな、白金は。
でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。
「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」
と思っていたが、そこまで言われる義理はない。
むしろ激しい苛立ちを覚えている。
「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」
「なんですって! ウンコ作家のくせして!」
結局、最後までケンカ別れになってしまった。
※
その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。
BL編集部は、すぐ上の階だ。
チンという音と共に、ドアが開くと。
そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。
各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。
入口には、大きな垂れ幕を掲げており。
『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』
と書いてあった。
俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。
全員、大人しそうな女性。
黒髪に眼鏡の人が多く感じる。
しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。
頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。
「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」
「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」
「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」
みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。
まるで盛りのついた猫だ。
怖すぎっ!
しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。
「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」
そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。
「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」
「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」
「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」
どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!
人の嫁をネタにするな!
落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。
「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」
「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」
「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」
倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。
分厚い壁で覆われた一室。
ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。
部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。
ゲゲゲ文庫とは大違い。
見るからに豪華で、座り心地も良さそう。
柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。
どこから、こんな金が……。
倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。
「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」
「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」
自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。
「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」
「は?」
「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」
真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。
さすがの俺もブチ切れそうになった。
「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」
思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。
「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」
「うう、それはそうです……」
そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。
「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」
「え? ウソでしょ?」
「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」
俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。
BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。
母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。
その俺が……BL作家になるだと?
笑わせるぜ。
ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。
何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。
「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」
それを聞いた、俺は即答する。
「やります! なんでも書きます!」
「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」
「え……何でですか?」
俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。
「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」
こんな怖い倉石さん、初めてだ。
「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」
「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」
「う、ウソでしょ……」
俺が取材して手に入れたネタ……いや、ヒロインたちとの思い出。
一年間、頑張って書いてきた作品。“気にヤン”だが……。
BL作品として売り出すには、女キャラを排除しろと倉石さんは言う。
しかし、それではあまりにもサブヒロイン達が不憫だ。
「倉石さん……BL編集部で拾ってもらえるのは嬉しいのですが。やはりサブヒロインは女でも、必要じゃないですか?」
それを聞いた途端、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「は? なんで? メインヒロインが男なら、サブヒロインも男じゃないと、BLじゃないわ」
めっちゃ冷たい声で、圧をかけてくるやん。
こんなに怖い人だったけ?
「あの……何度も言っていますが、俺が書いているのは実際に起きた出来事です。例えば、ミハイルが女装してアンナになる理由も、サブヒロインにあります。彼女たちに対抗するため、女の子に変身したんです」
俺がそう説明すると、倉石さんは顎に手をやり、唸り声をあげる。
「う~ん。そういうことなの……つまり女装男子とか、男の娘系ね。それは別の作品として需要があるかも」
どうやら納得してくれたようだ。
安心したところで、再度倉石さんに確認を取る。
「分かって頂けましたか?」
「それは理解できたわ。でも、うちの編集部で出すなら、完全にリメイクする必要があるわ」
「へ?」
「BLならば、徹底的に女人禁制の世界じゃないと! これは鉄板よ!」
「はぁ……」
なんか似たようなことを、母さんが言っていたような。
「さっきも言ったけど、サブヒロインを男に性転換したら成立すると思うのよ……例えば、赤坂 ひなたちゃんってボーイッシュな女子高生は、リキくんみたいな短髪のマッチョにしてね」
「えぇ……」
「あとほら、ミハイルくんにそっくりな幼馴染のマリアちゃんは、心臓手術のついでに、肉体改造をして少年兵として戦争に行くのよ」
「それで、どうなるんですか?」
「戦いが終わり、帰還したところで伝説の傭兵になった『マイケル』は、幼馴染の出版を耳にして帰国するの! そしてミハイルくんと対峙するわけ!」
マイケルって誰だよ。
「あの、それってBLの世界になってます?」
結局、倉石さんとの話は、終始平行線で決着が着くことはなかった。
仕方ないので、既存の作品である“気にヤン”はとりあえず、そのまま放置。
改めて、俺とミハイルだけのラブストーリー?
というより、二人の日常を淡々と描くことになった。
対抗馬がいなくなったので、盛り上がりに欠けると思ったが。
倉石さんは満足そうだった。
「琢人くん、これからのあなたは今まで以上に、困難な道を辿ると思うわ」
「俺がですか?」
「ええ……ゲイであることもカミングアウトしたし、何より結婚するのだから。二人の生活を維持するために、お金が必要だわ」
「まあ、それは色んな人に言われてますから」
笑って話を逸らそうとしたら、倉石さんがガラス製のローテーブルを拳で叩く。
「そんな気持ちじゃダメよ! あなたは分かってない! まだ学生だから自覚がないの。もう結婚すると誓ったのだから、今までの自分を、考えを捨てなさい! 生きていくためには何でもするの……例えばミハイルくんとの営みも、包み隠さずネタにしてお金に変えるのよ!」
目が血走っている。
怖すぎだろ……。
「い、営みって、それはさすがに……パートナーであるミハイルも、嫌がると思いますし」
そう言って断ろうとしたら、すっと手の平を差し出す倉石さん。
「出して」
「え? なにをですか?」
「ミハイルくんの電話番号よ」
「なっ!?」
この人、まさかミハイルを編集部に呼び出して、裸の写真とか撮るつもりじゃ……。
「私がミハイルくんから許可を取ればいいでしょ? 今ここで彼に電話をかけて!」
「え……今からですか?」
「当たり前でしょ!」
仕方なく、俺はスマホのアドレス帳から、ミハイルの名前をタップすることに。
彼にしては珍しく、ベルの音が何度も繰り返される。
出ないなら、それに越したことはないのだが……。
しばらくすると、いつもの元気なミハイルの声が聞こえてきた。
『もしもし、タクト☆ どうしたの?』
「あ、悪い。何か忙しかったんじゃないのか?」
何か用事があるなら、それを口実に電話を切ろうとしたが。
なぜか、彼は口を濁す。
『そ、その……ちょっと集中していて、電話に気がつかなかったの』
「ひょっとしてスイーツ作りか? なら切ってもいいぞ?」
『ち、違うんだ……この前、タクトと博多駅でしたじゃん?』
「は? なにを?」
『忘れたの? キスだよ……動画サイトで見ていたの。思い出したら、ドキドキして。あの時のタクト……凄かったから☆』
いかん、そんなことを電話越しに言われたら。
俺まで興奮してきた。
特に股間が……。
だが、未来の嫁とのイチャイチャタイムは、倉石さんにより強制的に止められてしまう。
「琢人くんっ! 早いところ変わってもらえる?」
一気に興奮が冷めてしまった。
「あ、すみません……。ミハイル、ちょっと編集部のお姉さんと話せるか? 俺とお前の話を元に、作品にしたいそうだ」
『お姉さんって誰? どういう関係なの?』
今度は勘違いしたミハイルが、ドスのきいた声で尋ねる。
「違うよ、ミハイル。ほのかのお友達だ」
『あ、ほのかと同じ病気なんだね☆ なら安心☆』
酷い偏見だ。
とりあえず、倉石さんと代わる。
「はじめまして、ミハイルくん。私BL編集部の倉石というんだけどねぇ。琢人くんとミハイルくんが結婚するじゃない?」
わざと大きな声で話しているような気がする。
その証拠に、何度かこちらに目をやる。
『う、うん……結婚するって約束したよ』
応接室が静かなせいか、彼の声がこちらまで聞こえてくる。
「それでね、今後二人の結婚生活を支えるために、お金が必要じゃない。ミハイルくんがタクトくんとラブラブしているところをね。小説やマンガにしたいんだけど、どうかしら?」
『えぇ!? オレとタクトが、ラブラブするところを?』
やはり驚いている。
さすがに二人の私生活まで、ネタにはしたくないだろう。
「ためらう気持ちもわかるわ。でもね、ミハイルくん。二人の作品が有名になれば、抑止力にもなるわよ?」
『よく、しりょくってなに?』
「琢人くんに邪魔な虫……そうね。女どもが寄って来なくなるわ。だって二人のラブラブ作品は実話なんだから。全世界に知らしめてやるのよ! ゲイとして!」
『そっか。他の女の子が寄らなくなるのは、安心かも……』
納得するなよ、ミハイル。
「でしょっ! “気にヤン”はアンナちゃんがモデルだけど、今回のBL作品は全く違うの! ただただ二人が愛し合う作品。いわば協同制作ねっ!」
『オレなんかで良いの?』
「もちろんよっ! 私たちBL編集部は、二人の結婚を祝福しているわ! もし邪魔な女がいるなら、私に言って! ブッ殺してあげるから!」
なんて恐ろしいことを言っているんだ、倉石さん。
BLになると、人が変わるから怖いんだよな。
『あの……邪魔じゃないけど。でもタクトの中で、マリアとかひなたとか……また優しくするんじゃないかって。怖い時があるかな』
「なるほど。ミハイルくんの不安は排除しないとダメね。夫となる琢人くんには、きっちりと! 落とし前をつけてもらわないと、ねっ!」
と俺を睨む倉石さん。
電話を切ったあと、BL編集長から初の業務命令が下された。
「琢人くんっ! ミハイルくんが不安を抱えているんだから、排除しなさい! 全サブヒロインへ結婚を報告し、契約を解除してきなさい! 『俺は女を愛せない』とっ!」
「……」
別にそんなこと、誰も言ってないよ。
俺はミハイルしか、愛せないだけだって……。
「琢人くん、作品名なんだけど。もうこちらで勝手に決めているんだけど。いいかしら?」
「まあ、いいですけど」
「シンプルに『タクトくんとミハイルくん』がいいと思うの♪」
まんまやないか。
ていうか、本名が使われるのか……。
しかし、あの動画で名前はバレてるし、いいか。
「わかりました。大丈夫です」
「ホント? 良かったぁ♪ あとね、ペンネームも改名しようと思うの。さすがにBL作家が、DO・助兵衛じゃ下品だもの」
名前まで変えられるのか。
ていうかBLもある意味、下品な部類では?
「じゃあ、どういう名前なら良いんですか?」
「実はそれも前から、考えているのよ~ 今回の作品は二人の日常を、赤裸々に描く本物のBL小説でしょ? だから、古賀 アンナというペンネームがぴったりよっ♪」
それを聞いて、俺は大量の唾を吹き出す。
「ブフッーーー!」
まさか……俺に女装させるつもりか?
「偽りでもアンナちゃんは、二人が作り上げた愛の原形でしょ? もったいないと思うの、このまま捨てるには……。琢人くん自身が告白の時、『男のミハイルが良いと』断言してしまったし」
「確かにそうですが……なぜ俺がアンナの名前を継ぐのですか?」
「だってほら、今回はミハイルくんからもしっかり許可を得て、二人のおせっせを描くからさ。つまり共同ペンネームね♪」
「なるほど……俺たちの名前ってことですか」
それなら、良いかもな。
アンナという美少女は、今後リアルでも会うことは無いかもしれない。
俺としても、寂しく感じていたところだ。
思い出として、彼女の名前を使うってのも一つの手だな。
「ところで、琢人くん。話は変わるのだけど、あなたこの前、交通事故を起こしたんでしょ?」
「ええ、どうしてそれを知っているんですか?」
「ガッネーから、話を聞いたのよ」
「そうですか……それがどうしたんです?」
俺がそう問いかけると、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「琢人くんって、今も新聞配達をやれてるの?」
ギクッ! 全てを見透かされているような気がした。
「いえ……あの事故が原因で、クビになりました……」
「やっぱりね。じゃあ、尚のことお金が必要でしょ?」
「はい、おっしゃる通りです……」
その場でうなだれる俺を見て、倉石さんはローテーブルの上に、1枚の書類を置く。
「琢人くんがいくら人気作家でも、すぐにお金は払えないわ。だけどうちで雇うことなら、出来るわよ」
「へ?」
俺は耳を疑った。
「将来、有望なBL作家をこんなところで潰したくないの。だから、うちの編集部でバイトとして、雇ってあげる」
「マジですか!?」
「ええ、やる事は私のお手伝いぐらいしか無いけど……」
渡りに船とは、このことだ!
バイトでもありがたい。
「じゃあ、よろしくお願いいたします! 何でもやらせてください!」
そう言って契約書に、サインを書こうとしたら、倉石さんに釘を刺される。
「いいの? そこに琢人くんの名前を書けば、片道切符よ?」
「どういう意味ですか?」
「あなたには、将来ここの正社員になってもらいたいの」
「しゃ、社員ですか?」
「ええ……いくら売れている作家でも、不安定な職業でしょ? だから兼業作家でいてほしいの。社員になれば、安定した収入で暮らしていけるじゃない」
「なるほど……」
倉石さんの説明を聞いて、理解したと思った俺はボールペンに手を取るが……。
ビシッと平手で叩かれてしまう。
「話はまだ終わってないわよ。社員になるためには、最低限の資格が必要なの。採用基準は簡単、大卒よ。つまり、琢人くんはまだ高校生だけど。卒業後には大学へ進学してもらうわ!」
「え……俺、進学するつもりなんて、無いですよ?」
いきなり大卒の資格がいると聞いて、持っていたボールペンを手放す。
冗談じゃない。
あんなバカ高校でも、辞めようかと迷っていたのに……。
「琢人くん! あなただけの問題じゃないでしょ? 愛するミハイルくんのために、大学ぐらい出なさい。たった4年頑張れば、正社員になれるのだから!」
「でも……」
「じゃあ、可愛いミハイルくんを大学に行かせる? あなたはそれでいいの!?」
おバカなミハイルじゃ、入試試験で挫折するだろうな。
仕方ない。覚悟を決めるか……。
「わかりました。高校を無事に卒業したら、大学を目指します! どんなアホ大学でも良いんですよね?」
「ええ、いいわよ~ 大卒じゃないと給料も安いしね♪」
はぁ……結婚が決まって、浮かれていたけど。
高校が終わっても、またガッコウか。
※
晴れて俺はBL編集部から、古賀 アンナとしてデビューが決まり。
また倉石さんにバイトで雇ってもらうことになった。
当分、金の心配は無いだろう。
高校を卒業するまでは……。
各書類に、自身の名前を書いたことで全て契約が成立した。
「嬉しいわぁ~ 琢人くんがうちの編集部に来てくれてぇ~♪」
「ははは……よろしくお願いいたします」
「そんなに固くならないでよ~ もう人気者でしょ? アンナ先生は♪」
「……」
これから、そう呼ばれると思うと辛いな。
応接室から出ると、倉石さんが編集部にいた女性陣を集める。
「みんな~! 聞いてぇ、琢人くん……いや古賀 アンナ先生が、今日からうちで連載することになったから、仲良くしてねぇ!」
「「「は~い♪」」」
誰も俺が、アンナという名前に違和感を持つことなく、受け入れてくれる。
むしろ、男としては見てくれない。
たくさんの女性に囲まれて。
「アンナちゃんは、ここのデスク使って」
「お菓子とか好き?」
「こっそりでいいから、ミハイルくんのキス。味を教えて欲しいな♪」
などと、完全に女子会のノリになっている。
※
とりあえず、今日は特に仕事がないので。
また改めてプロットや設定を、書いて来て欲しいと倉石さんに頼まれた。
それとは別に、BL編集部が刊行している雑誌でエッセイを書いて欲しいと頼まれた。
例の動画騒ぎで、腐女子の人たちが興味津々らしい。主に俺の恋愛観など。
忙しくなりそうだ……。
帰り際、倉石さんに声をかけられる。
「あ、待って。琢人くん!」
「へ?」
振り返ると、大きな紙袋が目に入った。
どこかで見たことがあるような……。
「これ、持って帰って」
「なんです、それ?」
「ガッネーから頼まれてね。預かっていたのよ」
「白金から?」
「私も中身は知らないわ。でも琢人くんには大事なものだって……。ちょっと前に『私に何かあったら』って深刻な顔して持ってきたのよ。きっと“気にヤン”の連載に不安を感じていたんじゃないかしら?」
まさかっ!? これは赤坂 ひなたの家に宿泊した時、パパさんから頂いた300万円。
白金のやつ……俺がアンナの正体を告白した時から、ちゃんと後のことを考えていたのか。
だから、倉石さんに預けていたのか。
クソッ……ロリババアのくせして、らしくないことしやがる。
「思い出しました。確かに俺が白金に預けたものです……」
「やっぱりそうなの? じゃあ返しておくわね♪」
紙袋を受け取ると、俺はエレベーターへ乗り込んだ。
目頭が熱い。
あんな別れ方になったけど……白金。
今までありがとう。
でも一応、現金の状態が気になって、紙袋の中身を確認する。
『赤坂饅頭』という和菓子の箱が3つ入っていた。
ひなたパパは、俺を婿養子にしたかったからな……。
箱の蓋を開けると、福沢諭吉の上にメモ紙が入っていた。
『DOセンセイへ。ホストクラブで遊んだら、30万円ぐらい使っちゃいました。なので、今や人気作家のDOセンセイなら安いと思い。ひなたパパに返す時は、ご自身で補填されてくださいな♪』
メモ紙をグシャグシャにして、俺は叫んだ。
「あんのロリババアーーー!!!」