「はぁはぁ……はぁ……アンナ、どこだ!」

 その日のはかた駅前通りは、いつも以上にたくさんの人で賑わっていた。
 何かイベントをやっているのか、それとも、ただの帰宅ラッシュか?
 広い歩道だが、人混みで埋っており、ここを避けて通るわけにも行かない。
 彼女もまだこの道を、歩いているかもしれないから。

 最初こそ走っていたが、博多駅に近づくにつれて、そのスピードは落ちていく。
 いくら急いでも、信号が赤になれば、みんなが足を止めてしまうから。
 結局、俺もそれに合わせるしかない。

 だからといって、諦めてなどない。
 その証拠に、アスファルトの上で足踏みをしている。

「まだか? 早く青になれっ!」

 何度も人と信号に止められたが、どうにか博多駅まで、たどり着くことが出来た。
 この頃には息が上がっていて、全身汗だく。

 それでも声を振り絞る。

「アンナっ! どこだ!? 俺だ、琢人だっ! まだ話があるんだ!」

 叫び声だけが虚しく、中央広場に響き渡る。
 何人かの女性が振り返ってはくれたが……本人ではない。
 クソっ! こんなはずじゃなかったのに。
 
 ジーパンからスマホを取り出して、アンナに電話をかけてみる。
 その間も、広場を見渡す。
 何度もぐるぐると身体を回転させるから、気持ちが悪い。

『おかけになった電話は、電波の……』

「ダメか!」

 電話は諦めて、彼女が向かった場所を考えてみる。
 ショックから逃げるとすれば、駅のホームか……。
 いや、帰宅するにしても、この時間に列車へ乗り込むのは簡単じゃない。
 ビルの中か、女子トイレ。

 彼女が行きそうなところ……ひょっとして、いつもの待ち合わせ場所。
 黒田節の像か?

 俺は広場の奥へ向かい、銅像の足元を確かめる。
 いた!
 大きなリボンのブラウスに、ブルーのミニスカートを履いた金髪の少女が立っている。
 俯きながら、スマホを触っている。

「アンナっ! 探したぞ!」

 慌てて彼女の元へ向い、細い肩を掴む。

「……」
 黙り込んで、俯いている。
 さきほど伝えたことが、よっぽど辛かったんだろうな。
「聞いてくれ、アンナ! 俺はお前を傷つけるために言ったんじゃない! 好きになった人の名前に意味があるんだ! だから、もう一度。顔を上げて聞いてくれないか?」

 そう言って、彼女の肩を強く揺さぶる。
 だが、無言を貫くアンナ。

「……」
「ダメか? きっとその名前を聞けば、お前も理解してくれると思うんだが」

 その時だった。
 何を思ったのか、彼女は俺の腕を叩き落とす。

「いてっ!」
「ねぇ~ さっきからなんなの? 私さぁ、推しのライブを観ているから。邪魔しないでくれる?」
 そう言うと、耳元からワイヤレスイヤホンを取り外す。
「え、推し?」

 よく見れば、アンナとは程遠い生物だった。
 おかめみたいな顔で、眉毛が太く。頬がりんごのように赤い。
 ファッションだけはアンナに近いものだが……。

「ひょっとして、ナンパ? その顔でよく勇気あんね? 男ってさ。ちょっとガーリーなファッションするだけで、ホイホイ釣れるからさ。年中、発情期なの?」
「あ……いや、俺はその……」

 咄嗟のことで、人違いとは言えなかった。

「な~に? ナンパしてきて、童貞とか? ウケるわぁ~ 鏡見てから出直してきな」
「はい……ごめんなさい」

 間違えたのは確かなので、とりあえず謝っておいた。
 ていうか、お前みたいなやつを俺がナンパするかっ!

  ※

 時間だけが過ぎていく。
 中央広場では、夏に向けてイベントを始めているようで。
 売店などが、設置されている。

 会社帰りのサラリーマンやOLが、ビールを買って談笑していた。
 その光景に釣られたのか、他の客がぞろぞろと集まり出す。

 俺にとっては、非常にまずい状況だ。
 これだけの人が広場に集まれば、アンナを探すのは至難の業と言える。

 彼女と離れて、10分は経っただろう。
 もう列車に乗って、帰ってしまったのだろうか?
 俺は……どうしたら。また失ってしまうのか。
 それだけは、絶対に嫌だっ!

「よしっ!」

 気合を入れるために、自身の頬を思い切りぶん殴る。

「ってぇ……」

 思った以上に、痛かった。
 だが、目が覚めた気がする。
 辺りにいた女子高生は、ドン引きしていたが。
 
 大きく息を吸い込むと、俺は博多駅のビル全体に向けて、力いっぱい叫んだ。

「聞いてくれぇーーー! アンナぁーーー!」

 突然、一人の男が騒ぎ始めたので、周囲にいた人間たちは驚き、足を止める。
 何百人から一斉に、視線を集めてしまう。
 それでも、俺はやめない。

「まだいるんだろぉーーー! 話は終わってないぞ! 俺が好きになったのは、アンナじゃなくて……男のミハイルなんだぁーーー!」

 言い終える頃には、ぜーぜーと息を切らしていた。
 不思議と恥ずかしさは感じなかった。むしろ、すっきりした気分だ。
 この声が相手に、届いていればいいのだが。

 気がつけば俺の周りに、人々が円を描くように集まる。

「おい、あいつ。こんなところで何を叫んでいるんだ?」
「あれじゃない? 動画の撮影とか?」
「そんなことないだろ……だって、男が男を好きとか、ホモじゃん」

 勝手なことばかり、言いやがる。
 それに何人かの人間たちは、スマホで動画を撮影する始末。
 人の恋路を何だと思って、いやがるんだ!
 気がつけば、その怒りを彼らにぶつけていた。

「おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人が人を好きになることが悪いことなのか!?」

 そう怒鳴り声をあげると、野次馬たちは黙り込む。

「いいかっ! 俺のことをホモだと嘲笑うのならば、それでも構わんっ! だが、俺の人生で大事な告白なんだっ! 邪魔だけはしないでくれ!」

 言い切った直後は、何も反応がなかったが。
 しばらくすると、数人の女性たちから拍手が湧き起こる。

 静まり返った辺りを確認した後、もう一度、俺は深く息を吸い込んで、その名前を叫ぶ。

「アンナっ! 誤解させて悪かったぁ! 俺が好きなのは、アンナだけどアンナじゃない。女装していない、素の……男の古賀 ミハイルだったんだぁーーー!」

 ミハイルという名前だけが、虚しく博多中のビルに響き渡る。

 言い終える頃には、熱い涙が頬を伝う。
 これでダメなら……と諦めていたからだ。

「やっぱり、戻ってはくれないのか……ミハイル」

 その場で膝をつき、地面に手をつく。
 俺が考えていた計画なんて、もうめちゃくちゃだ。
 でも、この想いだけは、伝えておきたかったのに……。

「こんなところで、あんまりオレの名前を叫ぶなよ。恥ずかしいじゃん……」

 顔を上げると、そこには可愛らしいツインテールの美少女……ではなく。
 女装した男の子が立っていた。

 野次馬を掻き分けて、俺の前まで来てくれたようだ。
 顔を真っ赤にして、視線は地面に落としている。

「み、ミハイルっ!?」
「こんな大勢の人たちがいるところで……好きとか。バカじゃん」
「悪い……もう失いたくなかったんだ。お前を」
 そう言うと、ミハイルはようやく視線を合わせてくれた。

「話の続き。まだあるの?」
 緑の瞳を輝かせて、恥ずかしそうに俺を見つめる。

 俺はゆっくりと立ち上がり、深呼吸した後。
 こう答えた。

「まだある。ちゃんと最後まで聞いて欲しい」
「うん」

 良い展開になってきたのだが、ミハイルの登場で野次馬たちも盛り上がり。
 たくさんの人々に、囲まれてしまった。
 俺の告白が終わるまで、帰ってくれないんだと思う……。