アンナが自己紹介を終えると、生徒たちがざわめき始める。
無理もない。
男のミハイルが、急に遠くへ引っ越し……。
女として、別人のアンナが編入してきたのだから。
その場で立ち尽くす俺に、アンナが手を振る。
「タッくん~☆」
これには、周りの生徒たちも驚きを隠せない。
だって俺たち二人は、仮にとはいえ、彼氏彼女の関係みたいなものだから。
何も言わなくても、友達以上の関係に見えるだろう……。
そこへ宗像先生が「静かにせんかっ!」と一喝し、場をなだめる。
生徒たちが静かになったところで、アンナに「新宮の隣りに座れ」と促す。
コツコツと音を立てて、優雅に歩いて見せるアンナ。
よく見れば足もとは上靴ではなく、ヒールが高いローファーだ。
大きなリボンがついた可愛らしいデザイン。
完全に、デートモード。
嬉しそうに、俺の隣の席へ座るアンナ。
「タッくん。今日からよろしくね☆」
「あ、ああ……」
この時、心の中で2つの強い気持ちがぶつかり合っていた。
それは安心感と寂しさ。
目の前に元となるミハイルがいるのに、女として振舞うアンナ。
せっかく俺のために、学校へ編入してくれた彼女には悪いが……。
「そこは、ミハイルの場所だ」と思ってしまった……。
※
ホームルームが終わると、宗像先生が俺を呼びつける。
「新宮! ちょっと話がある。一人で事務所へ来いっ!」
「は、はい……」
話し方からして、きっとお説教だろう。
次の授業まであまり時間がないのだが、とりあえず、事務所へ向かう。
って、教科書を一冊も持って来なかった奴が、何を言ってんだか……。
事務所へ入ると、宗像先生が不味そうなコーヒーを用意して、俺を待っていた。
またアレを飲まされるのか。
「なにを突っ立っておるか? 早くソファーに座れ」
「はい」
俺は二人掛けのソファーへ腰を下ろし、反対側のソファーにガニ股で座る宗像先生。
こういう時の先生は、絶対に怒っている。
興奮のあまり、太ももを閉じないから、今日も紫のレースが丸見え。
しんどい。
「……新宮。一体どうしてこうなったんだ? 私は古賀を呼び戻せ、と言ったはずだが。なぜ女装したブリブリのアンナが編入したんだ?」
「えっと、それは俺にもわかりません……ずっと連絡が取れなくて……」
そう答えると、宗像先生は深いため息をつく。
「はぁ……どうせ、お前たちの歪んだ愛情表現のせいだろ?」
「え、どういうことですか?」
「数日前のことだ。急に古賀から私に電話がかかってきてな。遠くへ引っ越すから、代わりにいとこを編入させてくれと言われたんだ」
「ミハイルがですかっ!?」
「当たり前だ……。でもその本人は引っ越していないよな? 現に今も女装してクラスにいるのだから」
「うっ……」
何も言い返せなかった。
「去年の運動会を覚えているか?」
「あ、はい……ミハイルがMVPを獲ったんですよね」
「うむ。その時に私が何でも願いを叶えてあげると、約束したろ? あれを使ったんだ古賀は」
「?」
俺が黙って首を傾げていると、宗像先生が代わりに答えてくれた。
「わからんか? ヒソヒソ声だったからな。古賀はあの時『オレのいとこをいつか編入させてください』と私に頼んだのだ」
「なっ!?」
「私もその時は、女装する趣味とか知らなかったから、了承したが。まさかこんな形で利用されるとはな……」
「じゃあ……アンナは女の子として、編入したんですか?」
「ま、そういうことだな」
と肩をすくめて見せる先生。
ていうか、あんたが願いを断れば良かったじゃん……。
※
アンナが編入してきたことは、全く予想できなかった。
まだ頭の中は混乱している。
しかし、少しずつ。彼……ミハイルが望んでいることが見えてきた気がする。
俺と絶交する際、ミハイルは男の自分を選んだことに傷つき、怒っていた。
女のアンナではなく、素の彼を抱きしめ、キッスまでしようとした俺に。
つまり逆ならば、ミハイルは傷つかなったのかもしれない。
女装した状態……完璧な女の子。アンナならば。
「先生……ミハイルを、いやアンナを女子として、編入させたんですよね?」
「そりゃそうだろ? だってお前らが作った設定だし……それに古賀を取り戻すには、嘘を突き通さないとなぁ」
「でも、中身はあくまでも、男のミハイルですよ? トイレとか、更衣室とか一体どうする気ですか?」
「うむ……私もそれは悩んだが、大丈夫だろう。便所は3階の職員用を使えば良い。スクリーングは日曜日だから、他の女性教員は使用しない。私ぐらいだ。逆にどんな下着をつけているのか、覗いてやろうと思っている」
ふざけろ。見ていいのは、俺だけだ。
「そ、そんな……無理があるでしょ?」
「無理なもんか。私はお前ら生徒たちが、一番だと言っているだろ! 更衣室も時間をずらして使わせたら良い。その辺はちゃんと配慮してやるから大丈夫だ。それよりも……いつまで持つか? って話じゃないのか?」
宗像先生はそう言うと、鋭い目つきで俺の顔を睨みつける。
「え?」
「あのな。私はお前ら二人とも、心配なんだよ……。女装して恋愛ごっこをするのも結構だ。しかし、新宮。そのやせ細った身体はなんだ?」
薄くなった胸板を、人差し指で小突かれてしまう。
「こ、これは……最近、食欲がなくて。でも、さっきアンナが作ってくれたサンドイッチを食べられましたよっ!」
それを聞いた先生は、鼻で笑う。
「フンッ。アンナね……どっちでも良いが、この前古賀に振られたのが原因だろ?」
「はい……」
「新宮、お前。あれから何キロ瘦せた?」
「えっと……3キロぐらいですかね、ははは」
笑ってごまかそうとしたら、更に宗像先生を怒らせてしまう。
「なめるな! 10キロ近く痩せたんだろ!? 何年教師をやっていると思うんだ! 見ればわかるっ!」
「すみません……その通りです。今52キロぐらいです……」
「ほれみろ。言わんこっちゃない! ちなみに身長はどれぐらいある?」
「え、170センチですけど?」
俺がそう答えると、宗像先生は自身のスマホを取り出し、何かを検索し始めた。
「おい……お前は、シンデレラになりたいのか?」
「え? なんのことですか?」
「身長が170センチで、体重が52キロだと“シンデレラ体重”になるんだよっ! 女の私より細くなりやがって!」
「はぁ……」
なんだ、ただの嫉妬か。
しかし……ミハイルがいなくなっただけで、俺はここまで落ちてしまうのか。