気がついた時には、ミハイルはもう校舎から出て行ってしまった。
 その場に立ち尽くす俺。

 美しく長い髪を、ショートカットにばっさりと切っていた……。
 彼と言えば、ポニーテールが象徴みたいなものだったから。
 その変貌ぶりに、衝撃を受ける。
 だが、それよりも……。
 俺が声をかけたのに、振り返ることなく、走り去ってしまったことだ。

 そんなに、俺が嫌いになったのかよ。


「おい、新宮! なにをやっておるか! 早く古賀を追いかけろ!」
 宗像先生に肩を掴まれるまで、我を忘れていた。
「え……追いかける?」
「当たり前だ! 古賀がこのまま、退学してもいいのか!?」
「た、退学!?」
 その言葉に、驚きを隠せない。
「ああ、古賀のやつ。いきなり事務所に現れたと思ったら、こんなもんを私に突きつけたんだ!」
 そう言うと、先生は1枚の封筒を差し出す。

『たい学とどけ 古賀 ミハイル』

 なんて、アホな退学届だ。
 しかも封筒は、スタジオデブリのボニョがプリントされた可愛らしいもの。

「先生……これって」
「そうだ。古賀のやつ。いきなり私に退学を申し出て。止めようとしたら、逃げやがったんだ!」
「ミハイルが退学。そ、そんな……」
 俺が情けない声を出すと、宗像先生は鬼のような形相で睨みつける。
「バカ野郎! 新宮、お前はダチなんだろ!? 早く追いかけて、止めてやれ!」
 先生がそう言ってくれなかったら、俺は彼を追いかけることは出来なかっただろう。
「は、はい。俺、行ってきます!」
 
 絶対に止めてみせる。
 俺は上靴を履いたまま、校舎を飛び出た。
 少しでも、アイツに追いつくように。

  ※

 全力で、長い下り坂を駆け下りる。
 高校から出ても、まだミハイルの姿を見つけることは出来なかった。
 国道に出ると、あとは近くの駅。赤井駅まで一直線の道だ。

 この道を走っていれば、必ず彼がいるはず。
 呼吸は乱れ、汗が吹き出る。全身が燃え上がるように熱い。
 普段からスポーツなんて、やってないから、筋肉が悲鳴をあげる。

 どれぐらい走っただろう。
 数時間、フルマラソンを走ったような感覚だ。
 もうすぐ、終点の赤井駅が見えてきたころ。
 ようやくその姿が、目に映る。

 信号が赤だったから、アイツも青に変わるのを待っていた。
 どことなく、寂しそうな背中だと感じる。

 ぜーはー言いながら、その肩に触れる。

「み、ミハイル……ま、待ってくれ」
 俺がそう言うと、ようやく振り返ってくれた。
 しかし、いつものような優しい笑顔はない。
 鋭い目つきで俺を睨む。

「……っ! オレに触るな!」
 そう叫ぶと、俺の手を振り払う。
「なっ、どうして……?」
「タクトには関係ないだろ!」
 心底、俺を憎んでいるような気がした。

 沈黙が続く中、目の前の信号が青に変わる。
 すれ違う人々が、俺たちを不思議そうに見つめていた。
 信号が変わっても、その場で固まっていたから、悪目立ちしている。

 お互いの顔をじっと見つめあう。
 彼の方は、睨んでいるが……。

 だが、俺も屈してはいられない。
 ここでミハイルを、引き留めることができなければ。一生、後悔するだろう。
 興奮しているようだから、とりあえず、場所を変えようと提案してみる。


「なあ……退学の話って本当か? ちょっと話をしないか?」
「タクトには、関係ないじゃん!」
「でも、理由ぐらい聞かせてくれても良いだろ?」
「……」

 沈黙を同意と見なした俺は、信号を渡った先にある小さな公園へ行こうと誘った。
 ミハイルは、その提案に渋々のってくれた。

  ※

 公園と言っても小さなところで、砂場やブランコがあるぐらいの低年齢向け。
 そんな場所に、10代後半の少年が二人で立っている。

 向かい合って、今から殴り合いの喧嘩でも始めそうな……そんな険悪なムードだった。
 まずは、俺から話を切り出す。

「退学って、いつ決めたんだ?」
「この前」
 俺とは視線を合わせず、ずっと地面を見つめるミハイル。
「どうしてなんだ? 俺と一緒に、一ツ橋高校を卒業したいんじゃなかったのか?」
 その問いに、彼が答えることはなく。
 顔を上げると、俺を睨みつけた。
「それはこっちのセリフだよっ!」
 瞳に涙をいっぱい浮かべて、叫ぶ。
「え……」
「タクトが悪いんじゃん! マリアと……ラブホテルへ行って、アンナを泣かせたからっ!」
 やはり、あの報道を知って傷ついたのか。
 それで……髪を切ったというのか?

「ち、違うんだ! 確かにホテルへは行ったが何もしてない!」
 言っていて、自分でもかなり苦しい言い訳だと感じる。
「そういうところだよ! タクトがアンナを苦しめているの!」
 火に油を注ぐ行為だったようだ。
「……」
「アンナは今まで、ずっとずっと我慢してきたんだよ! でも大好きなタクトのために、目をつぶってきたけど。もう限界なの! 無理なんだよ!」
 気がつけば、ミハイルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
 子供のように泣き叫ぶ。
 よっぽど、辛かったのだろう。
 彼の言うように、限界に達したのかもしれない。

「俺が……俺のせいで、アンナは苦しんでいるのか?」
 目の前に本人がいるが、設定なので、遠回しに聞いてみる。
「そうだよ! 全部タクトが悪いんだ! アンナを泣かせたからっ!」
 彼女が泣いたかどうかは、ミハイルの顔を見ればわかる。

「もう修復は、不可能なのか?」
 僅かな希望だった。
「無理だよ! だって、タクトが裏切ったじゃん! 去年、アンナじゃなくて、男のオレを選んだからっ!」
 耳を疑った。
「え? 男の……? 俺がお前を?」
「そうだよ! 去年の誕生日に、お、オレを抱きしめたり……。キッスまで、しようとしたじゃないかっ!?」

 あれ? そっちに怒ってたの……?

「つまり、男のミハイルを抱きしめたことが嫌だったのか? き、キッスも含めて……」
「嫌だったんじゃない! アンナを選ばなかったことに怒っているの!」
「どういうことだ?」
「オレがこ、告白した時。タクトは『男のお前とは恋愛関係にはなれない』『ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている』って言ったから、女のアンナを紹介したんじゃん!」
「ああ……」
 今になって巨大なブーメランが返ってきた。

 そうか、女のアンナではなく。男のミハイルを選んだのが、ショックだったのか。
 自業自得だが、色々とややこしい話だ……。