気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 マリアが俺にかけた手錠だが、どうやら前のお客さんが忘れていった物らしい。
 ハードなプレイがお好みのカップル……。置いていくなよ。
 おかげで、ドМプレイを体験してしまった。
 仕方ないから、俺がフロントに電話して、手錠のことを伝える。
 
「ごめんなさい……タクト。どうしても、あなたが遠くに行ってしまいそうで。怖かったの……」
 かなり罪悪感を、感じているようだ。
 しゅんとしているマリアは、なんだか愛らしい。
「気にするな。別にケガをしたわけじゃないからな」
 それよりも、寝相の悪さをどうにかして欲しい。
「あ、ありがと……タクト。優しいのね。大好き♪」
 
 好きなら、もうちょっと優しくしてね……。

  ※
 
 別に悪いことはしていないが、俺とマリアは身なりを整えると。
 急いで、ラブホテルから出ることにした。
 早朝の方が、近隣を歩く人が少ないと思ったからだ。


 ホテルから出たその時だった。
 近くの電柱から、人影を感じる。
 視線はずっとこちらに向けられている……気がした。

 ラブホテルから、出てきた俺たちだ。
 自意識過剰だとは、思うが……。
 しかし、突き刺すような視線だと感じてしまう。

 ひょっとして、アンナかと思ったが。
 違う。
 間違いない。
 女装したり、色々と器用な彼だが、体型までは変えられない。
 
 相手は40代ぐらいの中年男性。
 ぽっちゃりしたおじさん。
 サングラスに、白いマスクをつけている。
 明らかに不審な男。

 もしかして、以前カナルシティで出会った痴漢か?
 アンナやマリアに、固執していた変態だもんな。
 ここは、俺が注意すべきだろうか。

 ふと目と目が合う。
「ひっ!?」
 相手は俺の顔を見て、怯んでしまい、慌てて逃げ去ってしまう。
「なんだ、あいつ……」

 俺がその場に立ち尽くしていると、マリアが袖を引っ張る。

「タクト。早くここから離れましょうよ! やっぱり……恥ずかしいわ」
 頬を赤くして、俯くマリア。
 可愛らしいところもあるんだと思った。
「そうだな……」


 3回目のラブホテルへ行ったわけだが、今回も何事もなく終わってしまう。
 ただ、今回の宿泊代は、マリアが払ってくれた。
 彼女の個人的な理由で、利用したから……だそうだ。
 せめて半分ぐらい支払わせて欲しいと言ってみたが、彼女は頑なに断った。

 たぶん俺を無理やり連れて行った割には、何も出来なかったことが悔しいのだろう。
 どうでもいいけど、何もしないのにラブホテルをご利用って、金がもったないよね?

 ~それから1週間後~

 今回のラブホテルで起きた出来事は、ネタとしては使わないと考えていた。
 経費で落ちていないし。
 なんかマリアのことが、かわいそうで……。


 特に何もない日常を送っていると。
 今年、初めてのスクーリングが近づいてきた。
 ただの授業じゃない。期末試験だ。
 それが連続で、2回も行われる。

 アホなミハイルからしたら、苦行だろう。
 今もきっと自宅で、試験勉強をしているに違いない。
 去年も俺と進級したいがために、必死に頑張っていたものな。

 その点、俺は勉強なんて必要ない。
 前期も何もせず、オール満点だったしな。
 ま、あの学校が幼稚園児レベルだからね……。

 ただ試験当日になるまで、毎日ダラダラ過ごしていれば良いのだ。
 その日も、学習デスクの上に置いてある、PCモニターを眺めていた。
 去年から撮りためていたアンナのパンチラ写真。
 ウインドウを10個も並べて表示させ、アンナを堪能する。

「ふぅ……」

 最近、アンナの新しい写真。特に露出度の高いラッキースケベが起こらないから。
 なかなか新鮮なネタが、手に入らないな……。
 早く次の取材が来ないかな。と思っていた最中。
 机の上に置いてあるスマホが、鳴り始めた。

 彼女だと思い込み、急いでスマホを手に取る。

「もしもし?」
『あ、タクト……もう例の記事を見たかしら?』
 その大人びた話し方で、すぐに相手が彼女じゃないと分かる。
 電話をかけてきたのはマリアだ。
「マリア。記事って……なんのことだ?」
 俺が首を傾げると、マリアは深いため息をつく。
『まだ見ていないのね……本当にごめんなさい。私のミスだわ』
「は?」
『この前、二人でラブホテルへ行ったじゃない? あの時に記者が近くにいて、写真を撮られたのよ……』
「え!? なんで俺たちを撮るんだよ。ただの一般人だろ」
『私がモデルだからよ。こう見えて女性に人気なの。詳しくはインターネットを見ればわかると思うわ……本当にごめんなさい。でも嘘は何も言ってないから』
「マジかよ……」

 それからすぐに電話を切って、俺はウェブブラウザで検索をしてみることに。
 彼女の名前で調べたら、すぐにヒットした。

 見出しはこうだ。
 
『人気モデル、MALIA。帰国してすぐにラブホテルでドッキング!』

「ブフーーッ!!!」

 思わず、大量の唾をモニターへぶっかけてしまった。

『お相手は、2歳年上の自称作家。DO・助兵衛氏、18歳。一般人のため、顔は隠させていただいております』

 と記事には書いてあった。
 肝心の写真は、ラブホテルから出て来たマリアと俺。
 誰にも見られたくない……とキョロキョロしている二人だから、妙に怪しく感じる。
 一応、俺だけ目元を黒塗りにされていた。
 でも俺を知っている人なら、すぐに分かるだろう……。

 ていうか、なんで自称作家になってんだよ! 俺はプロだ!

 記事を読み進めていくと。
 後日、記者がマリアへ直撃インタビューを行ったようで。
 その際の質疑応答が、載っていた。

 記者。
「ラブホテルで一泊を過ごしたということは、DO氏とお付き合いしているのですか?」
 
 マリア氏。
「いいえ。本気で婚約しております。10年前から」
 とカメラに向かって、婚約宣言を発表するマリアさん。

 記者。
「では、結婚を約束しているのなら、ラブホテルでそういう行為をされたと認めるのですね?」

 マリア氏。
「それは断じて認められません。私たちは婚約しておりますが、淫らな行為は何一つしておりません。これだけは言わせてください。一線は越えていません!」
 と言い訳するマリアさん。
 それを聞いていた記者は、信じられないと耳を疑ったそうな……。

 一連の記事を読み終えた俺は、動揺から右手がガタガタ震え出す。
 マウスカーソルがモニターの中で、左右に踊りまくっていた。
 
「な、なんじゃこりゃ!」

 ほぼ認めている回答じゃねーか!?
 クソ……俺と一緒で、マリアも嘘をつくのが苦手だった。
 もうすぐ試験だというのに。

 ミハイルに、この記事を知られたら……。
 俺はどうなるんだ。

 マリアとのラブホテル密会が報道されて、数日が経った。
 正直、ミハイルにいつバレるか、ずっと不安で生きた心地がしない。
 あとで知ったことだが、色んなニュースサイトに取り上げられているほど、マリアは有名人だった。

 一部のテレビ局でも、今回の報道が流れているらしく。
 DO・助兵衛という作家は、ラノベ業界に限らず、一般人の間でも話題にあがっているそうだ。
 編集部の白金が、興奮気味に電話で教えてくれた。

 もう俺には、後がない。
 ここは潔く彼に謝罪すべきだろう……と腹を括った。

 あいつに会ったら、すぐに頭を下げよう。
 下手な嘘は使わず……正直に起きた出来事を説明すれば、きっと今まで通り許してくれる。
 だって、俺たちはマブダチだし。
 1年間も一緒に同じ高校へ通っている仲だ。
 俺のために女装までしてくれる……ミハイルなら、きっと。


 朝食を済ませると、リュックサックを背負って、地元の真島(まじま)駅へと向かう。
 いつも通り、小倉行きの列車に乗り込んで、彼を待つことにした。
 二駅進んだ先の、席内(むしろうち)駅に着く。

 自動ドアがプシューッと音を立てて開く。

「タクト~☆ おっはよ~☆」

 といつもなら、元気よく笑顔のミハイルが現れるのだが。
 一向に姿を見せない。

 俺が席を立ち、キョロキョロと辺りを見渡すが、誰も乗ってこない。
 遅刻したのだろうか?
 いや、ミハイルはアホだが、根は真面目だ。
 特に俺と一緒に、行動することにこだわる人間。
 ありえない。

  ※

 目的地の赤井(あかい)駅について、しばらくホームで次の列車を待っても、やはり彼は来ない。
 心配になった俺は、スマホを取り出し、電話をかけてみることにした。

『おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』

 何度かけても、同じ答えだった。
 一体どうしたと言うんだ?
 やっぱり、あの記事を知ったから、落ちこんでしまったのか。
 それなら俺が謝らないと……。

 不安で仕方なかった俺は、彼の実家へ電話することにした。
 以前、姉のヴィッキーちゃんが、外泊した時にかけてきたから、アドレス帳へ登録しておいたのだ。

『ご連絡いただき、誠にありがとうございます♪ パティスリーKOGAです♪』
 ビジネスモードのヴィッキーちゃんが出た。
「あ、俺です。ミハイルの同級生の新宮です」
 そう言うと、態度を一変させるねーちゃん。
『チッ! 坊主か……なんだ?』
「あの……ミハイルは、まだ家にいるんですか?」
 恐る恐る聞いてみたが、意外な答えが返ってきた。
『は? ミーシャなら、朝早くに学校へ行ったぞ? 会ってないのか?』
「はい……。会えなかったので、身体でも壊したかと」
『あはは! 全然、あいつならピンピンしてるよ。早く学校で会ってやれ。きっと喜ぶから』
 ヴィッキーちゃんにそう言われて、やっと安心できた。
「ありがとうございます。じゃあまた……」
『おう! またな』

 おかしい……。
 そんなに朝早く家を出たのなら、俺と一緒の電車に乗ってもいいじゃないか。

  ※

 とりあえず、一ツ橋高校へ向かうことにした。
 ヴィッキーちゃんの言うことが本当なら、彼は校舎にいるはずだ。
 ひとりで、心臓破りの長い坂道を登っていく。
 いつもなら、二人で仲良く駄弁りながら、歩いているから、こんなにキツいと思わなかった……。

 武道館が見えてきたころ、一人の女性が校門の前で、仁王立ちしていた。
 真っ赤なチャイナドレスを着た淫乱おばさん。
 ものすごいミニ丈だから、下から見上げる俺は、パンツが丸見えだ。吐きそう。
 頭には、シニヨンキャップを左右につけて、お団子にしている。

「あちょ~! 新宮、新年から気合が入っているな! ほあっちゃ~!」
 と叫びながら、構えをとる宗像先生。
 格闘ゲームの新作が発売されたから、その影響か?
 アホ丸出しだな。
「おはようございます……先生」
「なんだ。元気ないな?」
「その……ミハイル。古賀は、もう来ていますか?」
「ん? お前ら一緒に来てないのか? 仲が良いお前らだから、新年も二人で来ていると思ってたけど」

 きょとんとした顔で、宗像先生は俺を見つめる。
 この感じ、嘘は言っていない。
 ということは……ミハイルが、ヴィッキーちゃんに嘘をついたんだ。

 真実を知った俺は、うなだれてしまう。

「そうですか……じゃあ帰ります……」
 あいつがいないなら、意味がない。
 そう思ったら、自然と身体が元の道へと向きを変える。
 それを見た宗像先生が慌てて、止めに入る。
「っておい! なにも古賀が来てないからって、お前まで帰らんでいいだろ! それに今日は試験だ。単位がかかっているぞ? 第一、あとで古賀が来るかもしれんだろ!」
「はぁ……」
 ミハイルの性格上、ありえない。
「新宮。お前、何かしたのか? ケンカしたなら、ちゃんと古賀に謝れよ?」
「わかってます……」

 俺だって、謝れるもんなら、さっさとしたいよ。
 ミハイル……今、どこにいるんだ。

 宗像先生はああ言ってたけど……。
 ミハイルが、教室の扉を開くことはなかった。

 朝のホームルームが始まり、今日が期末試験だと先生が説明を始める。
 しかし俺はそんなこと、どうでも良かった。
 彼が今どこでなにをやっているか……そればかり考えていた。

 上の空で、試験を受ける。
 天才の俺からすれば、こんな動物園のテストなど、お茶の子さいさい……。
 と思って数時間、試験を受けていると。宗像先生に呼び出されてしまう。

「おい。新宮! ちょっと来い」
 休み時間に入ったところで、廊下へ連れ出された。
「なんですか……」
 かすれた声で答える。
「何って……お前、真面目に試験を受けているのか?」
「受けてますけど。何か問題でも?」
 俺がそう言うと、宗像先生は頭を抱えて、ため息をつく。

「お前なぁ……他の先生からも、苦情が相次いでいるんだよ。この答案用紙、ふざけているのか?」
「え……?」
「前期に満点を取った新宮とは、思えん回答だよ」

 宗像先生が俺の顔面に突き付けたのは、先ほどまで書いていた答案用紙たち。
 英語、国語、現代社会。
 しかし、俺の書いた答えは、教科関係なく、同じことばかりを書いていた。

『ミハイル。ミハイル。ミハイル……』

 自分の名前まで、古賀 ミハイルと書くほど、重症だった。

「これを、俺が書いたんですか?」
「当たり前だろ! 新宮、体調が悪いなら、別日に試験を受けるか? 今日のお前はおかしいぞ! 期待のルーキーなのに!」
「すみません……」

 いつもなら言い返すところだが、そんな元気も出ない。

  ※

 結局、そんな調子で試験を受けていたから、全ての答案用紙に、ミハイルという名前を書きまくったらしい。
 俺としては、無意識のうちにやっていたことだから、悪気はない。
 
 気がつけば、昼休みに入った。
 午前の試験が終わったことにより、みんなホッとしたようで、顔が明るくなっていた。
 あとは体育を2時間受ければ、単位が貰えるから。
 
 近くにいたリキと、腐女子のほのかが談笑していた。

「去年のクリスマス。マジで楽しかったよね。ほのかちゃん」
「うん。また来年も一緒に過ごそうよ~ リキくんって、ノンケぽいのに。男レイヤーにモテるからさ~ 私的にもラッキーみたいな♪」
「そんな褒められると、恥ずかしいよぉ」

 褒めてないだろ……。
 でも、なんか良い感じになっていて、安心したよ。
 理由がどうあれ、このまま行けば。二人は付き合えるかもしれん。

 みんな教室の中で、弁当を広げて、昼食を楽しむ。
 去年より、生徒たちが仲良さげに感じた。
 入学して1年も経つのだから、コミュニティが出来上がって、当然か。

 突然、教室の扉が勢いよく開いた。
 僅かな希望を胸に、入って来る人間を待っていると……。

「おっはにょ~♪」
 アホそうな声が、教室中に響き渡る。すぐに誰か判明した。
 ミハイルの幼馴染でもあり、ギャルのここあ。
「もうお昼ですよ。ぶひっ、ここあさん」
 と金魚のフンみたいにくっつくのは豚……じゃなかった。
 俺の専属絵師、トマトさんだ。

 こいつらも見ない間に、偉く距離感が縮まっているな。
 
「てかさ。冬休みに行った温泉、超楽しかったしょ♪」
 え……ウソでしょ?
 ここあがトマトさんと温泉旅行に。
「た、楽しかったでしゅ! 家族風呂でしたから、水着で一緒に入れましたもんねぇ」
「ねぇ~♪ 夜もバイキングをたくさん食べて、リフレッシュできたし~ ベッドもふかふかでぇ」

 まさかの一泊旅行かよ。
 こいつら、もうヤッちゃったのかな?
 たった一か月で、こんなにも仲良くなるもんなのか。

 俺だけが置いてかれたような、気がする……。

  ※

 両カップルが、お互いのイチャ自慢をし始めた。俺は蚊帳の外。
 というか、たぶんだけど。視界に入っていない。
 ミハイルという存在が、隣りにいないせいだろう。
 空気のような扱いだ。

 耐えきれなくなった俺は、教室を出て廊下を歩くことにした。
 別に意味はない。
 ただ、ひとりになりたかった。

 あいつらがカップルとして、仲良くなったことに対して。
 嫉妬なんて気持ちは、抱いていない。
 むしろ、喜ばしいことだと感じている。
 一応、ダチだから。

 それよりもミハイルが、この場にいないことが何よりも辛い。
 まさかと思うが、あの報道により、自殺なんてしないよな?

 廊下の床は寒さにより、上靴を履いていても、足もとが冷えきってしまう。
 ふと窓を開けて、外の景色を眺める。
 目の前の駐車場を、一人の少年が歩いていた。

 こんな中途半端な時間に、誰だろう?
 全日制コースの連中は、制服を着ているから、一発で分かる。
 しかし、この少年は違う。私服だ。

 ショートダウンを羽織って、デニムのショートパンツを履いている。
 フードで頭を隠しているため、顔は確認できない。

 気がつけば、一ツ橋高校の入口へと向かっていく。
 なるほど……俺たちと同じ通信制コースのヤンキーか。
 試験だってのに、やる気がないやつだ。
 全くヤンキーという生き物は、理解できないな。
 単位が欲しいんじゃないのか?

 階段を上る音が聞こえてきた。
 きっと、先ほどのヤンキーだろう。
 二階に上がって、教室へ向かってくるだろう……そう思っていたら、違った。

 宗像先生がいる事務所の方から、バタンという音がした。
 ひょっとして、今の時期だから新年度の入学希望者かな?

 一人で妄想を膨らませていると。
 事務所から、叫び声が聞こえてきた。
 宗像先生の声だ。

「おい、待て! 話は終わってないぞ! 戻ってこい!」

 普段からテキトーな先生にしては、えらく必死な声だと感じた。
 それだけ、相手を引き留めたいのだろう。

 気になった俺は、事務所の方へと足を進める。
 すると、一人の少年が、階段を駆け下りていく。
 先ほどとは違い、フードを外している。
 だから横顔を、確認することが出来た。

 宝石のような美しい瞳。エメラルドグリーンには、涙を浮かべている。
 小さな唇をグッとかみしめ、何かを我慢しているように見えた。
 金色の髪は、首元でバッサリ切られたハンサムショート。
 前髪は左右に分けている。

 ずっと一緒にいたから、その違いが分からなかった。
 あいつは、いつもポニーテールを揺らせて、元気な笑顔を見せてくれる……。
 そんな……かけがえのない存在。

「み、ミハイル!?」

 やっと正体が分かったところで、俺はその名を叫んでいた。
 彼は一瞬だけ、身体の動きを止めたが、振り返ることもなく。
 その場から、走り去ってしまう。

「そんな……」

 小さくなっていく彼の後ろ姿を、俺はただ見つめることしか、出来なかった。
 俺のせいだと、思ったから……。

 気がついた時には、ミハイルはもう校舎から出て行ってしまった。
 その場に立ち尽くす俺。

 美しく長い髪を、ショートカットにばっさりと切っていた……。
 彼と言えば、ポニーテールが象徴みたいなものだったから。
 その変貌ぶりに、衝撃を受ける。
 だが、それよりも……。
 俺が声をかけたのに、振り返ることなく、走り去ってしまったことだ。

 そんなに、俺が嫌いになったのかよ。


「おい、新宮! なにをやっておるか! 早く古賀を追いかけろ!」
 宗像先生に肩を掴まれるまで、我を忘れていた。
「え……追いかける?」
「当たり前だ! 古賀がこのまま、退学してもいいのか!?」
「た、退学!?」
 その言葉に、驚きを隠せない。
「ああ、古賀のやつ。いきなり事務所に現れたと思ったら、こんなもんを私に突きつけたんだ!」
 そう言うと、先生は1枚の封筒を差し出す。

『たい学とどけ 古賀 ミハイル』

 なんて、アホな退学届だ。
 しかも封筒は、スタジオデブリのボニョがプリントされた可愛らしいもの。

「先生……これって」
「そうだ。古賀のやつ。いきなり私に退学を申し出て。止めようとしたら、逃げやがったんだ!」
「ミハイルが退学。そ、そんな……」
 俺が情けない声を出すと、宗像先生は鬼のような形相で睨みつける。
「バカ野郎! 新宮、お前はダチなんだろ!? 早く追いかけて、止めてやれ!」
 先生がそう言ってくれなかったら、俺は彼を追いかけることは出来なかっただろう。
「は、はい。俺、行ってきます!」
 
 絶対に止めてみせる。
 俺は上靴を履いたまま、校舎を飛び出た。
 少しでも、アイツに追いつくように。

  ※

 全力で、長い下り坂を駆け下りる。
 高校から出ても、まだミハイルの姿を見つけることは出来なかった。
 国道に出ると、あとは近くの駅。赤井駅まで一直線の道だ。

 この道を走っていれば、必ず彼がいるはず。
 呼吸は乱れ、汗が吹き出る。全身が燃え上がるように熱い。
 普段からスポーツなんて、やってないから、筋肉が悲鳴をあげる。

 どれぐらい走っただろう。
 数時間、フルマラソンを走ったような感覚だ。
 もうすぐ、終点の赤井駅が見えてきたころ。
 ようやくその姿が、目に映る。

 信号が赤だったから、アイツも青に変わるのを待っていた。
 どことなく、寂しそうな背中だと感じる。

 ぜーはー言いながら、その肩に触れる。

「み、ミハイル……ま、待ってくれ」
 俺がそう言うと、ようやく振り返ってくれた。
 しかし、いつものような優しい笑顔はない。
 鋭い目つきで俺を睨む。

「……っ! オレに触るな!」
 そう叫ぶと、俺の手を振り払う。
「なっ、どうして……?」
「タクトには関係ないだろ!」
 心底、俺を憎んでいるような気がした。

 沈黙が続く中、目の前の信号が青に変わる。
 すれ違う人々が、俺たちを不思議そうに見つめていた。
 信号が変わっても、その場で固まっていたから、悪目立ちしている。

 お互いの顔をじっと見つめあう。
 彼の方は、睨んでいるが……。

 だが、俺も屈してはいられない。
 ここでミハイルを、引き留めることができなければ。一生、後悔するだろう。
 興奮しているようだから、とりあえず、場所を変えようと提案してみる。


「なあ……退学の話って本当か? ちょっと話をしないか?」
「タクトには、関係ないじゃん!」
「でも、理由ぐらい聞かせてくれても良いだろ?」
「……」

 沈黙を同意と見なした俺は、信号を渡った先にある小さな公園へ行こうと誘った。
 ミハイルは、その提案に渋々のってくれた。

  ※

 公園と言っても小さなところで、砂場やブランコがあるぐらいの低年齢向け。
 そんな場所に、10代後半の少年が二人で立っている。

 向かい合って、今から殴り合いの喧嘩でも始めそうな……そんな険悪なムードだった。
 まずは、俺から話を切り出す。

「退学って、いつ決めたんだ?」
「この前」
 俺とは視線を合わせず、ずっと地面を見つめるミハイル。
「どうしてなんだ? 俺と一緒に、一ツ橋高校を卒業したいんじゃなかったのか?」
 その問いに、彼が答えることはなく。
 顔を上げると、俺を睨みつけた。
「それはこっちのセリフだよっ!」
 瞳に涙をいっぱい浮かべて、叫ぶ。
「え……」
「タクトが悪いんじゃん! マリアと……ラブホテルへ行って、アンナを泣かせたからっ!」
 やはり、あの報道を知って傷ついたのか。
 それで……髪を切ったというのか?

「ち、違うんだ! 確かにホテルへは行ったが何もしてない!」
 言っていて、自分でもかなり苦しい言い訳だと感じる。
「そういうところだよ! タクトがアンナを苦しめているの!」
 火に油を注ぐ行為だったようだ。
「……」
「アンナは今まで、ずっとずっと我慢してきたんだよ! でも大好きなタクトのために、目をつぶってきたけど。もう限界なの! 無理なんだよ!」
 気がつけば、ミハイルの顔はぐしゃぐしゃに歪んでいた。
 子供のように泣き叫ぶ。
 よっぽど、辛かったのだろう。
 彼の言うように、限界に達したのかもしれない。

「俺が……俺のせいで、アンナは苦しんでいるのか?」
 目の前に本人がいるが、設定なので、遠回しに聞いてみる。
「そうだよ! 全部タクトが悪いんだ! アンナを泣かせたからっ!」
 彼女が泣いたかどうかは、ミハイルの顔を見ればわかる。

「もう修復は、不可能なのか?」
 僅かな希望だった。
「無理だよ! だって、タクトが裏切ったじゃん! 去年、アンナじゃなくて、男のオレを選んだからっ!」
 耳を疑った。
「え? 男の……? 俺がお前を?」
「そうだよ! 去年の誕生日に、お、オレを抱きしめたり……。キッスまで、しようとしたじゃないかっ!?」

 あれ? そっちに怒ってたの……?

「つまり、男のミハイルを抱きしめたことが嫌だったのか? き、キッスも含めて……」
「嫌だったんじゃない! アンナを選ばなかったことに怒っているの!」
「どういうことだ?」
「オレがこ、告白した時。タクトは『男のお前とは恋愛関係にはなれない』『ミハイルが女だったのなら、絶対に付き合っている』って言ったから、女のアンナを紹介したんじゃん!」
「ああ……」
 今になって巨大なブーメランが返ってきた。

 そうか、女のアンナではなく。男のミハイルを選んだのが、ショックだったのか。
 自業自得だが、色々とややこしい話だ……。

 ミハイルが退学を決めた理由だが……。
 どうやら、俺にあるらしい。
 
 この前スクープされたマリアとのラブホ密会記事。
 報道を知ったことにより、積もりに積もったストレスが爆発したのは、間違いない。
 しかし、彼の中で一番辛かったことは……。

 女に変身したアンナではなく、素のミハイル。
 つまり、俺が男装時の彼を力いっぱい抱きしめ、その場のノリでキッスまでしようとしたから……。

 俺からすれば全部ミハイルだし、アンナでもあるから良いと思うが。
 彼は、酷く傷ついたようだ。

 今も顔をぐしゃぐしゃにして、泣き叫んでいる。

「タクトはさ! 一体、誰が好きなの!? もう、オレ……タクトの気持ちが分からないんだよ!」
 ど直球の質問に、俺は動揺する。
 この場をまたあやふやにすれば、きっと彼を傷つけてしまう。
「俺は……」
「なんなの!? オレを抱きしめて、なんでアンナは抱きしめてくれなかったの! どうして、オレにキスをしようとしたんだよ……」
 自身の唇に触れ、思い出しているようだ。
 
 ミハイルのやつ。俺が抱きしめたことで、混乱しているようだ。
 俺がやったことは、間違いない。
 でも、今決めないとダメなのか……。

「聞いてくれ。俺はアンナを取材対象として、大切にしている。だから、なるべく優しく接するように心掛けている……つもりだ」
「グスンッ。それで?」
「だから、なんていうか。距離感がちょっと違って。その点、ミハイル。お前はマブダチだから、心を許せる存在ていうか……」

 言いかけている最中で、ミハイルの怒鳴り声に遮られる。

「ほらねっ! タクトっていつもそうじゃん! 普段から『物事を白黒ハッキリさせないと気が済まない』て言うけど……。ここぞって言う時、いつもはぐらかすじゃん!」
「そ、それは……ちゃんと答えるよ」
「じゃあ言ってよ。どうして、誕生日にオレを選んだの?」

 ミハイルは真っ直ぐ、俺を見つめている。
 緑の瞳は涙で潤んでいた。
 俺が出す次の答えで、彼の運命が決まりそうだ。
 でも、今はなにも準備していない。計画も立てていない。そんな俺が言えるのか?

「す、す……」

 喉元まで、その言葉は出てきているのだが……。
 この一言を口から発すれば、今までの関係は終わってしまう。
 それが怖い。
 たった二文字なのに……。
 言ってしまえば、どちらかが傷つく。そんな気がした。

「す、すごく大事なダチだからさ……」

 本当のことが言えなくて、後ろめたい気持ちでいっぱいだった。
 ミハイルの顔を見ることができなくなり、視線は地面へと落ちる。

 俺の答えを聞いたミハイルは、黙り込んでしまった。
 ダチのミハイルも、カノジョ役のアンナも、失いたくない。
 だから、俺は嘘をついてしまった。
 一番嫌いな行為だ。

  ※

 数分間の沈黙が続いた後。
 最初に口を開いたのは、ミハイルだった。

「もう……終わりにしよ」
「え、なにを?」
「オレたちの関係」
「!?」

 俺は恐怖から、両手で頭を抱える。
 聞きたなくなかった。
 このあとの言葉を……。

「タクト。いつになっても白黒ハッキリできないもん。このままじゃ、アンナが泣いてばっかりだよ」
「ま、待ってくれ。もう少し時間はないのか?」
 俺の問いに、彼は首を横に振る。
「もう、遅いよ……だって……決めてくれないんだもん」
「ミハイル、俺は」

 お前のことが……。ここまで、出てきているのに。
 どうしても、言えない。

 何も言えない代わりに、ミハイルが答えてくれた。
 いや、情けない俺を、見ていられなかったのだと思う。
 顔を真っ赤にして、叫んだ。
 
「お前なんか、もうダチじゃない! 絶交だ!」

 彼の小さな唇から発せられた言葉は、巨大な砲弾となり、俺の胸を打ち抜く。
 風穴が開いたんじゃないかってぐらい、デカい穴が出来ちまった。
 あまりの衝撃に、俺はその場で膝をつく。

「そんな……俺たち、マブダチじゃないのか?」
「アンナのことを大事にできないタクトは……もうダチじゃない!」
「待ってくれ。約束……契約はどうなる? これからの取材は?」
「知らないよ! アンナそっくりのマリアとでも、すれば!」
「……」

 そう吐き捨てると、ミハイルは俺に背中を向けた。
 公園を飛び出し、駅へと走り去ってしまう。
 
 一人取り残された俺は、地面に両手をつき、呆然としていた。
 しばらくすると、目からぽつぽつと涙がこぼれ落ちる。

「たった一人のダチなのに……俺はまた失ってしまったのか」

  ※

 数十分ほど経っただろうか?
 誰も遊ばない公園で、四つん這いになっていると……。

 近くのブランコが、ぎーぎーと音を立てて、揺れているのに気がつく。
 
「あ~あ、止められなかったか……新宮なら出来ると思ったんだがな」
 嫌味たっぷりに喋る女性は、チャイナドレスを着た淫乱おばさん。
 宗像先生だ。
 いつから、この場にいたのかは知らないが。
 どうやら一連の出来事を、近くで見ていたらしい。
「先生……」
「そんな顔すんなよ」
 宗像先生はブランコを前後に激しく揺らした後、一番高い位置で飛び降りた。
 キレイに地面へと着地したら、鼻の下を人差し指でこする。
「ヘヘヘ。振られちまったもんは、仕方ないよな! でも、諦めるな。とりあえず、話を聞かせろ。お前たちは二人とも、私の大事な生徒だからな」
「はい……」

 この時ばかりは、宗像先生を頼るしかないと思った。
 ていうか、見ていたなら。助けてよ。

 宗像先生に連れられて、駅近くの中華屋さんへと入る。
 赤いのれんを嬉しそうにくぐる先生に対し、俺は油っこい匂いで胸やけを起こしそうだ。
 
 別に、この中華屋が悪いんじゃない。
 俺の心理状態が、良くないためだ。
 今は、なにも口にしたくない……。

 ミハイルが開けてしまった巨大な胸の穴。
 心臓も一緒に持って行かれた気がする。
 彼が叫んだ『絶交だ!』という、強い言葉によって。

 そんな傷心中の生徒を無視して、担任教師の宗像先生は、店の大将を呼びつける。

「おっちゃん! とりあえず、ハイボールと餃子2つね」
「おお。蘭ちゃんじゃないか! あいよ」

 とハゲの大将が慣れた手つきで注文を取る。

「あとさ。悪いんだけど、おっちゃん。個室にしてくれないかな? ちょっと、こいつ落ち込んでいてさ。静かに話したいんだよ」
「ひょっとして、蘭ちゃんの生徒かい? いいよ、好きに使って」

 いつも生徒の意見は無視するのに、今日の宗像先生は優しく感じた。
 やっぱり、ミハイルに振られたことを、配慮してくれているのだろうか?

 店の一番奥にあるお座敷へと通された。
 襖で部屋を覆っているから、人目を気にせず、話せるらしい。

  ※

「それで、古賀が退学を申し出たり。長い髪を短く切ったことは、新宮。お前に原因があるんだろ?」
 既に1杯目のハイボールは飲み干し、ラー油をたっぷりかけた餃子を頬張る宗像先生。
「あの……色々と積み重ねた結果だと思うんですけど。去年、俺がミハイルの誕生日に、抱きしめたから……それが一番の理由だと思います」

 先生に話したことで、肩の荷が下りた気がした。
 ひとりで抱え込むより、事情を知っている人と共有した方が良い……。

「新宮……お前、その話。本当か!?」
 先生は驚きの余り、割りばしを座卓に落としてしまう。
「はい。キッスもしようとしました……」
「そ、そりゃ、ダメだろ!?」
 即座に、否定されたことに傷つく。
「やっぱりダメだったんでしょうか? ミハイルは嫌じゃない……って、その場では言ってくれたんですが……」
「だって、お前。あの古賀の可愛らしい小尻を無理やり、お前がぶち込んだのだろ? そりゃ長い髪も切りたくなるし、退学もしたくなるよな」

 この人、一体なにを言っているんだ?
 なんで俺がミハイルを襲っていることに……。

「先生? 俺はミハイルを抱きしめただけですよ?」
「へ? 抱いたんだろ? 嫌がる古賀を無理やり、潤滑剤も無しに。そりゃ痛いだろ~」
 もう酔っぱらっているのか、この教師は。
「……抱いたんじゃなくて、抱きしめたんですよっ!」
「ああ~ そっちか。なんだ、つまんねーの」
 
 他人事だと思って……クソがっ!

 話がちゃんと伝わってないようだったので。
 俺は再度、宗像先生へ今での経緯を説明する。

 去年の春、ミハイルが俺に告白し、振ったことから始まり。
 その際、俺は「お前が女だったら付き合える」と言ってしまった。
 真に受けたミハイルは、俺の理想通りのカノジョ。アンナを生みだし、完璧に演じることになる。
 だが、デートという取材を重ねる度に、俺はアンナにも好意を寄せるが。
 素のミハイルを抱きしめてしまった。ついでに、キッスまでしようと。
 そこに追い打ちをかけるように、マリアとのラブホ記事……。


 宗像先生はミニのチャイナドレスを着ているというのに、あぐらをかき、黙って俺の話を聞く。
 その間に、店の大将が次々と中華料理を持ってくる。ハイボールのおかわりと一緒に。
 顔を赤くしてはいたが、先生はまだ完全に酔っぱらってはいないようだ。

 俺は一切、料理に手をつけなかった。
 胸が苦しかったから……。

「なるほどな……。つまり、新宮のために自分を押し殺してまで、演じていたブリブリ女だが。結局、彼氏役であるお前が、男のミハイルを選んでしまった……てことか?」
「ま、まあ……そうだと思います」
「私はノンケだから、古賀の気持ちがよく分からんが。たぶん、女目線で考えると。化粧で綺麗な格好をした時は興奮してくれず、すっぴんでどブスな状態なのに、彼氏が『好きだっ!』ってハグしたもんかな?」
「それは、俺にはわかりかねます……」
 例えが酷い。

「しっかし、めんどくさい奴らだなぁ~ 好きならさっさと付き合えよ。いちいち女装して、『タッくん。アンナよ~☆』とかバッカじゃねーの」
 いや、アンナはそんな言葉遣い悪くないし、もっと可愛い。
「……でも、俺。ミハイルが頑張って、女装までしてくれて。それなのに、ちゃんと決められなくて。どうしたらいいのか」
 気がつくと、涙が目に溢れていた。
 そんな情けない俺を見て、先生は鼻で笑う。

「新宮。前にも言ったと思うが、今の生活が当たり前だと思うなよ。古賀がずっとお前の隣りにいるなんて、ありえない。もうすぐお前も二年生だ。ちゃんと相手の想いに、答えるべきなんじゃないのか?」
「分かってます……でも、急に選択を迫られて、俺には無理でした」
「そうか。しかし古賀の中で、心境の変化があったのも事実だろう。もう恋愛ごっこは、終わりなんじゃないのか?」
「……でもミハイルは、俺を捨てることを選びました。二度と会ってくれないと思います」
 言い終える頃には、うなだれていた。
 自分の口から、終わりを告げたようなものだと。

「バッカモン!」

 泣き崩れる俺を見て、宗像先生は怒鳴り声を上げる。

「え?」
「お前がそんなんで、どうする!? まだ諦めるな! 私だって、古賀の教師だ。ちゃんと連れ戻す気だ!」
「ほ、本当ですか!?」
「うむ。知っての通り、我が校の良いところは、サラッと入学して、卒業だ。仮に古賀が退学しても、すぐに編入できる。まあ、今の古賀はかなり興奮しているようだから、説得は無理だろう」
「俺のせいですよね……」
「そうだろな。今回の件は、どう考えても新宮が悪い」
 胸に開いた巨大な穴を更に、広げるような発言だった。
「うっ……」
「とりあえず、退学届けは預かっておく。保留ってことにしとくから安心しろ。新宮、お前はちゃんと次回の試験にも来いよ!」
「でも、ミハイルが来ないなら……」
「バカ野郎! お前が学校へちゃんと来たら、古賀が戻って来る可能性が、上がるってもんだ!」
「どういうことですか?」
「お前が一ツ橋高校で、楽しそうにしていたら、きっと古賀も悔しがって、また高校へ来るってことさ♪」
 そう言うと、宗像先生は親指を立てて、ニカッと笑う。

 俺が楽しそうにしていたら、ミハイルが戻ってくるだと……?
 信じられないな。

 今年初めて、宗像先生が出した課題。
 それは、俺が一ツ橋高校を……学校を楽しむということだ。

 正直、意味がよく分からん。
 元々俺という人間は、学校が好きじゃない。
 勉学が嫌とかじゃなくて、対人関係でトラブルが多く。
 あまり楽しい思い出がない。

 だから、幼い頃。学校外でマリアと仲良くなったりしたのだが……。

「先生。俺が学校を楽しむって、どういうことですか? 一体、何をすればいいんです?」
「ん? そうだなぁ~ 新宮が他の生徒たちと遊んだりして『いえ~い。俺ら青春なう~!』とかやってりゃ良いんじゃねーか?」
 すごく、テキトーな回答だ。
 俺はそんな陽キャ高校生じゃないっつーの。
 だから、ミハイルと一緒にいたんだ……。

「もうちょっと、具体的に話してくれませんか? 俺がミハイル以外の友人と、学校で遊んでればいいってことですか?」
 宗像先生は座卓に並べられた、たくさんのジョッキグラスを見て、豪快にゲップする。
「ゲフ~ッ! まあ、物事に正解なんて無いんだよ。大体、あれだけ新宮にこだわっていた古賀だぞ? お前が他の生徒……つまり、女子なんかと遊んでいたら、当然イライラするし。嫉妬もするんじゃないのか?」
 吐き出したゲップが、酒臭い。
 マジで女か、この教師。
「まあそうですけど……俺は、捨てられた身なんですよ?」
「分かってねーなぁ、新宮。そんなんだから、童貞なんだよ!」
 悪かったな、でも処女じゃないもん。

「じゃあ、俺が他の女子と楽しくしていれば、ミハイルは戻って来るんでしょうか?」
「簡単に言えば、そうだな。別に同性と仲良くしても、効果はあるだろう」
 てことは、ミハイル並みの男子を連れてきて、イチャつけば良いのか?
 思い当たるとしたら、リキに惚れている住吉 一ぐらいだ。

 俺が黙って考えこんでいると。
 宗像先生は大きく口を開いて、豪快に笑って見せる。

「だぁはははっははは! 新宮。お前は、もう終わったと思い込んでいるんだろ?」
「え? だって、アイツに絶交だって言われたし……俺のせいで、長い髪も切らせてしまって……」
「考えすぎだろ! 今時の奴らは、気分で長い髪も切る。それに本気で絶交したいやつが、プレゼントを大事にするか?」
 その言葉に、耳を疑った。
「プレゼント? なんのことですか?」
「なんだ? 気がついてなかったのか、ははは! そりゃ振られるわな!」
 一人だけ分かっているような口ぶりだったので、俺も苛立ちを露わにする。
「な、なんですか!? 教えてくださいよ!」
 力いっぱい拳で座卓を叩くと、近くにあったグラスが倒れた。
 それを見た宗像先生は笑みを浮かべ、自身の耳を指さす。

「古賀の耳元。ネッキーとネニーのピアスをつけていたぞ。あれ、お前が誕生日にプレゼントしたんじゃないのか?」
「あ……そうです。でも、なぜ俺がプレゼントしたって、分かったんですか?」
「そりゃ私は女だし。直感だよ。前後の話も聞いているしな。お前は古賀を抱きしめるぐらい、想いが強かったんだろ? ならプレゼントも高額になっても自然だもんな」
 普段からアホな言動が目立つ教師のくせして、こういう時だけは鋭い。

「あのピアスが高いって、分かるんですか?」
「うん。だって小さいけどダイヤが入ってたし。付き合ってもない関係なのに、数万円もかけるとか。正直見ていて、ドン引きしたけどな」

 クソッ、言いたい放題言いやがって……。

 でも、安心した。
 俺はまだミハイルに捨てられていない……のかもしれん。
 あの時、渡したプレゼントを大事につけているのだから。

  ※

「じゃあ、古賀に楽しいところを見せつけてやるか」
 そう言うと、宗像先生は怪しく微笑む。
 片手に、スマホを持って。
「な、なにを見せるんですか……」
 悪い予感しかない。
 こういう顔をしている時の宗像先生は。
「とりあえず、新宮。こっちへ来い」
 手招きされるがまま、俺は先生の方へ近寄る。
 隣りに座ると、先生が自身の太ももを指さす。

「なんすか? どうするんですか?」
「いいから、さっさと来い! 古賀を取り戻すためだ!」
 そう言うと、宗像先生は俺の首を掴み、強引に太ももの隙間へと突っ込む。
 鼻と口を抑えられて、息が出来ない。
「ふごごご……」
 アラサー教師の股ぐらに、顔を突っ込んで、何が嬉しいのやら。
「よし! 今から撮影するぞ~ 新宮、お前もこっちを見て笑え! 楽しそうにするんだよ♪」
「へ?」

 顔を上げた瞬間、フラッシュがたかれた。
 口角をあげる暇もなく、撮影は終わってしまう。

「おぉ~ 良い感じに撮れたじゃないか~♪ みんなの蘭ちゃん先生を独占とか、うらやましいな。新宮」
 スマホの画面に映っていたのは、顔色の悪い生徒と酔っぱらったアラサーの女性教師。
 事故とはいえ、俺は宗像先生に膝枕をされている。
 周りに食べ散らかした中華料理と、グラスが並んでいた。
「……」
 これのどこが、楽しそうなんだ?

「じゃあ、私のというか……本校の公式”ツボッター”で、写真を投稿しておくぞ。古賀も見ているかもしれん」
 ファッ!?
 今、そんなことしたら。ミハイルの怒りが治まるどころか。
 火に油を注ぐような行為だ。

「ちょっ、先生! やめてください! もしミハイルが見たら、絶対良い気分しないでしょ!?」
「なーにを言っておるか! 恋は駆け引きというだろう。使えるもんは全部使うんだよ、バカ野郎!」
「そんな……」

 完全に酔っぱらった、おっさんだよ。

「ヘヘヘ、投稿してやったぞ。ほれ、新宮も確認しろ」

 仕方なく先生のスマホを覗いてみると。

『友人に捨てられた生徒を、グラマラスな太ももで癒す私』
『癒された生徒は、もう宗像先生がいないと生きていけない! と元気が出たようだ』
『私のような美人教師がいるのは、一ツ橋高校の福岡校だけ。随時、生徒募集中!』

 結局、ただの広告じゃねーか!
 いいように使われただけじゃん。

  ※

 宗像先生が言うには、俺が学校で楽しく生活していれば。
 ミハイルが、戻ってくる可能性が高いそうだ。
 実際、過去にヤンキーの生徒たちがケンカして、退学した時も。
 残った生徒たちの楽しそうな話を聞いて、戻ってきた事例があるようだ。

 一応お悩み相談は、解決というか。
 安心できたので、俺と宗像先生は店を出ることに。
 外に出ると、空はもう真っ暗だ。
 ミハイルのことで、午後の授業もサボってしまった。
 だが宗像先生の計らいで、出席扱いにしてもらえた。

 これは俺だけでなく、ミハイルも同様で。
 真面目に出席している俺たちだから、特別に……とのことだ。
 テストは後日、彼の家に郵送するらしい。

 
「お、珍しく。私の投稿にリプが届いてるぞ?」
「本当ですか?」

 二人して、スマホの画面をのぞき込む。

 先ほどの先生の投稿に対し、こう書かれていた。

『アラサー教師の太ももとか、エグい』
『ばばあ、無理すんな。必死すぎ』
『こんな高校行きたくない。写真の生徒がかわいそう』

 結構、責めた内容だな。
 ん? 投稿主の名前が気になった。
 “ボニョ大好き☆”

 これは……まさかミハイル!?
 一発で釣れたのか?
 
 驚く俺とは対照的に、宗像先生は顔を真っ赤にして、スマホへ怒鳴り散らす。

「誰が、ばばあだ! ネットから出てこい、クソガキ!」

 でも……本当に彼なら、俺はまだ信じてもいいのだろうか?

 ミハイルが退学を申し出て、二週間が経とうとしていた。
 宗像先生と別れる際。

「とにかく新宮。お前は楽しそうにしていろ。それが重要だ」

 なんて言われたが、そんな風に気持ちを切り替えられたら。どんなに楽だろう。
 確かに宗像先生のツボッターへ反応した相手は、ミハイルに似ていたが……。
 断定は出来ない。

 それでも、第2回の期末試験はやってくる。

 毎日、胸が痛む。
 彼から「絶交だ!」と叫ばれた日から、俺の胸に空いた大きな穴は、塞がらず。
 日に日に、広がっていくような気がした。
 そのせいか、飯もろくに喉を通らず。

 体重は減る一方だ。
 口にするものと言ったら、ブラックコーヒーのみ。
 栄養を考えて、砂糖を少しだけ入れている。
 
 この前のスクリーングから、憔悴しきった俺を見て、あの母さんや妹のかなでまで心配してくれた。

 でもその優しさが、更に俺の傷を広げてしまい、痛みが増す。
 きっと、この穴を塞げるのは……アイツだけだ。


 正直、学校なんて行きたくなかった。
 でも宗像先生に言われているし。俺が楽しく振舞っていれば、ミハイルが戻って来るかもしれない。
 
 魔法瓶にホットコーヒーを注ぎ、リュックサックを背負うと、地元の真島駅と向かった。

  ※

 学校へ着くと玄関で、一人のミニスカギャルに出会う。
 ミハイルの親友でもある、花鶴 ここあだ。
 寒いのに、相変わらず露出度の高い服装。
 だが、そんなこと。今の俺にはどうでもいい。

 あまり話したくないと思って、静かに立ち去ろうとしたその時。
 俺の存在に気づかれてしまう。

「あ、オタッキーじゃん! あけおめじゃね?」
「……」

 いや、この前の試験でも会ったんだけどな。
 俺って、やっぱりミハイルがいないと、幽霊みたいな存在なんだな。

「てか、痩せた? めっちゃ頬がこけているんだけど? ダイエットとか?」
「……いや、違う。色々あってな」
 かすれた声で答える。
 久しぶりに人と話すから、上手いこと言葉が出ない。

「ふぅ~ん。あのさ、最近ミーシャも見ないよね? 風邪とかかな?」
「み、ミハイルは……」

 その名前を口から発した瞬間。
 胸が激しく痛む。
 あまりの激痛に、息が荒くなり。その場に立っていられなくなる。
 2週間も飯を食ってないこともあり、ふらついてしまう。
 近くにあった下駄箱に、もたれかかる。

 それを見たここあが、血相を変えて、俺の肩を掴む。

「ちょ、ちょっと! オタッキーてば。どうしたの!? 倒れそうじゃん!」
「俺の……せいなんだ。ミハイルが学校へ来られなくなったのは……」
「え? ミーシャと何かあったん?」

 弱音を吐いた途端、涙が頬を伝う。
 この二週間、ずっと誰かに話を聞いてほしかったから。

  ※

 ここあが気を使ってくれて、誰もいない3階の教室で話をしようと、提案してくれた。
 誰もいない教室の中、ふらつく俺が心配だと、イスに座らせられる。
 目の前の机に腰をかけ、俺が話すのを待つここあ。

「で、何があったん? ケンカ?」
「ケンカというか……もっと複雑な事情だ」
 俺がそう答えると、彼女は鋭い目つきで睨む。
「ねぇ、前からやってたミーシャの女装が関係してんの? あれで泣かせたら、オタッキーでも許さないかんね!」
「……それが関係している」

 そうだった。
 ここあは、友情を何より大事にする人間だった。
 特に幼馴染でもあるミハイルを、傷つけたら、俺でも殴られるだろう。

 でも、今の気分なら、こいつに殴られても構わん。
 俺がミハイルを、傷つけたのは事実だし。
 それらも覚悟して、俺はここあに説明をはじめる。

 最初は眉間に皺を寄せて、俺を睨んでいたが。
 素のミハイルを抱きしめたこと。それからキッスまでしようとした……全部、話し終えるころには、何故か嬉しそうに笑っていた。


「これが全部だ。だから、あいつは退学という選択肢を取った。全部、俺が悪い」
 一応、ダチでもあるので、頭を下げておく。
 しかし、ここあは何も言わず。
 俺の肩に優しく触れ「話してくれて、ありがと」と礼を言われた。
 これには、俺も驚く。

「どういうことだ?」
「それってさ。あーしだけに、話してくれたんでしょ?」
「ああ……宗像先生には相談したが」
「じゃあ、ダチのなかでは一番だ♪」
 なぜか勝ち誇ったような顔をしている。

「怒らないのか? お前のマブダチを女装までさせて……傷つけた俺を」
「ん~ あーしは女装とか、同性愛っての? 正直、わかんないから、どうでもいいっていうかぁ」
 おい。勝手に人を同性愛者にするんじゃないよ。

「つまり、どういうことだ?」
「オタッキー的には、女装していない素のミーシャが、好きだってことでしょ?」
「う……」
 改めて、人に言われると恥ずかしいな。
「ならさ。あーしも手伝うよ! ミーシャを学校へ戻すこと!」
「へ?」
「あーし的には、オタッキーとミーシャがくっつくのは、すっごく嬉しいかな♪」
「……」
 なんか勝手に、俺とミハイルが付き合う前提で、外堀を埋められているような。

  ※

 俺はこの前、宗像先生が話してくれたアドバイスを、ここあにも説明する。
 具体的にどうやって、学校を楽しむのかが、分からない。
 
 しかし、ここあはそれを聞いて何かを思いついたようだ。
 胸の前で、手をパチンと叩く。

「なるほどね! 宗像先生のいうこと、分かるかも!」
「?」
「要は明るく楽しそうなオタッキーを見たら、ミーシャも一緒に遊びたくなるじゃん!」
「そ、そうか?」
「うんうん! だからさ、いっぱい写真を撮ろうよ♪ 学校で!」
「……え?」

 ここあが言うには、学校内で色んな友達と写真や動画を撮って、SNSに投稿すれば、ミハイルが見ている可能性がある……らしい。
 しかし、身バレとかの危険性があると、断ろうとすると。

「ねぇ! 本気でミーシャを取り戻したいんでしょ!? 身バレとか、どうでも良くない! オタッキーの愛って、そんな小さなものなん!?」

 と机を思い切り、拳で殴りつける。
 これには、俺も恐怖を感じた。
 やはり腐っても、伝説のヤンキーだ。

「わ、悪い……アカウントを作ればいいんだろ?」
「そうそう♪ てかさ、オタッキーは作家なんだから、ペンネームで作りなよ」
「まあ、そうだな」

 SNSは見る専で、創作アカウントなんて、作っていなかったが。
 ミハイルのためだ。身バレ、炎上覚悟でやるか……。

 DO・助兵衛で、全世界に向けて発信とか、黒歴史だけど。

 ここあに言われて、ツボッターのアカウントをその場で作成。
 アイコンやヘッダーは、トマトさんが描いてくれたアンナのイラストにしておいた。
 まあモデルが目の前にいるギャルのここあだから、巨乳のハーフギャルになっているが……。
 小説の宣伝も兼ねているので、仕方あるまい。

 初めての投稿は、俺とここあのツーショット写真。
 だが何を書いて良いか、分からない。

「なあ、写真はともかく、何を書けばいいんだ?」
「ん? 別になんでもよくね? 呟くところじゃん」
「ま、まあ……そうだが……」

 とりあえず『期末試験、2回目に来た』とだけ呟いておく。
 今のところ、反応はなし。

「でもさ~ ツボッターだけじゃ、楽しさが少なくない?」
「え?」
「インスタもやろうよ♪ 今日スクリーングだから、色んな生徒に声をかけて、写真を撮りまくるっしょ♪」
「……」

 本当に効果があるのだろうか?
 今、投稿した写真も、ここあはいい顔をしているが、俺は青白くて、やつれている。
 楽しそうというより不幸な写真……。

  ※

 チャイムが鳴ったので、一旦3階の教室から出て、2階へ降りる。
 ホームルームを受けた後、すぐに尿意を感じた。
 きっとコーヒーばかり、飲んでいるからだろう。
 教室を出て、廊下を歩いていると。

 全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子高生たちと、すれ違う。
 一人は、ボーイッシュなショートカット。
 もう一人は、ピンク色の髪でお団子頭。

「あ、新宮センパイ!」

 声を掛けられなかったら、気がつかなかっただろう。
 まともな食事を取っていないので、意識がもうろうとしている。

「え?」
「私ですよ! ひなたです!」
「ああ……」

 彼女の名前を聞いて、なぜか落ちこんでしまう。
 ミハイルじゃないのか……って。

「なんですか!? その反応! まさかアンナちゃんが良かったんですか!?」
「い、いや……そのひなた。悪いけど、あまり大きな声で話すのはやめてくれ。頭に響く」
 頭を抱え、廊下の壁にもたれかかる。
 これにはひなたも、驚きを隠せない。
「大丈夫ですか!? センパイ!」
「ああ……空腹によるものだから、心配するな……」
「空腹って、一体どうしたんですか?」

 俺はひなたに、この二週間食事を食べられないことを説明した。
 食べても味がしない。何を口に入れても、不味く感じる。
 一体、なぜこんなことが起きているのか……自分にも分からない。
 それを聞いたひなたが、プッと吹き出す。

「何が可笑しい?」
「新宮センパイ。それって、恋わずらいじゃないですか?」
「は? ウソだろ?」
 相手は男だ。
「あるあるじゃないですか~♪ 相手のことを思うだけで、胸がドキドキ。食事も喉を通らない。一睡も眠れない日々が続く。めっちゃピュアですね♪」

 なんだかバカにされた気がして、イラってしてしまう。

「あ? そんなわけないだろ。だって、俺の場合は相手が……」
「相手がなんですか? もしかして、私ですか?」
 グイッと顔を寄せるひなた。
 ここで否定すると、怒られそうだから、曖昧に答えよう。
「俺の場合、恋愛じゃない。ただのケンカ。ダチとのな」
 言いながら、頬が熱くなるのを感じた。
 それを見逃さないひなた。
「あ~! 顔が赤くなってるぅ~! やっぱり恋わずらいだぁ~!」
「ち、違うと言っている!」
 クソがっ。

  ※

 とりあえず、俺に今起きている症状は置いといて。
 ひなたに協力を仰いでみる。
 級友のミハイルが休学しているため、SNSを使って呼び戻したいと頼んでみた。

「ふ~ん。あのミハイルくんが退学を考えるなんて、よっぽど酷いことをされたんですかね?」
「うっ……」
 傷口に塩をぬられている気分だ。
「まあ、いいですよ。私なんかで良かったら、写真ぐらい。全然です♪ むしろアカウントを共有しましょう♪」
「そうか、悪いな」
「いえいえ。そうだ、ついでだから、ピーチちゃんに撮影してもらいましょうよ!」

 ひなたと会話に夢中になっていたから、忘れていた。
 隣りのピンク頭を。
 俺の専属絵師、トマトさんの妹でもあり。コミカライズを担当している小ギャルのピーチだ。
 背が低いせいもあってか、影が薄い。

「ちょりっす、スケベ先生」
 胸元で小さくピースする。
「おお……ちょりっす……」
「マジで瘦せたっすね。あれっすか? ダイエットすか?」
「いや、ちょっと病気だ」
「それは大変っすね。病院で治してもらわないと、執筆活動に差し障りますよ」
「うん……」

 ピーチに指摘するまで、忘れていた。
 俺のもう一つの職業。
 小説家。

 アンナや他のヒロインたちのおかげで、“気にヤン”は人気だ。かなり売れている。
 今月に入り、マリアが主役として活躍する4巻も発売した。
 発売してまだ2週間ぐらいだが、売り切れが続出しているそうだ。

 編集部の白金から、早く次の原稿を書いて欲しいと頼まれている際中だ。
 だが、俺は小説を書くことができなくなっている。
 一行も埋めることができない。
 理由は分からないけど、ミハイルに振られてから、おかしくなった。
 
 この症状も早く治さないと、原稿の締め切りがあるからな。

 
「じゃあ、撮るっす。ひなたちゃん。スケベ先生ともっとくっついて下さいっす」
「うん♪ 可愛く撮ってね、ピーチちゃん!」
 俺が元気ないことを良いことに、勝手に話を進める二人。
 まあ正直、立っているのもやっとだから、ひなたに腕を組まれることは、楽ではある。

「ちょりーっす!」

 数枚撮ったあと、ひなたがスマホを確認し、SNSにあげる写真を選ぶ。
 俺のスマホなのに……勝手にいじりまわす。
 気がつくと、ツボッターのアプリを開いて、写真を投稿していた。

「じゃあ、送信っと♪ タグもつけておきましたよ。インスタも上げよっと♪」
「お、おい……」
 
 力が入らないので、ひなたの暴走を止められない。

「心配しなくても大丈夫ですよ。どっちのタグも、“恋人”とか”彼氏彼女”ぐらいしか、つけてませんから♪」
「なっ!?」

 もはや、楽しいところを見せるのではなく、完全に煽っているじゃないか!?

「あ、早速リプが届きましたよ♪ ……って、なんなのコイツ!?」
 
 顔を真っ赤にして、興奮するひなたを無視し、スマホを確認してみる。

『この人、知ってます。梶木(かじき)浜でパパ活しているJKです』
『動物をたくさん飼って、虐待する悪女です』
『ていうか、男みたいな顔で草』

 投稿主の名前は、”ネッキーのピアス大事”。

「クソリプってレベルじゃないですよ! ストーカーじゃないですか!? なんで私の個人情報をここまで……」

 宗像先生の時とは違うアカウントだが、どうも言っていることが似ているような。